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縣神社(あがたじんじゃ)

義仲の子孫ゆかりの神社。1654(承応3)年村人達が当地の豪族西部義久を慕って建てたもの。西部氏は義仲7代の孫、木曽又太郎家村の代に西部と姓を改めたという。西部家3代の家頼の時後醍醐天皇に仕えて建武中興に軍功があり、義久の父伊勢茂昌は、武田信玄に仕え、武田勝頼死後は農州に入り、織田信秀に仕え、その後秀吉に追われ、美濃國に退き、義久父子は曽代に住みついたという。

岐阜県美濃市曽代287番地の1

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