義仲館

長野県木曽町日義地区にある「木曽義仲」の顕彰施設です。リニューアルオープンは2021年7月4日! 義仲館の展示作品の背景にある「歴史」「伝承」「文学」をやさしい文章で紹介します。 収録伝承600以上。地図と共に掲載しています。

義仲館

長野県木曽町日義地区にある「木曽義仲」の顕彰施設です。リニューアルオープンは2021年7月4日! 義仲館の展示作品の背景にある「歴史」「伝承」「文学」をやさしい文章で紹介します。 収録伝承600以上。地図と共に掲載しています。

マガジン

  • 伝承の館(岐阜編)

  • 義仲戦記

    第1期(本編) 2022年3月27日より、毎日20:30に更新!5月19日に完結しました。 第2期(外伝) 2022年8月14日より不定期更新しています。 源平盛衰記と玉葉をベースに義仲の戦をストーリー仕立てで紹介! 巴・今井兼平はもちろん、あなたのご近所の地名を冠した地方武士も登場するかも!? ※タイトルに年/月を入れていますが、歴史に詳しくない方のために、年は西暦年表示にしています。(月は和暦です。)

  • 義仲館noteについて

    義仲館noteのあらまし、使い方などが集まっているマガジンです。まずは「はじめに」をお読みいただき、全体像を知っていただくのをおすすめします。

  • その時 木曽殿の動きは

    義仲陣営がどのような歴史背景で挙兵に至り、最期を迎えたのか順番に読んでいくことでわかります。 2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の展開に合わせて、「その時 木曽殿はどうしていたのか?」を解説しました。

  • 義仲ものがたり

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の進度に合わせて公開していく、義仲館オリジナル義仲ストーリー。600か所以上に及ぶ伝承地をふまえた独自の展開をお楽しみください。 〇合戦を中心に語る「義仲戦記」…合戦ごと読めます。2022年5月19日完結 〇義仲にまつわる歴史上の人物を扱う「義仲戦記」番外編…8月14日連載開始予定 〇読み口が軽い「信濃源氏長瀬義員が見た木曽義仲」…連続物(再連載待機中) の三種類を用意しています。

ウィジェット

伝承の館(岐阜編)

くわしく見る
  • 35本

岐阜県と義仲(随時更新中)

岐阜県は長野県と隣接し、義仲の伝承が多く残されています。 伝承とともに、義仲が生きた時代、その後の岐阜県とのつながりをご紹介します。 2024年初秋岐阜県にて開催される「義仲巴ら勇士讃える会大会」まで、内容を更新して参ります。   ☆ページ立ち上げ2024年5月27日 ☆最新2024年6月10日伝承地図追加。 Googleマップ内のデータから各伝承の詳しい内容が見られます。

落合

落合五郎兼行 岐阜県中津川市落合(美濃国恵那郡落合) 落合兼行は中原兼遠の子とも滋野一族ともいわれている。義仲の重臣の一人。横田河原合戦・倶利伽羅合戦に名がみえる。義仲死後、南木曽町三留野で頼朝軍と戦ったという伝承がある。 落合五郎の本拠地が中津川市か佐久市か、明確な史料はないが、伝承残存状況から、ひとまず中津川市を本拠地として表示する。 ■関連伝承地 〇中津川市 落合五郎兼行神社 中津川の落合の館跡は地元の人からは「おがらんさま」と言われ、親しまれている。 〇佐

義仲の腰掛岩

義仲が腰かけたという岩がある。義仲には飛騨に攻め入ったという伝承が残っている。 岐阜県高山市日和田

義仲駒つなぎの桜

木曽義仲がこの桜の木に駒をつないだと伝えられています。 岐阜県中津川市神坂

義仲戦記

第1期(本編) 2022年3月27日より、毎日20:30に更新!5月19日に完結しました。 第2期(外伝) 2022年8月14日より不定期更新しています。 源平盛衰記と玉葉をベースに義仲の戦をストーリー仕立てで紹介! 巴・今井兼平はもちろん、あなたのご近所の地名を冠した地方武士も登場するかも!? ※タイトルに年/月を入れていますが、歴史に詳しくない方のために、年は西暦年表示にしています。(月は和暦です。)

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  • 47本

義仲戦記1「市原合戦」1180年9月

彼は自分に課していた。 決して自分からは攻めない事を。 そしてそれが楽な道では無い事も知っていた。 後手に回る事の不利を。 しかし知力を働かせ、準備を怠らなければ、主導権を取れる事も知っていた。だから彼の戦いは常に受け身であった。可能な限り戦さを避けたかったのである。 彼はそれが、正しい、と思ってやっていた訳ではない。彼はそうする事を選んだ。 だが、選んだ、と言うよりも彼はそうしたかったのである。一言で言えば、それが彼の遣り方であった。 彼、とは後の大将軍源義仲、そ

義仲戦記2「横田河原合戦」1181年6月

 美しい夜であった。空は澄み渡り、一片の雲も無く、全天に星が瞬いている。冬の冴えた空気を吸い込みながら彼は、星を観ていた。一晩中、空を見上げて今夜でもう四日目になるが、彼は飽かずに星を観ている。  それは五日前の事。驚くべき報せがもたらされた。都で平家の総帥平清盛が、今月の二月四日、遂に亡くなったというのである。この清盛死去の報が入った日から、彼大夫坊覚明は依田城のある小高い山の上から、夜に星を観る事を自分に課していた。と、 「!」  覚明は突然立ち上がり、錫杖を握り締

義仲戦記3「北陸へ…」1181年6月

 何度でも言う。勝った。と言うか大勝利であった。 しかもこの合戦での勝利は、ただ単に戦さに勝った、という事実以上の意味があったのである。  この横田河原の合戦での義仲勢大勝利、という現実のインパクトは日本全体を揺るがした。特に北陸諸国、越後[新潟県]はもとより、越中[富山県]、能登[石川県]、加賀[石川県]、越前[福井県]の五カ国において、その影響は甚大であった。  それまでこの国[日本]での、兵を大量動員出来る主要な軍事勢力は、平清盛率いる平氏一門と、東北地方を統べる藤原

義仲戦記5「燧ケ城築城」1181年X月

「稲津どのーーーっ!」 呼ばれて顔を上げた稲津新介実澄[越前の中心的存在の武将]は、川の下流の方から馬を駆けさせて来る武将に向かい、手を挙げて応えた。 「藤島どの!下流の堰の方はどうでしたか?」 「大丈夫だ!順調に水が溜まっている!」 藤島右衛門尉助延[越前の武将]は新介の横に馬を付けながら笑顔で答えた。 「完成したのですね!」 新介も笑顔で言うと、 「そうだ!遂に出来たんだ!我らの城、燧ケ城が!」 藤島が力強く頷いた。 前回までのあらすじ  市原の合戦で挙兵し

義仲館noteについて

義仲館noteのあらまし、使い方などが集まっているマガジンです。まずは「はじめに」をお読みいただき、全体像を知っていただくのをおすすめします。

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  • 8本

はじめに

はじめまして!義仲館オンラインライブラリーnoteです。 義仲館は長野県の木曽町にある「木曽義仲・巴御前」の一風変わった顕彰施設です。施設はあくまで義仲や巴へ想いをはせる入口であり、歴史や人物に興味をもった方がさらに調べるための情報はこちらのnoteにおさめています。 ■ 木曽義仲とは 木曽義仲は、今から850年以上前、平安時代末期の武将です。同時代人は源頼朝(義仲のいとこ)・源義経(同じくいとこ)、平清盛、後白河法皇です。政治的には院政や平氏政権のころです。  残念なこ

義仲館 展示作品から見る義仲の歴史

義仲館に展示しているアート作品の背景となった義仲の歴史は、次のnoteで紹介しています。 ① 天の声② 義仲伝絵巻③ 木曽義仲相関図④ 義仲映像資料館⑤ 巴御前伝説⑥ 義仲軍を支えた木曽馬⑦ 義仲巴伝承地案内板

義仲伝承地ガイド

 義仲館noteには600を超えるたくさんの伝承が収められています。地域別に作成したマガジンには、義仲館の展示物では紹介されていないものも含めたすべての情報が格納されています。  地域別マガジンを順にみていただけると、すべての伝承情報をくまなく見ることができます。気になる地名・県名をクリックすると該当するマガジンに飛ぶことができます。 ★noteの検索機能をお使いになる場合は、検索窓に 「 from:@yoshinakayakata 」+探したい伝承・寺社・人物・出来事な

長野県の義仲伝承マガジンまとめ

伝承の館(朝日編)|義仲館

その時 木曽殿の動きは

義仲陣営がどのような歴史背景で挙兵に至り、最期を迎えたのか順番に読んでいくことでわかります。 2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の展開に合わせて、「その時 木曽殿はどうしていたのか?」を解説しました。

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  • 16本

その時 木曽殿の動きは #1

解説 C O M E N T A R Y ―――――――――――――――――――――――――――――― 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせ義仲陣営を「説明」 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【監修】義仲館P 西川かおり 物語の始まりの地・木曽  義仲が暮らす木曽谷は、現在は長野県の南西部にあたりますが、当時は美濃国恵那郡(岐阜県)に含まれていました。しかし山道を抜ければ信濃国なので、当時の人々も木曽谷は信濃国とうっかり思っていたようです。

その時 木曽殿の動きは #2

解説 C O M E N T A R Y ―――――――――――――――――――――――――――――― 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせ義仲陣営を「説明」 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【監修】義仲館P 西川かおり 孤児・木曽義仲の支援者  父を討たれた孤児・義仲には少なからず支援者がいました。その一人が諏訪社(現在の諏訪大社下社)大祝・金刺盛澄です。  諏訪大社というと、大きな丸太に男たちがまたがり、山から落とす「木落し」の場面を

その時 木曽殿の動きは #3

解説 C O M E N T A R Y ―――――――――――――――――――――――――――――― 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせ義仲陣営を「説明」 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【監修】義仲館P 西川かおり 以仁王の挙兵と木曽義仲  都で後白河法皇と平清盛が対立し、清盛が勝利した結果、平家が全国の多くの国(現在でいうところの県)を支配するようになりました。しかし信濃国(長野県)は院の近臣だった国司がそのまま任用され、平家に対す

その時 木曽殿の動きは #4

解説 C O M E N T A R Y ―――――――――――――――――――――――――――――― 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせ義仲陣営を「説明」 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【監修】義仲館P 西川かおり 平家打倒の挙兵をしていない木曽義仲 治承4年、以仁王の令旨が全国の源氏に届けられ、以仁王と源頼政の挙兵と敗北が伝えられると、いよいよ源平合戦=治承寿永の内乱のはじまりです。  源頼朝は北条氏と協力し、平家打倒の挙兵をしま

義仲ものがたり

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の進度に合わせて公開していく、義仲館オリジナル義仲ストーリー。600か所以上に及ぶ伝承地をふまえた独自の展開をお楽しみください。 〇合戦を中心に語る「義仲戦記」…合戦ごと読めます。2022年5月19日完結 〇義仲にまつわる歴史上の人物を扱う「義仲戦記」番外編…8月14日連載開始予定 〇読み口が軽い「信濃源氏長瀬義員が見た木曽義仲」…連続物(再連載待機中) の三種類を用意しています。

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  • 14本

行家ものがたり⁉③1183年2月

木曽義仲と源頼朝の叔父にして、伝説の男・源行家。 その伝説とは…巡り合う者を次々と不幸に陥れることだった。 しかし本人はいたって日々ポジティブに生きていた。 (ほほう。義仲は横田河原[後の川中島]で平氏に勝ったんだじゃな! さすがワシの甥だけの事は有るのう! いやなかなか見所のある武将になったもんじゃ! ワシの為にこんなに強く成長してくれるとはのう! これでワシの麾下には頼朝と義仲の二人の甥が従ってくれる筈じゃ! そうに違い無い! 何せワシは大将軍新宮十郎蔵人行家じゃからな

行家ものがたり⁉② 1181年3月

(遂に時代の主人公であるワシが出陣する時が来たようじゃ!) 彼は盛り上がっているのを通り越して、一人でイっちゃっている。 まぁ無理も無い。 彼にとってはおよそ二十一年ぶりの出陣なのであった。 彼はこの一年、とても忙しく活動していた。それまでの約二十年間、ほとんど何もしていなかったのと対象的に。だが、この一年忙しかったのは別に彼だけでは無かった。 ■ 「義仲戦記」「義仲ものがたり」とは独立で読めます ■ 歩くチェーンホラー「源行家」は全国の源氏に「以仁王の令旨」をデリバ

義仲ものがたり #11

注・「義仲戦記2横田河原合戦」は「義仲ものがたり11」の後のエピソードになりますが、義仲戦記シリーズは、独立して読めるように作成しています。 ~ 信濃源氏・長瀬義員が見た義仲 ~ 「どなたか…! どなたかわかりませんが、お助けいただきありがとうござ…ああっ!?」 義仲様を見て号泣している妙齢のご婦人を見て、俺も巴殿も、みんなわけがわからずあっけに取られていた。 そこに俺たちと同じぐらいの年の騎馬武者がお礼を言いながら駆け付けた。 のだが 「お前たち一体何者だ!母上に

義仲ものがたり #10

~信濃源氏・長瀬義員が見た義仲~  信濃源氏・長瀬義員は木曽義仲の幼なじみであり、少々頼りない所もあるが信頼される家臣の一人である。  義仲は長野市で初戦・市原の合戦に勝ち、次の戦の相手は越後国の城氏ではないかと見当をつけている。そのため兵力拡大を目指し亡き父の家臣がいた上野国への進出を検討していたところ、信濃国へ義仲への伝令がひとつもないまま甲斐国から武田・一条の軍勢が侵入した。その上義仲と均衡を保っていた伊那谷の平氏方武士・菅冠者を襲い、また甲斐に戻っていった。  義仲