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義仲戦記22「山門牒状②」

「いきなり協力しろって言われてもなぁ」
「確かに急ではあるな」
「だからぁウチら最初から平氏方じゃん」
「そうだったか?」
「で、その義仲って誰よ?」
「なに?有名な奴?」

「お前ら、北陸での事知らないの?平氏の追討軍に勝ったんだよ」

「そ。十万騎の官軍にな」
「マジか」
「嘘ぉ」

「本気で言ってんの?お前ら、ここ三ヶ月程何してたんだよ」

「多分、修行的な」
「だな」

「なら仕方無ぇけどさ。あんま世の中の事に疎いと、僧としてやっていけないぜ」

「今までの平氏から受けた御恩を忘れたか!」

「恩なんて受けて無ェよ。まぁ、受けた事あるのは寄進と寄贈だな。あはははは」

「そうは言っても平氏とは上手くやって来たじゃんよ。ウチら」

「今まではな」
「だからよ、結局のところ、どうすんだ?」
「それを決めようって事だろ?」
「みんなで、か?」

「ちょ待て。ちょっと整理してみるから。え〜と?・・・」


彼らは世間話をしている訳では無い。

が、重要な合議に参加しているとは思えない程、その内容は世間話のそれになり下がっている事に、彼らも気付いてはいたが、誰もこのお喋りをやめようとは思っていない。

要は収集がついていないのであった。しかし、それも仕方無いと言えば仕方無いのかも知れない。何しろ三〇〇〇人を超える人間が1カ所に集まり、井戸端会議を開いている最中であるからだ。

だが、いつまでもこうして無駄話をしていられる状況でも無い事は、皆が薄々感じてはいた。

彼らに突き付けられた選択は二者択一のシンプルなものだったし、であるが故に早々に決断しなければならなかったからである。






事の始まりは当然、義仲が比叡山延暦寺に送った牒状であった。

この書状は大変に礼儀正しく、また延暦寺に対し遜って書かれてはいたが、また同時に静かな威嚇を伴っていたので、比叡山の僧侶らにとっては一種の爆弾として、彼らの上に炸裂した訳である。

この時、義仲からの牒状を託された白井法橋幸明。この幸明と反平氏の志を同じくしている悪僧の慈雲坊法橋寛覚。そしてこの牒状の宛先として指名された比叡山反平氏勢力の筆頭格である恵光房阿闍梨珍慶が中心となり、延暦寺大衆三〇〇〇の僧侶を大講堂の庭に集合させての大会議を開いたのである。

そしてこの場で、義仲からの牒状を幸明が声高らかに読み上げたところ、冒頭の騒ぎとなったのであった。



この大騒動の合議に至る前夜。
白井法橋幸明は比叡山延暦寺に舞い戻って来ていた。

「おお!幸明!良く戻って来たな!」

阿闍梨珍慶が笑顔で迎えた。

と、
「お前が居ないとこの比叡山も静かなものだったぞ。幸明」

ニヤリと口元に笑いを浮かべながら慈雲坊寛覚も、幸明を出迎えた。
続けて、

「だが、静か過ぎて少々退屈だったのも事実だ。お前が戻って来たからには、何か騒ぎを起こすつもりなんだろ?」

寛覚が期待を込めて幸明を見ると、

「それよ」

幸明は言いつつ、懐から一通の書状を取り出すと、

「阿闍梨珍慶様。この書状に眼を通して下さい」

恭しく一礼し、書状を差し出した。

「儂にか?誰からの書状だ?」

珍慶は書状を手に取りつつ問う。

「源義仲どのからに御座います」

幸明の答えに、珍慶の眼は一瞬にして真剣なものに変わった。

「・・・源・・・義仲だと・・・おいおい嘘だろ・・・」

寛覚に至っては絶句している。

珍慶は落ち着き払い書状を開くと、無言で眼を通していった。真剣に。



「・・・しかし幸明。お前が何で源義仲どのの書状を託されているんだ?」

寛覚が訝しげに訊く。

「義仲どのの軍勢にツテがあったんでな。自分の方から売り込んだ訳だ」

「ツテ?」

「ああ。義仲どのの祐筆を頼ってな。寛覚、お前も知っている筈だ。名は大夫坊覚明」

「大夫坊覚明?・・・誰だ?知らんぞ」

首を捻る寛覚を見つつ、幸明は面白そうに笑うと、



「今は名を変えてそう名乗っている。元の名は最乗坊信救」


思い至った寛覚が嬉しそうに言った。

「おお!興福寺の!お前と同じで平氏の清盛にニラまれて寺に居られなくなったアイツな!」

「まぁな」
幸明が苦笑いで肯いた。
と、書状を読み終えた阿闍梨珍慶が、牒状をたたみながら静かに、そして真剣に幸明に問うた。

「この書状は本当に義仲どのより託されたものなんだな?」

「はい。義仲どのが直接、拙僧に手渡された書状です」

幸明も静かに、そして誠実に答えた。珍慶の眼を見詰めながら。

「判った。幸明、お前の言う事を信じる」

珍慶が深く首肯くと、
「では明日、早速比叡山三〇〇〇の大衆を集めての合議を開くとしよう。そして合議の席でこの比叡山延暦寺を一気に源氏方に付けさせる!」
決然と言い放った。

「では阿闍梨様!義仲どのに協力して下さいますか!」

幸明が嬉しさを隠し切れずに言うと、

「この機会に義仲どのと協力し、我らの念願である比叡山延暦寺の平氏からの離脱を成就させる!」

珍慶が力強く首肯きながら宣言する。

「いよいよだな!」
「おお!」

寛覚と幸明は肩を組み、まるでもう悲願が達成したかの様にはしゃいでいる。

と、
「それについては幸明、寛覚。二人に言っておく事がある」

珍慶が、二人の盛り上がりを制するかの様に言った。
二人は肩を組んだまま、阿闍梨を見る。

「それはな、明日の合議でお前達二人は儂が合図するまで、発言する事を控えていてくれないか」

珍慶が言うと、二人は顔を見合わせて、

「それは構いませんが、何故です?」
異口同音に問う。



「会議とか合議なんてものはその場の雰囲気や空気に支配されるものだ。その空気の流れを読んだ者が決定を左右出来る。
まぁ、儂に任せてくれんか。ここぞ、と思う時には儂が目配せをするのでその時に二人は思い切り発言して欲しい。どうだ。出来るか?」

珍慶が交互に二人に向かって言う。
幸明と寛覚は組んでいた肩を離し、肯き合うと居住まいを正し、珍慶に向かい一礼しながら、

「阿闍梨様の仰せの通りに」
答えた。

「そうか。明日の合議が楽しみだ」
珍慶が満面の笑顔と共に応じた。





阿闍梨珍慶は、いつ果てるとも判らない三〇〇〇人による無駄話を、無言で冷静に見守っていた。先程、義仲の牒状を読み聞かせた白井幸明も、それ以後は慈雲坊寛覚と共に無言で珍慶の傍に控えている。

珍慶は注意深くこの喧騒に耳を傾けていたのだが、そこに無視出来無い特徴が表れている事に気付いた。

それは若い僧や位の低い僧、元気の良い悪僧らは口々に、

『源氏に付くべきだ!』

と高言し、比較的高齢の僧や位の高い僧ら、つまり延暦寺の上層部に属する僧らがそれを諫める、という構図になっている事に。
勿論、若い僧や悪僧の中にも、

『今まで通り平氏に付く事が正しい』

と言っている者達も居るのであるが。

これを耳聡く聴き分けた珍慶は、ほぼ自分の想定した通りに会議が進行(?)している事には、ある程度の満足を覚えてはいたが、上層部の僧達、つまり決定権を握っている僧達が源氏に味方する事に及び腰になっている事には、これもまた想定した通りではあったが少々苛つきを感じざるを得なかった。

既に世の中の状況が変化している事に上層部の僧達は気付いていなかったのであろう。

いや、気付きたくなかっただけなのか。

その状況の変化とは、平氏全盛の時は終わった、という事。

だが、それだけならばまだ良いが、事態は更に深刻で、義仲の登場と幾多の勝利、それに関わる平氏の相次ぐ敗北により、源氏と平氏の運命は逆転してしまうのかも知れなかったのである。

この重大な事に上層部は目を向けていない様に珍慶には思われて、常々苦々しく思っていたのであった。
まぁ珍慶は元々反平氏の立場ではあったのであるが。


しかしその様な事は全く表に出さずに、珍慶は無言で会議の行く末を見極めていた。

と、その時、
「我ら比叡山延暦寺は元々桓武平氏の祖、桓武天皇の御願により創建されたもの!つまり平氏との縁はおよそ四百年の長きにわたる!そして昨今は常に平氏と力を合わせて来た我らが、何故、今更義仲とか言うあぶれ源氏の言う事に従わなければならんのだ!」

若い悪僧の一人が声を張り上げて、勢い良く意見を述べた。言っている事は事実であり真っ当過ぎる程真っ当であった為、大衆らもこれまでの平氏との関係を思い起こし、

『やはり今まで通り平氏に協力した方が・・・』

との空気がこの場に漂い始めた時、珍慶は素速く反応した。
傍に控えている慈雲坊寛覚に合図の目配せを送ったのである。

「待て!我が比叡山延暦寺は鎮護国家の寺である!
歴代の天皇、大臣、公卿の長生を祈り、日本全土の泰平を唱える寺である事を忘れたか!
であれば昨今の政治的不安定、動乱の原因こそ清盛を始め平氏の悪行が甚だしかったからである!
思い出せ!清盛は大臣公卿の重臣を事もあろうに配流[島流し]し後白河院を故宮に押し込め[幽閉]、
以仁王様を殺し、更に園城寺や南都の東大寺・興福寺を焼き払った事を!」

寛覚は、待ってました!とばかりに間髪入れず反対の意見を述べた。
更に畳み掛ける。

「事ここに至り平氏に従うは平氏の悪逆に加担する事になる!という事が解らんのか!」

寛覚が吠えた。
と、先程までの空気が微妙に変化し、

『確かに言われてみれば平氏の遣り方は極端なんだよなぁ・・・やっぱ源氏に・・・』

との雰囲気が場を満たし始めた時、ふと一人の長老の僧侶が、

「いや。この際、我ら比叡山としては平氏と源氏の和平を提案する、というのはどうじゃ?そしてだな、朝廷がこれを認めれば良し。認めない時には、もう一度あらためて大衆の合議を開き、そこで平氏源氏のどちらかに協力するのかを決める、というのは」

と意見を述べた。絵に書いた様な折衷案である。
しかし、まともな意見と言えない事も無かった。
が、これはただ結論を先送りするに等しい。
つまり上層部は未だ方針が定まってはいなかったのである。


珍慶は苦虫を噛み潰したような表情で呆れて黙っていた。

が、驚く事にまたまた場の空気が変化し、あろう事か、


『・・・そうだよなぁ・・・何も今すぐ決める事は無いかもなぁ・・・』


こんな無責任な雰囲気が漂い始めてしまったのである。

(ちょ!おいおい!待てよ!)

場の空気がトンでも無い方向に向かいつつある事に、焦りと危機感を覚えた珍慶は遂に自ら発言した。いや。せざるを得なかった。

「それは構わぬ。いずれ平氏からも書状が届く事であろう。平氏に協力せよ、と。そうなれば、我らは源氏平氏双方の協力を断り、朝廷に一任する事になる訳だ。であれば考えたく無い事だが、最悪の場合、源氏平氏双方からこの比叡山は攻め込まれてしまう事になる。
何せ双方の協力要請を断ったのだからな。そうなった時、果たして朝廷は我ら比叡山を護って下さいますかな?」

腹の中は気が気ではなかったが、勤めて落ち着き払って珍慶は述べた。
わざと不吉な予想を交えて。
だが、状況はそうなってしまう事も充分有り得るのであった。


と、またまたまた場の空気が一変したのである。
定見が無く、ただ皆で集まり、だらだらやっている会議など所詮、創造性や効率性の欠片も無く、大勢も二転三転してしまうものであるが。

とにかく珍慶の不吉な未来予想に大衆らは不安になり出したらしい。不安の感情とは思いの外、強いものである。

『もしそんな事になったら・・・いや・・・そうなる前に、やはり・・・』

ひそひそと呟く声が珍慶の耳に入って来る。

(今[チャ〜ンス!]だ!)
ここで珍慶は勝負に出た。

彼は横に控えていたもう一人白井幸明に、くっ!と音がしそうな目配せを送った。

幸明は瞬きで応じると、


「朝廷にその様な実力が無い事は、ここに集まったものが皆知っている事だろう!確かに我ら延暦寺は帝の御代が長久である事をお祈り申す為にある!平氏は御当代[安徳天皇]の御外戚にして、比叡山にも深く帰依してこられた!それにより平氏は繁栄したのである!」


立ち上がって意見を述べた。幸明は一同を見渡すと、大きく息を吸い込み、続けた。


「だが!今や平氏の悪行が極まり、その運が尽きた事は、叛乱を平定する為の追討軍が逆に滅ぼされる、という有様により明白となった!そして源氏は近年数々の合戦に勝利し、今まさに運が開けようとしている!」


幸明は立板に水、という感じで畳み掛ける。
珍慶は大衆らの様子を注意深く観察していたが、徐々に幸明に乗せられつつあるのを感じた。つまり場の空気が、またも変化しつつあったのである。

(ココでキめる!)

珍慶は決断すると、寛覚にも目配せをした。くくっ!と音がする程の。
寛覚は小さく頷くと、さっと立ち上がり、


「正にこれからの平氏は積み重ねた悪行の報いが一門に及ぶ事になるだろう!誰もが平氏に背き、誰もが東国北国の様に源氏に従う事になる!」


一同を睨み付けながら怒鳴った。

続けて幸明が、
「既に神仏の御加護は平氏に及ばず、源氏の上に有る!その様な時に何故、我が比叡山だけが運の尽き果てた平氏に味方し、今、運の開けて来た源氏に背く様な事があろうか!」
駄目押し、の様に叫ぶ。と、



「おおおおおおーーーーっ!!!!!」



大衆らのほとんどが、その場で立ち上がり、拳を突き上げ叫びながら応じた。
場の空気は、今や源氏推し一色に染め上げられていた。とは言え、中には座ったままで下を向いている者、つまり平氏推しの者もちらほらいたのであるが。
何はともあれ、遂にこの空気だけが二転三転した様な合議にも決着が着いたようである。

(良し!勝った!)

阿闍梨珍慶は、心地良いやり切った感に浸りつつ、思っている。
何に勝ったのかは解らないが。
自分の望みを押し通した事を勝ち、とするのならば、そうなるのであろう。


それはさて置き、珍慶は表情を引き締めると、念を押す様に一同に言い渡した。

「それでは我ら比叡山延暦寺の大衆の総意として、これまでの平氏とのよしみを断ち、これよりは源氏に加担する事に決した。この事を返牒にしたため、義仲どのに送る事とする。合議は以上である。解散!」

こうして比叡山延暦寺は源氏に、つまり義仲に協力する事になったのである。




この夜。遠く比叡山を見詰めている武将がいた。
彼は唯一騎で、馬上から夜空より暗く、また黒く聳えている山を、夕刻よりじっと眼を凝らし眺めていた。と、

「!」
異変が起きた。

それはとても小さな異変ではあったが、この武将の眼はそれを捉えた。
比叡の山の一ヶ所に火が点ったのである。
その火は程無く明々と燃え上がり、その山の一角が照らし出された。すると、間を置かずに今度は比叡の山の麓にも火が点されたのである。

この燃え上がる二つの火を見た武将は、反射的に右手の手綱を引き、馬の方向を変えると、

「はっ!」
部隊に戻る為、馬を駆けさせた。
彼の背後には比叡の山に灯された二ヶ所の火が煌々と夜空を照らしていた。



「急いで伝令の用意だ!」
馬上で彼が叫ぶと、

「楯どの!」
「どうでしたか!」

富樫入道仏誓と林光明がかけ寄り、楯の乗る馬の轡[馬の口に噛ませる金具。手綱を繋げる為の道具]を取りながら訊いた。

義仲の命により白井法橋幸明の護衛の任に就いていた楯親忠・林光明・富樫入道仏誓以下三〇〇〇騎の部隊は、幸明を延暦寺に送り届けた後、近江国[滋賀県]琵琶湖西岸に待機し、幸明からの合図を待っていたのであった。


「合図の火が灯った!比叡山は我ら義仲勢の味方に付いた!」


四天王楯が力強く頷きながら馬上で答える。

「法橋幸明どのがやってくれたわい!これで我ら義仲勢の思い通りになった!」

富樫仏誓が喜びを爆発させていると、

「楯どの!伝令の準備、整いました!」

林光明が、馬を引いた郎等を引き連れて来た。
普段、冷静な林も笑みを浮かべ、心無しか嬉しげにしている様に見える。

「林どの、有難う」

楯は林に笑顔で礼を言うと、続けて郎等に向かい命令した。


「義仲様に伝令だ!比叡の山に二ヶ所の遠火が灯れり!
延暦寺は我ら義仲勢に味方す、と!行けっ!」

「はっ!了解しました!」

郎等は返事と共に馬に飛び乗ると、暗闇の中を駆け出した。
一路、義仲の本陣である越前国府[福井県]の大塩八幡宮へと。




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