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義仲戦記43「決壊前夜」

「では法皇陛下。私は失礼して八条殿へと戻らせて頂きます」

京が不安に慄いている十一月一七日の夜の事。法住寺御所南殿に参集しているお歴々の中で、八条女院[後白河法皇の妹]がそう切り出すと、それまで騒々しかった広間が水を打った様な静寂の場へと変化した。

「ほう。八条院よ、戻ると申すか」

義仲に対し最後通牒を叩き付け、取り巻きの近臣らや、呼び集めた延暦寺座主、園城寺長吏といった有力寺院の責任者、公卿、貴族らと盃を重ね、酒を酌み交わしていた法皇は気分を害した風も無く鷹揚に尋ねた。

しかしこの馬鹿騒ぎは言ってみれば各々の者らの抱えている不安の裏返しと言えない事も無く、酒の酔いに任せて不安を忘れ気炎を揚げていた者らは、はっと覚醒したかの様に押し黙ると八条院に眼をやる。

「何やら伊予守義仲どのに勝つの攻めるのとお勇ましい御様子。
女人である私は場違いで御座います。では」

おっとりとしてはいるが、法皇の呼び止めを軽く拒絶すると、

「三位局、参りましょう」

控えていた女官に声を掛けて一礼すると、静々と広間を退出して行った。



 この後白河法皇の妹、八条女院は政治的なバランス感覚に秀で、平氏や法皇、有力寺院、更には公卿や源氏などの政治勢力と等間隔に交誼を結び、決してこれら勢力のいずれかに肩入れする様な事をせず、さり気なく自分の権威と勢力を維持していたのである。

 である以上、いくら兄とは言え危険な火遊びに夢中になっている法皇の冒険に巻き込まれる事を厭い、逸早くこの政治対立の場から退場したのであった。この賢明で聡明な女院は愚かな事に身を投じるつもりなど始めから無かったのである。


八条女院と女官の三位局の落ち着き払って退出して行く様子を眺めていた者らは、何か見捨てられた様な、いや、母親に置き去りにされた様な不安に急に駆られると、ひそひそと手近にいる者に向かって囁き出した。

曰く『明日の早朝にでもこちらから義仲を攻めるべきだ』
曰く『いや。こちらから手を出すべきでは無い』
曰く『だが敵は義仲だ。確かに軍勢の数は一時より減ってはいるが、その剛勇さは変わってはいないだろう』

そうした囁き声が広間全体に拡がった時、

「我らは官軍なのです!不安を感じる事など何も無い!
それにもし義仲勢がこちらに矢を射掛けて来た時には、その瞬間に奴らは賊軍となり十善帝王に刃向かう賊徒としてすぐさま仏罰が下る事となりましょう!」

鼓判官平知康が、そうあるべきだ、いや、そうでならなければならない、とでも言う様に己れの願望を叫ぶと、

「その通り!
以前、法皇陛下に楯突いた平清盛も仏罰が下り最期は熱病に冒され薨った!案ずる事は無い!それは比叡山延暦寺第五十五・五十七代天台座主であるこの明雲が保証致す!」

「その清盛の罪は更に一門の者らに報い、現在平氏の運が尽きている事は、ここにお集まりの者にはお判りの事であろう!
十善帝王たる父上がおわす限り、こちらの勝利は決まっておるわ!」

園城寺長吏円恵法親王[後白河法皇の第五皇子]も天台座主明雲に同調し声を上げると一同の者らは、そうだよね、やっぱそうだよ!ほらぁ!という感じでお手軽に勢いを取り戻すと、先程感じていた不安を振り払う様に盃を乾すと、その喧騒に埋没して行った。

ここに比叡山延暦寺と園城寺という京周辺の二大有力寺院は法皇方に与し、義仲と対立する態度を鮮明にした。

数日前に義仲が比叡山に送った書状は体良く無視された事となり、義仲が入京する前に締結されたこの二大寺院との協力体制はここに終わりを迎えたのである。


 法皇が義仲相手にこの様な挑発行為とも言うべき無謀な火遊びに打って出た背景には、鼓判官知盛の様な近臣らの影響もあろうが、この二大有力寺院の後ろ立ても、その強力な追い風となっていたのである。それは延暦寺四〇〇〇人、園城寺三〇〇〇人の悪僧が法皇方に付いた事になり、更に法皇の呼び掛けに応えた貴族やその家人、武士やその郎等、そして市中のならず者、乞食法師らを含めると、いまや法皇方が擁する人員は一万二〇〇〇名にのぼり、現在義仲が率いる八〇〇〇騎の軍勢を上回っていた。
 騎馬武者八〇〇〇騎と人員一万二〇〇〇名を単純に数だけで比較する事は出来無いが、とにかくこの一万二〇〇〇を越える人員が法住寺御所に犇き、もはや誰もこの状況を止める事も引き返す事も出来ず、一触即発の危機がエスカレートして行くのを、京の住人らは息を潜めて見ているしか無かったのである。



「昨日、法皇陛下が使者を義仲の許に遣わし、最後通牒を突き付けたというのは本当か?」

「はい。その様に御座います。詳細はここに」

右大臣九条兼実の問いかけに、間を置かず応えた宰相中将源通親は文書を取り出すと兼実に渡した。


不安な一夜が明けた十一月一八日。
この日、事態が先鋭化して行く状況を憂慮した数人の朝廷の公卿は右大臣九条兼実の邸に集まり、この対立を収束させるべく話し合っていたのだが、既に前日に法皇方より最後通牒という名の脅しを義仲に掛けた以上は、もはや彼ら公卿にも事態を収拾するすべは失われた事を理解するしか無かった。

しかし、だからと言ってただ手をこまねいて見ている訳にも行かないのが国政を与る者に課された任務である。時すでに遅し、とはここに集う公卿らは皆理解していたが、それでも何らかの打開策を見付ける為に話し合いは続けられていた。

法皇の使者が義仲に対して布告した内容の詳細が記された文書から眼を上げた右大臣兼実は、その文書を左大臣経宗に渡しつつ言う。

「・・・これでは一方的に法皇陛下が状況を悪化させているとしか思えん。別に義仲の肩を持つ訳では無いが、ここまで強く二者択一を迫る必要は無かろう・・・」

「・・・確かにこの様な条件を突き付ける事は火に油を注ぐ事となりかねん・・・」

詳細を知るに及び、左大臣経宗も溜め息混じりに呟く。
処置無し、とは今の様な状況を言うのであろう。
眉を顰め無言で頷いた通親は、

「今も摂津や美濃辺りの源氏の武将らが続々と法住寺御所に馳せ参じているとの事です。義仲にしても悪僧相手であれば強訴騒動の一つとして済ませたかも知れませんが、この様に各国の源氏の武士まで法皇方に付いた以上は大規模な戦闘に発展してしまう事もあり得ます」

暗い見通しを述べると、怒気を孕んだ右大臣兼実の声が響いた。

「先日『鎌倉からの代官一行の人員を減らせば入京させても良い』と義仲の態度が軟化していた矢先にこの様な・・・
何であれ法皇自らが兵を集めて義仲を討つなど王者の行いでは無い!」

「義仲を追討するよう鼓判官に追討令まで発した、とも伺っておりますが」

通親の報告に今度は左大臣経宗が怒声を上げる。

「前代未聞だ!
法皇が兵を募って武士と対立している今の現状だけでも十分見苦しく、また前例も無いというのに!
この上、追討令を発した法皇と追討の対象である義仲が共に京にいるなど聞いた事も無い!
法皇はこの京を戦さに巻き込み焦土と化すつもりなのか!」

「その事です。追捕令[逮捕状]を発する事すら現状では義仲を刺激するというのに、一足跳びに追討令[公的な戦争許可証?の様なもの]を発した、となると・・・」

珍しく本音と顔の表情を一致させている通親がうんざりした様に呟いた。

「法も手続きもあったものでは無い!この場合、追捕令すら必要無い!
本来ならば武力を行使するのでは無く、法に基いて処断するべきであるのに!
義仲の振る舞いを問題にするのであれば先ず彼に事情を聴き、謀叛の行いや証拠が無いと判明すれば、次はその不穏な噂を流し、これを法皇に密告した者を突きとめてその者を法を持って処罰するべきだ!
それを追討令などと!京の市中での追討騒ぎなど冗談にもならん!」

法皇の政治手法に以前から批判的であった兼実は、日頃の鬱憤をここぞとばかりに爆発させていた。

確かに右大臣兼実の言う通り、事態を穏便に終息させたいのならばこうする筈である。

しかし法皇はそれとは別のやり方を選んだ。

公卿三人が顔を突き合わせていくら知恵を搾ったとしても、法と前例を無視した法皇のやり方を止める事が出来る妙案など思い付けるはずも無く、である以上は朝廷として法皇の暴走を制止させる事は出来無いのであった。

公卿らの心配をよそに、法皇の無邪気な暴走は加速して行ったのである。





「さて、伊予守義仲どの」

昨日、法皇の最後通牒を突き付けて行った使者が、翌日の夕刻、再び六条西洞院の邸に訪れ、広間に着座するや挨拶もそこそこに単刀直入に切り込む。

「其方の麾下に諸将らも集まった事であるし、返答を伺いたく参上致した。心して答えられよ」

「法皇陛下の御憂慮、に関する事柄の返答を、と?」

義仲が落ち着き払って応じる。
しかし麾下の諸将達は落ち着くどころでは無く、気が気では無かった。

というのも昨日、法皇の最後通牒を受けた時、一同は義仲と共にこれを聴き驚愕したのであるが、当然この後に善後策を検討するかと思っていた矢先、義仲は皆に散会を告げ、何も話し合う事無く今日という日を迎えていたからである。
法皇の最後通牒にどう対応するのか麾下の武将達は何も聞かされていない以上、義仲の返答を使者以上に聴きたいのは彼らの方であった。
武将達は固唾を飲んで成り行きを見守っている。

「無論の事。さあ。御返答を」

「これまで幾度も誓い、また不穏な噂が流布する度に申し上げていた様に、私は法皇陛下に対し奉り叛する気持ちなど全く無い」

「ほお。では西海へ平氏追討に赴く、と?」

「西海には既に法皇陛下の命を受けた新宮行家が出陣している。
この者の手柄を横取りする様な事な致さぬ」

「では東海へ鎌倉の代官を討ちに参られるか」

「その事に付いては法皇陛下の宣旨が出された後に考える事。
法皇陛下に命じられて院中守護・京中警護の任にある私が、己れの都合だけで京を離れる訳には参らぬ。
それこそ陛下の命令に叛き奉り不敬を為す行いである、と私は考える」

義仲の返答を聞いた使者は眼と口を大きく開くと、

「で・・・では!このまま京から動かないと申されるか!」
驚きと焦りを滲ませて詰め寄る。

「その通り。
今、私が京から出なければならぬ正当な理由など何一つとして無い。
陛下よりの遣い御苦労であった。
これより御所に戻られ、その様に義仲が申しておった、と陛下にお伝えなさるが良い」

重々しくも穏やかに義仲が告げると、使者の顔は蒼白となり、あたふたと広間を退出して行った。


ここに麾下の武将達は、義仲の方針を理解した。

それは法皇がその取り巻きの近臣らや有力寺院の高僧らと結託し、どの様な嫌がらせや言い掛かり、そして横暴とも言える干渉をして来ようと、それに屈する事は無い、と義仲が決意した事を。


「義仲も張魂[はりだましい。剛情という意味]な者よな。
この儂相手に意地を張るのは立派だが、これで完全に奴は儂の敵になりおったわ」

義仲の許に派遣した使者が御所に戻り、青褪めた顔で報告した後、後白河法皇はのんびりと、ある意味楽しげに告げた。

しかし法皇のこの様な態度は、自分の思う様にならなかった時の不快感の表明でもある事を、傍らに控えている丹後局は熟知していた。

義仲との武力衝突は免れない、と丹後局が諦めにも似た小さな溜息を洩らした時、


「前摂政藤原基通卿。仁和寺御室守覚法親王殿下。主上後鳥羽天皇陛下。
御到着になられました。只今、御所南殿へと御案内致しております」

若い近臣の者が告げると、

「おお!集まってくれたか!では儂はその者達の相手をしなければならん。鼓判官知康。お前を大将軍に任じる。指揮を執るが良い。
あの張魂の無骨者相手に見事に勝って見せろ。良いな」

法皇は腰を上げながら、ついでという感じで命じる。

「はは〜〜〜っ!」

知康は平伏してこれを受けると、直後その場に立ち上がり広間に参集している者らを見下ろす様に、

「畏れ多くも陛下より直々に大将軍に任じられた大夫尉平知康である!
これより法住寺御所及び隣接する南殿の防御の為の布陣を指示する!」

居丈高に言い放つ。


法皇はその肩肘張った知康の様子に苦笑しながら広間を退出して行ったが、それに続く丹後局は眼を伏せながらも、嫌悪を帯びた酷薄な視線を知康に投げ掛けつつ、法皇のあとに付いて行った。
その耳には知康の力みかえった大声が届いている。

「先ず七条大路方面を摂津源氏多田蔵人行綱どのらに任せる!
そしてこの七条大路の北に礫を投げる者ら[投石専門のならず者]を配置し、敗走する義仲勢に遠慮無く礫の雨を降らせてやれ!
八条大路方面は延暦寺の法師らに任せる!
そして御所の防衛だが、東門は美濃源氏を始め各国の源氏の侍が担当!
北門は園城寺の法師ら!南西の門は貴族の家人達が!
そして西門は私が防御する事になる!
合戦は近い!だが我ら官軍の前には勝利が約束されておる事、疑い無い!
良いか!」


「「「おおおっ!!!」」」


御所に似つかわしく無い鼓判官の大声に、貴族・僧侶・武士・ならず者らはバラバラな叫び声で盛大に応じた。





「何故です?!私も最後まで義仲様のお供に!」

「ならん!お前も武士の家に生まれたからには解るだろう!」

「では父上が法皇方に付くべきです!」

錦織義広が尚も言い募る。
すると父の山本義経は息子の肩に両手を置くと、眼差しを緩めて優しく語り掛けた。

「聞き分けの無い事を申すな。この様な時に父子・兄弟が一つの陣営にいる事は家門を絶やしてしまう危険がある。
勝つにしろ負けるにしろ血脈を絶やさぬ為には、常に二つか或いはそれ以上の陣営に父子兄弟を分散させて属していなければならない。
お前を法皇方に参らせる事の意味など解っている筈だが。
そうであろう?義広」

「であれば、何とぞ私を義仲様の許に!」

「駄目だ。私が義仲どのの許に付く。これは私の我儘と思ってくれ。
我儘は歳を取った者の特権だ。
しかしお前はまだ若い。
お前も私ぐらい歳を取った時、お前の息子相手に我儘を通せば良かろう」

息子の眼をじっと見詰め、父は和やかに話すと、息子はそれ以上何も言えずに俯いた。
それを了承と受け取った父は、息子の肩に置いた両手に力を込めると、

「済まんな。では早々にここを立ち去り、法住寺御所に参るが良い」

優しく言う。
息子錦織義広は顔を上げ、父の眼と視線を交わすと一礼し、無言のまま踵を返すと立ち去って行った。

息子の後ろ姿をいつまでも見ていた山本義経だったが、肩に背負った重い荷物を下ろした様な気分で、

「さてと。そろそろだな」

己れを鼓舞するかの様に呟くと、皆が集まる筈の広間へと向かった。



先程、法皇からの使者を帰した後、義仲は夜に再び集合する様に麾下の武将達に告げると、一旦散会を命じたのであった。

その短い時間を利用し山本義経は息子との離別に踏み切ったのである。
これで近江勢は二つに分かれる事となったが、別に日和った訳では決して無い。こうした遣り方は当時の武家として当然の処置であった。

過去の保元の乱[一一五六年]の折、平氏は兄弟分かれて戦う事になり、一方の源氏も父子兄弟でその陣営を異にしていたのである。

これは家門を存続させる為というよりは、親族間の内紛が属する陣営を別れさせた最大の要因ではあるのだが。

むしろ一族や父子兄弟が揃って義仲勢に属している樋口・今井・巴・落合の中原家兄妹や、根井・楯の根井家兄弟の方が珍しい事なのであった。


ともあれ、山本義経が広間に入ると、既に僚友の諸将達は座に着いている。山本が着座するや義仲が姿を現すと、諸将達は一斉に頭を下げた。

「先程、使者に申した様に私は京を去るつもりは無く、殊更、法皇に刃向かいたい訳でも無い」

義仲は昂ぶる事無く、あくまでも穏やかに告げた。
しかし法皇の最後通牒を突っ撥ねた事で、法皇と義仲の対立はその頂点に達しつつある事を諸将達はひしひしと感じている。
彼らは義仲の言葉を聴き漏らすまいと、耳をすませてあるじを注視していた。


「しかし現在、その法皇が私に対しての追討令を発し、兵を募り御所を本陣にし立て籠もっている。
この様な仕儀に立ち至ってしまったのは鼓判官や近臣の取り巻き、天台座主、園城寺長吏らの画策にもよろうが、その様な極端な策を良しとし、用いた全ての責任は唯一人、後白河法皇御自身が負われるべきものである、と私は考えている」

義仲の発言はその場にいる者達を凍り付かせた。静寂が圧力を伴い、各々の身体に伸し掛かって来る中、義仲は相変わらず穏やかに続ける。


「法皇がこの様な暴挙に及ばれたのも判らないでは無い。
武力を用いる、という事は政治的緊張が昂まり、話し合いなどで解決出来無い場合の最も短絡的で、しかも効果的な解決の手段として存在するからだ。

だが法皇は武力というものをその様には理解していない。

他者を脅し、己れの言い分を通す為の脅迫の道具であるとしか理解せず、その様にしか理解していない法皇だからこそ、玩具を玩ぶが如く兵を募って悦に入っているのであろう。

私はこの間違いを糺したい。

そして未だ時代が変化している事に気付かない者らに、その変化を気付かせてやりたい」


論旨が微妙に逸れた事を理解しながらも、諸将達は黙って義仲の発する言葉を開いていた。
その先に何が待ち受けているかを見極める為に。

「これまでは朝廷内部や公卿・貴族・天皇・上皇・法皇は周辺で起きた政治的緊張や対立で武力を用いる事無く一応の決着を着けて来た。
しかし保元・平治の二度に亘る乱に於いて、最終的な決着の手段として武力を用いる事を彼らは知った。そして我ら武士の地位は高まって行った。

それは武力とそれを用いる武士の存在を彼らが欲した事による。
にも関わらず、武家の存在感が増し、地位が上昇する事を嫌った彼らは、武家と武家を争わせる事で武家の台頭を抑え、永遠に武士の上に君臨する事を望んだ。

彼らがそれに失敗したのは平氏に対してのみ。

以仁王様の挙兵以後、現在に至る戦乱はそうした彼らの思惑に我ら武家が乗せられた事を意味する。
現在も進行中の戦乱、その終わりが見えない理由も、彼らの“武家をもって武家を制す”との思惑と、そう仕向けられている事が総ての元凶なのである。

彼らは武士の台頭という時代の変化を断固として認めようとはしていない。

しかし己れの権力保持、或いは奪取の為には躊躇わずに武士に命じ武力を行使させ、その安泰を図り、その為だけに我ら武士を都合良く使い回して来た。
私自身の事を顧みてもそうであったし、京に入ってからは一層露骨に彼らはそう仕向けて来た。これでは戦乱が絶える事無く続き、我ら武士は“戦う道具”として彼らに使い捨てられ続けてしまう。

私はこれを阻止する為、また彼らに時代の変化を認めさせ、そして彼らの間違った思惑を糺し、戦乱に終止符を打つべく、敢えて法皇の立て籠る法住寺御所に出陣し、これを懲らす」


穏やかに告げられたその衝撃の内容に、誰もが二の句を継げないでいる。
今やその静寂は耳を衝く程の鋭利さを伴って各々を責め苛んでいた。

「撃つ、のでは無く、あくまでも懲らす、だ。
である以上法皇を討つ様な事はしない。
いくら時代が変化したからと言っても許される事と許されない事がある。
法皇を弑し奉るという事は、その不変な許されざる事であるのは論じるまでも無い。
そこで法皇には生きてこの度の責任を取って頂く事とし“君側の奸“[君主の側近くに仕える悪賢い側近の意]のみを討ち果たす事を目標とする」


御所に対する攻撃命令とも言える内容に誰もが衝撃を受けて沈黙が支配する広間に、声を上げた者がいた。四天王今井兼平である。
彼は声を震わせつつ発言した。

「・・・義仲様のお考えには私も同意致します。が、君側の奸を討つのであれ、法皇陛下を懲らすのであれ、陛下に弓を引き御所に攻撃を掛けるという事は、義仲様自らが逆賊である、と天下に知らしめる事となってしまいますし、今まで義仲様が京を戦乱に巻き込まぬ為に懸命に尽くして来られた事すら無意味となってしまいましょう」

「お前の言う事も解る。兼平。
しかし今、法皇に降伏するという事は、意地の悪い言い方になるが、私の生命を彼らに差し出す事となる。そうなれば彼らは躊躇無く、それどころか悦んで私に無実の罪を着せて殺す事となるだろう。
追討の名目のもとに」

義仲は穏やかに答えると、兼平はぐっと詰まった。
確かに法皇や近臣の狙いはそこにあるのだろう。
法皇に対し弓を引く事を躊躇えば、京を去るか降伏するしか無い状況に義仲を追い込んだのである。それは法皇の捨て身の策とも言えたが、法皇としての、天皇家の家長としての立場に伴う権威を背景にした、ある意味効果的な策であった事は間違い無い事であった。

と、
「法皇陛下に刃向かおうとする者に従うつもりはありません」
立ち上がった仁科盛家が言い放った。

その眉間には深く皺が刻まれ、苦渋の決断であっただろう事が、義仲には偲ばれた。

「私は国に、民に、牙をむいた平家の行動をこれ以上許さない為に共に戦って来ました。しかし現状はその平家と和睦を結び、今度は法皇に対して弓を引く、と言われる。ここまで志が違ってしまった以上、私はここに居続ける訳にはいきません。これよりここを去り法皇陛下の座す法住寺御所に馳せ参じるつもりです」
一同は一斉に息を呑んだ。

もう付いては行けない、というのであれば、単に袂を別つ事であるが、法住寺御所に馳せ参じる、という事はこれよりは敵として立ちはだかる、と義仲勢に宣言した事になるのである。
しかもその義仲の信頼の厚い仁科が言い出した事がより一層諸将達の驚愕を倍化させていた。
皆が固唾を飲んで見守る中、

「解った。であれば仁科盛家、お前の思う通りにするが良い。他にもその様に思う者がいれば遠慮無く申し出てくれ」

義仲は変わらず穏やかに告げると、

「私も仁科どのと共に行く!大逆を犯そうとしている者らと行動を共にする事など出来ん!」

村上義直が叫びつつ勢い良く立ち上がる。
しかし、それに続く者は表れる事は無かった。

仁科と村上は視線を交わして首肯くと、連れ立って広間を出て行く。
その二人の背に義仲の声が掛かった。

「仁科盛家。村上義直。挙兵してよりこれまでの働き感謝に堪えない。
進み行く道が異なってしまった事は残念だが、目指すところは同じであると、私は今も信じている。さらばだ」

村上は驚いた様に振り返ったが、仁科は振り返る事無くその場で小さく一礼すると、

「こちらこそ思う通りにさせていただき感謝に堪えません。
これまでお世話になりました。御健勝で、義仲様」

そう言葉を残して退出して行った。

仁科の声が涙声になっていた事に皆が気付いていたが、誰も何も言わず僚友が去るのを見届けていた。

こうして義仲が挙兵した当初から共に轡を並べて戦い抜いて来た仁科盛家・村上義直という北信濃を代表する武将が義仲勢から姿を消す事となった。

そしてこの二人は郎等を率い六条西洞院の邸から出ると、隊列を組んで京の道を進んで行った。法住寺御所へ入る為に。



「今、この場に残っている者達に告げておく。
私はまだ彼らにこの生命をくれてやる訳には行かん。
である以上、抗うだけ抗ってみるつもりだ。
御所に攻撃を掛ける、という前代未聞の行為によって。

この行いを責める者もいるだろう嗤う者もいるだろう。

しかし時代の変化を頑なに認めようとせず、これを彼らに認識させる為には思い切った手段を用いなければ意味は無い。例えそれによって私に悪罵が投げ付けられようと、その運命が私の指の間をすり抜けようとも」

義仲は静かに語り続ける。
その口調はともすると優しげにすら聴こえた。

しかしその言葉の裏に並々ならぬ決意を秘めている事を、おそらくこの広間にいる全員が感じ取っていた。
そしてこの決意に至るまであるじがどれ程、深く懊悩したであろう事も。

「義仲様の決意を無駄にする事は出来ん」

四天王筆頭樋口兼光が宣言する。
続けて、

「我ら麾下の武将は義仲様の願いを実現する為に存在している。
であればここに残っている者の誰が義仲様の決意に異を唱える事があろう。
兼平。そうではないか?」

念を押す様に弟兼平に問い掛ける。

「懸念を申し上げたまでの事。元より異存などあろう筈も無い」

兼平は当然の事、と言わんばかりに応じる。
と、

「まったく素直じゃ無いんだから。
さっきのはどう聞いても反対している様にしか聞こえなかったわ。
ねぇ光盛」

戦う美少女巴御前が呆れた様に口にする。

「まあそれだけの大事だって事さ。御所を攻めるという事は」
光盛が応じた。

「しかし残念だなぁ・・・」

覚明が渋い顔をして呟くのを聞き逃さなかった小弥太が問い掛ける。

「残念?なンか引っ掛かる事でもあンのか?覚明」

「いやあ。どうせこうなるんだったら京に入った時に始めっからこうしておけば、法皇や公卿らも大人しくしてたんじゃないか、とねぇ」

「まァな。でも俺らは売られた喧嘩は買うが、俺らの方から喧嘩を売ったりはしねェぜ。奴ら貴族も最初っから喧嘩腰だった訳じゃ無ェんだ。今更言っても仕方無ェだろ」

小弥太は軽く受け流す。

だがこの時小弥太は重要な事を口にした。
それは義仲や義仲勢の本質を一言で表現したものであった。

“売られた喧嘩は買うが、喧嘩を売る様な事はしない”

この事は常に義仲が実行して来た事であるし、その“売られた喧嘩”すら出来るならば回避し、買う事を避けて来たのであるから。
ただし今回、“喧嘩を売って”来た者らは、そうした義仲の行動規範を盾に愚かで小賢しい手段を用いて来た訳であり、言ってみれば、義仲のそうした戦いを極力回避する傾向の上に安心して胡座をかいて火遊びに熱中しているのである。


つまり俗な言葉を使えば、義仲は“ナメられて”いたのだ。義仲にはどの様な仕打ちをしたところで楯突く事は無い、と。


しかしその様な甘過ぎる認識が間違いであり、その甘過ぎる認識を土台として企てられた策により、どの様な結果が齎される事になるのかは、彼ら自身が身を持って思い知らされる事となる。


「義仲様。御指示を」

四天王楯親忠が促すと、義仲は笑みを浮かべて首肯いた。

御所を攻める、と聞いた時には驚愕していた麾下の武将達が、今は動揺する事無く、やるべき事をやる、との決意と落ち着きを取り戻し、あるじの命令に最後まで従うという姿勢に、義仲はあらためて感謝の思いと頼もしさに思わず破顔したのである。

「有難う。其方達は私の誇りだ」

頭を下げて感謝の思いを口にした義仲は、顔を上げた時キッと眼付きを真剣なものに変えると、

「出陣に際し我が軍を七つに分ける。が、去った仁科盛家の後任に第一軍の大将として新たに長瀬判官代義員を任ずる事とする」

「はっ!」

指名を受けた長瀬が素早く応じた。
先の水島の戦いで海野幸広・矢田義清・高梨高直の三将を喪い、今また仁科盛家・村上義直の二将が姿を消す事となった義仲勢だったが、未だその人材は底をついてはいなかった。

この長瀬判官代義員という武将は、義仲が挙兵した正にその時から四天王や巴御前・光盛・落合と共に、義仲を支え続けて来た古参の武将であり、これまで派手な活躍こそしていないものの、その堅実な振る舞いは諸将達の中でも一目置かれる存在だったのである。

「では第一軍大将、長瀬義員・那波広純。一〇〇〇騎を率い、五条橋を渡り六波羅を経て北から法住寺御所に向かえ」

「はっ」「はっ」

「第二軍大将、志田義憲どの・多胡家包。一〇〇〇騎を率い、ここ六条西洞院の邸の防衛に当たれ」

「はっ」「はっ」

「第三軍大将、楯親忠・津幡隆家。一〇〇〇騎を率い、八条の末より御所西表の門へ」

「はっ」「はっ」

「第四軍大将、根井小弥太・落合兼行。一〇〇〇騎を率い、西河原に布陣」

「おぅさ!」「はっ」

「第五軍大将、巴御前・山本義経、一〇〇〇騎を率い、七条の末より御所北門を経て大和大路西門へと至れ。尚、この第五軍には全軍の総大将として私、覚明が加わり、大手本隊とする」

「はい」「はっ」「了解す」

「第六軍大将、今井兼平・手塚光盛。一〇〇〇騎を率い、御所東瓦坂方面へ」

「はっ」「はっ」

「そして第七軍。大将は樋口兼光・千野光広。この部隊を搦手とし二〇〇〇騎を率い、新熊野方面より御所へ」

「はっ」「はっ」

各部隊の配置と指示が終わると義仲は立ち上がり、諸将達を一通り見渡しつつ告げる。


「これは法皇[後白河]並びに主上[後鳥羽天皇]の御二方を確保する為の攻撃であると心得よ。
そして女官や女房らに対しても、これを襲う様な事は厳に禁じる。
女房らには唯の一人も被害者を出してはならん。

だが法皇の近臣ら及び天台座主、園城寺長吏に対して配慮する事は無い。
これまで我が軍は戦意喪失している者に対して攻撃する事を固く禁じて来たが、この度だけはこの禁を解く。何故なら事態をここまで悪化させた者らは、まず間違い無く戦闘が開始されるや逸早く逃げ出す様な者らだからだ。
彼らにはその責任をその生命で贖ってもらう。
その為に敢えて我が軍は法住寺御所の南面、つまり南西の門を開けて置き、ここより逃れる者らを討つ事とする。
だが追撃する必要は無い。戦闘は御所内に限定し、御所に詰め掛けている武士・僧侶・ならず者らは刃向かって来た場合は応戦するが、逃げ出した時はそのまま逃がしてやれ。良いな」

「「「「はっ!!!」」」」

出陣前の昂揚が一同を包み込んでいた。
義仲は最後に告げた。

「攻撃目標は法住寺御所!及び隣接する南殿!
では出陣の準備に掛かれ!以上だ!」

ザッと将兵達は立ち上がると、早足で広間を後にして行く。
遂に義仲は最期の手段に撃って出る事にしたのである。

これを暴挙と呼ぶ者が居るとしたら、義仲を追い詰め、その暴挙に至らしめた者らの遣り方は一体、何と呼ぶのであろうか。

義仲は決意した。
それは悲壮な決意であった。

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