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義仲戦記27「都へ」

 一言で言えばこの時、京は置き捨てられていた。


 昨日までの旧い権力者であった平氏は一門を挙げてここから逃げ出し、皇室の家長であり時の最高責任者である後白河法皇も比叡山延暦寺に出奔して不在、国政をを担当する朝廷は機能せず、貴族ら権門勢力も息を潜めて、恐る恐る状況がどう転ぶか見極めようとしているこの時、未だ新しい権力者は京に入ってはいなかった。

 京は数日間、権力の空白の時を過ごす事になった。

 混乱はしていたのである。が、それは不思議な混乱であった。

 恐れと幾ばくかの期待、不安と自暴自棄な楽観、安定を望む思いと何かが一新される事を願う思いとが、複雑に混ざり合った空気の中で、京に居る人達は今までに感じた事の無い興奮と混乱に支配されていたのであった。

 それも当然のことであっただろう。何故なら、この平安の地に京が置かれてからというもの、地方で起きた叛乱や戦乱が、京にまで直接影響が及ぶ事など一度たりとも無かったのであるから。
 政権内部での政治的暗闘や権力者の首がすげ変わる、戦闘を伴わない小さなクーデターは日常茶飯事であり、京を舞台にした戦乱はニ十数年前の保元の乱[一一五六]と平治の乱[一一五九]で、京の住民らは経験してはいた。それは言ってみれば京内部での権力者達による主導権争いが武力衝突にまで至ってしまったものであり、京内部のゴタゴタ、と言える。

 しかし、現在の状況は今までの様なゴタゴタ、で済む話しでは無いのであった。

 京以外の勢力が、つまり地方で叛旗を起こした武家が軍事力を駆使し、京からの追討軍を撃ち破り、あろう事かその叛乱勢力が大軍を率い、京に押し寄せる、京の者にとっては悪夢の様な状況なのである。しかも、この様な事態は皇族・貴族・僧侶・武士・一般大衆に至るまで、京に住む者達には初めて経験する事態、なのであった。

 いや。もっと言ってしまえば、天皇を戴いて日本という国が成立して以来、その京{首府、首都]にまで、外敵の侵攻を許した事など無かった以上、現在進行している事態は、史上初めての事件なのである。

このような状況である以上、無闇に混乱せず、適切に対処し、最善の対応をする、など誰であれ出来る筈も無かった。前例などというものもまた存在しなかったからだ。
 
 しかし、いつまでもそんな泣き言を言っていられない事は、京の貴族ら権門勢力にも解ってはいた。
 この未曾有の事態に於いて、法皇以下、朝廷は是が非でも状況を自分達にとって有利な方向へと持って行かなければならないのである。

 それは彼らにとって、己の権力保持の為でもあり、以後の政治的主導権を握る為に、一刻も早く法皇と朝廷の間の意思疎通を図り、今後の対応を協議しなくてはならないのであった。が、肝心の後白河法皇は京を出奔し行方不明、である以上、朝廷の要職に就いている公卿らは焦りまくりながらも出来る事と言えば、法皇の行方を捜索する事くらいしか、出来る事は無かった。
と、公卿らや貴族が苛々しながら法皇の行方を家人に探させている時、一つの噂が流れて来たのである。それは、
『法皇はニ十四日の夜半、御所から鞍馬に御幸なされ、今は比叡山延暦寺にお移りになられた』
との、噂にしては正確過ぎる情報が。
そこで、この噂に接した公卿らは、噂の真偽を確かめる間も惜しみ、とにかく比叡山に行ってみる事にしたのであった。一刻も早く法皇と今後の対応策を協議する為に。



「義仲様。比叡山に残した富樫入道仏誓どのより報告が参っております」

四天王今井兼平が、本陣の陣幕を潜りながら告げた。

義仲勢本隊約六万騎は、琵琶湖の最南端に位置する瀬田の地に本陣を構え、既に近江源氏の山本義恒とその子息、錦織義広らの軍勢と合流を果たしていた。

それ以後、義仲は京に物見{偵察]の郎等を放ち、慎重に京の様子をを伺っていたのである。

「聞こう」
振り向いた義仲が応じると、兼平は本陣に郎等を招き入れた。

「昨日、ニ十五日。京を逃れた後白河法皇が比叡山に御入りになられ、延暦寺東塔、南谷の円融房に御滞在しておられます。
そして本日、ニ十六日。この噂をを聞き付けた貴族らが朝から続々と比叡山に登山。これまでに駆け付けて来た者は、右大臣九条兼実卿・大納言兼雅卿・同じく大納言宗家卿・中納言源雅頼卿・宰相中将源通親卿・参議藤原経房卿・大蔵卿高階泰経どの、との事。以上です」

義仲は報告を書き終わると、床机に腰を降ろし、本陣に集まっていた麾下の主だった武将らを見回しながら、

「どうやら、平氏が京を退去する時に法皇を共に連れ去る、という事態は避けられたらしい。法皇の行方も判明した事であるし、先ずは一安心、というところか」

普段通り穏やかに感想を述べた。と、

「そんなコトよりも、平氏方との大戦さに京を巻き込まずに済んだ事の方が、余程安心なんじゃないです?
義仲様的には」

法皇関連の話題を、そんなコト呼ばわりした戦う美少女こと巴御前。
彼女も実に普段通りで、相変わらず明るく、しかもこの時も義仲の本心を的確に洞察している。

義仲が微笑みを浮かべて応じていると、

「義仲様の望み通りになった事には別に文句は無ェが、平氏の奴らも少しは根性見せて、向かって来いってんだよ・・・」

四天王根井小弥太がぶつぶつと叱言を呟く。それに同意する様に、

「まあなぁ。結局は京から逃げ出す事になるにしろ、平氏が一度くらいは撃って出て来ると思ってたからなぁ。俺も」

祐筆の大夫坊覚明もぼやいている。と、

「常に戦いたがる小弥太は良いとして。血の気が多いな覚明。
延暦寺の幸明御坊や寛覚御坊相手に好戦的だと皮肉を言っていた割には、お前だって負けて無いぞ」

四天王筆頭樋口兼光が呆れた様に言う。

「しかし誰だって平氏がこんな思い切り良く京から出て行くとは思わないだろ。普通」

四天王楯忠親が同意を求める様に言うと、

「確かにな。しかし平氏にして見れば今の我らと戦うのは不利だという事が解っていた筈。
であれば今は退き、勢力を多少なりとも立て直した後に逆襲に転じる為に、ここは冷徹に判断した、という事になる。
京から落ちた、とは言えまだまだ平氏は侮れんぞ・・・」

一旦は同意した手塚光盛だったが、考え考え言葉を繋げている。
と、

「あはははは。まったく、先の事まで考え過ぎて心配しちゃうのは光盛らしいケド。
平氏の事を考えるのはもう少し後でも良くない?
今は、その平氏が出て行っちゃった京の事を考える方が先だと思うし、実際、これからの京の事の方が重要でしょ?今の私達には。
ですよね、義仲様」

巴は、光盛の取り越し苦労を笑いつつ、これからの事、に話を戻そうとした。と、
「お前が言うか。元々、義仲様の話しの腰を折ったのは、巴。お前だろう」

苦虫を噛み潰したような顔で、兼平がツッ込む。
戦う美少女は、無言でに〜っこりと蕩ける様な笑顔で兼平に応じると、次の瞬間には表情を引き締め、義仲を見詰めた。

義仲はそんな遣り取りを苦笑しながら見ていたが、

「そうだな。
重要なのはこれから、だからな」

呟く様に言うと、幾分、眼が真剣なものに変わり、

「これまでの情報を整理しつつ、私の考えを述べる。疑問や意見があれば、その都度、発言してくれ」

本陣に居並ぶ麾下の武将達を見渡しながら言った。

武将らは無言で大きく首肯くと、義仲にその真剣な視線を集めた。

「ここまでは私の望み通り、京を大規模に巻き込む様な合戦を回避し、平氏は一門で京を去った訳だが、彼らが法皇の連れ去りに失敗した事は我らにとって運が良かった、としか言い様が無い。主上[天皇]共々、連れ去られたとしても不思議では無い状況だったからな。
仮にもし、そうなっていたら更に状況は複雑になっていただろう。主上が平氏と共に去られ、京に法皇が残られた現在の事態は、私にとってある意味、理想的な状況になった、と言える」

義仲はそう言うと、もう一度、皆を見渡しつつ静かに続けた。

「ようやく朝廷や平氏方と話し合いが出来得る状況になった、という事だ」

驚きで声も出ない麾下の武将達の耳に、穏やかな義仲の声が次々と響いて来る。

「物見の報告や京の噂によれば、平氏は主上、弟宮の二宮様だけで無く三種の神器をも持ち出して京を去った、との事。
であれば朝廷としても、平氏に対し強硬に力だけで押す訳には行かなくなった。朝廷が解決、或いは解消しなければならない大問題が発生したからだ。

主上と弟宮その母建礼門院らの還都、三種の神器の返還。それらを引き起こした平氏方への処遇。

朝廷の本心はどうであれ平氏とは協議しなければならなくなった事柄が数多く出来た訳だ。そこで」

義仲は一旦、言葉を切ると、眼を閉じ深く息を吸い込んだ。

そして瞼を開けると、まるで遥か遠くを見晴らしているかの様な晴れやかな表情で、彼の切望する最終目標を口にした。

「この協議中に、朝廷を仲立ちに我ら源氏と平氏との永年に亘る抗争関係を解消し、戦闘を終結、国内の戦乱状態に終止符を打つ」

もはや唖然を通り越し茫然としている武将達の耳に最後に聴こえたのは、穏やか、というよりは優しい囁きにも似た義仲の声。
その甘い響きは、こう締め括られた。

「以上が私の考えている、これからの大まかな方針だ」


ここのところ京に近付くにつれ義仲の遣り方には、驚かされっぱなしの麾下の武将達であったが、たった今示された方針はその極め付けであった。

確かに義仲は以前から『我らの闘いは戦乱を終わらせる為の戦い』とは言っていたし、これまで常に避けられる戦いは避け、そうで無い場合にのみ受けて起つ、という基本方針を枉げる事無く闘い続けて来たのである。

今から四ヶ月前の三月、信濃に侵攻して来た頼朝との合戦をを回避し、嫡子義高を鎌倉に送ったのがいい例だが、この時は源氏同士が相撃つ事にでもなれば平氏方が有利になる、との考えから、麾下の武将達は戦わずに渋々納得したのであったが、今、その平氏が不利を悟り、弱みを見せて京から逃げ出したこの時に、まさか平氏との和平を義仲が望んでいるとは思わなかったのである。

彼らは武士だ。
弱みを見せた相手には徹底的に喰らい付き、潰せる時には躊躇無く潰す、という生き方をして来た。

これは何も武士に限った事では無い。

自己の栄達を望む貴族や僧侶さえそうなのである。つまり、軍事であれ政治であれ、それに携わる者らは自己の敵に対して容赦しないのが普通だし、ましてや一旦弱みを見せた敵に対してはとことん追い詰め、二度と立ち上がれない様に叩く、というのが当然の遣り方なのである。

である以上、今現在優位に立った義仲が、京から落ちた平氏に対して手を差し伸べ話し合いを望む、というのは麾下の武将達にとっては理解し難い事だったのである。




束の間、静寂に支配されていた本陣だったが、徐々に囁く声が聞こえ始めた、と思ううちに既に本陣は喧騒に包まれていた。

とは言え、義仲の方針に対して真っ向から反対している訳では無く、各々、手近に居る者らと、示された方針が正しいのか、そうで無いのか、実現可能なのか、を論じ合っていたのであった。

と、
「義仲様の方針は示された!その上で皆に訊く!異論のある者はいるか!」

今井兼平が一同に聞こえる様に大声を張り上げ言った。
が、その声音は叫ぶ、というより、凄むといった方が正しいもので、実際、皆を見渡すその眼は、睨み付けている様な眼付きであった。

一同がぴたりと口を閉し、本陣に沈黙と静寂が訪れると同時に、さっと手を挙げた者が、

「ちょっといいかい?」
発言した。
大夫坊覚明である。

兼平はぎろり、と覚明に視線を送りながら、無言でも首肯く。

「まぁそう睨むなよ兼平。
別に異論、て訳じゃない」

覚明は悪びれずにしれっと言うと、ニヤけていた表情を少し改めると義仲に向き直り、

「義仲様の方針はそれで良いとして、俺が気掛かりなのは院「法皇]や朝廷の出方です。
これは賭けてもいいんですが、彼らは間違い無く先ず我らに平氏追討を命令して来るでしょう。おそらく院宣[公式の命令書]を出してね。
そうなったらどうします?」

「当面、それに応じるつもりは無い。院宣を出されても、我らが動かなければ状況は変わらない」

「そりゃそうですけど。
もしかしたら院は新しく天皇を御立てになる、という事も考えられます。
新天皇が即位されれば現在の主上[安徳天皇]の還都を望むかどうかも怪しくなり、平氏との協議自体無い、かも知れません」

「それは考えられる事だ、覚明。
ただし新天皇即位の時には、やはり三種の神器が必要だろう。
その時、朝廷は平氏との協議を行う筈だ、と私は思うが」

「俺もそう思いますがね。その時に平氏が協議に乗って来なかったらどうします?
平氏としては主上が上皇になるだけの事で痛くも痒くも無いし、三種の神器にしても、お願いしてハイそうですか、と還してくれるぐらいなら最初から奪って行ったりはしない筈ですよ?

そして平氏が西国で勢力を盛り返して京に軍勢を進めて来る、という事もあり得ますが?」


いつしか真剣になっている覚明が更に問うた時、

「その時には遠慮無く平氏を叩く、でしょ?義仲様」

今まで黙って二人の遣り取りをを聞いていた根井小弥太が割って入った。義仲は苦笑すると、

「平氏との話し合いをその時に行う。そこで和議が成立すれば良し。万一、決裂する様な事になったら、やりたくは無いが他に選択肢が無ければ、そうなる」

答えた。

と、
「主上を擁した平氏と、京の院と朝廷・・・そして我ら。義仲様はこの日本が分割して統治されるべき、とお考えなのですか?」
樋口兼光が考えながら言うと、

「そうなってもおかしくない事態ではある。西国の平氏、京の朝廷、東山・北陸の我ら、鎌倉の頼朝、奥州の藤原秀衡、と綺麗に勢力圏が分かれている今の状況では・・・」

手塚光盛も兼光と同じ結論に至ったらしく、呟いている。

すると、
「いや。分割統治だと逆に戦乱は長引く。いずれ一つに統合する為に戦さに次ぐ戦さの世を招来してしまう事になる。それでは国の為にもならんし、民の為にもならん」

義仲は断固として否定した。
続けて言う。

「現状では我らを含めた各勢力が並存し、その上に法皇や帝を戴く、というのが望ましい。
しかし法皇や朝廷の権力が強くなり過ぎても駄目だ。今までと同じ事を繰り返してしまう事になる。
だが、我らのこれまでの戦いの結果、図抜けていた平氏の勢力が弱まった今ならば、それが可能となる。互いに牽制し合うだけなら戦さにはならんし、それをこそ民が望む事だろう」

「不安定な世に於いて、力が拮抗してこその安定、という訳ですね」

縦忠親が得心した様に言う。
義仲は大きく首肯くと、

「これは私の理想に過ぎん。
だが、これをこそ私は希み、これであるが故に、早期に戦乱が止む事になる、と信じている。
各勢力の共存、並存が為されなければこの世は優勝劣敗、弱肉強食の理念が蔓延る修羅の世と成り果ててしまう事だろう。そうなれば一つの勢力が勝ち残る為にどれ程の血が流される事になるか。そしてどれ程の涙が流される事になるか。

その様な世界を招来してはならん。

であればこそ、どの勢力も滅亡させる様な事があってはならない」

宣言した。高らかに。


信濃や北陸の武将達は改めて義仲が、己の栄達の為にでは無く、本心から戦乱の世を鎮める事を第一議として希い、勝ち残る為でなく、戦さを無くす為にその生命を賭けている事を感じざるを得なかった。

しかし、新たに合流した近江源氏の将山本義恒、子息の錦織義広らに義仲の最終目的が知らされたのは、これが初めての事であった。

単なる戦闘巧者の武将では無いこの義仲という武将の、真の大きさに触れた近江の武士達は、只々圧倒され、驚き、瞠目していた。そんな彼らは驚きと共に畏敬の眼差しを義仲に送っていた。


と、義仲はふと表情を和らげて言った。

「解ってくれたか。覚明」

穏やかではあるが、真摯で誠実な瞳を見た覚明は、

「解りました。その様に深くお考えとは知らず、色々と余計な事を申してしまいました。申し訳ありません」

居ずまいを正すと、一礼し素直に詫びた。が、次の瞬間には元のニヤついた表情に戻ると、

「しかし、それを実現させるには、相当苦労しそうですがねえ。なぁ兼平」

フられた兼兼平は、冷ややかな眼で覚明を一瞥すると、

「苦労とは思わん。今頃、義仲様の御心をようやく理解出来たお前と一緒にするな」

殊更、冷たく言い放つ。と、

「あらぁ?でも貴方だってさっき、皆と一緒に唖然としてなかった?覚明に偉そうなコト言えるのかしらぁ?」

ハッとする程、麗しい微笑みと余裕を持って巴御前がツっ込んだ。
この戦う美少女は、他の武将達が皆、義仲の言葉を聴き茫然としていた時、唯一人だけ義仲の言葉を当然の事として受け入れていた。
なのでその時、皆の唖然とする顔をを面白そうに眺めていたのである。観察する美少女となって。

「!!・・・」

兼平は図星を突かれたらしく、彼にしては珍しく顔が一瞬で紅潮していた。

が、この鉄面皮を持ち常に冷静である事が売りのこの男は、次の瞬間にはさっと顔色をを元に戻す事に成功すると、腕を組み直し、

「我らごとき凡百の徒の思惑など超越する事こそ義仲様の真骨頂。
別に驚くには当たらん。
そもそも義仲様が・・・」

義仲の言葉に驚かされ茫然とし、巴に図星を指された事など無かったかの様に、涼しい顔で義仲を持ち上げるべく滔々と言葉を続けている。

と、
「あ。そう言うの今はいいから」
巴は面倒臭そうにバッサリと斬った。

尚も何か言い返そうとする兼平を、苦笑と共に手で制した義仲は、

「とにかく、これからは今述べた方針に沿って行動して行くつもりだ。
しかし覚明の言う様に平氏には平氏の、法皇には法皇の、朝廷には朝廷の、頼朝には頼朝の、秀衡には秀衡の思惑がある以上、私の望む通りに行くとは限らない事もまた事実だろう。
苦労しなければならない事もあるだろう。時には意に染まぬ命令をを受ける事もあろう。
耐える事、これがこれからの闘いの中心になるかも知れん。それでも」

言うと、一同を改めて真剣な眼で見渡し、

「皆の力を私に貸してくれ。いや。
貸して欲しい。
私の希求するところに至る為には、皆の力が必要だ。
頼む。この通りだ」

義仲はその場で、麾下の武将達や新参の近江衆らに頭を下げた。

本陣は静まり返り、義仲は眼を閉じたまま、下げた頭を上げずにいると、

「頼む必要などありません」
四天王筆頭樋口兼光が眼をウルッとさせて応えた。

「当然。ただ命じれば良いのです」
楯忠親が肯きながら言う。

「義仲様の征かれる道が、俺らの征く道って訳だ」
小弥太が少し照れながら言うと、

「その通り。義仲様の征かれる所、常に後ろには我らが付き従っている事をお忘れ無きよう」
今井兼平が念を押す。

義仲は頭を上げると、

「有難う」

身体中に沁み渡る様な優しい笑顔と、万感の思いを込めた短い感謝の言葉で義仲は答えた。


「逆に付いて来るなって仰られても付いて行っちゃいますケド?」
戦う美少女は、悪戯っぽい眼付きで本音を滲ませて言った。

「そうです。我らの方こそ、お見捨てなさらないようお頼み申します」
手塚光盛が言うと、ザッと本陣を居並ぶ武将達が一斉に頭を下げた。
義仲に向かって。



(この様な人であったのか・・・義仲どのという人は・・・)


近江源氏山本義恒は、下げた頭を戻す時、感嘆の思いと共に、もう一度義仲を見た。かれにしてみれば、嬉しい誤算、であった。

京を目指す義仲に呼応し、子の錦織義広と共に近江勢を引き連れ味方に付くと決め、義仲勢に合流した山本であったが、挙兵以来連戦連勝の常勝将軍にして、東山・北陸両道の武士の棟梁、そして名流河内源氏の血筋である義仲に対しては、先入観から、戦さ上手ではあるが傍若無人で相当な荒くれ武将なのだろう、と勝手に想像していたのである。

が、山本はその様な想像が、妄想に過ぎなかった事に安堵すると同時に、それ以上に義仲の武将としての、と言うよりは人としての何かに感銘を受けていた。

俗な言い方をすれば、山本は義仲に惚れた、というか気に入った、と言って良いかも知れない。つまり、自分の命運をを託すに足る、信頼するに足る人間である、と義仲の事を認めても良い、と思っていた訳だが、既に心の中では全面的に認めていたのである。
義仲にズキュンとヤられてしまった山本は、ふと隣にいる息子の錦織義広を見ると、その息子の眼から憧れや尊敬の思いが溢れ出し、熱い眼差しで義仲に見惚れている事に気付き、思わず顔を綻ばせると、

「まったく武士の棟梁とは良く言ったもの。武士を惚れさせる義仲どのはまさしく我らの棟梁だな」

思った事が口に出ていた。

と、その独り言にも似た呟きが聞こえたのか、子の義広が山本に顔を向けた。が、義広の向こうに居並んでいた武将ら三人も笑顔を山本に向けて、その通り、と肯いた。


「貴殿らは確か、北陸の」

山本が言うと、手前に居る見るからに誠実そうな武将が、

「はい。私は加賀の林光明。そして同じく加賀の津幡隆家どの。こちらが越前の稲津新介実澄どの」
と自己を含めて紹介した。

山本は息子と共に一人一人に眼を合わせ一礼すると、北陸の三人の武将も力強く頷いて応えた。

と、
「我らはこれより平氏の去った京に軍勢を進める」

義仲の声が本陣に響くと、顔を見合わせていた山本父子、本陣の武将らも、義仲の指示を聞き逃すまいと、素早く注意を彼らの棟梁に向け直した。

「しかし、六万騎の全軍で京に向かう訳では無い。
昨年の全国的な大飢饉の影響で、諸国にも、ましてや京にも食料が不足している現状では、到底六万騎の軍勢を養う事など京では不可能となる。
そこで、北陸諸国から参戦してくれている者達を、郷里に還す事とする」

義仲が指示すると、本陣にどよめきが起こった。

「北陸は未だ、先の大戦の被害が甚大であり、その国土は荒れ果てたままとなっている。にも拘らず無理を押してここまで参戦して貰ったのは、京周辺で平氏方と戦さになった場合の最悪の事態に備える為であった。
だがその危険が無くなった今、私は彼ら北陸の勇士達を、感謝の念と共にその故郷に還したいと思う」

義仲が言い終えると、おおおおお、と北陸出身者達の遠雷にも似た歓喜の騒めきが起こった。


「宮崎長康どの。子息入善小太郎どの。石黒光弘どの。稲津新介実澄どの。斎藤太どの。貴方方の働きが無ければ、今日の義仲は無かった。
重ねて礼を言いたい。有難う」

義仲はこう言うと、床机から立ち上がり深々と一礼した。
頭を上げた義仲は立ち上がったまま続ける。

「帰還させる兵員は二万五〇〇〇騎。だが、この者らにも引き続き闘って貰う。故郷や領地を復興させるという闘いを」



「おおおおおっ!!」



北陸の者達が雄叫びです応えた。
中には感極まり涙を流す者もいる。
その代表格が稲津新介であった。
彼は眼を真っ赤にし、今にも嗚咽を洩らしそうになるのを、歯を食い縛り、懸命に堪えていた。


「我らの闘いはまだ続く。我らは京で。北陸の者達は故郷で。場所は違えど共に最後まで闘い抜こうぞ」


義仲は穏やかさをを通り越し、優しさを包む様に言う。

と、
「おおおおおおおおおーーーーっ!!!」
今度は全軍で応えた。


全軍での雄叫びが細波の様に引いて行く。
それを見計らった義仲が言った。

「宮崎どの。くれぐれも越前に居られる宮様[北陸宮]の事。宜しく頼む」

「はっ!お任せ下さい、義仲様!」

宮崎が力強く請け負う。
彼の眼も赤くなっていた。
義仲は微笑と共に無言で頷くと、床机に腰を降ろし指示を続けた。

「林光明どのには、もう一働きして貰う。比叡山の警護に当たっている富樫入道仏誓どのと合流した後、加賀に戻って貰う事となる」

「はっ!」
林光明が応じた。

「そして現在、比叡山には法皇が居られる。
そこで法皇の護衛と、京の御所に還っていただくまでの道中の警護を、林光明、富樫仏誓、そして近江の錦織義広どのに命じたい」

「はっ!」
「・・・は、はいっ!」

林が応じた少し後に、錦織が慌てて応じる。

と、
「早速、我ら近江衆に重要な役目を与えて下さり、礼を申します」

山本義経が落ち着いて礼を述べると、義仲は首肯いて応じ、

「御所の警護を錦織どのに任せた後で林どのと富樫どのは加賀へと還られよ」
「有難う御座います」

林は義仲に応えた後、くるりと錦織を見詰め、

「同じ任務ですね。短い間ですが。宜しく頼みます」
優しく丁重に言葉を掛けた。

「はいっ!こちらこそ!」
錦織は若武者らしく、気負いつつ溌剌と答えた。


「物見の報告によると行家どのは美濃・三河・尾張・遠江・甲斐の源氏と吉野大衆ら総勢五〇〇〇騎で南都[奈良]より北上し、現在宇治辺りを進軍しているとの事。おそらく明後日には京に入るものと思われる」

義仲が話しを続ける。
と、

「数だけは集めたな、元大将軍ドノ。では我らは明日にも京に入っていた方が良くないですか?元大将軍ドノは京に一番乗りするつもりっすから。
少しは慌てさせるくらいの事をしてもバチは当たらんでしょう」

小弥太は、行家の名が出た途端うんざりしつつ問う。

「ははは。京の手前まで来て今更一番乗りもあるまい。
ここは行家どのに合わせ、我らも明後日に京に入る事にする」

「お人好し過ぎるぜ。義仲様は・・・」
溜め息混じりに言い、小弥太は黙る。

義仲はそんな小弥太に苦笑しつつ、
「とにかく、我らの入京と行家どのの入京、法皇の帰還は明後日の事となろう。このいずれが前後しようが何の問題も無い。
法皇の帰還が早ければ、我らはそのまま御所に向かう事になろうし、我らの入京が早ければ、我らは京中の警護に当たり、御所まで法皇を御護りすれば良いだけの事だ」

本陣の空気がぴしりと引き締まる。直近の行動計画が示されたからである。

「では錦織どのと私は、直ぐにも比叡山に出発致します」
林は立ち上がりながら言った。

「林どのニ〇〇〇騎、錦織どのニ〇〇〇騎を率いて行ってくれ。
富樫どのの軍勢と併せれば七〇〇〇騎となる。錦織どの、良いな?」

義仲は若武者に念を押すと、

「はいっ!これより比叡山に向かいます!」
錦織は立ち上がり応じると、義仲は大きく首肯き言った。

「明後日、京で逢おう」
「はっ。明後日、二十八日。京で必ず」
林は答え、錦織を促し本陣を出て行った。

それを見送った義仲は、

「以上だ」

告げると、さっと今井兼平が立ち上がり、号令を掛けた。


「我ら本隊の出発は明日!各々、出発の準備を整えておけ!では解散!」



比叡山延暦寺円融房に滞在している後白河法皇と、噂を聞き駆け付けて来た公卿・貴族達との間で、この日、何が話し合われ、何が決定したのかは、ここに集まった者達にしか判らない。

おそらく何らかの合意と決定がなされた事は間違いの無い事であろう。何しろ、ここ円融房に集っているのは、国政に於ける責任者達であり、その為の高い官位と役職をを授けられているのだから。

彼らも試されているのである。

この激動の世に、その高い官位と役職に相応しい働きが出来るのか、を。
皇族、貴族、武士、僧侶、民衆、総ての人々が試しの時代を生きている。
それは、神に、或いは歴史に試されている、と言っても過言ではなかった。


その後、法皇と貴族らは唐突に円融房を出発し、法性寺にその居を移した。当然、法皇の護衛として差し向けられた富樫・林・錦織の軍勢七〇〇〇騎も同行して。


貴族らのある者は法性寺にそのまま宿泊し、またある者は京に戻って行った。
そして、ここで再び何が合意に至り、何が決定したのかは、これ以後少しずつ明らかとなって行くだろう。

運命の人、義仲がその高い理想を抱き進むのを止めるまで、状況は撹拌を続ける。
いや。もしかしたら、その理想が潰え去った後も・・・

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