源氏編 1 源義賢の独白(後編)
今日は久寿二年[一一五五]八月一六日。
私は大蔵館[埼玉県比企郡]にいた。
大抵、大事件が起こった時には、朝から嫌な予感がしたとか、縁起の悪い事があったとか言われるものだが、そんな事は一切無かった。
今日は昨日より良い日になり、明日は今日より良い日になればいいなと何と無く感じられるような長閑な日であった。
普通に朝を迎え、昼を過ごし、夜になろうという頃
「義賢どの!来て下され!義賢どの!」
岳父の重隆どのの叫び声が大蔵館に響いた。
私はその声を聞き居室から飛び出し
「どうなされた!重隆どの!」
答えながら外にいる岳父のもとへ向かった。
「大変じゃ!義賢どの!こっちじゃ!矢倉へ参られよ!」
見ると、岳父は郎等らと共に門の上の矢倉から私を呼んでいる。
急いで矢倉へ駆けつけ、急な階段を登り終えると
「あれを見られよ!」
矢倉の上からは周囲を見渡す事が出来る。
反射的に岳父の指差す方に目をやる。
そこから見た光景に、私は一瞬絶句した。
「!!」
軍勢が見えた。
今、ここを攻めようとする者など、兄義朝の手の者しかいない。
(マジかよ・・・やられた!!)
館からそう遠くない所に武装した騎馬武者達がこちらへ向け馬を走らせている。ぱっと見、二百騎くらいはいる感じ。周りを見ると、もう一つの方向から別の軍勢もこちらへ向かって来ていた。
(二方向から敵に攻め込まれた!ヤバい!奴ら本気だ!)
「急ぎ防戦の準備だ!矢戦さの仕度をしろ!
門を閉ざして閂をかけろ!馬の仕度もだ!急げ!急げ!」
私は大声で指示を出し、郎等らを矢倉に残し、岳父と一緒に屋内へ向かう。だが心の中では
間に合わんな、
と、
どこか冷めた自分がいる。
「義賢どの、私は郎等と共にこの館で防戦いたす。
その間に義賢どのは逃げて下され!」
さすが秩父一族の惣領[トップ]秩父重隆どのだ。言う事が違う。
だがもう間に合わない。そこで私は
「いや私もここで戦いますよ、重隆どの」
「しかし!」
「聞いて下さい。先程矢倉の上から見た限りでは、敵は二方向から各々二百騎は引き連れてこの館に攻め掛かってきています。北と東からです。
敵は我らの味方への道を閉ざしてから、ここを攻めたのでしょう。
ならば逃げても無駄です」
「確かにその通りじゃ義賢どの。あの一瞬でそこまで敵の行動を読めるとは、さすが源氏じゃ」
「そのさすが源氏が油断してこのザマです」
二人で思わず爆笑した。
いいぞ、落ち着いてきた。
「私に一つ考えがあります。敵が館を取り囲む前に、小枝[義賢の妻、義仲の母]と駒王丸[後の義仲]と宮菊[義仲の妹]を脱出させ、この館の近くに隠れさせて置き、敵が去った後に、南か西ヘ落ち延びさせようと思いますが」
「ふむ、いい考えじゃ。というかそれしか打てる手は無いのう」
「だから私はここが討たれてやらねばなりません」
「その通りじゃなぁ」
「では重隆どのは北の敵を。私は妻と子らを脱出させてから、東の敵に当たります」
「判った。さらばじゃ、ムコどの。御武運を」
「はい。岳父上も御武運を」
お互い目を見ながら挨拶する。
穏やかな表情だった。
その後、妻子の所ヘ行き、有無を言わさず連れ出した。
時間が無かったが妻の小枝、子の駒王丸[二歳]を抱きながら、これだけは言った。
「良いか駒王。お前達が運良くここを逃れて、成長する事が出来たら、何があっても同族や家族に弓を引くような事をしてはいけない。
私や私の兄弟達のようになってはいけない。
それは愚かな事だ。
良いな駒王。優しい人になれ。
では頼むぞ小枝、さらばだ」
駒王丸の頭を撫でてやり顔を見る。
可愛くて仕方が無い。が、今言った事など何も分かっていないだろう。
だが、駒王丸は頷いてくれた。
涙を浮かべている小枝を急がせ、郎等を付けてやり館から脱出させた。
その足で東の矢倉に向かう。
矢倉に登り敵を見た。
まだまだ矢の届く所へは来ていない。
間に合った。
取り敢えず妻子を落とす事が出来た。
空は薄暗くなってきた。郎等らに弓を構えさせ待つ。
すると敵が大声を上げつつ矢を射て来た。一気に騒々しくなる。応戦してこちら矢を射る。矢合わせが一段落したところで
「何者か!名乗れ!この野盗ども!」
盗賊などでは無い事を知りながら大声で叫ぶと
「盗賊などでは無い!」
と敵の軍勢から一騎、前に出て来た者が答えた。
「俺は鎌倉悪源太源義平だ!義賢!出て来て正々堂々勝負しろ!」
は?
何言ってんのコイツ?
取り敢えずツッ込んでおこう。
先ず
奇襲掛けといて正々堂々勝負?
アホか、コイツ。出て来い?出て行く訳無えじゃん。
バカか、コイツ。
鎌倉悪源太?初めて聞いたよ、そんな二つ名[ニックネーム]。しかも自分で名乗っちゃってるよ。ちなみに二つ名を自分で名乗る奴はいない。私の元上司も悪左府と呼ばれていたが、自分から悪左府と名乗った事は無い。
悪源太ってのを分かり易く訳すと、『鎌倉に住む強く猛々しい源氏の長男、義平だ』となる。
普通ならハズかしくて言えない。
多分、他人が付けた二つ名では無く。自分で考え出して付けちゃったんだろう。中ニ病のヤンキーってところか。
自分の事、特別だと思ってるんだろうなぁ。
とは言えこの子は私の親戚だ。
兄義朝の長男義平である。
確か一四、五歳だったと思う。私の甥である。
やはり兄が私を討とうと、自分の息子を差し向けてきたらしい。
そこまで私が邪魔だったのか。
いや、私だけで無く父や弟達までも邪魔に思っているに違い無い。
殺したくなる程。
身内ですらこうなのだ。これから兄は、兄と考えを異にする他の者も邪魔に思い殺そうとするだろう。
遣り切れ無い気持ちになった。
思えば、兄は小心者だ。
だからだろうか変に気位が高く、自分以外の全ての人を見下していた。
そのまま大人になったのだろう。
だが、兄の心は兄のものだ。
私には判らない。
今さら考えても仕方が無い。
今は戦いの時だ。
敢えて自分を鼓舞し
「笑わせるな!この小冠者!この首が欲しければ取りに来い!」
言いつつ矢を射る。
義平が矢を避け、後ろの侍に当たり、侍は倒れた。
「どうした小冠者!達者なのは口だけか!」
見ると義平は顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる。
キィィーーーッとでも言いそうな表情だ。
ごめん義平。自分で悪源太なんて名乗ってるくらいだから、小冠者[小僧、ガキ]は一番言われたく無い言葉だったんだね。小冠者は言い過ぎた。叔父さんが悪かったよ。
「掛かれーーーーッ!」
義平の号令がかかり、戦闘が激しくなった。
後はもう何も考えずに戦った。
手傷を負いながら弓、槍、長刀、刀と武器を持ち替えつつ、一ヶ所に留まらずにとにかく戦う。
その時、急に辺りが明るくなった事に気付いた。
見ると館に火がかけられている。
空は真っ暗だ。いつの間にか日が沈んでいたらしい。
時間の感覚が無く、戦いが始まってからどれ程の時が過ぎたのか判らない。すると遠くで声が聞こえた。
「この畠山重能が討ち取ったぞ!秩父重隆を!これが重隆の首だ!」
「おおーーーーッ」
そう言っている。畠山重能?聞いた事がある。
畠山は秩父と同じ一族で、重能は確か、私の岳父重隆にとっては甥にあたる筈。
そうか。
岳父上も同族に裏切られ、自身の甥に討たれたのか。
本当に遣り切れなくなった。
急に体に負った傷が痛み出した。
その時、背後から
「ここにいたか!義賢!」
振り向くと義平が刀を提げこちらに向かって来る。
私も同族に攻められ、自分の甥に討たれるのか。岳父上と同じく。
私の心はとても悲しい気持ちになった。
岳父上の重隆が討たれだからでは無く。
ましてや自分が殺されるから悲しくなったのでは無い。
同族同士で殺し合い、そしてその事を誇っている奴がいる事が悲しかった。
実の叔父の首を掲げて悦んでいる重能。
そして目の前に近付いて来る義平。哀しい奴らだ。
「義賢ァ!いつまでも逃げ回ってんじゃねえよ!
楽には死なせねえ!さっきはよくも・・・・・・・」
もう私は聞いていなかった。
義平に心の中で語り掛ける。
義平、お前は私を討つ事で、やっと皆に悪源太ど呼ばれるようになるだろう。だが、それは決して褒め言葉では無い事にお前はいつまでも気が付かないだろう。
まぁいい。
全てが悲しくなった。
義平は何か叫びながら斬りかかって来る。
分かったよ義平。最期まで付き合ってやるよ。
私は刀を構え、義平に斬りかかって行った。