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義仲戦記48「迫りくる厄災②」

「敵の城門が開かれました!おそらく撃って出て来るものと思われます!」

「籠城する利を自ら捨てるとは・・・何を考えているのか、奴らは・・・」

家人の報告に呆れた様に呟く本三位中将平重衡は、能登守教経に眼をやると、教経はニヤリと口元を歪めて答える。

「自棄になった訳でも無かろうよ。重衡どのの援軍が到着した事で、更なる援軍が来る前に一暴れした後でここを引き退くつもりであろう」

「しかし忠度どのの五〇〇〇騎が到着したとしても我らは総勢一万三〇〇〇騎。敵は二〇〇〇騎で籠城しておればまだまだ戦えると思うのですが」

重衡は敵の行動の不可解さに納得が行かない様に首を捻っている。
と、

「敵にも援軍のアテがあるのなら重衡どのの言う様に籠城を続けるだろう」

「ではこれが最後の抵抗である、と?」

「おそらくな。であれば奴らを片付ければ、一連の叛乱騒動に一応の決着を着ける事が出来るという事だ」

教経はそう答えると、床几から立ち上がり歩き出す。

「教経どの。出撃なさるのか!?」

重衡が焦って訊ねる。
本陣の陣幕に手を掛けた教経は、顔だけで振り返ると、

「これが済んだらいよいよ京に還れる。
だが、それを遅らせてくれた奴らには、きっちりと御礼をしてやらんと俺の気が済まん。
本陣の指揮は重衡どのに任せた。行って来る」

口元には笑みが浮かんでいたが、その眼には獰猛な光を宿して、教経は本陣を出て行った。

「奴らに我ら平氏の強さを思い知らせてやれ!
一撃で仕留めるつもりで敵に向かう!
追撃の事など考えるな!続けーーーっ!」

能登守教経は軍勢の先頭で号令を掛けると、四〇〇〇騎が一丸となり敵に突撃を敢行した。


戦いは間も無く終わった。
叛乱軍は城から出撃して武士としての心意気を見せるだけで精一杯だったのである。

教経率いる四〇〇〇騎の平氏方はただ一度の突撃によって、この叛乱軍を蹴散らし、撤退へと追い込んだのであった。

叛乱軍を率いていた臼杵二郎惟隆と緒方三郎維義は船で鎮西[九州]に逃げ帰り、河野通信も這々の態で伊予に逃げ帰った。

備前今木城での戦いが終わったその時、薩摩守忠度率いる五〇〇〇騎の援軍が戦場に到着したが、彼らはそのまま海路で福原へと蜻蛉返りする事となった。

教経と重衡も海路で福原へと凱旋したのであった。

こうして瀬戸内海沿岸で多発していた平氏に対する一連の叛乱は悉く鎮圧され、西国は平定され終結した。

年が明けた寿永三年[四月一六日改元、元暦元年。一一八四]一月二日の事であった。



叛乱鎮圧の報が齎された福原では、戦勝の興奮といよいよ京へと出発出来る慶びに、一門全体が歓喜に湧きかえっていた。

しかも、この続発していた叛乱の全てを能登守教経とその配下の軍勢だけで平定させた事も、この歓喜により一層、花を添えていたのである。

「能登守教経・本三位中将重衡・薩摩守忠度の帰還を待って、京への御幸を決行する」

総帥宗盛が満を侍して告げた時、おおおおおと晴れやかな歓喜の響めきが一門の公達から上がった。

宗盛の視線を受けた軍事総司令知盛は一礼し、居住まいを正すと、

「出発は今月の十日。
京への到着予定は十四日とする。
御幸の先頭は三位中将維盛どの・新三位中将資盛どの。
但しこの御幸には万全を期し、越前三位通盛どの,皇后宮亮経正どの{清盛の弟経盛の長男。無冠大夫敦盛の兄]は一隊を率い御幸の行列より先行し、道中の哨戒と警備に当たれ。
行列の最後尾には門脇宰相教盛どのが後方の警戒に当たる。
では御幸の準備に怠りの無いよう」

指示した。

が、公達や女官らは応じる事無く、すぐさま立ち上がるとそれぞれの準備の為、広間より退出して行った。
皆の表情は明るく希望に輝いている様である。

そのいそいそとして弾む様な足取りが、応答であったのである。


「いよいよだな、知盛」

「はい。これで背後を気にする事無く上洛する事が出来ます。
一門の皆は良く辛抱してくれました」

宗盛も喜びを隠す事無く弟に声を掛けた。
と、何かを思い付いた様に知盛は、

「これで予定が立ちました。
京の義仲どのにその旨、報せておきましょう。
西国を平定した我らは今度こそ遅れる事無く十四日に京に帰還する、と」

必ずそうさせて見せる、との意を込めて力強く告げると、宗盛も大きく頷くと呟いた。


「ああ。今度こそ」





「鎌倉からの頼朝の代官九郎冠者義経らの動向が気に掛かる。
これよりは物見の郎等を頻繁に偵察に出す事とする」

六条西洞院仮御所の一室で義仲が言った。

ここに集まっているのは例によって義仲勢の司令部たる四天王・落合・巴御前・覚明・光盛の八人であった。


一月六日。
この日、頼朝の代官一行がどうやら二手に分かれ、それぞれ美濃[岐阜県]と伊勢[三重県]に到着した、との朝廷からの報告を受けた義仲は詳細を掴む為、偵察の郎等を送る事にしたのである。


「しかし五〇〇騎程度の兵を分けるとは・・・」

四天王筆頭兼光が不審を表に呟くと、

「不可解な動きではあるな・・・
だが、朝廷からの情報では全く全容が判らん・・・」

光盛も同じ考えらしく怪訝そうに応じた。

「だから偵察を出すんでしょ。光盛ぃ?
あの晩あれだけ説教したのに、いつまで経っても心配性なんだからぁ」

戦う美少女が笑顔で言い放つと、光盛は苦笑せずにはいられなかった。

あの晩、とは巴御前に無理矢理、酒を付き合わされた晩の事であった。
酒にも強い戦う美少女は溜まっていた憂さを晴らす為、光盛相手にクダを巻き、挙句の果てに説教までしたのであるが、光盛が限界を越え先に酔い潰れてもその耳元で、

「ほらぁ!聴いてる?しゃんとしなさい光盛!
だいたい!アンタは物事を悲観的に見過ぎるの!
だから!いつもいつも滅入る様な事ばっかり・・・」

延々とその説教という名の個人攻撃が朝まで続くという悪夢の様な晩であった。

翌日、光盛が宿酔いの頭痛と吐気と闘いながら蒼白い顔で院中警護に当たった事は言うまでも無い。

しかし驚くべき事に戦う美少女は一晩徹夜で呑み明かし、溜まりに溜まった毒を吐き出したお陰か、その日も輝く様な笑顔と美しい長い髪を靡かせ、普段通り美少女然と振る舞っていたのはさすがであった。


「急に代官一行が尾張から動き出したとなると、関東の方で何かあったとも考えられる」

「親忠。ハッキリ言えよ。鎌倉から軍勢が派遣されたかも知れないってな」

小弥太が言い放つと、その場に冷たい風が吹き込んだ。

「私もそうではないか、と考えている。
だとするとどの位の規模の軍勢が派遣されたのかを、是が非でも知っておきたい」

義仲は殊更穏やかに告げた。
部下の前では焦りを見せる事は禁物だ。
焦燥は伝染してしまうからである。

しかしその眼には隠し切れない真剣さを帯びている。

「鎌倉の動きが思ったより早い、と思います。
ここは警戒してもし過ぎるという事はありません」

「そうだな。兼平」

兼平に笑みを向けて応じた義仲は
続けて、

「最重要で東方の警戒に当たる事とする。さて、ここで一つ朗報が入った」

書状を懐から取り出し、皆に見せる。

「て事は、平氏方になンか進展があったンすか?」

小弥太が前のめりに尋ねる。

「ああ。備前国今木で最後の叛乱勢力を鎮圧、西国を平定したそうだ」

「ではいよいよ京への帰還が果たされる訳ですね」

「そうだ光盛。
書状には今月十日に福原を出発、十四日に入京する、とある」

「何で五日間も日数に掛けるんだか・・・京落ちした時には一日で福原まで行ったってのに・・・」

「あのなぁ覚明。平氏もあの時は必死で退去したから速かったんだ。
今回は威儀を正しての御帰還となれば、それなりに日数は掛かろう」

兼光がツッ込む。

「こうなると関東の代官一行より、一足早く平氏方が入京する事になる。
まぁギリギリの線ではあるが」

義仲は考えつつ呟く。


「関東に対する牽制になる事でしょう。幾ら何でも我らと平氏方を相手に都の中で戦いを挑んで来るとは思われません。」

「光盛ぃ。ソレは判らんよ。
頼朝にして見れば斃すべき敵が一箇所に集まったって事になるんだ。
奴なら一気に義仲様と平氏方を討ち果たす為に、この京でそのぐらいの事はヤって来るかもよぉ」

「覚明あなたね、どうしてそぉ余計なコトを言うかなあ?」

「だって俺、あんまり他人のコトを信用してないから。
しかもそうなるとヤダなぁって思う事の方に現実って転がって行く事の方が多いってのが、俺の考え方の基本だし」

「それも輪を掛けて余計な一言だな。人は信じないけど仏は信じるってのは坊主としては良いんだか、悪いんだか」

「あ。楯はいつも俺を坊主らしく無いって言うけどさ、それって」

「そんな事はどうでもいいんだ!」

兼平がキレると、ぴた、と話しが止む。


義仲は鬼の形相で皆を睨み付ける兼平に、まぁまぁと仕草で宥めると、

「先程、光盛が言っていた関東に対する牽制として、もう一つやって置く事がある」
告げた。
皆は兼平がキレた事など無かったかの様に義仲に視線を集める。
彼がキレるのはいつもの事だからだ。

「本日、十日の叙勲で私は征東大将軍に就任する」

「あ?どうせなら征夷大将軍の方が良くないすか?
その方が強そうだし偉そうだし」

「強くて偉きゃ良いってもんじゃ無いでしょう?
小弥太はいつもそぉよねぇ」

「考えがあるんだ。
私は平氏と同盟を締結した以上、東から近付きつつある関東勢にのみ対抗する、という事を当の頼朝、そして平氏方に表明する手段として敢えて征東大将軍に就く」

義仲が説明すると、

「確かに今の状況では、征東大将軍の方が相応しく思われます。
しかもその真意は頼朝にも平氏方にも伝わる事でしょう」

兼光が眼を見開いて応じた。
その手があったか、とその表情が語っている。

義仲は、無闇やたらと己れの官位官職を上げていた訳では無く、自分に関する官職を用いて政治的メッセージを頼朝と平氏方の双方に送っていたのである。

人事というものが武器にもなり得る、という重要な事を知っていたからこそ、この様にしたのだ。

そして一般的に組織の中で最も権力を持つ者こそ、人事を掌る人間なのである。


 現在、法皇や朝廷の公卿らを含めて人事を左右する事が出来るの者は唯一人、義仲なのであった。従って京で彼がこの時、もっとも強力な権力を持っていた事に他ならない。だが、義仲はこの己れの握る権力を慎重に扱っていた。確かに法皇の乱後、役人四十四名の解官という大鉈を振るった事はあったが、それは乱の責任を問い、これを主導した法皇取り巻きの近臣のみに限られ、無関係であった公卿や貴族らに累が及んだ訳では無い。
 必要であれば人事権を行使する事に迷わなかった義仲である。この時も、そうする事が頼朝や平氏方に対しての政治的メッセージとなり得る、と考えた結果なのであった。



そして一月十日。



「これより我ら一門は主上を奉じ、故郷たる京へと御幸する!
昨年七月から約半年間以上に及んだ西海巡幸はこれをもって終わりを告げる!我らは確かに逃げ出した!
京から落ちた、とまで言う者もいる!しかし我らは帰還する!
顔を上げ、胸を張り、逆境を跳ね返した一門の結束と誇りと共に、京の羅城の門を潜ろうではないか!」

平氏方軍事総司令新中納言知盛が、一門の者達に檄を掛ける。
と、


「「「おおおおおっ!!」」」


野太い雄叫びが福原に迫る高倉山に反響し、須磨の浦に寄せる漣に響き渡った。

総勢二万五〇〇〇騎を擁した平氏一門は牛車や御輿を連ね、将は馬に跨り、整列している薙刀を持った兵達は旅立ち直前の興奮に包まれている。

「既に斥候として越前三位通盛どの、皇后宮亮経正どのが先発しているが、護衛の者は常に四方の警戒を怠らず、主上を護り参らせる事を心掛けよ!
御幸の先頭は三位中将維盛どの、新三位中将通親どの両名が務め、御幸の列を先導する!
では出発する!京へ帰るぞ!」


「「「「おおおおおおおっ!!!」」」」


知盛の号令に応えた雄叫びは先程よりも大きく、さながら轟音となって大空の大気を震わせた。

維盛と通親は視線を交差させ、大きく首肯くと馬を静かに進ませる。

その維盛は晴れやかな表情で口許に笑みを浮かべていたが、瞳には既に光るものが滲んでいた。


こうして平氏一門は旅立った。
一路、京を目指して。




同日。同時刻。
京に於いて。

従四位下、院御厩別当伊予守兼丹波守源朝臣義仲は征東大将軍に就任した。

だが、この日から京ではまたも不穏な流言蜚語が飛び交い始めたのである。


曰く
『義仲と平氏は和睦したが、いつまで経っても平氏が京に帰還しないのは、義仲に対し平氏が不信感を持っているから』とか。

曰く
『いや、義仲は法皇を北陸に連れ去ろうのしているらしく、これを聞き付けた平氏が義仲に不信を持ったのだ』とか。

曰く
『いやいや、義仲が向かうのは近江だ。勿論、法皇を伴って』とか。

曰く
『いやいやいや。義仲が法皇を連れて北陸に向かう事を諦めたのは“法皇を京に帰還した平氏に預け、義仲は近江に退くべし”という神仏の御告げがあったからだ』等々。

とにかく、実に様々な噂や風聞が生まれ、乱れ飛ぶ事になっていたのである。当然の事だが、民衆や僧侶、そして武家や貴族、更には公卿や法皇を巻き込んで。

彼らも何かを感じ取っていたのである。

何か、とは、彼らの住む京やその周辺で静かに進行している事が、いよいよ切迫したものになろうとしている事が。

それが具体的にどの様な事が起こり、その結果どの様な結末に至る事になるかなど判断出来る筈も無かったが、とにかく何か重大な事が起ころうとしている事は予感していたのであった。



「このところの義仲の警戒ぶりを見ていると、おそらく関東からの軍勢が京に近付きつつあると思わざるを得ません」

「そうであれば、どんなに良い事でしょう」

丹後局は疲れを滲ませた声で応じた。

その美しいかんばせに幾分の窶れを見て取った宰相中将通親だったが、話しを続けた。下手な同情など丹後局には似合わないし、彼女の方でもそんな同情など必要とした事は無かったからだ。

「そうなると法皇陛下の身辺に、これまで以上の危険が及ぶ事態に備えなくては」

「まあ。通親どのまで噂や風聞をお信じになりますの?」

「そうではありません」

通親は被りを振ると、周囲を警戒してか声を潜め、

「流言はともかく。義仲が何を考えているのか判らない以上、警戒して置くに越した事は無いでしょう。
関東勢が上洛するのであれ、平氏が帰還するのであれ、とにかく次に起こる事態は京や法皇陛下を巻き込む事は自明の理ですから」

囁く様に言った。

通親が周りを憚るのは、ここが六条西洞院内裏であるからだ。

御所とは言え、義仲の京での本拠となっている邸なのである。
しかもその警備は厳重を極め、ここを訪れる公卿や貴族らは、その用件を警護の将に申告した後でないと法皇に謁見出来無くなっていた。


そこで通親は、現在二条南閑院殿に居られる主上[後鳥羽天皇]の使者という名目で、六条内裏を訪れ、法皇に謁見し一応の挨拶を終えると、御機嫌伺いを装い、こうして丹後局と会っていたのである。

さすがに法皇と対面を望む者のチェックは厳しいが、その法皇お付きの女官に会う事は、それ程難しい事では無かった。

しかし後鳥羽天皇の使者と称した通親であるが、実際に彼は後鳥羽天皇の側近としての顔も持っているのである。

この源通親という男は、平氏全盛の時に平教盛[門脇宰相。清盛の弟。能登守教経や通盛の父]の娘を娶り、高倉天皇[安徳天皇の父]の近臣となったが、平氏が西海に落ち後鳥羽天皇が即位するや、後鳥羽天皇の乳母高倉範子を側室に迎え、後白河法皇や後鳥羽天皇の近臣として常にその政治的立場を変幻自在に更新させるという、実に宮廷政治家の見本とも言うべき見境いの無い、見上げた政治家なのであった。


「万が一、義仲が噂の通り法皇陛下を連れ出しいずこかへ向かう素振りを見せた時には」

「ここ六条西洞院内裏を抜け出せ、と仰るの?」

「いえ。それは危険過ぎます。その様な事はせず、ただ何が起ころうとも陛下のお側を離れずにいる事です」

通親は真剣に告げた。

見境いの無い男ではあるが、その行動力と働き振りは見上げたもので、この時も自身の危険を顧みず、真摯に法皇と丹後局の身の安全に心を配っていたのである。

「それでは義仲の言いなりになっておれ、と?」

その美しい相貌を吊り上げ気味に丹後局は言い返した。

「そうです。私が義仲なら、畏れ多い事ですが法皇陛下を盾に取り、人質として鎌倉の頼朝と対抗するでしょう。平氏に対してもです。
であれば法皇陛下の身の安全こそ義仲が全てを揚げて護って行かなければならない以上、陛下や丹後どのの安全は保証される事となります」

「皮肉なものですわね。あの義仲に護って貰う事になるとは」

ようやく丹後局は笑みを浮かべると、ふふふと口許を押さえて小さく笑った。通親の言う事に納得した様である。

「せいぜい義仲には苦労して貰いましょうか。
丹後どのもこの内裏から逃げようなどとせず、義仲に我儘を言っておやりになれば多少の憂さ晴らしにはなりますよ」

「そうですわねぇ。それも良いかも知れませんわ」

二人は眼を見交わすとどちらとも無く含み笑い、いや忍び笑いをしていた。
武士とは違う意味での肝の太さ、これが貴族の、或いは公卿としての政治家の図太さであった。




「明日は平氏一門が京に到着する事となります。
どうです義仲様?我らの方から誰か将軍を送り出迎える、というのは」

四天王筆頭兼光が書状を書いていた手を休め、顔を上げて義仲に問い掛けた。
征東大将軍に就任したとは言え、書類作成の事務仕事が無くなった訳では無く、官位官職が上がり役職を兼務すればする程、事務仕事は多くなるのが、この世の慣いというものである。

この日も義仲と兼光、覚明は丹後国[京都府北部]に領地を持つ在庁官人に宛てた下知状や、但馬国[兵庫県北部]の平季広・季長に宛てた狼藉停止の下文を作成していたのであった。

署名と花押を記し終わった義仲は、手元から視線を上げると、

「私もそう考えてはいた。例えば楯か光盛を迎えに出す、と。
彼らは一度、平氏の本陣に赴いた事があり、平氏の諸将達にも顔を知られているのでな」
穏やかに応じた。

「考えてはいた、という事は今はそうお考えでは無いので?」
兼光が更に尋ねる。

と、
「別にソコまでしなくても良いんじゃ無いすかねぇ。幾らやんごとなく幼い御方を御連れしているからって帰り道が分からない訳じゃ無いっしょ」

覚明が自分の肩を叩きながらのんびりと言った。
どうやら覚明も仕事が一段落したらしい。
続けて、

「向こうから何も言って来ないって事は、順調に京に向かってるって事っすよ」

伸びをしながらあくび交じりに言う。
その様子に思わず吹き出した義仲は言う。

「はは。覚明の言う様に私も考え直したんだ兼光。
不測の事態に備えて我らは動かない方が良い、と」

「解りました。些か待たされ過ぎて焦っていたと思われます。
申し訳ありませんでした」

兼光が自嘲気味に詫びた。

「今回は待たされる方もキツいけど、待たせる方も気が気じゃ無いでしょ。俺は待つのは大っ嫌いだけど、待たせるのは全然平気だけどさ」

覚明が破顔して言い放つ。

「まぁ、明日んなりゃ判りますよ」

覚明の言葉に、義仲と兼光は苦笑するしかなかった。




翌、一月十四日。


この日、確かに平氏の家人が京へ到着した。
しかし、それは急を報せる平氏方からの使者であった。


「我ら一門の御幸の行列は摂津千里山の東方を淀川に向け進行中でしたが、警備の斥候に先行させていた通盛様と経正様の部隊より、河内方面より我ら御幸の行列に向け軍勢が北上しているとの報告を受け、御幸の隊列は一旦停止、一門の公達の皆様は今後の事に付き協議中で御座います!
この軍勢を率いている者はおそらく新宮十郎行家との事で御座います!」


だんっ!


と広間の床が鳴った。

驚いた平氏からの使者や、ここに集まっていたら武将達がその音のした方に眼を向けると、義仲が拳を床に叩き付けていた。

麾下の武将達は、あるじが激昂した姿を初めて眼にした事に茫然としていた。

拳が細かく震え、噛み締められた奥歯から何か絞り出すような呟きが洩れている義仲は、普段の穏やかな彼とは掛け離れていた。

一同が驚愕のと茫然の入り混じった眼であるじを見ている時、一人、傷ましそうな眼で義仲を見詰めている者がいた。


(こんなに怒った駒王丸、いや、義仲様を見たのは、いつ以来の事かしら・・・)


戦う美少女こと巴御前は哀しげに追憶に浸ろうとしたが、その時、

「失礼した。使者どの驚かせて済まない」

それでも義仲は鉄の意志で自分を取り戻すと、穏やかに使者に詫びた。
しかし、その床に叩き付けた右手の拳の皮膚は破れ、血が滲むどころか滴り落ちている。

「使者どの。一門の皆様は現在、協議中と申されたが、新宮行家の事は我らに任せて貰いたい」

「・・・義仲様。では・・・」
使者が呟く。

「行家は我らが討ち果たす!
平氏一門の京への帰還を邪魔する者は全て我らが!」

覇気を帯びた鋭い声が響く。


怒りを内に秘めた義仲の眼は精悍さを増し、身体が一回り大きくなった様に、見る者は感じた。
が、その美しさは些かも損なわれてはいない。
いや、むしろ覇気と怒気を帯びたことにより、一層美しさが研ぎ澄まされたかの様であった。

義仲は使者に最後にこう告げた。

「私はいつまでもお待ちしております、と宗盛どの・知盛どの・一門の皆様にお伝え下さい」

その口調は穏やか、というよりは優しげですらあった。
だが、握り締められた拳からは血が滴り続けている。

戦う美少女は心配そうに、その義仲の流れ出ている血に、いつまでも視線を注いでいた。




昨年の十一月二七日、備前国室坂山に於いて、追討大将軍に任じられ増長した挙句、平氏方に戦いを挑み、己れの郎等の二人を除いてほぼ全滅の浮目に遭った自称大将軍行家であったが、彼は毎度のごとくこの危機を脱した後、和泉国に流れ着き、そこから河内国へと移動、この国の石川判官代家光という武士に憐れみをかって救けられ、河内長野市にある石川城で復活の機会を伺っていたのであった。

そんな折、西国から平氏一門が京に向かって移動を開始した時、この自称大将軍は、

(今こそワシの力を見せ付けてくれる!
法皇からの指名を受けたこのワシ!
追討大将軍備前守新宮蔵人行家の真の恐ろしさをナ!)

とヤル気になって、止せば良いのに奮い立ち、救けてくれた恩人石川判官代家光を巻き込んで一旗揚げてしまったのである。

勿論、彼は義仲と平氏との間で同盟が結ばれている事など知る筈が無い。
というか、その様な事は彼の認識の外にある。

それにもし知っていたとしても、この時と同じ様に妨害としか思えない様な行動に打って出た事だろう。


彼は己れが這い上がる為だけに行動しているのだ。


それが義仲にとって最も効果的な妨害手段である事など、気付く事すら無く、彼は彼だけの為に良かれと思った事を実行しているに過ぎない。
何であれ行家は、懲りないヒト、であった。

いや、もしかしたら彼の中には“懲りる”という言葉とその概念が存在していなかったのではなかろうか。
行家はそのまま存在自体、迷惑であったが、その行動に於いても、迷惑極まり無い存在だったのである。


それはともかく、殆ど忘れ去られていた行家はこの時期、誰もが望まぬ復活劇を演じる為に、反撃の狼煙を上げたのであった。






「では義仲様。この度は必ず、あの老人の首を挙げて見せます。
それまでは戻らぬ事となりますが、早々に行家を討伐して立ち返ります」

馬上で四天王筆頭樋口兼光がそう請け負うと、

「頼む」
義仲が応じた。


平氏一門の御幸の停止と行家の挙兵の報に接した義仲は、もう迷わなかった。
同族であり、叔父である行家を討伐する事に。


思えば常に行家の言動や行動には頭を痛め、多大な迷惑を被って来たのである。


今回の事は、その行為の中でも最大にして最悪の迷惑行為であった。


そこで義仲は、兼光に一〇〇〇騎の兵を与え、行家討伐を決意した。


「これより行家めが根城にしている河内国石川城へと進軍する!
目指すは行家の首唯一つのみと心得よ!出陣!」

この軍勢の副将千野光広が号令を掛けると、一〇〇〇騎の軍勢は六条西洞院御所を出陣して行った。
馬の蹄の音と将兵がその身に纏う鎧の立てる音と共に。
一月十五日の事であった。







そうなったら嫌だ、という方向に現実は進行する。
こう言ったのは覚明であったか。

更にこう付け加えざるを得ない。
その様な凶報は一つで終わりでは無く、立て続けに幾つもの凶報が齎されるものである、と。




一月十六日。

この日、以前に美濃・伊勢方面に偵察に出していた郎等らが帰還し、京の義仲に齎された情報は、先日の行家挙兵、平氏方御幸一時停止、以上の最悪の凶報であった。


「美濃より近江に達した関東勢はその数およそ三万騎以上!
その侵攻は速く勢多に向け直進中!」

「伊勢を発した関東勢は既に伊賀を越え山城に達し、宇治に向け猛進中!
その数およそ二万騎以上!」


六条西洞院御所の広間に集まっていた義仲麾下の武将達は、冷や汗が吹き出る不快感と重々しく伸し掛かる痛い程の静寂と闘っていた。
その郎等らの持ち帰った情報は、ただ単に大軍勢がこちらに迫っている、というだけのものでは無く、鎌倉の頼朝の本心が具現化したものとして彼ら諸将達は受け止めていた。


頼朝の本心、いや、言い過ぎでなければ“悪意”と呼ぶべきかも知れない。


その“悪意”が大軍勢という圧力を伴って二方向から、この京や自分達をその牙で喰い千切る様を想像して。


ここに集う誰もが、やられた、との苦い思い、いや、後悔の思いにじりじりと焦がされていた。
思い返せば、頼朝は初めからそうであった。


以前、信濃に前触れも無く侵攻して来た時も、彼は和平を望んた訳では無く、戦いをこそ臨んでいたのだ。
それを義仲が不利な条件を呑み、子の義高を人質として鎌倉に差し出す事で戦いを回避したのである。


“十月宣旨”の時もそうだった。
頼朝は法皇と結び、義仲の支配圏を縮小または強奪し、義仲に対する追討の院宣まで手に入れた。


そして今回の迅速な大軍勢の派兵。


この事は、頼朝はいつでも義仲を討つ為に準備をしていた事を意味する。
そして頼朝にとっての好機が訪れた時、彼は彼の敵を討ち滅ぼす為に迷わずその大軍勢を送り出したのである。
頼朝は初めから義仲の事を、競合する邪魔なライバル、或いは討ち果たすべき敵、としか認識していなかったという事だ。

それでも今までは義仲の方が強く、その軍勢が多大で精強を誇っていた時には手を出せずにいた。

それが一旦、弱まったと見るや、直ちにその本心である“悪意”の牙を剥き出し、狩りを始めたのである。

狡猾ではあるが、それが現実であり、それが頼朝という人間の本質なのであろう。



だが、頼朝は少なくとも正直ではあった。
彼は初めから義仲に対する悪意を隠したり、糊塗する事無く、徹頭徹尾『私の野望を邪魔する者』として義仲と対していたからだ。

その事は義仲も痛い程、感じていた。

それどころか事態がこの様に切迫したものになった事の責任を、誰よりも重く感じていたのも義仲だったのである。


何故か?
お人好しだからか。
違う。


それは頼朝の侵攻を呼び込んだ原因が、己れの勢力が弱まった事にある、と知っていたからだ。


頼朝の本心であれ悪意が何であれ、彼はもう強い相手に喧嘩を売る様な馬鹿な真似はしないからだ。

それがこの様になった、という事自体、義仲の勢力が弱まった事の明らかな証左なのである。

義仲は胸を突かれる程の痛みを感じつつ、己れの力の無さを自覚せざるを得なかった。



義仲は事ここに至っても、頼朝を恨んではいない。
事態がこの様になってしまった責任を、頼朝に転嫁しようとはしない。

ただただ重く自責の念を感じていた。

義仲は何があっても義仲なのである。
悪意が、運命が、世の中の動きが彼を翻弄したとしても、義仲は義仲である事をやめなかった。


「こうなれば我らに残された手段は一つしか無い」
義仲は静かに語り始めた。

その落ち着き払った口調に、諸将達は今更ながら瞠目している。

「戦いが避けられないなら撃って出る。
京を戦火に巻き込まない為には、この方法しか残されていないのだから」

荒ぶる事無く、狼狽せず、焦らず、淡々と為すべき事を為す、という感じて義仲は告げた。


追い詰められれば追い詰められる程、その落ち着きを増して行くのは義仲の特質であり、その真骨頂であった。
彼は続ける。

「現在、行家を討伐する為に一〇〇〇騎を樋口兼光と千野光広に率いさせ河内に派遣している。
残った我らの軍勢は四五〇〇騎。
我が軍の吉例に倣い、七つに軍勢を分けることとするが、
既に行家討伐に派遣している兼光・千野の軍勢を第一軍とし、
第二軍の大将を長瀬判官代義員。
第三軍の大将を楯親忠。
第四軍の大将を根井小弥太行忠。
各軍にそれぞれ七〇〇騎を配し、この第二・第三・第四軍総勢二一〇〇騎を搦手[別働隊]として宇治方面軍となし、敵関東勢の搦手の侵攻を宇治川で阻止する。

次に第五軍の大将を志田三郎先生義憲どの、山本義経どの。
第六軍の大将を今井兼平。
第五・第六の各軍にそれぞれ一一〇〇騎を配し、この総勢二二〇〇騎を大手[本隊]として勢多方面軍となし、敵関東勢大手の侵攻を勢多で食い止めよ。

そして第七軍は二〇〇騎となし、那波広純・多胡家包・津幡隆家・越後中太能景・落合兼行・巴御前・手塚光盛・大夫坊覚明そして私がここに残り、六条西洞院御所の防衛に当たる事とする」

告げ終わった義仲は、口許に笑みすら浮かべて一同を見渡すと、感謝の込められた視線を麾下の武将達に投げ掛けた後、穏やかに言う。


「この出陣を命じる時、それはまず間違い無く私も含めて皆の生命に直結する危機が迫った事を意味する。
それも悲観的な結果の方にだ。
である以上、故郷や領地に家族・兄弟を残して来た者達、或いは心残りがある者達は遠慮無くここを立ち去り、その生命を繋いで欲しい。
私はそれを止めようとはしない」


当たり前の様に告げられた時、麾下の武将達はもう驚きはしなかった。
この状況にあって当然の様にこうした事を平然と口にし、しかも本心からそう望んでいるのが我があるじ義仲である、という事を彼らは知り抜いていたからである。

と、
「まァそうしたい奴もいるんでしょうが」

のんびりと声を上げた者がいた。
根井小弥太行忠である。
彼はそう前置きすると、高らかに告げる。

「オレは武士として生まれ、生きて来た以上、死ぬ時もまた武士で在りたい、と願っている。
死を免れた奴なンていねェんだし、幾ら嫌だっつっても死の方からやって来やがるンだからな。ならオレは最期まで抗って、戦って果てる事の方を選ぶ。長生きしたい奴に文句を言うつもりは無ェが、いつかやって来る死を怖れながら老いて行く、なンてのはオレのガラじゃ無ェし、今まで信じて従い、その下で共に戦って来たあるじを今更変えるなンて器用なマネはオレには出来無ェ。
義仲様や皆んなと共に戦い抜いて来た事がオレの誇りだし、共に果てる事になるとしても上等だ。
それがオレの武士としての甲斐性ってヤツだからな」

小弥太は自分の想いと本心を語ったに過ぎない。
が、図らずも彼の口にした事は、他の武将達の想いと願いを代弁したかたちとなった。


諸将達はお互いに首肯き合い、胸を張ってあるじにその熱い眼差しを無言で注いでいる。
その決意の籠った視線を受け止めた義仲は、居住まいを正すと深々と皆に向かって頭を下げると言った。


「有難う。そして済まない」





十月宣旨を巡る暗闘や、後白河法皇の乱[法住寺合戦]の対処や乱後処理に忙殺されていた義仲は、京では法皇や朝廷を抑える事に成功し、平氏方との同盟関係の深化も同時進行させていたが、その間に鎌倉の頼朝に先手を取られてしまっていたのであった。

それは関東の大軍勢の上洛を宥してしまった義仲は後手に回り、相手が繰り出して来る事に対処するしか無い状況に追い込まれた事を意味する。
もはや戦いを回避する段階では無く、いかに京を巻き込む事無く防戦に徹する事しか、義仲に残された選択肢は無かった、と言って良い。
正に悪夢の様な状況であった。




「私は五〇〇騎を率い城門に攻め掛かる!
千野は残りの五〇〇騎で裏門から逃れる敵を逃すな!行け!」

行家討伐の第一軍樋口兼光が命じると、彼の率いる五〇〇騎は長野石川城の城門に肉迫して行く。
それを横眼に千野も五〇〇騎を率い裏門に向け、城を回り込んで行った。

すると長野石川城の裏門は既に開かれ、そこから騎馬武者が数十騎程、南に向け駆け出して行くのが見えた。

「逃げ去る奴らを追う!一〇〇騎程で良い!付いて参れ!
残りの四〇〇騎はここで出て来る敵を討て!」

千野は命じると馬を駆けさせる。
千野には一早く逃げ出した奴らの中に新宮行家がいるであろう事を確信していた。


「逃がさんぞ!行家!」


一声叫んだ千野は、矢を番えると逃げて行く先頭の者に向けて矢を射た。
と、千野に続いた一〇〇騎からも次々と矢が放たれて行く。
矢に射られ落馬して行く者らを横眼に見ながら、行家は必死で身体を屈めて馬にしがみ付いていた。


(こんな所で死んで堪るか!
ワシにはまだまだヤらねばならん事があるんじゃ!)


行家は降り注ぐ矢の雨の中、眼を閉じて馬を駆けさせている。
時折、兜に矢が掠め、鎧に当たる矢の感触だけを感じながら。


思えば行家という男は誰からも認められた事の無い男であった。
実の肉親である父や兄達からも。

父である為義には何が原因だったのかはもう憶えていないが子供の頃から早々に見限られ、偶に顔を合わせる事があっても、この父は行家に声すら掛ける事無く、まるでいない者の様に扱われた。

その父為義は自分の子であっても、いや、自分の子であるが故に、気に入った子とそうで無い子の好悪が激しく、一旦嫌った子には全く眼を掛ける事無く関係の薄い他人の様に接して行くのが常であった。

全く酷い性格であるが、これが河内源氏の特徴と言えばその通りで、代々親兄弟で啀み合い、血を流し続け内紛が絶えない理由は、こうした事にあったのである。


そんな事が続いてか、行家は同じ様に父から疎まれている一番上の兄義朝に親近感を抱いた。
が、その兄義朝にも行家は軽く扱われた。


唯一、自分と境遇が似ているこの兄からも、その存在を認められる事の無かった行家は、二十五年前の平治の乱「一一五九]の折、義朝軍に加わっていたにも関わらず、自軍が不利と見るや一早く兄義朝も見限って逃げ出したのであった。


これは行家からすれば一種の復讐であった。
己れの存在を認めなかった者への。


それ以来、行家は味方を裏切り、逃げ続ける事で他者の信頼や信用を失い続ける事になるが、そこにこそ彼の歪んだ自己肯定の意識があったのである。

行家は一早く逃げる事で、戦いを敗戦に導いた真の原因が『敵が強くこのワシでは敵わなかったワイ』では無く、『このワシが本気で戦わなかったから敗けたのじゃ!』と思い込む事で『実力のあるワシが戦場から離脱した以上、勝つ筈が無い!』という屁理屈を造り出し、その空虚な自意識を満たしていたのである。


それが行家の復讐なのであった。


そして彼は逃げる事で、逃げ続ける事でその生命を繋いで来たのだが、いつしか逃げる事そのものが彼の目標であり、目的になってしまった事に気付かない彼は、今日もまたその目的に向かって逃げているのであった。

既にそこには復讐の思いは無い。
有るのは復讐の手段としての逃亡では無く、ただ自己意識を満たす為の目的としての逃亡なのである。

憐れ、という他に形容する言葉を見付ける事が出来無い。

しかし彼は逃げ続ける。
おそらく、その行家という存在が消え果てるまで。

ふと気付くと、既に矢は飛んで来なくなり、いつしか追撃して来た敵の姿も見えなくなっていた。
今日も行家は逃げ延びる事が出来たのである。


周囲を見回すと、自分以外は三騎の郎等が残っているだけであり、その他は全て討ち取られたのであろう。


「こうなってはやむを得ん。ワシらは紀伊國名草「和歌山県和歌山市]に向かい、態勢を立て直す事とする。行くぞ」

行家は郎等らに変えを掛けると、先頭で南西に向かって駆け出して行った。



「済まない、兼光どの。四騎見失ってしまったが、おそらく奴はこの四騎の中にいたのだろう・・・行家に逃げ切られてしまった・・・そちらは?」

「城に籠っていた石川判官代蔵人家光を討ち取り、石川城を陥した。
一七〇名は討ち取った事になる。が」

千野の問い掛けに応じた兼光は、表情を緩める事無く続けた。

「何としても行家を討ち果たす。それまでは戻らん、と義仲様に誓った以上は」

千野も首肯くと答えた。

「逃げた方向からすると紀伊の名草の辺りか。
まさか新宮までは逃げられまい」

「そんな所まで行かせて堪るか。名草の手前でケリを着ける」

兼光は直ぐに馬に跨がると軍勢に向けて、

「これより我が軍は逃げた行家に追撃を掛ける!
向かうは紀伊國名草!行くぞ!」

号令を掛けると一〇〇〇騎の軍勢は直ちに追跡を開始した。
彼らの狙いは唯一つ。
新宮行家の首級のみ。
一月十八日の事であった。



翌、一月十九日になっても、京の義仲の許には未だに行家討伐の成功の報が届く事は無く、京に帰還の途に着いている平氏方の御幸の行列は停止したままで、義仲にして見れば総てが停滞したまま、この日の夜明けを迎えたのてあったが、鎌倉より派兵された関東の大軍勢だけはその侵攻を止める事無く、刻一刻と京に近付いて来ている。


事ここに至り、遂に義仲は命じた。


「鎌倉より来たる敵関東勢に対し、京の防衛の為に出陣を命ずる。
以前に申していた通り、第二・第三・第四軍搦手二一〇〇騎は宇治方面軍として宇治川に防衛線を築き、敵関東勢搦手の侵攻を阻止。
この搦手の総大将は根井小弥太幸忠に任じ、副将を長瀬判官代義員・楯親忠に任じる。
次に第五・第六軍勢大手の二二〇〇騎は勢多方面軍として瀬田川に防衛線を築き、敵関東勢大手の侵攻を阻め。大手の総大将には今井兼平。副将を志田三郎先生義憲どの・山本義恒どのに任じる。
では出陣せよ」


「「「「おおおおおっ!!!」」」」


「「「「おおおおおっ!!!」」」」


義仲勢大手・搦手の将兵四三〇〇騎の出陣の雄叫びが地を揺るがし天を震わせた。

そして六条西洞院御所から、二方向へ続々と騎馬武者達が出陣して行く。
御所に残るは第七軍の僅か二〇〇騎の将兵に過ぎない。
が、その中には上野の那波広純・多胡家包。越後の中太能景。加賀の津幡隆家。信濃の落合兼行・手塚光盛・戦う美少女巴御前といった歴戦の勇者達が御所を、いや、何よりあるじである義仲を護るべく残っていたのであった。


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