義仲が戦死した後、今井兼平の老臣・清水嘉藤治が逃れ来て庵を結んで主家の冥福を祈りつつ狩猟を業としていたという。ある日猟に出て深山に入ると熊の群れに遭遇し襲われそ…
義仲が1181(養和元)年日和田を通って飛騨国に来た時、乗鞍岳を直接仰ぎ見て乗鞍大神を祀る里宮を作ったという。 岐阜県高山市高根町阿多野郷字ミキリ309番地
今井兼平の長男・貞信の末裔(今井次良左ェ門忠親)が元和6年に創建した神社。義仲亡き後、貞信は宮田村に来住したという。その後23代忠親が祖先兼平貞信の守神と崇むる…
義仲の遺子と残党が1190~99年ごろ当地に来住して加賀国白山大神及び信濃国木曽御岳大神を勧請奉祀したという。 岐阜県高山市丹生川町北方1745番地
義仲の家臣・手塚光盛が1191(養和元)年に飛騨攻めに来た時、三仏寺城の後ろの守護として建てられていたため攻略されたという。 岐阜県高山市上野町671番地
義仲が1181(養和元)年正月に飛騨国へ観察にきた際、源家の氏神八幡大神を勧請鎮祭し、愛用の鉾・太刀等を奉納したという。社宝に仏像四体その他多数があり、区内には…