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義仲戦記49「運命の日・序」

対岸に立ち昇る煙りは徐々にその勢いを増し、次々に隣り合う家々にその炎による災いが燃え拡がって行く。
義仲勢宇治方面軍搦手総大将根井小弥太行忠は茫然と見上げている。


「ココまでヤんのか・・・関東勢の大将軍は・・・」


知らず知らずのうちに呟いていた。
ふと焔が燃え移っていた家屋の中から全身炎に包まれた人が転げ出て来た。
それも続々と。

驚愕に見開かれていた眼を更に凝らし、対岸を注意深く見ると、炎に巻かれて転げ回っている者、すでに黒く炭化し動かない者、髪に火が燃え移り泣き叫びながら走り回っている女性や子供達の悲惨極まる光景が眼に飛び込んで来た。
その中には突然の火焔に驚き、混乱して走り廻る牛や馬に蹴られ動かなくなった者までいる。


「・・・許せねェ・・・」


眼の前の地獄絵図に怒髪天を突く思いで、噛み締められた奥歯から小弥太の怒りの呻きが洩れ出ていた。




一月二十日の早朝の事であった。

前日の十九日に六条西洞院御所を出陣した宇治方面軍二一〇〇騎の義仲勢搦手の軍勢は、その日の内に宇治川に到着すると、先ず宇治橋の橋板を取り外し、これを掻盾[かいだて。木製の盾]として流用し、更に矢倉を構え、川の浅瀬に綱を張り巡らせ、川岸には乱杭[らんぐい。馬の歩行を妨害する為、杭を打ち並べる]を打ち、逆茂木「さかもぎ。木材や木の枝です作るバリケード]を隈無く配置、こうして宇治川北岸一帯に防衛線を構築したのである。

当然、これを行う前には宇治川両岸に居住する者達に、戦いが迫っている事、至急退避すべき事を告知し、これを徹底すべく呼び掛けを行ったのである。

これに応じ退避した住人も多かったが、年老いた者や、家を開ける事に不安を感じて家に残る事を選んだ家族らも多数いたのだった。
その者達は自分の住み慣れた家に篭もると、不安な思いと共に夜を明かしたのである。


夜が明け、関東勢搦手二万五〇〇〇騎以上の大軍が宇治川南岸に到着した時、その川岸に面した開かれた場所が無く、関東勢は川辺に軍勢を展開する事が出来ずに、二万騎程は後陣に控えざるを得なかった。

四・五〇〇〇騎が川辺に臨む事が精一杯だったのである。

この事態に関東勢搦手大将軍である九郎冠者義経は、迷う事無く傲然と命令を下した。


「我が軍勢を総て川辺に展開させる!
その為に障碍となる家屋は打ち壊して焼き払え!」
と。

「家には居残っている者もまだ居ります。
幾ら戦場となったとは言え、それはどうかと」

「私の命じる事には色々と理由を付けて反対するのだな。景時」

異を唱えた梶原平三駆景時に、冷たい視線を投げ掛けて義経が言った。

既にこの二人の間には修復不可能な何かが横たわっている。

義経の行動や言動に不安を覚えていた頼朝は、己れの腹心景時に義経のお目付役を命じていたのであるが、義経の配慮を欠く言動を景時が諌める度に、深い溝の様なものが形作られて行ったのである。

無表情で皮肉を受け止めた景時が、居並ぶ諸将らを見回すと、畠山庄司二郎重忠を始め、土肥次郎実平や和田小太郎義盛といった思慮深い武将達も表情を曇らせている。

彼らも義経の乱暴な、そして冷酷な遣り方に含むものが有るのだろう。

と、その時、義経の連れ歩いている大柄の僧形の者が声を張り上げた。

「畏れ多くも諸将の皆様に申し上げます!
ここに居られる我が主君九郎御曹司義経様は、この搦手の軍勢の大将軍であり、兄君頼朝様よりこの大役を任じられております!
その義経様の御指示に異を唱えられるという事は、鎌倉に座す頼朝様に異を唱える事と同じ事!いかがで御座るか!」

眼を剥いて朗々と捲し立てる武蔵坊弁慶と名乗る僧形の男に、一同は白けた眼を向けた。

言われなくとも解っている事を堂々と申し立てる事に呆れていたのだ。

誰もが溜め息を吐きたくなっていたが、当の義経は何故か眼を輝かせて弁慶に力強く首肯くと、

「よくぞ申した弁慶!私は兄頼朝より義仲討伐を命じられている!
それが大将軍である私の役目であり、兄の願っている事なのである!
更に平氏を討ち滅ぼす事に関しては兄と私の悲願と言っても過言では無い!
その大望を成就する為には戦さに臨んでの迷いや怯懦な振る舞いなど言語道断!
大義は我らの許にこそ有る!」

一気に言い放つと、一同をギロリと睨み付けて、

「この私が命じたのだから従え!そうで無い物はこの場から去るが良い!
それでもまだ私に何か言いたい事がある者は、勝った後に聞いてやる。
では先程の命令を速やかに実行しろ。以上だ」

一方的に告げると、弁慶を始めとした取り巻きの手郎等ら[家と家の主従関係では無く、私的な主従関係]を従えて本陣から出て行った。

いくら頼朝の“御舎弟義経どの』とは言え、関東の有力御家人達相手にここまで上から目線で命令出来る立場では無い。
そういう事が義経という若者には理解する事が出来無いのである。

河内源氏の嫡流である頼朝の御舎弟[弟]というだけで皆が頭を下げる時代では無いのであるが、義経にはその事がどうしても解らないらしい。

しかも彼は二言目には兄頼朝を持ち出し、この兄を立てている様にも見えるが、兄の権威と己れの権威を同格と信じ、であるが故にそうで無い者らに平然と命令を下しているのである。

つまり、頼朝と己れの政治的立場の違いを認識出来ていない事になる。
この政治的センスの無さが、後の義経に悲劇が見舞う事になるのだが、それはまだまだ先のお話し。


とにかくこの様に無思慮・無分別・無鉄砲な義経ではあったが、この永遠の若者はそれだけの武将では断じて無い。
つまり上記の短所を持ちながらも、戦場では果断・果敢・苛烈という長所をも併せ持っていたのだ。
この両面を持っていたのがこの無敵の若者義経なのである。



非情な命令は直ぐに実行に移された。
松明を手にした関東の兵らは、建ち並ぶ家々を打ち壊し、その建材で矢倉を建てると、家々を放火して回った。

一時は物凄い炎の勢いで、対岸にいる小弥太ら義仲勢にも焔の熱が感じられる程だったが、燃えるだけ燃やし尽くして一帯を焼き払ってしまうと、宇治川南岸には関東勢二万五〇〇〇騎が一箇所に集結出来るだけの広々とした空間が出現したのであった。

と、宇治橋の下流にある中洲、橋の小島ヶ崎辺りで関東勢の騎馬武者が二騎、宇治川に乗り入れ、渡河する様子を見た宇治川方面軍総大将根井小弥太は命じた。


「敵の先陣争いなど勝手にやらせておけ!
敵の部隊が渡河し終えるまで攻撃してはならん!
引き付けてから一斉に矢を放つ!」

程無く関東勢の二騎は宇治川北岸に達した時、関東勢の全軍が動き出し、一斉に川を渡り始めた。
総大将小弥太はじっとその様子を見ながら、

「親忠」
と弟を呼んだ。楯親忠が馬を近付けると、

「親忠。俺と長瀬で敵に仕掛けるが、お前は頃合いを見て全軍を一旦後退させてくれ。オレに考えがある」
ニヤリと笑って小弥太が指示する。

楯は苦笑すると、
「オレの好きにさせろ、って事か?」

「ああ」

「解った。だがその後の指揮は俺が執らせてもらう。
後で文句を言うなよ、小弥太兄」

楯はそう応えると、小弥太から離れ矢を取り出すと弓に番えた。

小弥太も矢を番えて引き絞ると、敵の前衛部隊およそ五〇〇騎程が渡河を終え、喚声を上げてこちらに向かって馬を駆けさせて来る。

「まだまだァ!」
小弥太が全軍を抑える。

敵の第二陣・第三陣が北岸に辿り着いた時、小弥太が咆哮した。


「全軍!射よ!」


攻撃命令と共に義仲勢の矢が一斉に関東勢に襲い掛かった。

「長瀬!行くぜ!」
「応!」

小弥太と長瀬義員が一四〇〇騎を従え、敵に突撃して行く。
その援護の為に楯は残された七〇〇騎の軍勢と共に矢を射続けた。
と、楯の放った矢が渡河している途中の敵の武将の馬に当たった。
が、その武将は川の中で馬を乗り捨てると、何と弓を杖にして前進し、川を渡り終えたのである。

これを見ていた長瀬はすぐさまその武将に向かって行く。
と、替えの馬に跨ったその武将が声を掛けて来た。

「渡河早々に私の相手をしてくれるのは誰か。名乗られよ」

「義仲様麾下の武将!信濃の長瀬判官代義員!其方は!」

「武蔵の畠山庄司次郎重忠!参れ!」

両者は名乗りを上げると同時に太刀を抜き払い、打ち込んで行った。
武将二人は太刀を振るい、撃ち合わせるがなかなか勝負が着かない。
畠山重忠は思い切り良く一太刀受ける覚悟で、長瀬に掴み掛かる。


「!」


重忠の兜に強烈な一撃が襲った。

しかし兜のお陰で太刀は通らない。
重忠は一気に長瀬に組み付くと、そのまま両者は馬から落ちる。

長瀬はその間に脇差しを左手で抜くと、逆手に掴んだ脇差しを重忠の喉元に突き入れようとした時、長瀬と重忠の視線が交差した。

そこにはお互いの覚悟と必死さが見て取れた。
重忠は全体重を長瀬の首に押し付けた太刀に掛け、長瀬の首を掻き斬った。
一瞬で二人の勝負は決まった。が、重忠自身は紙一重の勝負と感じている。それは彼の身体から吹き出る冷や汗がその事を証明していた。




「何!長瀬どのが討たれた、だと!」


楯は郎等の報告に思わず叫ぶ。
戦端が開かれてから間も無くの事であった。

義仲勢搦手宇治方面軍大将三人のうち、一人が討たれた事になる。
早過ぎる死であったが、楯は長瀬義員の覚悟が何となく理解出来ていた。


(おそらく長瀬どのは敵の大将だけを討つべく、撃って出て行ったのだろう。早々に大将を討てば敵の軍勢の動きが鈍る。
それがここを防衛する唯一の方法であると思っていた筈だ)


思えば義仲が挙兵したその時から常に義仲の傍らにあり、共に戦い抜いて来た僚友、長瀬義員である。

派手な活躍こそ無いが、四天王や巴御前、落合兼行や手塚光盛らと同じく、義仲にとっては掛け替えの無い股肱の臣の一人なのだ。

楯は束の間、黙祷すると気持ちを瞬時に切り替え、キッと眼を開け戦況を見やる。


味方は良く戦っていた。
今のところ関東勢の侵攻を食い止めていると言って良い。

だが、関東勢は続々と渡河を終え、遂に対岸に陣取っていた敵の本隊と思える部隊が前進し、渡河を開始したのであった。

それは楯にとって永遠の時間の様に思えた。
敵本隊の渡河する進軍速度が遅く感じられる程。
そう。
楯は願っていたのだ。
早く渡って来い、と。


そして遂に関東勢はその全軍が渡河を終え、宇治川北岸に上陸を完了したその時、楯は号令を発した。


「一旦後退しろ!敵との距離を取る!後退だ!」


命令を受けた義仲勢が後退を始めると、それにつられて関東勢の最前線と中段の部隊が前掛かりに前進した。

この時、関東勢の連携が少し乱れた。
と、
「火付けの大将軍のツラぁ拝みに行くぜ!」


関東勢の部隊を突破した義仲勢の一軍が、関東勢本隊に突撃を敢行したのである。

総大将小弥太率いる七〇〇騎の部隊であった。

「九郎冠者ッてのはどいつだ!
年寄りや子供を焼き殺して大将軍気取ってンじゃねェ!」


まるで喧嘩を売っている様な口上と共に、関東勢本隊に駆け込むと、奥の方で馬に跨った小柄な武将の周りを、郎等と思われる者らが急いで守る様に囲むのを見た小弥太は、

「お前が頼朝の弟か!火事見物の礼だ!受け取りな!」

怒号と共に太刀を引き抜くと、その小柄な武将目掛けて振り下ろした。
小柄な武将はそれを受ける事無く、馬と共に横に避ける。

「名乗りもしねぇか!オレは義仲四天王の一人!
信濃の根井小弥太行忠!
小冠者[小僧]の火遊びを懲らしめにやって来てやったぜ!」

小弥太が更に撃ち掛かろうとすると、

「九郎御曹司!ここは私めに!」

僧形の大柄な荒法師が立ちはだかり、小弥太に長刀を向けた。

「やっぱりお前ェが義経か!」

見ると義経は郎等らに護られ引き退いて行く。

「ちッ!」

小弥太は舌打ちしながら周りを見ると、いつの間にか敵の兵に囲まれていた。


(畜生!ここまでか!)


あと一歩、というところで届かなかった己れの不甲斐無さに小弥太は苛立っていた。



「今だ!全軍撃って出ろ!」


敵関東勢の連携が乱れたのを見て取った楯が今日初めて突撃の号令を掛けた。

敵関東勢の前段・中段と本隊の間に空白というか隙間が拡がっていた。
楯は直感的に、兄の小弥太が本隊に乱入したであろう事を悟った。

(考えってのはそういう事だろ!小弥太兄!)

楯は立て続けに矢を三本放つと、関東勢に殴り込む様にして突進して行く。
後退していた義仲勢が一転して攻勢に出て来た事で、関東勢は浮き足立ち混乱した。
そこに楯率いるおよそ一二〇〇騎の義仲勢が後段の関東勢本隊に直進して行く。


兵員の数では義仲勢宇治方面軍全軍の約十二倍以上を誇る関東勢搦手軍勢であったが、この時の突撃を跳ね返す事は出来なかった。

正に乾坤一擲の特攻とも言える義仲勢宇治方面軍の反転攻勢は、関東勢の前段・中段を突破する事に成功。


「ここで一気に勝負を着ける!続けーっ!」


「「「おおおっ!!!」」」


矢を射尽くした楯は弓を投げ棄て、太刀に手を掛けながら叫ぶと、続く騎馬武者達も応じつつ太刀を抜き払い、敵の矢が降り頻る中、馬を駆けさせる。

義仲勢は関東勢搦手本隊に肉迫していた。



「我は武蔵の河口源三!根井行忠!お前は義仲勢の大将軍と見た!」

「駿河の船越小次郎!根井とやら!参るぞ!」

義経をその眼に捉えながらも、そこで敵の軍勢に取り囲まれた小弥太に、名乗りを上げた関東勢の二騎の武士が左右から同時に組み付いて来た。


「良い度胸だ!」


小弥太は素速く太刀を鞘に納めると、馬に跨ったまま、右腕一本で船越の首を抱え込み、締め上げると同時に、左腕一本で河口の首を脇に挟み込むと、同じ様に強く締め上げたのである。


小弥太に抱え込まれ締め上げられた二人の武士はそのままの姿勢で手足をバタつかせていたが、小弥太は周りを取り囲む敵兵を睥睨しながらニヤリと口許を歪めると、ゴキッと鈍い音が辺りに響いた。

その途端、右腕に抱え込んでいた船越の動きが止んだ。

小弥太は右手で船越の鎧の上帯[鎧のウエスト部分を締めている帯]を掴むや、船越を右腕一気で放り投げた。


と同時にまたもや、ゴキッ、嫌な音がしたと思うと左腕で締め上げていた河口が痙攣した様に震え出す。

すると今度は馬もろとも河口を左腕一本で振り払ったので有る。


小弥太の怪力というか膂力を唖然としながら眺めている関東勢の兵らに向かい、

「また会おうぜ!次は義仲様と一緒に相手してやるからよ!」

くるりと踵を返すと、馬を駆けさせた。

と、そこに楯の率いる義仲勢が関東勢本隊に殴り込んで来たのである。


「小弥太兄!無事か!」


楯が先頭で駆け込んで来ると小弥太に声を掛けた。
その楯の顔は傷だらけになり、血が幾条も流れ、突撃の激しさを物語っていた。


「おおよ!」

「長瀬どのが討たれた!ここは後退して木幡庄で態勢を立て直そう!」
小弥太は驚きに眼を見開く。

「ヤられたのか長瀬が!畜生!なら仕方無ェ!
一旦退いてから仕切り直しだ!」

小弥太は叫びつつ馬を駆けさせると、その横に楯が並んでうまくを近付けて来る。

と、
「小弥太兄!おそらく今頃は勢多方面でも戦いが始まった筈だ!」
楯は北東の方向を指差すと続ける。

「五雲峰と喜撰山の間の空に煙りが上がっているのが見えた!
間違い無い!」

この山城の宇治から近江の勢多までは直線距離で約12.5キロ程離れている。しかもその間には幾つもの山々が折り重なっているのだ。
その空に棚引く煙りなど普通なら目視出来る筈が無い。


が、それを目撃したのは楯なのである。


義仲勢の者なら楯の眼が特別な事は誰もが知っている。
しかも兄である小弥太は幼い頃から弟の眼には、自分の視えないものを視る事が出来るのを知り尽くしているのである。

そしてその眼の他にも不思議な能力が弟に備わっている事も。

「そうか。向かうでも始まったか・・・って!親忠お前!その血!」

小弥太が向き直って応じ、弟の顔を見た時、楯の唇の端から幾条も血が溢れ出している事に気付き、焦って楯の背に眼をやると、そこには数え切れない程の矢が突き立っていた。

その何本もの矢は深々と突き立ち、おそらく鎧を貫通して身体に突き刺さっている事が伺えた。


「大丈夫だ・・・小弥太兄・・・また・・すぐに逢えるさ・・・」


楯は笑みを浮かべて呟くと、崩れる様に馬から滑り落ちた。


「忠親!!」



小弥太は叫び、馬から跳び降りると弟に駆け寄る。
が、楯忠親は既に冥界の門を潜り、この世界では無い別の世界へと逝ってしまっていた。

その口許には笑みがそのまま刻み込まれ、遥か遠くまで見通す事の出来た眼は再び開かれる事は無く、軽く閉じられたまま・・・

小弥太は無言で忠親の口許の血を拭うと立ち上がり、

「先程の指示は撤回だ。
オレはもう一度、敵に突撃をカマし、少しでも敵の侵攻速度を遅らせる。
付いて来たい者はオレに続け。
そうで無い者はここから逃げてくれても構わねェが、一つだけで頼みてェ事がある」

小弥太は静かに告げると兵達を見渡し、

「京六条西洞院の義仲様と、勢多に出陣している兼平に伝えてくれ。
宇治方面軍は敗北。三人の大将は全て宇治で果てた、と」

言い終わると馬に跨り、太刀を抜いた小弥太は、

「今までお前らには世話ンなった。オレは行くぜ。じゃあな」

振り返らずそう言うと、追撃して来る敵に向かって駆け出した。
と、その小弥太の耳に、続いてくる蹄の音が何百と届いた。
この場を離脱した者達もいたが、殆どの兵達は小弥太に続いたのである。



(ありがとよ・・・)



小弥太は心の中で感謝の言葉を呟いていたが、その思いは自分の無茶に付き合わせている事への済まなさの方が強かった。




どれだけ太刀を振るったのだろう。
どれだけの敵を屠ったのだろう。
そしてどれだけの味方の兵を喪ったのだろう。

体力が限界を超え、思考する事もままならない程の疲労の中、それでも小弥太は太刀を振り回していた。

既に馬は倒れ、左腕も切り落とされていた彼は、血と汗に塗れながらただ目前に迫り来る敵に太刀を振り下ろしている。

が、その眼からは涙が零れ落ちている事に、敵は気付く事は無かった。



その涙が弟を喪った哀しみなのか、味方の兵に対する謝罪の思いなのか、焼け出され炎に包まれ殺されていった子供や老人に手を差し伸べる事が出来なかった自分に対する怒りなのか、判別する思考力は既に失われていた。


どっ、と胸の辺りに衝撃が襲った。


眼だけ下に向けると、そこに長刀が突き刺さっている。

小弥太はその長刀の柄を叩き斬ろうと右手の太刀を握り締め直そうと力を込めた。
が、そこまでだった。

右腕がもう小弥太の思う通りには動いてくれなかったのである。


長刀を突き刺した敵の勢いに押され、その場に仰向けに倒れた時、小弥太はもう一つの涙の理由に思い至った。



義仲への想いであった。


ここで斃れることに悔いは無かったが、死ぬ前にもう一度だけ己れが唯一、あるじと認め、共に戦い、共に笑い、共に慶び、共に憤り、共に哀しみ、そして共に生きて来た義仲に一眼で良いから逢いたかったのである。



頭の片隅でその事に気付いた直後、敵兵らが太刀や長刀を何本も小弥太の身体に突き入れた瞬間、小弥太の意識は途絶した。

根井小弥太行忠も、直前までの痛み苦しみ哀しみとは無縁の世界へと去ったのであった。





義仲勢搦手宇治方面軍は壊滅した。
第二軍大将長瀬義員、第三軍大将楯忠親、第四軍大将及び搦手宇治方面軍総大将根井小弥太行忠、そして幾多の将兵が討ち取られて。

ここに義仲四天王のうち、実にその半数が帰らぬ人となったのである。






「さすがに関東勢もこの河の深さではそう簡単に渡河する事は出来まい」

近江国瀬田川の西岸に陣取った義仲勢大手勢多方面軍副将志田三郎先生義憲は、東の対岸に居並ぶ関東勢大手門大軍三万五〇〇〇騎を前に、独り言の様に呟いた。

「・・・とは思いますが・・・」

敵の動静を注意深く見続けていた勢多方面軍総大将今井兼平は慎重に応じたが、やはりどこか気になる。

更に敵を凝視していた時、ふと兼平はある事に気付いた。

敵関東勢の後方に留まっていた部隊が、瀬田川の下流に向けて移動を始めていたのである。
とは言え殆どの軍勢は眼の前の東岸から動こうとはしていない。
が、何か嫌な予感を覚えた兼平は、

「山本義経どの。敵の部隊の一部が下流に向かおうとしている。五〇〇騎を率い瀬田川下流の警戒に当たっていただきたい」

指示した。

山本義恒は近江出身の近江源氏であり、この辺りの地勢には精通していたので、彼に命じたのは当然の事であった。

「解りました。何か起こればすぐ本陣に連絡の郎等を送ります。
本陣はこの勢多橋西岸でよろしいので?」

山本が訊ねる。

「いや。私は六〇〇騎を率いここで敵の出方を見定める。
本陣は近江国分寺の毘沙門堂に置き、そこに志田義憲どのが一一〇〇騎を従えて詰めていただく。宜しいでしょうか志田どの」

「承知した。各隊の連絡は密に取る事としよう。では」

志田義憲が了承すると、義仲勢大手勢多方面軍は三隊に分かれ、一斉に行動を開始した。





「義仲勢も軍を分けましたな。
しかもその一隊は稲毛三郎重成[武蔵の武将。秩父氏の一族]と榛谷四郎重朝「稲毛三郎の弟]の軍勢を追って川下に向かっておる」

関東勢大手の本陣で諸将らが居並ぶ中、千葉介経胤が大手総大将蒲冠者源範頼に向かって言った。

「その追って行った敵の数は?」
総大将範頼が質すと、

「およそ五〇〇騎というところかと。
しかし稲毛・榛谷両隊は併せて二〇〇〇騎以上。まぁ心配は無いでしょう」

経胤が楽観的に応じた。
と、

「いや。そうとは言えないのではないか」
甲斐源氏の惣領武田太郎信義が異を唱えた。

「対岸を見る限り、敵義仲勢全軍はおよそ二二〇〇騎程。
もしこれが総て川下に向かって行ったとしたら、我らの不利となろう」

武田信義は尤もらしく言った。
が、その口調や眼付き、態度には、味方の軍勢を心配している、というよりは何か皮肉めいた雰囲気が漂っていた。

「ほお。では武田どの。一体どうしろ、と?」
経胤が冷たく問い返す。

一口に関東勢と言っても、その内実はやはり手柄と名声を奪い合うライバルの集まりなのである。

その中でも甲斐の武田信義と上総の千葉介経胤は、この軍勢の中にあって常に主導権の取り合いを演じ、反目とは言わないまでも、決して良好な関係では無かった。

それは彼らの自尊心による。

甲斐の武田は富士川の合戦「一一八〇年十月]の折、頼朝に勝利を齎した立役者であったし、上総の千葉介は頼朝挙兵の後、安房に逃亡して来た頼朝の許に上総介広常と共に馳せ参じた功労者なのである。

お互いに張り合うのも当然と言えば当然であった。

「ここは稲毛・榛谷兄弟の部隊に、私の子等二〇〇〇騎程の軍勢を援軍として派遣した方が良い。
そうなれば四〇〇〇対二〇〇〇。我が軍が有利となる訳だ」

武田信義は鷹揚に答えた。
これも尤もな事であったが、彼の本心はここに集まる諸将らの誰もが理解していた。

つまり、この戦いの先陣に私の子等を加えろ、と言っているのだ。
何だかんだと言いながら、結局は身内を贔屓する為のゴリ押しなのである。

と、
「武田どのの申す事は一理ある、と私は思う」
総大将範頼が控えめに発言した。

皆、一斉に総大将に注目すると、
「では
一条次郎忠頼どの[信義の子]・
板垣三郎兼信どの[一条忠頼の弟]に二〇〇〇騎。
それと経胤どのの子息小太郎胤正どの・
相馬二郎成胤どの[小太郎胤正の弟]に二〇〇〇騎。
併せて四〇〇〇騎で先発した
稲毛・榛谷部隊の援軍として貢御の瀬[ぐごのせ。勢多橋から約4キロ下流の具津から南郷に至る東岸の勢。大戸川の合流して地点]に
向かわせる事とする」

範頼はその控えめな態度とは打って変わって大胆な折衷案を提示し、これを決定とした。

どちらか一方を優遇すれば他の一方に角が立つのであれば、両方取り入れてしまえ、という事だ。
始めに別働隊を誰にするかでも揉めた武田と千葉介に、両者とは直接の関係が薄い武蔵の秩父一族稲毛・榛谷兄弟を指名したのも範頼なのであった。

とかく影の薄い印象の大手総大将蒲冠者範頼であるが、意外にもこうした人間関係に於けるバランス感覚は研ぎ澄まされたものも持っていたのでのであった。 


ともあれこうして関東勢は新たに四〇〇〇騎の軍勢を川下に派遣させたのである。




(関東勢は川下で渡河を試みるつもりなのか?・・・しかし一向に敵の本隊が動こうとしない以上、ここを離れる訳にもいかん・・・)


関東勢の新たな動きを眺めつつ、今井兼平は苛立っていた。
四〇〇〇騎の敵の部隊が、先の二〇〇〇騎を追い掛ける様に移動して行ったのだ。

こちらも何か手を打たなければならない事は解ってはいたが、いかんせん兵力が足りない。

三万を超す敵に二千の兵で勝利するなど、兼平の知る限り、敬愛するあるじ義仲にしか出来無い事なのである。
あらためてあるじの偉大さを実感した兼平であったが、自分にその様な器量と才覚が無い事を思い知らされると、小さく誰にも気付かれ無いよう溜め息を吐く。

「泣き言など言っておれん」
兼平は口の中だけで己れに言い聞かせる様に囁くと思考に没頭した。


(敵は併せて六〇〇〇騎が川下へと移動した。
もしこの軍勢か渡河して来るとなると、山本どのの五〇〇騎では到底防ぐ事は出来まい。
敵本隊が動こうとしないのは不気味ではあるが、ここは河幅も広く、川底も深い。万一にも敵本隊がここを渡って来る事は無いと思うが、何か起こったとしてもこの場は国分寺本陣の志田どのに任せ、私は山本どのの援軍に向かった方が)


ここまで考えた時、兼平は決断した。

「我らは川下に向かった山本どのの部隊と合流を図る!」

兼平は号令を掛けると、郎等を呼び、

「国分寺本陣の志田どのに報せろ。我ら六〇〇騎は山本どのの援軍として川下に向かう。志田どのはそのまま本陣で警戒し、この場の瀬田川西岸には見張りの兵を置いておく、と」

「はっ!」

郎等が応じ、馬で本陣に向かって駆け出すと、兼平は軍勢に向かい、

「急ぐぞ!続けーっ!!」

命じると土煙りを蹴立てて軍勢は駆け出して行った。



「敵が上陸する前に射落とせ!矢が尽きても構わん!」

山本義経は矢を番えつつ指示した。
対岸の敵を追跡して行くうちに、近江生まれの山本は、敵が渡河を試みるのなら、貢御の瀬しか無い、と狙いを付けて先回りしたのであったが、現場に到着してみると、既に敵関東勢の先陣が川に入り、渡河している最中だったのである。

山本はすぐに五〇〇騎の軍勢を西岸に展開させて迎撃の態勢を整え、


「射よ!」


山本の号令が掛かると、川の中程で馬と共に渡河して来る騎馬武者に向かって矢が放たれた。

(敵の行動は速い!危うく敵の渡河を宥してしまうところだった!)

矢を射続けながら山本は、手遅れになる前に敵と遭遇出来た事に一瞬だけ安堵したが、そうするうちに矢を射尽くしてしまっていた。

周りの兵達も同様に既に矢をもう射尽くした者が多くいた。
山本は弓を投げ棄てると、太刀を引き抜き、

「川から上がって来た敵を討つ!
敵は慣れない渡河で疲労している筈だ!
一騎もここを通してはならん!続けーっ!」

自ら先頭に立ち、敵目掛けて突っ込んで行った。

山本に従う近江衆は良く戦った。
五〇〇騎の兵が六〇騎にまで減らされても戦い続けた。

その中に兵達を鼓舞し続け、汗に塗れ、矢を受けても馬上で太刀を振るっている大将山本義経がいた。

しかし彼の意識は朦朧とし、その意識の表面に浮かんで来るものと言えば、彼の息子錦織義広の事だけであった。



(今、ここでこうしているのが義広、お前でなくて良かった・・・
しかし己れがあるじと認め、従うと決めた者の為に一命を賭すのが武士というもの・・・いつかお前にも解る日が来るだろう・・・

お前があるじになっても良いし、誰かに従っても良い・・・
が、義仲どのな様な武将はそうは現れないだろう・・・
であれば私は案外、幸せ者だったのであろうか・・・)


この様な事を思いながらも、山本の身体は太刀を振り下ろし、手綱を引き、敵に太刀を突き入れていた。
彼は忘我の中に於いても、悲壮感は無く、それどころか満足感にも似た高揚感に包まれながら戦っていたのである。

と、山本が突き入れた太刀が敵の鎧に当たった弾みに、中程から太刀が折れた。同時に敵の武者が太刀を振り翳して飛び掛かって来る。

不意を突かれた山本は馬上で姿勢を崩した。 
敵の武者は身体ごと山本にぶつかって来ると、その勢いのまま両者は馬から転げ落ちる。
山本の喉元に太刀を押し付けたまま。

どさり、と両者が地面に倒れ込んだ時には、山本の首は胴体から斬り離されていた。



義仲勢の中でも、最も新しく義仲麾下の武将として戦列に加わっていた近江の山本義経は、力の限り戦い、その生涯を戦いの中で終えたのであった。





兼平率いる六〇〇騎の援軍が貢御の瀬の戦場に到着したのは、正にこの時の事であった。

既に山本が率いていた五〇〇騎の近江衆は僅か二〇騎程までに激減し、敵の軍勢に囲まれているのを見て取った兼平は、

「味方を守る!全軍!突撃しつつ矢を放て!」

素速く命令を発し、立て続けに三本騎射すると、後続の軍勢からも一斉に矢が放たれた。
思わぬ方向からの攻撃に関東勢は一旦、包囲を解き、僅かに後退した。

その隙に兼平は山本の部隊の残兵と合流を果たすと、

「今井どの!既に我らの将山本さまは敵に討ち取られました!
我らもここで今井どのと共に戦い、義経さまの後を追いたく存じます!」

生き残った近江衆が懇願した。
が、
「ならん!其方達は良く戦った!この上は国分寺毘沙門堂の本陣へ向かえ!
戦況を志田どのに報せろ!ここは我らが引き受けた!」

近江衆や山本の郎等達の心情は痛い程、理解出来たが、兼平は心を鬼にしてその願いを撥ねつけた。

まだ敗けていないのである。

口惜しそうな表情をしている近江衆に念を押す様に、

「早く行け!まだ戦いは始まったばかりだ!」

厳しく兼平が命じると、近江衆はハッと我に返った様な顔になる。

「解りました!今井どの!我らはこれより本陣に後退します!御武運を!」

近江衆の一人がそう応じると、二〇騎の近江衆は連なって戦場を離脱して行く。
その様子を横眼で確認した兼平は、



「ここで敵の侵攻を阻止する!掛かれーっ!」


号令を掛けた。

兼平率いる軍勢は戦いを有利に展開してしていた。
それはおそらく山本隊の敢闘により、関東勢の将兵の数が減っていた事。
そして疲労が関東勢を襲っていた事。
これらの要因により互角以上に渡り合い、関東勢をこの貢御の瀬に釘付けにした事で、侵攻阻止が成る、と兼平や将兵達が僅かな期待を抱いていたその時、関東勢の援軍が姿を現したのである。


既に渡河を始めているその軍勢は、ざっと四〇〇〇騎以上。

兼平は一瞬呼吸することを忘れ、冷たい汗が背中に伝うのを感じながら、新たな敵に向かって行こうとしたが、この新手の軍勢は渡河し終えると貢御の瀬で交戦している味方の関東勢や兼平の軍勢を無視するかの様に、義仲勢がここまで来た道を逆進して行く。



(奴ら!我ら勢多方面軍の本陣国分寺毘沙門堂を突くつもりか!)


新手の軍勢の意図を悟った兼平だったが、今、戦っている敵だけで手一杯であり、新手に差し向ける軍勢などある筈も無かった。
しかし、ここ貢御の瀬で戦い続けたところで、敵の侵攻を阻む事は出来無い。

兼平は即座に決断すると、

「全軍!転進だ!
貢御の瀬を放棄し、これより国分寺の我が本陣に向かう!
だが、我らが通って来た石山通りとは別の経路で本陣に戻る!
付いて来い!」

命令し西の方角へと馬を向けると、軍勢を引き連れて一気に駆け出した。
本陣を陥されたら関東勢の侵攻を阻む事など不可能となる。

だからと言って敵の新手と同じ道を戻る事になれば、本陣に辿り着く前に兼平の軍勢は敗北してしまうだろう。

従って多少の遠回りをする事になるが、別の道で本陣に戻る事を選んだのだ。とにかく軍勢を再集結させなければ、関東勢の大軍に対抗する事は出来無い。


こうした事を瞬時に判断し、兼平は決断したのである。
その間にも、関東勢は続々と瀬田川を渡って行く。
その軍勢の列は途切れる事無く続いていた。

関東勢大手三万五〇〇〇騎は、この貢御の瀬から渡河する事に決したのである。
これを阻む者は、この瀬にはもう存在していなかった。






「敵がこちらに向かって来ます!
その数はおそらく万を越えるものと思われますが、詳細は不明!
切れ目無く敵軍が続いて来ます!」

悲鳴の様な郎等の報告に、志田三郎先生義憲は、


(遂に来る時が来たか・・・)


と覚悟を決めると、
「本陣の防御に徹し守りを堅めよ!
今井どのが戻って来た時にこちらから撃って出る!
それまでここを死守せよ!良いか!」
兵達を激励した。

が、その兼平や山本が進軍して行った石山通りから敵関東勢が侵攻して来ているのだ。
志田義憲は不吉な想像を追い出す様に頭を振ると、弓を手に取り毘沙門堂から出て行く。
彼の耳には何百何千という蹄の音が近付いて来るのが聴こえていた。


「矢を番えよ!」


志田義憲は号令を掛けつつ、自分も矢を番えると弓を引き絞る。
敵の軍勢が見えて来た時もそのままじっと動かずに待つ。

本陣の外側は喧騒に包まれていたが、本陣の中は誰もが無言で固まった様に弓を引き絞ったまま、静寂に支配されていた。

と、
「射よ!」
志田義憲の命令が発せられると、何百という矢は関東勢に降り注いだ。
それは一方的な戦いとなった。

関東勢は戦端が開かれた直後、国分寺毘沙門堂の義仲勢本陣に火矢を射掛けて来たのである。
毘沙門天は間も無く火焔に包まれると、国分寺の建物にも延焼し、瞬く間に毘沙門堂は灰塵に帰した。

義仲勢は防戦する前に本陣を陥されてしまったのである。
その煙りは天に高く唸る様に上がっていった。


「京の義仲どのに伝えよ!勢多方面軍の敗北は必至!
敵関東勢は既に瀬田川を渡河し、京に向かって侵攻中である、と!」

志田義憲は郎党に命じると、全軍に向かって声を張り上げた。



「もはや撃って出るしか無い!全軍で敵に撃ち掛かる!
覚悟を決めよ!続けーーっ!!」



「「「ぅおおおおおっ!!!」」」



本陣である毘沙門堂が焼け落ちると共に、志田義憲率いる一四〇〇騎の軍勢は、国分寺を半包囲している関東勢およそ二万騎以上の軍勢の一画に突撃してして行った。



(義仲どの。私は其方の事を実の子の様に思っていた。
一族内で啀み合い、殺し合う様な抗争を見続けて来た私には、其方の存在は奇跡のように思える)



敵の騎馬武者に向けて矢を射る。



(その父子の争いや兄弟間の憎しみにほとほと嫌気が差し保元の乱[一一五六年]の後、わたしは京を捨てて常陸[茨城県]志田庄に隠遁したが、そこでも)



掴み掛かって来た出来た兵を闇で打ち据え、太刀を抜く。



(この年齢になって甥の頼朝が手下を使って私に襲い掛かって来るとは)



敵兵の太刀を払い、突く。



(頼朝よ。お前は父の義朝にそっくりだ。
お前が私を見る眼付きは兄義朝と同じ冷ややかなものが隠しても滲み出ている。そんなところだけは良く似ておる)



手綱を引き、馬の向きを変える。



(義仲どのにはその様なところが微塵も無い。
呆れる程、無垢で。呆れる程、情け深く。呆れる程、人を信じる)



繰り出された太刀を躱し、敵の眼を見る。



(その様な者が我が河内源氏に生まれて来るとは)



敵も見返して来た。
眼が合う。



(行き場を失った私を迎え入れてくれて、こんな私を叔父として敬意を払い常に立ててくれた)



首を目掛けて太刀を突き出す。



(其方の逢えた事で私は源氏という一族に誇りを持てた)



躱された。



(其方と逢えた事が奇跡に思える)



敵の太刀が振り下ろされる。



(人生の最後で其方に出逢えた事、神仏に感謝し)



志田義憲の首筋に太刀が深々と食い込んでいた。
いや深々と斬られていたのである。

敵の武士はそのまま力任せに太刀を押し込む。
と、そこから夥しく赤黒い液体が噴き出す。


志田義憲は太刀を握ったまま落馬した。
赤い液体が飛沫を上げて飛び散る。
志田義憲は絶命していた。






前方に煙りが上がって行くのを見た時には、心臓を掴まれた様に感じていた。
迅る気持ちを抑え、軍勢を一旦、山に留め置いた兼平は、単騎で国分寺が臨める所まで来ると、既に毘沙門堂やその他の堂宇は焼け落ち、炎上している建物から炎と煙りが上がり、累々と斃れ伏した味方の兵や、首の無い兵の姿が眼に飛び込んで来た。



(遅かった!私はまたも間に合わなかったのか!)



己れの不甲斐無さに怒りを抑える事が出来無い兼平は、叫びたくなるのを辛うじて堪えていたが、その握り締められた拳は震え、噛み締められた奥歯からは、ギリッと亀裂でも入ったかの様な鈍い音が鳴った。

山本義経・志田義憲が討たれる前に駆け付ける事が出来なかったからである。

怒りで大きく見開かれた眼には関東勢の姿が見当たらなかった。
既に敵が京へと進軍している事に思い当たると、兼平は軍勢の許に引き返し、自分の眼にしたものを兵達に説明した後、

「既に本陣は陥落し、勢多の防衛線は破られた。
こうなった以上、私は京に戻る。が」

兼平は一旦言葉を切ると皆を見渡し、

「私と共に京へ向かうのは二〇〇騎程。残りの四〇〇騎は」

何事かを事細かに指示し終えた兼平は、二〇〇騎を従え、西へ向かって駆け出した。



京へ。
義仲のいるところへ。




「行家と思われる落武者が紀見峠[大阪府と和歌山県東部に跨がる山]を越えて行った、との目撃情報を得ました!」

「いつの事だ?」

「昨日の朝、との事です!」

郎等の報告を受けた行家討伐軍の四天王筆頭樋口兼光は束の間、考え込むと組んでいた腕を解いて、

「行家を討ち果たすまでは京に戻らないつもりでいたが、今は奴一人に拘わっている時では無い。とにかく河内[大阪府南東部]や和泉[大阪府南西部]から奴を追い出した事で良しとしよう」

兼光は千野光広に向かって言うと、

「これで平氏の御幸を邪魔する奴はいなくなった訳だ。
であれば我らは急ぎ京へ戻らねばならん」

千野は首肯きつつ応じた。

「いつ関東勢が京へ雪崩れ込んで来るか判らんからな。
いや・・・既に京では・・・」

兼光は答えたが、その声は消え入りそうな程、小さくなっている。

「今、俺たちに出来る事は一刻も早く京へ戻る事だけだ!
義仲様の待つ京へ!」

千野は兼光の不安を吹き飛ばすかの様に、勢いを付けて馬に飛び乗りつつ声を掛ける。

兼光は馬上の千野を見上げながら頷くと、馬の鞍に手を掛けて、


「これより我らは京へと戻る!
が、遅れた者を待つ事無く先を急ぐ事になる!良いな!」

告げると、鎧に足を掛け馬に乗り込むや、

「行くぞ!」

一声、号令を掛け奔り出した。


その後を千野以下五〇〇騎の軍勢が続いて行く。
北へ。
義仲や皆のいる京へと。




一月二十日。
運命の日の出来事である。
だがこの日はまだ終わらない。
義仲勢にとって一番長い日は、まだ続いているのである。