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②義仲伝絵巻

さまざまな作品に残された「言葉」から義仲の姿を描き出しました。

どの文がだれの文章なのか探してみてください。

■松尾芭蕉1

木曾の情
雪や生ぬく
春の草

松尾芭蕉

木曽義仲の圧倒的なファンであったのでは?と考えられているのが、松尾芭蕉(1644~94江戸時代前期)です。芭蕉は日本各地を旅し、優れた俳句を残し、現代でも句碑やブロンズ像が全国各地に建てられている俳人です。

不思議なことに、義仲の史跡巡りをすると句碑やブロンズ像に遭遇することが非常に多いです。「えっここにも芭蕉翁が…」と先回りされた気持ちがこみ上げます。

この句の石碑は、義仲最期の地・粟津原、現在の滋賀県大津市・膳所駅前に建立されています。

■平家物語/義仲の名乗り

木曾の冠者、今は見るらむ。
左馬頭兼伊予守朝日の将軍源義仲ぞや。

平家物語「木曾最期」

平家物語より、義仲の名乗りのセリフです。義仲は入京してから「朝日将軍」という通称を院からもらったとされています。そのため義仲ゆかりの場所が「朝日」または「旭」という地名になっていることが多くあります。

またサランラップでおなじみの大手総合化学メーカー・旭化成株式会社の「旭」も義仲にあやかったものです。前身のあたる旭絹織の本社が大津市膳所にあったことから名付けられました。

■九条兼実

義仲はこれ天の不徳の君を戒める使いなり

九条兼実「玉葉」

九条兼実(1149~1207年)は義仲ファンにとって大変ありがたい存在です。もし九条兼実が自らの日記「玉葉」に義仲のことを書き留めなかったら、歴史的なさまざまなことが証明できなくなったかもしれません。残念ながら同時代人の日記は部分的にしか残っておらず、義仲の記述はほんのわずかだからです。

都での義仲の様子を細かく描き残し、期待したり、落胆したり、エモーショナルに振り返ったり、まさにリアルタイムの緊張感が文章からにじみ出ています。少し文章が難しく、とっつきにくく、義仲に関する記述はこれまで論文等であまり取り上げられていませんが、義仲が求めていた世がどのようなものだったのかの輪郭は、「玉葉」を読むと伝わってきます。

■手塚治虫

「巴も男に生まれとうございました」
「そしたら悲しいお別れなどせずに
 いさぎよく戦えましたろうに」

手塚治虫「火の鳥」

義仲の最期の5騎というと、義仲・今井兼平・巴御前…あと二人が手塚光盛と手塚別当です。手塚氏が二人もいますね。

漫画の神様として知らない者はいない巨匠・手塚治虫先生(1928~1989年)は、この手塚光盛の末裔だとおっしゃっていて、近年NHKの番組ファミリーヒストリーでも取り上げられました。「火の鳥」の手塚光盛は、なんと手塚治虫先生の似顔絵そのままです。

■吉川永青

女子には女子の戦いがあるはずだ。
俺の盾となり、地獄に落ちる覚悟があると申すなら、
生き地獄の中で俺の誇りを守ってはくれぬか。
生涯、語り継いでくれ。
木曽次郎義仲は己が信念のために戦い抜いたのだと

 吉川永青 「義仲これにあり」

義仲・巴を描いた小説はあまり多くありません。しかも昭和中期に書かれた「新・平家物語/吉川英治(1892 - 1962年)」の影響が非常に大きいのです。例えば義仲の子・清水義高の母が巴御前だとは平家物語諸本にも記述がない「新・平家」の設定ですが、なぜかあまり疑問に思われずに他の小説などでも取り入れられています。義仲の人物像も「新・平家物語」によるイメージが非常に強く、わき役として登場するときは思慮の薄い乱暴者のキャラクターがそのまま使われていることが多く見られます。

義仲これにあり/吉川永青」は2013年に発行された作品で、巴について書かれた歴史学の論文をもとに、意外性のある設定になっていますが、それにより義仲の人間性が引き立たされるストーリーになっています。

様々な小説の義仲のセリフから、義仲伝絵巻を作成したアーティスト・土屋氏がぐっと来たセリフを選び抜きました。

■松尾芭蕉2

義仲の
寝覚めの山か
月悲し

松尾芭蕉

再び登場した松尾芭蕉です。こちらの句は、義仲が一か月逗留した福井県で北陸合戦の舞台・燧が城を見て詠まれたものですが、句碑は富山県の倶利伽羅峠にあります。

芭蕉が義仲に大変思い入れが深かったことは「からは木曾塚へおくるべし」という一言から伝わってきます。義仲と兼平は一所の死を望みましたが、芭蕉は義仲と一所の場所に葬ってほしいと望んでいたのです。推しの隣で永遠の眠りにつきたいとはファンとして突き抜けています。

芭蕉を慕う門下生たちは、その希望をかなえ、大阪で倒れた芭蕉の亡骸を丸一日かけて滋賀県大津市の義仲寺まで運び埋葬、塚を築きました。

俳句の季語に「義仲忌」があり、芭蕉のおかげで俳句の世界で義仲が忘れられることはありません。

■松本利昭

無知蒙昧な木曽の山猿でもなければ、礼儀知らずの田舎者でもない。
松本利昭「木曽義仲」

小説「巴御前」の松本利昭先生は、実際に義仲・巴が歩いた場所をくまなく回り、ゆかりの地に住まわれる多くの方に会い、各地の自治体史を参照しながら作品を書かれました。その執筆の旅で生まれた縁によって、義仲に思いを寄せる人々のネットワークが立ち上がり、現在は木曽町で運営している「義仲巴ら勇士讃える会」に引き継がれています。松本先生が始めた義仲寺・法観寺をめぐる義仲命日の墓参は20年以上を越えています。


■芥川龍之介

彼の一生は失敗の一生也。
彼の歴史は磋失の歴史也。
彼の一代は薄幸の一代也。
然れども彼の生涯は男らしき生涯也

彼は猶従順なる大樹なりき。
彼は自由の寵児也。
彼は情熱の愛児也。
而して彼は革命の健児也。

芥川龍之介 「木曾義仲論」

芥川龍之介(1892-1927)が、17歳の時に東京府立第三中学校学友会誌に発表したのが「木曾義仲論」です。400字詰め原稿用紙およそ80枚にもわたる原稿で、義仲の生い立ちから最期まで、芥川の解釈を添えた史論となっています。

義仲の人物像は、時代背景によって影響を受けますが、芥川の時代は急速に進む近代化のなかで、「自然であること」「野生であること」の魅力が再確認されたころでした。現代人には少し読みにくい文体ではありますが、若い熱が伝わってくるような激しさがあります。青空文庫などインターネット上で詠むことができるので、興味がある人は読んでみることをお勧めします。


まとめ

小説、エッセイ、歴史学者による一般書など60冊ほどから義仲に関する内容を抜き出し、アーティストと話し合い今回の言葉を選びました。

同じ本を読んでも感じ方はさまざまでしょう。書籍によって義仲の描かれ方がどう違うのか比べてみるととても面白いですよ。


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