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義仲戦記26「平家都落②」

「女房[女官]の乗る御輿を用意せよ。至急にな」


命じられた。が、一体何故なのか判らない。

(このヒトはいつも急に何か思い立つと、おかしな命令を出すからなぁ)

思いつつ大夫尉平知康は、主人に気付かれない様に溜め息を小さく吐いた。
知康の顔は盛大に、
「?」
と言う表情になっている。
と、主人は続けて、

「今から密かに御幸[遠出。外出]する。聞こえているのか?」
命じられた。
どうやら急いでいるらしい。

(またお忍びで何処かに遊びに行くのか?このヒトは。まったく・・・)

うんざりしつつ、ふと命令した主人の顔を見ると、普段とは違い、緊張に顔を強張らせ、真剣な眼でこちらを見返している。

「・・・一体何があったのですか?」

さすがに只事では無い、と遅ればせながら理解した知康は主人に問うた。

「先程、前内大臣[平宗盛]が言って来よった。
平氏は一門総てを引き連れ西国へ去る、とな」


「!!」


主人の答えを聞いた知康は、一瞬呼吸をする事も忘れ、口と眼をこれ以上無い程開けていた。

驚き、と言うより驚愕したのであった。
そんな知康に一瞥をくれた主人は続けて、

「それだけでは無いわ。
どうやら平氏は安徳[天皇]や、あろう事かこの儂も連れて京から逃げ出すつもりらしい。その様に前内大臣が儂に告げて来よった」

「ええっ!」

「ええっ、じゃ無い。お前も大概呑気だな。
ようやく解ったか。解ったら、急ぎ御輿の用意だ。
平氏が一門総出で何処へ行こうと勝手にすれば良いが、この儂まで巻き添えにされては敵わん。姿を隠すぞ」

「は、はいっ!」

「知康。お前は右馬頭源資時[宇多源氏]と共に儂に付いてまいれ。
そしてこの事は誰にも漏らすな。
お前らの郎等四・五人に御輿の事は任せる。解ったら急ぎ用意を整えよ」

「はっ!はいっ!早速取り掛かります!」

思わず腰を浮かせた知康に、

「夜陰に紛れて御所を出る。これより鞍馬寺に向かう。では行け!」

重ねて指示を出すと、知康は慌てて室を出ようとした。

と、
「これこれ。落ち着け。お前がその様に慌てふためいていたら、皆が気付いてしまうわ」

苦笑と共に一言言い添えると、

「はっ。申し訳ございません」

知康は呼吸を整え、一礼すると、内心はどうか判らないが少なくとも外見には落ち着き払った様子で、出て行った。

それを見送った主人は、

(やれやれ。忙しい事だ。しかし、これから一体どうなるやら。
まぁその様な事は後で考えれば良い。取り敢えず今は、京より落ちる平氏方から逃げ延びる事が出来ればそれで良い)

幾分、余裕を取り戻しつつ口元には笑みを浮かべた。

(しかし宗盛には感謝せねばならんな。
あの者が馬鹿正直にこの事を告げてくれたからこそ、儂は逃げ延びる事が出来るんだからな)

笑いの衝動が込み上げ、思わず大笑いしたくなるのを、肩を震わせて懸命に堪えつつ、後白河法皇は用意が整うのを待っていた。





そして、永い永い夜は明けた。

平氏、一門を引き連れ京を放棄。

主上[安徳天皇]、院[後白河法皇]らと共に西国へ行幸。

昨日平氏がこの決定をした時には、早くも京中にこの事が噂となって流布、拡散していた。

    そしてこの様な噂は、上は公家貴族から僧侶、武士、下は商人や一般民衆に至るまで、瞬く間に拡がってしまうもので、この日、京は普段とは大分違うそわそわした落ち着かない雰囲気に覆われていた。
 京に暮らす者達の大半が混乱していた訳である。が、京がパニックに陥った、とまでは言えなかった。確かに出発の準備等で忙しい平氏の連中や、何故かそれにつられて右往左往する僧侶、武士、貴族らが派手に動き回っていたのは事実だが、ほとんどの公家、貴族、武家、寺院、そして一般の民衆らはそれぞれの邸宅、屋敷、寺、家に籠り、門を閉ざし、戸を閉め切り、息を潜めて事の成り行きを固唾を飲んで見守っている、と言う状況であった。

 つまり、京は不安の感情に満たされていた。これから京の状況がどの様に移り変わって行くのか知る者は、唯の一人も居なかったのだから。



「この様な格好で申し訳ありませんが、御目にかかる事を許していただき有難う御座います」

皇后宮亮平経正[清盛の弟経盛の長男。経俊、敦盛の兄]が大鎧を纏った戦さ装束で一礼した。
経正は共の郎等から赤地の錦の大きな袋を受け取ると、

「西国へ赴く前に、先年御預かりしていた物をお返し致します」

言うと、仁和寺の御室、守覚法親王[後白河法皇の第四皇子]の御前に差し置いた。
御室は何か辛いものでも見るように経正に眼をやると、

「青山[せいざん]だな。経正」

「はい。この青山の様な琵琶の名器を喪う訳には参りません。
この様な名器を一時の事とは言え、私などに御預け下さった御室の御厚情、御礼の言い様もありません」 

経正が答えた。この経正は幼い頃から守覚法親王に仕え、殊に琵琶の名手として京に名が知られていたのである。

平経正は、これより三ヶ月程前の北陸追討軍に大将軍として参戦した時にも、北陸へ進軍する道すがら、近江琵琶湖の竹生島、都久夫須麻神社に於いて戦勝祈願の為、上玄、石上という琵琶の秘曲を奏でている程、琵琶を弾く事が何より好きな男であった。

御室もこの経正を幼少の頃より可愛がっていたのだろう。
そう。世に二つと無い名器を預ける程。

「経正。運が開けてまた京に帰って来た時には、再び青山をお前に預ける事にする」

御室守覚法親王が哀しげに言った。

これは紛れも無く御室の本心であった。
が、その様にはならないだろう事も、御室は心の何処かで確信していた。

経正は立ち上がると、もう一度深く一礼し、

「そうなる事を願ってやみません。では」
答えた。

堪えてはいたが、その眼には光るものが滲んでいる。
経正もまた本心であった。
しかも、そうなる事は無いだろう事も、御室と同様に経正もまた心の何処かで確信している。


朝靄の中、経正は馬に跨ると、経俊、敦盛の二人の弟に頷いて合図し、郎等らを引き連れ、振り返らずに駆け出した。
最後の挨拶に来た自分が、眼を赤くし、涙をを溜めている顔を、御室には見られたくなかったのである。鎧を纏った経正の、それが武士としての矜持であった。





「何だと!院の行方が判らん、とはどう言う事だ!」


門脇宰相平教盛が叫んだ。

彼は院[後白河法皇]を連れ出す[平たく言うと、穏やかな誘拐。優しい拉致]為に、御所である法住寺殿に向かっていた時、この報せを聞いたのであった。

「はい!私は昨晩より御所に宿直しておりましたが、夜半、急に御座所[法皇がいつも居る室]が騒がしくなり、探りを入れるとどうやら院が姿を消し、御所を出奔、何処かへ御幸なされた、との事です!
私が御所に居ながらこの様な事になり申し訳ありません!」

橘内左衛門尉季康が、事情を説明し、詫びた。
その声は悲鳴の様である。
季康は平氏の家人であるが、院の側近くに仕えていたのである。

教盛は手綱を握る手に力が入り、ぶるぶると腕が震えている。
院に出し抜かれた事に屈辱を感じている間も無く、大きく息を吐きながら瞬時に対応策を考え付く。

「解った!我らはこのまま御所に向かい院の捜索を行う!
行幸したのであればその行先も探り出せるかも知れん!
季康!お前はこの事をを六波羅[平氏の本拠地]の宗盛どのに報せよ!」

「はっ!了解しました!」

季康は応じると馬を六波羅へと駆けさせた。

「これより御所を探索し、院の行方を探り出す!続け!」

教盛は号令を掛けると、郎等と共に馬をを走らせた。
だが、心の中では、

(季康は家人の中でも頼りになる男だ。
その季康が昨夜の内に院に出し抜かれたとすると、院は大分遠くまで逃げた、と言う事だろう。近場を捜索しても見つかる可能性は低いな・・・)

苦い思いと共に半ば諦めつつも、朝日が差す路を御所に向かって行った。


「・・・後白河法皇が行方を眩ませた・・・だと・・・」

総帥平宗盛は呆然と呟いた。

「教盛様は引き続き御所の捜索と、院の行方を探ると言っておられました!」

季康が手短かに報告を終えると、出発の為、六波羅に集まっていた平氏一門の間に動揺と失望の溜め息が拡がった。中でも、平大納言時忠は、呆れた様子の眼付きで宗盛を一瞥すると、


(院でなくとも『後でもう一度参上してあなたを拉致し奉ります』などと面と向かって言われれば、誰でも逃げ出すに決まっておろう。
であれば、そう告げた時、院の身柄を確保しておけば、こんな事にはならなかったんじゃ。まったく・・・)


今更、思っても仕方無い事を、腹立ちと共に思わずにはいられなかった。
何かと文句の多い人である。が、この思いは多かれ少なかれ誰もが感じていた事ではあったが、誰もが口に出す事は控えていた。

だがそれ以上に、平氏一門は院に見捨てられた、というこの事実は、ただでさえ京から落ちて行かなければならない彼らにとって、暗い気分を更に憂鬱にさせるものであった。


重苦しい空気が折り重なり、更に沈殿していくかの様に思われた時、それまでの沈黙を破って総帥宗盛は告げた。

「それでは主上[安徳天皇]と二宮様だけでも御連れする事にする。
行幸の準備が整い次第、我らは出発する」



 平氏にとり、院の拉致に失敗した事は、彼らの運命を左右する重大な過失であった。何故なら、院さえ確保しておけば平氏に都合の良い『院宣[院の命令をを記した公式文書]』が出し放題であるだけで無く、平氏に敵対する勢力全てを『朝敵[国家の敵。或いは政権の敵]』とする事も可能であったからである。
 つまり、これからは平氏が院を操り、好き勝手が出来なくなってしまうのである。重要な事なので繰り返し書くが、平氏にとって手痛過ぎる失敗となったのであった。


「主上の御輿の準備は完了いたした。
既に御母建礼門院様[宗盛、知盛の妹]と同じ御輿に乗られてある。
二位尼[清盛の妻、時忠の妹]も今、別の御輿に乗り込むところじゃ」

大納言時忠が報せて来た。
京から逃げ出す、とは言えさすがに天皇の行幸ともなれば、鎧、兜を纏ったままでいる訳にはいかない。
時忠は従兄弟の内蔵頭信基と子息の讃岐中将時実と共に衣冠束帯[公卿の略式の公服]に着替えていた。

しかし、この三人以外は、平氏一門の者、近衛府の官人、御輿の綱を取る役人、家人、郎等ら総て甲冑に身を固め、太刀を帯び、弓矢を携えて主上の御共に従っている。

宗盛は首肯くと、
「三種の神器は忘れていないな」
念を押す様に尋ねる。

「はい。持ち出しております」
時実が答えた。

「良し。では出発する。新中納言[知盛]。後はお前に任せる。
道々の案内と主上の警護を頼む」

総帥宗盛はそう命じると、御輿に入って行った。

「総帥の命令が下った!これより出発!
先ずは長岡京をを目指す!
先頭は肥後守貞能!お前が我が一行の路をを切り拓いて行け!
殿[しんがり。軍勢の最後尾]には越中次郎兵衛盛嗣、悪七兵衛景清の両名に命じる!
他の者は命を盾に御幼少の主上[六歳]を護衛し奉れ!
何があろうとも逆徒[叛徒]どもに手を触れさせてはならん!良いか!」

平氏方軍事総司令新中納言兼左兵衛督平知盛は、声高く命じると、六〇〇〇騎程の一行は京の七条大路を先ず西に向かい、その後、朱雀大路を南へと進んで行く。

朝の鮮やかな強い日射しを浴びての旅立ちではあるものの、この一行は京から落ちて行くのである。哀しく、寂しく、悲しい旅立ちであった。




自分の子供らが、纏っている大鎧の草摺にしがみ付いて来た。
決心が、ぐらりと揺らぐのを感じる。

小松三位右近衛中将平維盛[清盛の嫡男重盛の長男、平氏嫡流小松殿家の当主]は、反射的に取り縋っている子供達の顔を見た途端、全身がフリーズしてしまった。

維盛は馬の鞍に手を掛けたまま、途方に暮れた様に周りを眼を向けると、彼の弟達、新三位中将資盛、左中将清経、小松少将有盛、備中守師盛、丹後侍従忠房が、馬上で痛ましそうにしながら、こちらを見まいと眼を逸らし、俯いている。

特にその中でも清経は、青い顔をして身体を震わせていた。
清経としては眼の前の情景が他人事ではなかったのである。
何故なら清経も妻を京に残して行かねばならなかったのであるから。
清経としては妻と共に旅立つつもりではあったのだが、妻の実家の強硬な反対に遭い、心ならずも妻に残して、一人で旅立つ事になってしまっていたのである。


邸の中門のところには、維盛の妻の姿が見えた。
その美しい妻の瞳は真っ赤になり、後から後から涙が零れ落ちていたが、これを拭おうともせず、悲しげにこちらを凝視していた。

維盛は一門と共に逃げ出すにあたり、妻子を京に残して西国に落ちて行くつもりであった。

先程書いた弟清経は別にして、他の平氏一門の者達は、妻子を伴って行ったにもかかわらず。であるなら、維盛もそうして良かった筈である。では何故、維盛はそうしなかったのであろうか。



おそらく彼は自信が無かったのであろう。
これから先、彼らを待ち受ける困難や敵から己の妻子を護り切る自信が。
そして、その様な状況に至った時、困窮し苦しむ妻子の姿を見て見たくはなかったのであろう。

だからこそ維盛は本心から離れたくはなかった最愛の妻子を京に残す、という決断ををしたのであった。が、やはり辛いものは辛いのである。
懊悩ので末に決断した事ではあったが、涙を零す妻、縋り付いて離さない子供達を眼の当たりにすると、その決断が正しいものであったのか、本当には自信が無くなる。

維盛が自信を持って持っていたのは舞だけであった。

しかし踊りの分野では名声をを得ていたが、伊勢平氏の嫡流小松殿家の当主の彼が総大将として軍勢を率いた東海の富士川、北陸追討の決戦で二度の大敗をを喫し、平氏都落ちの直接の原因をを作ってしまった維盛には、武将として、いや、武人としての自信などあろう筈も無かったのである。
そこで彼は、自分は西国で朽ち果てようとも、妻子は京で何とか生きていて欲しい、と願ったのではなかろうか。

維盛は、断腸の思いで取り縋る子供達の手を、優しく草摺から離してやり、今年十歳になる長男の六代御前の頭を撫でると、

「西国に行き、安心して落ち着ける所に着いたら、迎えの者を寄越そう」

優しく言い含め、傍らにいる今年五歳になる娘の夜叉御前を抱き上げると、

「六代。お前は母様とこの妹、夜叉の側に居て、私の代わりに二人を護ってくれないか」

更に優しく息子に依頼すると、先程までは、私も付いて行く、と言って聞かなかった六代御前は眼を大きく見開くと、その涙の溜まった瞳で父維盛を見ると、何も言えなくなってしまっていた。

維盛は無理矢理、笑顔を作ると抱き上げていた夜叉御前を降ろすと、片膝をつき、もう一度二人の子を抱きしめ、中門のところに居る妻に首肯くと、立ち上がり、何かを振り切る様に勢い良く馬に飛び乗ると、馬の轡を取っていた年若い郎等に向かい、

「お前達は私が北陸に出陣する時にも、お供をする、と言って聞かなかったが、ここでも京に残ってくれないか」
依頼した。

「いいえ。その事だけは承知出来ません」
「何処までもお供します」
若い郎等二人は、落ち着き払って断った。

どうあっても付いて行くつもりらしい。

維盛は思わず苦笑しながらも、

「では依頼では無く、二人に命ずる。京に残り妻、六代、夜叉を護れ。お前達の父が、お前達を遺し北陸で討死したのは、この様な事態になる事をどこかで予知していたのだろう。
この伊勢平氏の嫡流六代を安心して託す事が出来るのは、お前達兄弟しかいない。京に留まれ。私と共に行くのは許さん」

最後の方は厳しく言い渡した。
二人はぐっと奥歯を噛み締め、轡を取る拳を握り締めて、何かに耐えている。維盛は再び優しげな口調に戻ると、


「解ったな。斎藤五宗貞。斎藤六宗光」


念を押す様に言いながら、手綱を取ると、自分の弟達に向き直り、

「済まなかった。私のせいで遅れてしまった。
これより行幸の一行に追い付き、合流する。行くぞ!」

維盛は弟達に言うと、号令を発し駆け出して行った。


後に残された妻は六代と夜叉を掻き抱き、斎藤兄弟はこの三人の傍らに控え、駆け出す六騎の小松殿家の兄弟らをいつまでも見送っていた。





「これをお受け下さい。三位俊成さま」

薩摩守平忠度[清盛、経盛、教盛、頼盛の弟]は身に付けている鎧の合わせ目から、一巻の巻物を取り出すと、門から出て来た三位藤原俊成[歌人。勅撰集『千載和歌集』の撰者。『小倉百人一首』の撰者である藤原定家の父]に差し出した。続けて、

「歌の道の同好の志、いや同好の師匠たる俊成さまにこれだけは渡しておきたかったのです。
自分的に、まぁ少しはマシな歌が詠めたな、と思うものだけを書き綴ってあります。後の世に勅撰集が編まれる事があるでしょうから、もし師匠の御心に叶う歌がこの中にありましたら、その時は是非、勅撰集に一首でも入れて貰いたい、との下心からやって来たんです」

厚かましくも、しゃあしゃあと言ってのけた忠度を見て、

「ふふっ。忠度どのらしい」
思わず吹き出した藤原俊成は、

「有り難く受け取っておきます。勅撰の事あれば必ず参考にさせていただきます。が、勅撰集に入れるかどうかは出来次第、という事で」

いかにも厳しい師匠のフリをして応じると、

「ははははは。それでこそお師匠。しかし我ながら良く出来た歌が幾つかは入っております」
忠度は屈託無く笑顔で応じた。

俊成もつられて笑いながらも、そこは当代の歌人俊成。忠度の感情の変化をを鋭く読み取り、

「この様に最後のご挨拶に寄られたのは、歌道に対する御執心も深かろう、と私は思っておりましたが。忠度どの。何やら今の心持ちは西海の底に沈むなら沈んでも良い、山野に屍を晒すなら晒しても良い、とお考えなのでは?」

ずばりと弟子の心底をを言い当てると、更に忠度は喜んで、満面に笑みを浮かべ、

「またまたさすが我が師匠。他人の心の機微には敏いですね。
やはり最後に師匠にお逢いしに来て良かった」

一礼しながら言うと、馬に跨り、

「これでも私は忙しい身でして。待たせて居る者達が大勢いるんです。我が師匠俊成さま。では」

馬上で肩の大袖越しに目礼すると、もうこの世に想い遺す事は無い、とばかりに五条京極の俊成の邸から西へ向かって駆け出して行った。




「もう良い!
そろそろ我らも京を棄て、行幸の一行を追い掛け、合流するぞ!」

院の行方をを捜索する為に最後まで京に残っていた門脇宰相教盛は、捜索にあたっていた郎等らを呼び集めると、捜索の終了を告げた。

続けて、
「だが、お前達にはまだやって貰う事がある!」

七〇騎程の郎等らに向かい、教盛は京での最後の命令を発した。

「京を放棄し、西国へと行幸するにあたり、我ら平氏一門の邸宅を焼き払う!
これまで我らが築き上げたものを、敵の奴らには使われるのは癪だからな!我らはこれより一門が引き払った邸宅に悉く火を掛けて行くぞ!

では後に続けーーーーっ!」


無念さと口惜しさを滲ませた教盛の絶叫が響くと、


「おおおっ!!!」


七〇騎の郎等らも同じ思いなのか、荒々しく応じると、松明を片手に六波羅辺りの住み慣れ、また通い慣れた邸宅に、火を掛けて廻って行く。

程無く京の空に幾条もの煙が立ち上って行った。




 平氏一門の行幸の一行に加わっていた摂政藤原基通は、牛車の簾を上げて京の空に立ち上る煙を見ている時、急に不安に襲われた。
 それも当然の事だろう。生粋の京生まれで京育ち、貴族の中の貴族である摂関藤原家の氏の長者[藤原氏の総領。トップ。つまり藤原氏を含めた京在住の貴族のトップ]である基通にしてみれば、京から離れる事など嫌で嫌で、言ってみれば仕方無く行幸のお供をしているに過ぎなかったのであるから。基通は立ち上る煙を見ているうちに決断した。

彼は自分の心に素直に従う事に決めたのである。

基通は家人の進藤左衛尉高直を車の近くに呼び付けると、小声で、

「つくづく考えてみると、主上の行幸はなされたが、院の御幸は無い。であればこの先の事が案じられて仕方無い。どうしたものか」

告げた。平たく言うと、

『天皇と法皇が揃って行かれるっつーから行きたく無ぇけど、オレも摂政だから仕方無くお供したのに、法皇が来て無ぇんじゃ、意味無くね?てか、法皇が居なきゃ院宣出せなくね?なら、この先、良い事一つも無くね?お先真っ暗ってこの事じゃね?な。お前、ソコんところどう思ってんのよ。どうよ。何とかしろよ。オレは行きたく無ぇんだよ。お前が責任持って良きに計らっちゃってくれよ。ソレがお前の仕事じゃね?』

こういった意味の事を、口調と表情に込めて伝えたのである。
すると、この聡明な家人高直は、その主人の意を総て理解すると、素早く牛車をを引く牛飼いを目配せした。と、この牛飼いも相当、気の利いた男であると見え、主人や高直の意を心得ると、何気無く牛車を行幸の一行から外すと、別の道で長岡京を目指します、と見せかけた後、牛車を引き返させ、大宮通りを北の方向へと進み、北山辺りの知足院[京都市北区紫野辺りにあった寺]に逃げ込む事に成功した。

驚くべき事に、この家人と牛飼いは、この間、一言も口を聞かず、無言でこれだけの事ををやってのけたのである。

さすが天下の摂関藤原家に仕えている者らと言うべきか。主人基通の愚痴めいた気持ちの表明だけで、口に出したくても出せずにいる本音を的確に読み取り、主人の願う通りに行動したのだから。気が利いている、どころでは無い。この様な事でも以心伝心を実践した主従であった。

この行幸の一行から真っ先に、時の摂政藤原基通は抜け出し、逃走する事に成功したのである。





「おお!私とした事が!アレを忘れて来てしまった!」

池大納言平頼盛は馬上で大袈裟に、わざと周囲に聞こえる様に実にわざとらしく叫ぶと、鳥羽殿の南門[京都市伏見区下鳥羽にあった広大な白河・鳥羽上皇の離宮]まで来たところで、三〇〇騎程の軍勢を率いて、京に引き返そうと画策。これを直ちに実行した。

頼盛には、この内乱に次ぐ内乱の時代を生き残る為の一つの方策があった。
清盛・経盛・教盛の弟であり、忠度の兄であるこの男の母は池禅尼といい、今からニ十四年前の平治の乱の折、平氏方に捕らえられ死罪になる筈の頼朝の命を、清盛に助命を願い出て助け、伊豆への流罪で済ませたのが、この池禅尼であったのである。つまり、頼盛は頼朝に対し、

『貴方の生命を救ってやったのは私の母なのですよ?
言わば命の恩人だ。
その恩人の子であるこの私を無下に扱ったりはしませんよね?
まさかそんな恩知らずな事はしませんよね?そうですよね?』

と、己の手柄では全くない母池禅尼が成した頼朝への情けを恩に着せて、この難局を凌いで行こうとしているのである。
とは言え、一つ問題がある。

現在、京に迫り、京を包囲しているのは義仲であって頼朝では無い。京がこれからどうなるかは頼盛にも判らないが、近いうちに入京して来るとしたら、それは確実に義仲である。頼朝では無い。義仲に恩を着せる事など出来ない。義仲はそんな恩など受けてはいないのだから。なので、一旦姿を隠し、その間に何とかして頼朝と連絡を取り付け、自分の安全を確約して貰うまでは誰かに匿って貰う必要があった。そこで頼盛が眼を付けたのが八条院なのである。

 この八条院は近衛天皇の同母妹、後白河法皇の異母妹であり、父鳥羽天皇・母美福門院得子から莫大な荘園・所領を相続した資産家で、皇族であれ、貴族であれ、武家であれ、寺院であれ、様々な勢力がその権威と経済力を求めて関係を取り結ぼうとしていたのであった。
 しかも、この内乱の時代にあって不遇な人々をを多く抱えて面倒をみている、という噂がまことしやかに拡がっていたので、いや、事実そうであったので、頼盛でなくとも八条院にお縋りすれば何とかなる、と思ったとしてもそれは当然の事であった。それに頼盛の妻は宰相殿といって、彼女は八条院の御乳母子であった。こうした関係を最大限利用する事にした頼盛は妻子を伴い、平氏一門から離脱し、京へと引き返して行った。

八条院のおられる仁和寺の常葉殿に向かって。

☆ ☆ ☆



「法皇様。あれをご覧に」

鞍馬寺に向かう途中で、大夫尉知康は京の方向を振り返りつつ言った。

「ん?」

と、後白河法皇は乗っている御輿を停めさせ、そこから出て来ると、知康の指し示す方向へ眼を向けると、

「おお。煙が立ち上っているな。六波羅の辺りか」

見た事をそのまま口にした。

「おそらく平氏が京を去るにあたり、自らの邸宅に火を放ったものと思われます」
知康が応じる。

「と言う事は、既に平氏一門は京からの退去を終わらせた訳だ・・・」

法皇はそう呟くと、瞬間、何やら考えていたが、何か思い付いたらしく、知康に向き直ると、


「平氏の連中が居なくなったのなら、わざわざ遠い鞍馬まで脚を伸ばす事も無かろう。これより行く先を変更して比叡山に向かう事とする。良いな。知康」

命じると、もう一度、京の上空に立ち上る煙を見詰めていた法皇は、ふと表情を曇らせた。

「いかがしたのです?法皇様」
「先程までは晴れていたが、何やら急に雲が出て来たな。これは雨になるかも知れん。急いで延暦寺に入る」

言うなり、再び御輿に乗り込むと、一行は路を引き返し始めた。

比叡山延暦寺に行く為には、今、来た路を少し戻り八瀬から東へ向かわなければならない。
法皇は御輿の中で大きく溜め息をを吐くと、誰ともなく呟いた。

「六波羅の辺りが燃えているとは・・・
平氏一門の邸宅が燃え落ちる事など一向に構わんが、蓮華王院だけは焼かれずに残っていて欲しいものだが・・・」

法皇はその平氏に寄進して貰った蓮華王院[現在の三十三間堂]の御心配だけをしておられた。

と、天候が崩れ始めていた。
急に辺りが暗くなり、風が吹いて来た、と思う内に遠くに雷鳴が轟いているのが聴こえた。

法皇の一行は心無し脚を速め、比叡山へと向かって行った。








「摂政藤原基通様に続き、一門の中から池大納言頼盛卿が妻子と共に、京へ引き返されました!」

越中次郎兵衛盛嗣が、一門の総帥宗盛に報告する。間を置かずに悪七兵衛景清も、

「これを見た多くの侍どもも、行幸より離脱!その数およそ三〇〇騎!」

怒りを滲ませながら告げる。続けて、

「日和って逃げ出した侍どもには矢を射掛けてやりましょう!」

叫ぶと同時に景清は腰の箙から矢を抜き取った。

「御心配には及びません。摂政殿と大納言殿には当てませんよ」

盛嗣も言いつつ矢を番え、馬の向きを変えようとした時、

「待て。射てはならん」
総帥宗盛が止めた。


「「しかし!!」」
盛嗣・景清が同時に異を唱える。


「長年の恩を忘れ、今の平氏を見捨てようとする恩知らずな奴らの事など放っておけ」

宗盛は一門の総帥らしく重々しく告げると、

「・・・はっ」
「・・・はっ」

番えていた矢を再び箙に収めつつ、盛嗣・景清は口惜しそうに応じた。


「同士討ちなどしてはつまらん、と総帥は仰りたいんだよ。盛嗣、景清」

軍事司令の知盛が微笑を浮かべて諭す様に言うと、盛嗣・景清は苦笑いで応じ、一礼した。
と、先程までの総帥らしい重々しさとは打って変わり、実に心細そうな表情になった宗盛は、


「京を出てまだ半日。しかし早くも人の心が変わって行くとは・・・」


暗い沈鬱な眼をして呟いた。そんな総帥の姿を無言で見詰めている知盛は、


(京を放棄し落ちて行く、という事はこの様な脱落者が多数出てしまうのは当然の事。少なくとも京に籠っているのであれば、この様なものは見ずに済んでいただろう。が、それでは我ら平氏一門は数日のうちに京に骸を晒し、滅亡していたかも知れん。兄上。いや、総帥。貴方は正しい選択をしたんだ。現時点で悔やむ必要など無いのです)


思いつつ、宗盛に声を掛けようとした時、遠雷の音が聴こえたので反射的に耳を澄ませ、空を見上げた知盛の眼に、真紅の旗を翻してこちらに駆けて来る騎馬武者の一団が遠くに見えた。

(あれは・・・)

知盛は、その一団の先頭の者を確認すると、優しい眼付きになり、安心させる様に、


「総帥。先程からお待ちになっていた者達が、追い付いたようです。あれを」

宗盛に声を掛け、やって来る一団を指差した。と、


「維盛どの!」


宗盛は、駆けて来る一団の先頭の武者が誰か判ると、眼を見開きその者の名を呼んだ。続けて、

「皆の者!小松殿の公達が追い付いて来てくれたぞ!」

嬉しさを爆発させて歓喜の雄叫びを上げた。
小松殿の公達たる三位中将維盛・新三位中将資盛・左中将清経・小松少将有盛・備中守師盛・丹後侍従忠房の六兄弟は、訳ニ〇〇〇騎の軍勢を引き連れ、行幸の一行に合流した。




「維盛どの。待ちくたびれたぞ」

宗盛が満面の笑顔で出迎えた。

「遅れてしまい、申し訳ありません」

維盛は言葉少なに詫びる。
宗盛は思わず、今まで何を、と尋こうとした時、維盛が妻子を伴っていない事に気付いた。おそらく妻子との別離を惜しんで、遅参してしまったのであろう事を、宗盛は瞬時に理解すると、

「維盛どの。北の方[妻]・六代御前・夜叉御前を京に残されたのか」

詰問するでも無く、静かに尋ねる。

「はい・・・私だけでは無く、弟清経も妻を残して・・・おそらく、この先も・・・」

維盛が悲しげに答えた。
最後の方は呟く様に言い、その思いは言葉にならず消えていた。

知盛には、何故か言葉にならなかった維盛の思いが解ったような気がした。

『この先も妻子を護って行く自信などありません』

という思いが。

言葉にする事、口にする事など出来る筈が無い思いであった。
知盛は、そっと優しい慰りの視線を維盛と清経にやると、維盛は気丈にもその視線を受け止め、感謝する様に頷くと、悲しみを宿す眼で真っ直ぐに知盛と視線を合わせ、


「行きましょう」

静かに言った。

知盛は大きく首肯くと、

「ではこれより一路、福原を目指す!
貞能は引き続き先頭で行幸を引っ張って行け!
盛嗣・景清も引き続き殿[しんがり]を頼む!」

指示する。続けて、

「維盛どのには、率いて来られたニ〇〇〇騎をもって主上の護衛に就いていただく!」

「はっ!」
維盛は声を張り上げて応じた。


「本日中には福原に到着する!少し速度を上げるぞ!では出発!」

知盛が号令を掛けると、



「おおおっ!!!」



約八〇〇〇騎の軍勢が応じた。


今にも雨が落ちて来そうな曇天の下、遠来の響きを聴きながら主上を伴った平氏一門の行列は行く。

かつて平氏が造営し、三年前には都であった福原の地へと。






 ここ数年の幾多の戦いで、ここまで平氏方は軍勢を減らされていたのである。一時は十万騎以上の動員が可能だった平氏方も、今は一万騎に満たない動員が精一杯であった。運命の逆転は劇的である。そして、その運命の逆転は時代と共に加速して行くのである。

 平氏方と、義仲勢と、義経と、頼朝ら鎌倉の武家勢力と、寺社勢力と、後白河法皇や貴族ら権門勢力とを巻き込みながら。



遂に平氏は京から去った。

 この時、京を去った平氏一門の大多数の人々は、京に戻る事を切に願いながらも、数人の例外を除き、生きて再びこの京の地に還り着く事は叶わなかった。



寿永二年七月ニ十五日の事である。

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