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義仲館
2020年12月24日 15:24
石黒光弘富山県南砺市・高岡市福岡町木舟古代礪波臣氏北陸(越中)武士。石黒党を率い、北陸合戦を戦い抜いた。もとは石黒庄を本拠地としていたが、元暦元年(1184年)北陸街道の南側に平城木舟城を築いた。それ以後も石黒氏が治めた。巴御前(および中原家)と親族関係があったという伝承がある。
2020年12月25日 13:20
加賀藩得能氏(十村役)寄進による巴御前の絵馬がある神社。富山県南砺市田中(JR福光駅2㎞15分)
2020年12月25日 13:16
巴が荒馬の手綱を足で踏んで沈めた所や源兵衛屋敷跡と呼ばれる場所がある。富山県南砺市川西(JR福光駅2・5㎞32分)
2020年12月25日 13:12
義仲と巴が馬を歩かせた蹄の跡が残った石。しかし今は工事でなくなってしまったという。富山県南砺市川西(JR福光駅3・2㎞40分)
2020年12月25日 13:06
倶利伽羅合戦で逃げてきた暴れ牛を矢で射ぬいてしとめたという伝承が残る場所。富山県南砺市(JR越中山田駅4・1㎞52分)
2020年12月25日 11:58
倶利伽羅合戦のあと、角に松明をつけた牛が走ってきたという伝承が残る場所。富山県南砺市高宮(JR越中山田駅1・7㎞22分)
2020年12月25日 11:55
太美七郎光能富山県南砺市太美(太美郷)石黒党倶利伽羅合戦で名が見える。義仲軍で参戦し、討死したという。
2020年12月25日 11:51
高楯二郎光延富山県南砺市北陸(越中)武士石黒党か。倶利伽羅合戦の際、石黒「太郎光弘」と続いて高楯「次郎光延」と記されている。高楯城は石黒光弘が木舟城に移る前の館跡ではないかと推定されている。
2020年12月25日 11:38
石黒太郎光弘が築城した福光城址の一部。江戸時代後期に風雅人交遊の場として小亭が建てられ栖霞園と命名された。(JR福光駅1㎞13分)
2020年12月25日 11:34
福満五郎富山県南砺市福光栄町福光北陸(越中)武士 石黒党石黒太郎光弘の舎弟だという。また福光には石黒氏の居城があったという。
2020年12月25日 11:32
泉三郎富山県南砺市和泉北陸(越中)武士 石黒党 倶利伽羅合戦で泉三郎の名が見える。「三州志」によると泉氏は和泉を本拠とする武士ではないかという。
2020年12月25日 11:29
加賀右衛門広安にちなんだ地名。広安は義仲の末子義基といわれている。富山県南砺市広安(JR東石黒駅2・6㎞33分)
2020年12月25日 11:24
野尻富山県南砺市野尻北陸(越中)武士 石黒党倶利伽羅合戦前に越中から集まった武士の中に名前が見える。