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岐阜県と義仲(随時更新中)
岐阜県は長野県と隣接し、義仲の伝承が多く残されています。
伝承とともに、義仲が生きた時代、その後の岐阜県とのつながりをご紹介します。
2024年初秋岐阜県にて開催される「義仲巴ら勇士讃える会大会」まで、内容を更新して参ります。
☆ページ立ち上げ2024年5月27日
☆最新2024年6月10日伝承地図追加。
Googleマップ内のデータから各伝承の詳しい内容が見られます。
一位ノ森八幡神社(いちいのもり)
義仲が1181(養和元)年正月に飛騨国へ観察にきた際、源家の氏神八幡大神を勧請鎮祭し、愛用の鉾・太刀等を奉納したという。社宝に仏像四体その他多数があり、区内には義仲及び木曽家に関する幕の原、駒懸岩、長峰古戦場の遺跡がある。
岐阜県高山市高根町日和田字中村垣内821番地
縣神社(あがたじんじゃ)
義仲の子孫ゆかりの神社。1654(承応3)年村人達が当地の豪族西部義久を慕って建てたもの。西部氏は義仲7代の孫、木曽又太郎家村の代に西部と姓を改めたという。西部家3代の家頼の時後醍醐天皇に仕えて建武中興に軍功があり、義久の父伊勢茂昌は、武田信玄に仕え、武田勝頼死後は農州に入り、織田信秀に仕え、その後秀吉に追われ、美濃國に退き、義久父子は曽代に住みついたという。
岐阜県美濃市曽代287番地の1
白山神社(岐阜県郡上市)
義仲が戦死した後、今井兼平の老臣・清水嘉藤治が逃れ来て庵を結んで主家の冥福を祈りつつ狩猟を業としていたという。ある日猟に出て深山に入ると熊の群れに遭遇し襲われそうになった。そのとき兜神として肌身離さずもっていた守護神を一心に祈念すると、その威力で不思議にも熊は退散して危害を免れたという。清水嘉藤治は山を下りてこの奇異な霊験を村民に語り、祠を庵室の傍らに建立したという。その後も屡々種々の奇瑞があり村
もっとみる八幡神社(岐阜県下呂市)
今井兼平の長男・貞信の末裔(今井次良左ェ門忠親)が元和6年に創建した神社。義仲亡き後、貞信は宮田村に来住したという。その後23代忠親が祖先兼平貞信の守神と崇むる八幡宮を今井の宅跡に勧請し、今井八幡宮と称したという。この時宮田組白山社も共に奉祀したという。
岐阜県下呂市萩原町奥田洞86番地