マガジンのカバー画像

伝承の館(南砺編)

18
運営しているクリエイター

2020年12月の記事一覧

石黒

石黒

石黒光弘
富山県南砺市・高岡市福岡町木舟
古代礪波臣氏

北陸(越中)武士。石黒党を率い、北陸合戦を戦い抜いた。もとは石黒庄を本拠地としていたが、元暦元年(1184年)北陸街道の南側に平城木舟城を築いた。それ以後も石黒氏が治めた。巴御前(および中原家)と親族関係があったという伝承がある。

田中八幡宮

田中八幡宮

加賀藩得能氏(十村役)寄進による巴御前の絵馬がある神社。

富山県南砺市田中
(JR福光駅2㎞15分)

西勝寺地籍

西勝寺地籍

巴が荒馬の手綱を足で踏んで沈めた所や源兵衛屋敷跡と呼ばれる場所がある。

富山県南砺市川西
(JR福光駅2・5㎞32分)

義仲・巴蹄の石

義仲・巴蹄の石

義仲と巴が馬を歩かせた蹄の跡が残った石。しかし今は工事でなくなってしまったという。

富山県南砺市川西
(JR福光駅3・2㎞40分)

矢留・牛ヶ原

矢留・牛ヶ原

倶利伽羅合戦で逃げてきた暴れ牛を矢で射ぬいてしとめたという伝承が残る場所。

富山県南砺市
(JR越中山田駅4・1㎞52分)

うしのけ

倶利伽羅合戦のあと、角に松明をつけた牛が走ってきたという伝承が残る場所。

富山県南砺市高宮
(JR越中山田駅1・7㎞22分)

太美

太美

太美七郎光能
富山県南砺市太美(太美郷)

石黒党
倶利伽羅合戦で名が見える。義仲軍で参戦し、討死したという。

高楯

高楯

高楯二郎光延
富山県南砺市
北陸(越中)武士

石黒党か。倶利伽羅合戦の際、石黒「太郎光弘」と続いて高楯「次郎光延」と記されている。
高楯城は石黒光弘が木舟城に移る前の館跡ではないかと推定されている。

福光城址・栖霞園

福光城址・栖霞園

石黒太郎光弘が築城した福光城址の一部。江戸時代後期に風雅人交遊の場として小亭が建てられ栖霞園と命名された。

(JR福光駅1㎞13分)

福満

福満

福満五郎
富山県南砺市福光栄町福光
北陸(越中)武士 石黒党

石黒太郎光弘の舎弟だという。また福光には石黒氏の居城があったという。

泉

泉三郎

富山県南砺市和泉
北陸(越中)武士 石黒党

倶利伽羅合戦で泉三郎の名が見える。「三州志」によると泉氏は和泉を本拠とする武士ではないかという。

広安の由来(平田神社)

広安の由来(平田神社)

加賀右衛門広安にちなんだ地名。広安は義仲の末子義基といわれている。

富山県南砺市広安
(JR東石黒駅2・6㎞33分)

野尻

野尻

野尻
富山県南砺市野尻
北陸(越中)武士 石黒党

倶利伽羅合戦前に越中から集まった武士の中に名前が見える。