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源氏編3 志田義広②

「…!!!…」
「ほほほ…ほんとうだったとは…」
「…はあぁ…帯刀先生(たてわきせんじょう)ってすご…」
「都のよりぬきの…という…」
「…まじで顔採用…」
「あのようなかんばせ、生まれて初めて見ましたわ」
「…とおとい…」

海野の館では都からやってきた客人を迎えるため、近隣の豪族の館から奥方たち、娘たちが集められ宴の準備をしている。
豪名轟く清和源氏の来訪は怖れに似た緊張感を女性たちの間にもたらしていたが、二人の武将がふいに現れると、大広間であわただしく動き回っていた手を止め、こらえきれないため息とともに感嘆の声が上げた。

帯刀先生とは、皇太子の親衛隊の隊長をさす。武芸に秀でていることはもちろんだが、見た目の美しさも重視される役職だ。その大役に兄弟で次々と選ばれていたのが源為義の息子たちだった。
その源義賢・義広兄弟が、遠い都から関東へ向かうため、信濃で一夜の宿を取ろうとしていた。

「いやいや義賢様、義広様今しばらくお待ちくださいませ!」
慌てて館の主人・海野幸親が飛び出してきて二人を制止したが
「形式ばらなくてよい。みなさん、お気軽に!」
「…どうぞゆっくり準備してください」
大広間のはしにどっかりと座り込んでしまった。

その姿は戦に慣れた猛将というより、鎧はまとっているものの雅な風情を醸し出していた。ちょうど夕日が差し込み、彼らの輪郭を黄金に輝かせている。
二人を海野の館に案内してきた依田も、海野幸親も、おもわずうっとりとみつめてしまったほどだ。

源義賢は微笑みながら遠慮なく館の女性たちに目を向けた。
「信濃のおなごたちは働き者とみゆる。てきぱきと気持ちよいな!」
「兄上、そんなにじろじろと見ては失礼では…」
対する源義広ははにかみながら女性たちを見ないようにしている。

ー兄上はいつも堂々としていらして…それに対して私は…。
 宴のようなものも気が進まない…ゆっくり外の空気でも吸っていたい…。
 どこに行ってもこれだ…疲れる…。


あたりが暗くなるころ、宴ははじまった。
並べられた信濃特有の料理に義賢・義広は目を見張り、その様子を豪族たちは誇らしげな顔で見ている。芳しい香りを放つ大きなキノコ、黄金色に輝くまるまるとした栗。新鮮な川魚は塩焼きにされ数えきれないほど並べられている。青菜は大きなくるみと和えて盛り付けられている。
若干の下ネタをはさみながら、男たちの楽しい会話が続く。間を縫うように女性たちが酌をしたり、食器を下げたり、せわしげに動き回っている。遠慮なく熱っぽい視線を投げかけてくるものもいる。義広は誰とも目が合わないようにうつむき加減で酒を飲み続けていた。

「ずいぶん飲んで…お強いっすね!」

一人の武者が声をかけてきた。義広の目にまず鍛え上げられた腕が目に入った。黒々と日に焼け、機敏な野生動物のようにひき締まっている。

―すごい腕だ。きっと武芸もすごい腕なんだろうな

酔ってきたのか、独白もなにやらおかしい。義広がふと顔をあげると、好奇心に満ちたまんまるな瞳がすぐ近くにあった。

「…つおいわけれはないのれふ。」

ふと口を突いて出た言葉に、義広本人も、武者も、これはまずいと直感した。

「大丈夫っすか?」

「…らいちょうふれはなしゃしょうれふ」

「失礼!」

武者はすっと義広の身体を支えて起ちあがり、大広間から運び出した。
義賢が心配そうに視線を送ったが、周りを囲む武者たちに次々と話を振られて、場から動くことができなかった。


「…か…かたじけない…」

風通しの良い軒下にうづくまって義広はつぶやいた。

「水っす。」

「…」

器になみなみとつがれた水を義広は少しづつ喉に流し込んだ。

「運び出して下さらなかったら、場を盛り下げてしまうところでした」

「いえいえ。おひとりでひたすら飲んでて、驚いたっす。」

武者はまんまるな瞳を線になるぐらい細めて笑いながら言った。

「はぁ…」

義広は何と答えたらいいかわからず、ぐいぐいと水を飲み干すと、思わずため息をついてまたうつむいた。

「えーっと。私は根井行親と申します。千曲川の上流へ上った先の佐久に住んでおります。海野殿とは、親戚なので今日はここに」

「そうですか…私は源義広です。これから常陸へ向かう予定で都から東山道を東へ…」

義広はうつむいたまま言った。

「…あまり行きたくない感じとか?」

「えっ」

「一人で飲んでるし、なんか、そんな雰囲気でてるっす。」

「いえ、一人で飲んでたのはそういうのではなくて…あの…私はこういう宴的なものが…苦手で…」

うつむいたまま答えたものの、義広の頭の中には様々な考えが浮かんでぐるぐると回り出した。


ー宴は苦手だ。人としゃべるのも苦手だ…だけど…たしかにそれだけだっただろうか…何か酒で紛らわせたい何かがほかに…
私は鄙には行きたくない?…いや都の方が人があれこれ私に言ってきて…比べて…誰と…ああ、ぐるぐるする。。酒のせいだ。。。
いや、もとから。。。ああ

「水、もう一杯いきますか。」

根井がまた器を差し出す。

空になった器を義広は割れそうなぐらい強くつかんでいた。
はっとして、それを根井が持つ器と交換した。

またうつむいて、器をのぞき込むと、なみなみとつがれた水に、月明かりに縁どられた自分の姿が映っていた。



ー顔だけなら、兄上にこんなに似ているのに


ふいにそんな思いが浮かび、義広は自分に驚いた。


―比べているのは、誰でもなく、私なのか…


根井は心配げに横にひざまずいて義広を見ている。
義広は語りだした。

「…都では、こんな風に私を心配して声をかけてくれる人がいなかったのです」

「え?そうなんすか!?都って世知辛いっすね。」

妙に明るく元気よく言いきられたので、義広は驚いて顔を上げた。

まんまるな好奇心に満ちた目が自分を見ている。



「どこにも、ヤな奴もいればイイ奴もいるっす。
 義広さんが、常陸でイイ奴に会えると、いいっすね。」


言い終わると、またまんまるな目が線になるくらい根井は微笑んだ。

秋の丸い月が根井の後ろで輝いていた。
何気ない一言だったが、義広は喉の奥のつかえがとれた気がした。


二人が大広間に戻ろうと、渡りを歩いてくると、急に大声が聞こえた。

「どうして姫をつれてきた!」

「だってあなた、まさかそんな…」

海野幸親が妻にどなりつけていた。
根井が驚いて駆け寄ると、義賢を寝所にうながした時、海野の姫を伴っていったという。

「姫はまだ10にもならない…」


宴はお開きになった。
義広は気が気でなく、義賢の寝所に向かった。

―兄上に幼女嗜好が…? そんなばかな…兄上のお好みは…
うん…たしかに性的に挑戦的な性格ではある…


寝所の手前で耳をそばだてると、荒い息遣いが聞こえてきた。

「ん…んんん…」

幼くて、とぎれとぎれに。

「そう…いいぞ…もっとしっかり握れ…そして腰を…」

義賢の声は感嘆にあふれている。


―兄上…そういう趣味がおありだったのか…

義広は踵を返した。その時


ズドバンッ!!!!


大きな音と共に、渡りと寝所を隔てていた扉が倒れてきた。

「なななな!?」


扉には弓矢が突き刺さっていた。

「あはははは!あっぱれ!!!姫!!!そなた、才能あるぞ!!!」

開け放たれた寝所の中には、あぐらをかいて大笑いしている義賢と、矢を放った勢いで弓を持ったままひっくり返っている姫の姿があった。


「兄上、海野の皆さんは誤解されていらっしゃいましたよ」

「まあそうだろうな。あそこにいた女子たち全員が『合意の上』で集められていたと思うか?」

「さあ。」

「誰かが選ばれたら、誰かが泣かねばならぬだろう?
誰かの娘か妻が選ばれるのだ。
まあ、この姫様は俺が来た時点でずーっと見てたからな、合意だな。」

「姫は、強くなりたいから!!!だから義賢様たちを見てたの!!」

小さな姫はこぶしを握り締めて鼻の穴を大きくする勢いで熱弁した。

「だよなー俺も気づいてたぞ~!俺の弓で扉を倒すとは、とてつもなく強い武士になるな!」

「兄上、姫様ですよ」

「強さに女も男も子供も大人も関係ないではないか。好きならば極めればいい」

義賢は優しいまなざしで姫を見た。姫は飽きもせず義賢の弓を握りしめてつるを引こうとしている。
義広は義賢を見つめていたが、ふと視線を合わされてうつむいた。

「寝所で女の相手をさせられるより、武芸指南の方が俺は好きだ。勝手に決めつけられるのはごめんだ。今夜は姫が飽きるまで付き合うつもりだ。

お前は何が好きだ?女が好きなら呼んでこさせるが。」

義広は顔を起こし、義賢を見た。


「一人で寝たいです。ゆっくり。」


義賢はにっこりとほほ笑んだ。

「それでいい。自分のこころに正直でいろよ。
おまえはすぐに抱え込むからな。

やりたくないことは、やらなくていい。
無理するな。
これから先、何事も。」

―――兄上

義広もほほ笑んだ。
二人の顔はびっくりするほどそっくりだった。