義仲戦記45「鎌倉の胎動」
後白河法皇による乱は、法皇方に多くの死者を出した。
法皇の親族や近臣、貴族、高僧を始め悪僧ら、それと武士らがその犠牲者となったのである。
乱の翌日、十一月二〇日。
五条河原に法皇方として戦い、命を落とした者らの首級が晒される事となった。
その数およそ一〇〇名以上。
その中には比叡山延暦寺天台座主明雲大僧正、園城寺長吏円恵法親王らこの度の乱で主導的な役割を果たした高僧を始め、近江中将高階為清、越前守藤原信行ら法皇の近臣、そして義仲勢の入京に便乗して上洛した美濃源氏の伯耆守光長