その時 木曽殿の動きは #1
解説
C O M E N T A R Y
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせ義仲陣営を「説明」
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【監修】義仲館P 西川かおり
物語の始まりの地・木曽
義仲が暮らす木曽谷は、現在は長野県の南西部にあたりますが、当時は美濃国恵那郡(岐阜県)に含まれていました。しかし山道を抜ければ信濃国なので、当時の人々も木曽谷は信濃国とうっかり思っていたようです。ある意味そのぐらい中央の意識から離れた場所だったといえます。
木曽谷には吉蘇路(岐蘇・吉祖)という東山道の別ルートがありました。街道は木曽川に面した谷を通り、木曽の桟など難所も多く、守りやすく攻めにくい、隠れ住むには最高の場所でした。義仲が館を構えた木曽町日義地区は街道を外れた山道を使えば、伊那谷にも、松本平にも、塩尻にもつながることも可能な地でした。
伊那谷には平家に与する菅冠者が大きな勢力を持っていたようですが、詳しいことは全くわかりません。本拠地は現在の駒ケ根市周辺です。義仲は駒ケ根市の北・辰野町に乳兄弟の樋口兼光を置き、菅冠者が北上しないよう監視させていました。
松本平には国府がありましたが、日本各地が平家の支配地となっていた中、長野県は後白河法皇の息がかかった国司だったためか、国府が信濃武士の怒りの矛先になることはありませんでした。
とはいえ、信濃平氏を自認する笠原平五頼直は平家の威光を背景に勢力を伸ばしていた新潟県の城氏と結び、本拠地がある中野市から善光寺平をわがものにしようと機会を狙っていました。
略年譜
H I S T R Y
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義仲をたどる
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●久寿元年(1154年) 誕生
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●久寿2年(1155年)8月16日
大蔵合戦で父を討たれ、信濃へ
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〇中原兼遠に養育される
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●仁安元年(1166年) 元 服
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〇諏訪社に婿入りし、娘が生まれる
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〇承安3年(1173年)?
嫡男・義高生まれる
漫 画
C O M I C
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4コマ漫画「平家物語の木曽義仲」より
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長野県木曽町「広報きそまち」連載→単行本3月より義仲館で販売