木曽郡の義仲伝承地
【義仲とのかかわり】
義仲は2歳の時、父を討たれた。父の所領があった埼玉県から木曽郡の中原兼遠のもとに母と共に身を寄せたという。中原兼遠にはのちに樋口兼光・今井兼平と名乗る息子たちがいて、共に育ったという。(平家物語)
巴も中原兼遠の娘だという。(源平盛衰記)
義仲の元服前は平家物語にも具体的な記述がなく、木曽郡のこる様々な伝承が義仲の少年・青年時代の手がかりである。
■中原兼遠に関わる伝承地
義仲の養父。木曽に所領を持つ人物であったことしかわからない。名字から都から派遣された役人ではないかと想定されている。
■義仲ゆかりの伝承地
義仲の少年~青年期の姿が浮かぶ伝承たち。
・居城に関わるもの
・面白エピソード
・馬で各地に出没する義仲
・巴や女性の伝承
・義仲の親族の伝承
豆知識 中原兼遠の子供たちについて
中原兼遠の子供について、伝承では落合五郎兼行、三郎兼秀がいるという。落合五郎兼行は義仲の死後生き延びて木曽谷に戻り、頼朝方が放った残党狩りで戦ったという。三郎兼秀は軍勢には加わらず木曽谷の留守を守っていたが、義仲の死後山間部に親族を連れて隠れ住んだという。
また中原兼遠の「巴以外の娘が義仲の妻で清水義高の母」という説は、源平盛衰記に「清水義高の母は中原兼遠の娘」とあるが、巴についての説明の場面では清水義高のことが出てこないことによる。能「巴」では「信濃にいる妻子に遺品を届けよ」と巴が命じられているが、謡のなかでは妻子が木曽谷にいるとも、中原兼遠の娘であるとも明言されていない。
巴以外の中原兼遠の娘については後世に作られた系図に書かれたものがあるが、伝承は残されていない。巴が義仲の子を連れていた伝承は木曽から山を越えた他の地域に残されている。