義仲ものがたり #9

~信濃源氏・長瀬義員が見た義仲~

■前回までのあらすじ
 木曽義仲は木曽谷で育ち、諏訪社、上田・佐久平の滋野一族、安曇野の仁科氏らと結び勢力を広げていた。平家政権下でも信濃国はその影響を受けることなく平穏な日々が続いていた。
 しかし以仁王の挙兵をきっかけに状況は一変、平家をかさに笠原頼直(中野市)が挙兵を画策、義仲はそれに備えて、綿密に計画を練り、善光寺平での市原の合戦に勝利した。
 千曲川を上り上田市依田城に入った義仲。そこで気心が知れた武将たちと集まってこれからの相談をしていた矢先、木曽谷と山を隔てた伊那谷の菅冠者が、甲斐国から侵攻してきた武田・一条ら甲斐源氏に襲われたことを知る。


 義仲様はとにかく顔がよい。なのでまず皆目を奪われてしまう。
 声もよいので耳も奪われてしまう。
 体格も大きく圧倒される。
 これが源氏の嫡流と言うものかと一目で見て説得力がある。

 しかし、そうした外見的な魅力を本人は意識していないのか、どんな身分の者にやさしくまっすぐに視線を合わせ、分け隔てなく明るく気楽に話しかけてくれるので、人々は皆義仲様を好きになってしまう。いわゆる人たらしともいえる。
 それが源氏の嫡流と言うものかと思っていた。
 長い間。


どうやら違うらしい。



 源氏の嫡流と言うものは、人を寄せ付けない怒気、人と思えない鬼気、一目見たら忘れられない形相で、戦場に吸い寄せられた血気盛んな武士たちをねじ伏せる、人を超えたなにかをまとった選ばれし存在らしい。

「甲斐源氏が信濃へ侵攻してきた」

この一言で、ビリビリとした何かが義仲様から発せられ、この場にいるもの全員が寒気と震えが止まらなくなった。
全員誰とも目を合わせることすらできず、うつむいて、初めての体験に打ちひしがられていた。


怖い


力自慢の根井も、気高い海野の姉様も、動けなくなっている。


長い時間が過ぎたような、いや一瞬だったのかもしれない。
でも心に刻まれるには十分な時間だった。


「義仲様、甲斐源氏を討ちましょう。」


ふあああああ!?
この状況で何てことを言うんだよ!!!!

俺は震えながら顔をあげて声を発した今井殿を見た。

義仲様も今井殿を見た。
今井殿は毅然と姿勢を正し、義仲様を見つめ返している。


「んなことするか!」

義仲様が軽く答えた。
いつもの義仲様だ!

俺たちは全員呪縛から解き放たれたかのように息をついた。 


「いけねえ。つい頭に血が上っちまった。
甲斐の奴ら、俺たちがこれまで丁寧に積み上げてきた信濃の平穏をぶち壊しやがって、許せん。
とはいえ、同じ源氏同士で争うのはもってのほか。
まずは戦況を冷静に見定めねばならん。」 

義仲様はぶるぶると頭を振ってからしゃんと姿勢を正した。

「茅野、詳しい話を聞かせてくれ」
手塚殿が伝令に来た茅野殿に呼び掛けた。二人は諏訪神党だ。

茅野殿の話は長かった。


簡単に言うと、甲斐源氏が国境を越えてどんどん北上してくる情報を得たので、諏訪社上社・下社で相談し、諏訪湖にいたる手前、上社領域で足止めしたのだという。そこでありがたい「神のお告げ」を聞かせて、平氏方の管冠者を攻めるには諏訪湖・辰野を通らずに伊那谷に直結する古東山道を進む方がよいと信じ込ませた。
もちろん、菅冠者には辰野経由で先行して使いを出し甲斐源氏の侵攻を知らせたとのこと。

「兄上は?古東山道を使ったのであれば、無事!?」

巴殿が声を上げた。

「はい。もちろんです。樋口殿に何かあれば、私もここにはいません。」

茅野殿が胸を張って答えた。樋口殿の一の家臣と言えば茅野殿だから。
ほっとした雰囲気に場が包まれた。

「しかし、菅殿はたまったものではないな」
滋野党の重鎮・小室殿が言った。

「信濃の周りでは源氏だ平氏だで攻める理由になってるから仕方ねえよ。いちいち信濃まで来て、何の戦果も得られなければ甲斐源氏はやけくそになって諏訪社を燃やしたりしたかもしれねえ。菅殿には悪いが、平氏を冠にしている以上受けて立ってもらわねば。」
根井殿が言い放った。

「…菅殿は無事なのか?」

「自ら館に火を放ち、自刃した…ということになっています。」
義仲様の問いに茅野殿が一呼吸おいて答えた。



「諏訪社の機転で…皆が助かった。」
海野の姉様が周りを見回ししみじみといった。確かに諏訪社のお告げでなければ甲斐源氏をけん制することはできず、違った戦が起きていたかのしれない。

「内密に菅殿の行方は探らねばならんな。それで甲斐源氏はまだ伊那谷にいるのか?」
「それが、あっという間に引き上げていったのです。坂東から使いが来て。」

「…坂東から?」

俺も含め多くが声をそろえて言った。
信濃国になぜ甲斐どころか坂東からわざわざ来るものがいるのだろうと。

「北条時政…源頼朝殿の縁者だと言っていたとか」


頼朝殿は義仲様の従兄弟だというのはここにいる皆が知っている。
しかし、北条…?

「どうせ吹かしだろ?頼朝がなぜわざわざ甲斐源氏を追って信濃まで縁者を送る必要があるんだよ。」

根井が笑いながら言った。

「北条殿は確かに頼朝と共に挙兵したと聞いている。
もし本当ならなぜ今信濃に?
俺が兼遠殿を美濃や飛騨に行かせるようなものではないか。」

「拙僧が思うに、頼朝は相当苦境に立たされているのではないかと。
 甲斐源氏の力まで借りたい…それも進軍先までとはよっぽどです。」

「しかし、そのおかげで甲斐源氏が信濃から引き揚げたのであれば、俺たちは頼朝に一つ借りを作ったといってもよいかもしれないな。」

義仲様のことばに、皆口をつぐみ静まり返った。

甲斐源氏はいったい何を目的に信濃まで来たのだろうか。
俺たちはこれまで信濃国で平穏に暮らすために、義仲様を中心に武士団がつながり合い、調和を作ってきた。都で何が起ころうとも揺るがないように。現に笠原の挙兵にも皆で立ち向かうことができた。でも、同じような隣国から、義仲様のような立場の甲斐源氏に攻めて来られるとは。


「みんな聞いてくれ。」

義仲様が姿勢を正して俺たちをまっすぐ見て語りはじめた。

「市原の合戦後に話したように、俺は上野国へ行くつもりだった。
北に追いやった笠原頼直は、越後の城氏と提携している。
城氏はもともと会津から越後へ領土を広げ国府まで支配したという。さらに信濃や上野を狙う可能性は常にあった。
笠原がきっかけになって、城氏はおそらく動く。信濃を攻めるために。
だから上野国でもっと兵を募りたいと考えていた。

しかし

それは、はたから見れば、甲斐源氏と同じではないか?」



「ちがう…義仲様は違うよ!」

静寂を破って巴殿が叫んだ。

「義仲様は、みんなを守るために!」
「巴は俺を知っている。だからそう言える。だが、俺を知らぬものから見れば侵入ではないか?
甲斐源氏も理由を語ることなく信濃を去ったが、彼らには彼らの正義があるのかもしれん。」

「そうでしょうか…菅殿が襲われたのは結果でしかありません。
その結果が諏訪社が善光寺同様消失ということもあり得たのでは。正義があるとは思えません。」

手塚殿が言った。おそらく諏訪神党の総意として。

「拙僧が思うに、甲斐源氏は見得を切りたかったのでしょう。そのために信濃に来た。義仲様はどうですか?本当は己の軍勢を誇るために、見得を切るために上野に行くのですか?」

「義仲様の思いはわかりました。しかし、笠原が城氏のもとへ走ったならば、状況は刻々と悪化していきます。甲斐源氏も、狙いは平氏打倒などではなく、義仲様を従えることかもしれません。もっと兵が必要なのは間違いありません。行動するなら早い方がいい。」

今井殿が決起を促すかのように義仲様に言った。

義仲様はまっすぐに意見する者の顔を見ていた。
しかし、何も言わなかった。
そして、ゆっくりと海野の姉様を見た。

俺たちも全員海野の姉様を見た。


姉様は

何も言わなかった。










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