義仲戦記47「迫りくる厄災①」
「御所に対して火矢を放ち、これを焼失させたとは天をも畏れぬ所行であろう。その上、高僧、いや貴僧を喪った事は仏法に対しても弓を引いた事になる。大変に怪しからぬ事だ」
宮内判官公朝と藤内左衛門時成は鎌倉に到着した早々、法住寺御所での一件を口頭で報告した時、頼朝は落ち着き払ってそう答えた。
既に配下の中原親能から詳細な報告の書状により、法住寺御所の件に付いては承知していた頼朝だったが、今、初めて耳にした様な態度で二人に対応していたのである。
「この様な痛ましい事態となった事は遺憾であるが、元々は大夫尉平知康のごとき近臣の間違った進言により、法皇陛下の御身を危うくした事が最大の誤りと言える。
この上、尚もこの様な佞臣を御召使いになる事は、再び大事が起こりかねん」
重々しく頼朝が告げると、法住寺御所で生き残った二人の近臣は平伏した。
まるで、その通りで御座います、と身体をもって同意したかの様に。
と、
「その大夫尉鼓判官知康に御座いますが、討ち取られる事は無かったようなのです。
今回の様な大事を引き起こした上、おそらく御所より一早く逃亡した知康は、京にいることも出来ず、もしかしたらこの鎌倉までやって来るかも知れません」
公朝が頭を上げつつ吐き捨てる様に言う。
「ほう。鼓判官がこの鎌倉へ。
しかし御二人から法住寺御所での一件を事細かに聴き取った上は、もはや鼓の様な者に用は無い。もし鼓めが鎌倉に訪れたとしても、殊更、彼に責任を問おうとは思わんが、わざわざ会う事も無かろう」
頼朝は感情の籠らない口調で告げると、二人を労い下がらせた。
後日、その大夫尉鼓判官平知康は確かに鎌倉を訪れ、頼朝に目通りを乞うたが、頼朝は一切、会おうとはしなかったのである。
はるばる鎌倉までやって来たが、頼朝に黙殺、いや無視されたかたちの知康は、もはや何処にも行き場を失っていたので、そのまま済し崩し的に鎌倉に居着く事になったのである。
これが後白河法皇より大将軍に任じられ、その器量も無いのに義仲勢を相手に束の間いきがった男の生き様なのであった。
一方、先月二六日に鎌倉を発した軍勢は京を目指し西進していた。
各地で続々と兵員が加わり、先発していた九郎冠者義経の一行が滞在する尾張熱田大神宮に到着した時には、その数六万騎以上の大軍勢に膨れ上がっていた。
「では私は搦手の大将軍として伊勢[三重県]より伊賀[三重県中西部]・大和[奈良県]を進軍し山城「京都府南東部]に至り南から京に攻め込む。
異論は無かろうな」
この六万騎以上を擁する大軍勢を、大手[本隊]と搦手[別働隊]の二つの軍勢に分けると決定した時、真っ先に義経が声を上げると、大手の大将軍で兄でもある蒲冠者範頼以下、名だたる武将らに対し、まるで睨み付けるかの様に神経質に凄んで見せた。
そんな義経の気負い過ぎた態度に呆気に取られていた武将らを尻目に、梶原平三景時は溜め息を堪えながら、
「九郎どのはこうお考えだが、範頼どのはどうお考えか。
大手大将軍としてのご意見をお尋ねしたい」
やんわりと範頼に質す。
その景時の横顔に刺す様な視線を浴びせる義経を意識しながら。
「九郎がそれで良いと言うなら、私の方に何の異存があろうか。
では私は大手の軍勢と共に鈴鹿の山なみを北から越えて近江[滋賀県]に入り琵琶湖の東岸を南下、勢多を抜け東から京に迫ろうと思うが、皆はどうか」
些か大将軍としては頼りなく見える蒲冠者範頼であったし、ここに揃う諸将らもそう感じてはいたが、この時はハッキリと自分の意見を口にした。
そしてここが範頼らしいところだが、景時と義経の間に張り詰める刺々しい空気を素速く感じ取った範頼は、取りなす様に一同に尋ねた。
「妥当なところでしょう。
我ら関東勢が京を攻めるにはそれしかありません」
畠山庄司次郎重忠が全面的に賛意を示すと、諸将らも大きく首肯いている。
と、
「そうなるのは当然ですが、問題が一つあります」
和田小太郎義盛が場違いな明るい口調で続ける。
「それだと京の北と西はがら空きとなり、義仲を西国か或いは北陸へと逃してしまう事もあり得ます。
まぁそうなったとしても追撃を掛ければ済む事でしょうが」
「その心配は無用だ和田どの!
義仲めが逃げる暇を与えずに私が京に雪崩れ込む!」
義経が声を荒げると、和田義盛は笑みを浮かべたまま首肯いて応じたが、気合いの入り過ぎている今の義経には何を言っても無駄、と感じるとそのまま受け流した。
景時に至っては、処置無し、と無言で天を仰いでいる。
義経の頑な過ぎる態度も問題だが、誰が何を言っても聞き入れる様子が無いというのは、一軍を与る大将軍としては疑問を感じざるを得ない。と、景時は思っていたが、頼朝が命じて大将軍に就いている以上、義経に従う他無いのである。
この何の実績も無く、若い生意気な小冠者に。
景時は気を取り直すと、
「頼朝様が大将軍を御二方に命じられたのは、軍勢を分ける事を前提としておられたからに他ならん。
大手は範頼どの、搦手は九郎どの、という事でよろしいな」
諸将らを見回しつつ言うと、彼らは無言で頷いた。
景時は範頼に目配せすると、範頼は小さく頷き、
「これより配属を発表する。
私の大手の軍勢には、
甲斐の武田太郎信義どの・加々美次郎遠光遠どの[信義の弟]
・一条次郎忠頼どの[信行義の子]・板垣三郎兼信どの[忠頼の弟]
・武蔵の稲毛三郎重成どの「秩父氏の一族。畠山重忠の従兄弟]
・榛谷四郎重朝どの[重成の弟]
・上総の千葉介経胤どの・子息小太郎胤正どの
・相馬次郎成胤どの・国府五郎胤家どのら総勢三万五〇〇〇騎とし、
先ずは近江国勢多の長橋を目指す」
大手大将軍範頼は淡々と告げると、
「「「おおおっ!!」」」
名を呼ばれた者らが短く応じた。
「今、名を告げられなかった者らが搦手に配属される事となる。
搦手の総勢は二万五〇〇〇騎。
伊勢路を抜け、先ずは山城の宇治橋を目指し進軍する」
何か言いたそうな義経の機先を制し、景時が命じると、
「「「おおおっ!!」」」
搦手の諸将らが野太い声で応じた。
搦手の編成は、
甲斐の安田三郎義定[武田太郎信義の弟]・大内太郎維茂[信濃源氏]・佐々木四郎高綱・畠山庄司次郎重忠・河越太郎重頼・子息小太郎重房・梶原平三景時・子息源太景季・同平次景高・同三郎景家・曾我太郎祐信・土肥次郎実平・子息弥太郎遠平・和田小太郎義盛。
そして義経の配下陸奥の佐藤三郎継信行・弟四郎重信・伊勢三郎義盛・江田源三・熊井太郎・大内太郎・長野三郎・武蔵坊弁慶ら二万五〇〇〇騎。
関東から派遣された六万騎以上の軍勢は、十二月二五日に尾張で二手に分かれると、大手の軍勢は東から・搦手の軍勢は南からそれぞれ京を目指し進軍を再開させたのである。
この進軍路は約半年前に義仲勢が実行した無血入京を参考にしたであろう事は言うまでも無い。
義仲がそうしたのは戦いを回避する為であったが、関東勢が同じ事を行ったのは京で戦さになろうがとにかく早々に義仲を討ち果たす為なのである。
同じ進軍路を通り、同じ事をしている様に見えても、実は全く目的と真意は異なっているのであった。
関東勢はその牙を近付けつつある。
上顎には大手大将軍範頼率いる三万五〇〇〇騎に牙を擁し、下顎には搦手大将軍義経率いる二万五〇〇〇騎の牙を研ぎつつ、京もろとも義仲を食い千切る為に。
「これは今までの様には行かんぞ,・・」
能登守教経は苦々しく呟いた。
平氏に対する叛乱が西国で相次ぎ、その叛乱を片っ端から鎮圧して回っていた教経であったが、先の安芸国沼田城での合戦の折、取り逃していた河野四郎通信が、事もあろうに鎮西[九州]の豊後「大分県]の臼杵二郎惟隆と尾形佐原維義「惟隆の弟]と連携し二〇〇〇騎以上の軍勢を擁し備前国今木城[岡山県岡山市]に立て籠もったのである。
この報に接した平氏方は、今や常勝将軍として一門の切り札になりつつある能登守教経にこの鎮圧を託したのである。
教経は早速、三〇〇〇騎程の軍勢を率い福原を出陣し、備前今木城を囲むと同時に攻めかけたが、籠城している叛乱軍は幾ら攻め立ててもこの挑発に乗って来ず、城に立て籠る利点を最大に活かして、強固に防衛に徹していたのであった。
教経はしばし眼前に広がる敵の城構えを見ていたが、陸に面した北側と東側は湿地帯で、西側には川が流れ、南側には沼と見紛う様な水浸しの泥地が広がるという実に攻め辛い城である事をあらためて感じると、
「攻撃を一旦中止させろ。
二〇〇〇の立て籠る城に三〇〇〇で攻め掛かっても、勝つまでの時間が掛かり過ぎる」
教経は家人に命じた。
負ける事は無いし、勝つ自信はある。が、猛将とは言え彼にしても京生まれの京育ちなのだ。故郷である京へ一日も早く帰還を果たしたい思いは他にの一門の者らと同じなのである。
徒に西国での叛乱騒ぎに関わっている時では無い事を痛感している教経は、早期にこの叛乱を鎮圧すべく直ちに決断した。
「福原の知盛どのに援軍を要請する。
その援軍が到着するまでは防戦に徹してくれ。
まぁ奴らが城から撃って出て来てくれれば、そこでこの戦いも我らの勝利で終わるだろうが、その様な事は奴らもやるまいよ」
教経が命じると、直ちに援軍要請の使者が福原へと出発し、今木城を包囲している平氏方の攻撃が止んだ。
教経は笑みを浮かべて家人らに指示していたが、内心ではやはり焦っていたのである。
時を費やせば費やす程、京への帰還も遅れて行く事に。
「至急、備前の能登守教経の許に援軍として一万騎を差し向ける事とする。薩摩守忠度どの・本三位中将重衡。
大将軍としてこの援軍を率い、出陣を命ずる」
平氏方軍事総司令知盛は、教経の要請を受けて大将軍を指名した。
続けて、
「忠度どのは陸路で五〇〇〇騎を率い備前へ。
重衡は軍船を使い海路で五〇〇〇騎を率いて行け」
指示すると、
「はっ」「はっ」
二人の大将軍は落ち着き払って応じると、出陣する為に退出して行った。
と、
「・・・これで更に京への出発は遅れてしまうな・・・」
総帥宗盛が溜め息を吐きながら、ぼそりと呟く。
「援軍を送った事で、更に大規模な戦闘に発展してしまう事もあり得る・・・そうなれば・・・」
「総帥。それは違います」
宗盛のぼやきを知盛が制した。
「能登守教経とて早期の叛乱終結を企図しているからこそ、援軍を要請して来たのです。籠城する敵を一気に殲滅する為に。
そして我ら一門の力を西国の者らに見せ付けて勝利する事が、これ以後の叛乱の再燃を防ぎ、京へ帰還する為の真の近道である、と能登守教経は言いたいのですよ」
知盛は兄宗盛だけで無く、一門の者達総てに言い含める様に告げた。
西国を安定化させる事が、主上の安全を確保し、京への御幸が成される最善の策である、という事を諭す為に。
一門の者達も解ってはいるのだ。
しかし一日も早い京への帰還を望む以上、一門の者達の心境は複雑にならざるを得ない。
が、やはり知盛の言う通りにするしか無い事を無理矢理己れに納得させる様に宗盛は呟く。
「・・・そうであろうな。我らは待つしか無いだろう」
「この事は京の義仲どのにも報せて置いた方が良いと思われます。
彼とて我ら一門の帰還を待ち侘びている事でしょう。
西国での叛乱を全て平定した後に我らは主上を擁し京へと帰還する、と」
知盛は意識的に声を高めて提案する。
一門の者達に、それまでの辛抱である、との意を込めて。
「良し。それでは義仲どのに書状を送るとしよう」
幾分気持ちが上向いたと思われる宗盛が告げた。
「もう少しの辛抱です。
我らが備前から戻って来たその時こそ、京への帰還の道が拓けるのです」
「・・・忠度どの・・・」
「諦めなければその時は必ず来ます。
辛いでしょうが、そう信じるしか無いのです」
薩摩守忠度は穏やかに告げる。
三位中将維盛の肩に両手を置いて。
京への御幸の先頭を命じられた維盛だったが、度重なる出発延期に神経を擦り減らしていたのであった。
京へ帰れる喜びに気分が晴れると、今度はそれを先送りにされ暗い気分に突き落とされる事を繰り返された維盛は、状況に翻弄され続け、このところ疲弊しきっていたのである。
忠度は出陣前の短い時間、そんな維盛を心配し、彼に逢いに来たのであった。
「考えても見て下さい維盛どの。
私と貴方とで北陸へ追討に赴いた義仲どのと我らは今、手を携えて京への帰還を目指しているなど、一体誰が想像した事でしょう。
この先、何が起こるのか、何が待っているのか解る者など誰もいないのです。
悲観してしまう時もあるでしょうが、諦める事はありません。
遅くとも一ヶ月後には我ら一門は京に再び居を構え、今、こうしている事を懐かしく笑いながら語り合っているかも知れません。
その様な日が来る事を信じる事で、今を耐え忍ぶのが我ら一門に与えられた試練なのでしょう」
忠度は笑みを交え、まるで己れに言い聞かせているかの様に穏やかに告げる。
その忠度の優しさに維盛は言葉を詰まらせている。
詩人でもある忠度は、人の弱さ、その心の脆弱さに敏感であり、その様な感情やそれに翻弄される者に限り無い優しさを持って応じるのが常であった。
彼はこの時もそうしていたのである。
「我らの帰りをお待ち下さい。
自分は無力で何も出来無い、などと己れを卑下する事は無いのです。
維盛どの、貴方には京への御幸の先頭を切っていただく大役がお有りなのですから。では」
忠度は労わる様な眼差しで、もう一度、維盛の肩に両手を置くと、その手に力を込めた。
「・・・有難う御座います、忠度どの」
維盛は俯いていた顔を上げ礼を述べると、しっかりと忠度の眼を見詰めた。
その口は引き結ばれ、少しでも強くあろうとしているかの様であった。
そんな維盛の健気な様子に痛ましさを覚えた忠度であったが、笑顔で首肯き無言で応じると、その場を後にした。
十二月二六日。
福原の平氏一門は、能登守教経の要請に応じ、一万騎を擁する援軍を備前へと派遣した。
こうしてまたも平氏一門は京への帰還が遅れる事となり、その一門の焦燥は頂点を極めつつあった。
「残念だが、平氏方の京への帰還は今年中に実現する事は不可能となった。これは以前に法皇が乱発した平氏追討の院宣を奉じた西国の武士らが叛乱を起こした事による、と平氏方から連絡が入った」
「今更、ですか?」
義仲が平氏方から届いた書状を読み終え、四天王・落合兼行・巴御前・覚明・手塚光盛ら謂わば義仲勢の首脳部たる八人に対し説明すると、四天王今井兼平が眉を顰めて言った。
確かに平氏追討の院宣が全国に発せられたのは約半年も前の七月の終わりの事なのだ。
それが今頃、この様な影響が及んで来るとは、義仲勢もそうだったが、平氏方にしても想像していなかっただろう。
「小規模な叛乱ではあるが、主上を擁する平氏としては放って置く事は出来無いだろう。しかもその叛乱行為が続発しているとなれば尚更だ」
義仲がそう答えると、諸将達は無言で頷く。
「だが、この一ヶ月程、平氏方との和平が締結した事を朝廷内で言い続けて来た私の言葉に不審を抱く者らが現れて来ている」
「まァ平氏一門が帰って来るのを眼の当たりにしなきゃ信じられないんでしょうねぇ・・・」
義仲の言葉に覚明が相槌を打つ。
「仕方無ェよ。
来る来るって言われて、来ねェんじゃ誰だってイラつくもんだろ?」
「そうは言うが小弥太。我らと平氏方が同盟を樹立したのは事実だ。
平氏の上洛が遅れているのはやむを得ない事情があるとは言え、その為に平氏方との和平の成立にまで不審を持たれてしまうというのは本末転倒だろう」
兼平が小弥太に言い返す。
「その通りだ。そこで」
義仲は首肯いて応じると続けた。
「松殿基房どのに平氏方から送られた書状をお見せし、平氏との和平が確実なものであるという事を、朝廷内、或いは貴族・公卿らの間で吹聴していただこうと思う」
「そうですね。
松殿に情報を流せば、すぐに右大臣九条兼実卿にも伝わりますから」
四天王筆頭兼光が笑みを浮かべて賛成する。
「そうなれば公卿らにも同時に伝わる、と。
ここのところ正確な情報をこちらから流している事で噂というか、流言というか、とにかく雑音に悩まされる事も少なくなりましたからね」
四天王楯も明るい表情で言うと、皆は大きく頷いた。
「では早速、松殿基房どのにお逢いして来るとしよう」
書状を持った義仲が立ち上がる。
「六条高倉万里小路の邸ですね。護衛は私が」
落合兼行が言うと、
「いや。既に津幡に共を申し付けてある。それには及ばん」
義仲は告げると、早々に立ち去って行った。
その義仲の後ろ姿に物言いたげな視線を送っている戦う美少女に、
「これも宮廷工作の一環だろう」
手塚光盛が小声で囁いた。
あまり気にするな、と言いたかったが、その様な無責任で無神経な事は言えなかったのである。
気になるから気にしているのであって、気にするなと言われたところで、どうしようも無い。
気になるものは気になるのだから。
六条高倉万里小路の邸には松殿基房・師家父子の共に、伊子姫も当然の事ながら居住しているのである。
義仲は先頃この伊子姫と婚姻し、摂関家の婿となっていた。
この時代、いや、現代に於いても政治的な関係を築き、それを強固なものにする為には、この種の婚姻関係を結ぶ事が重要なのである。
必要不可欠では無いとは思うが。
とにかく義仲は武将ではあるが現在は更に政治家としての立場も兼務している以上、その取り結んだ関係を維持して行く事は当然の事である、と認識されていたのであった。
そのくらいの事は巴御前こと戦う美少女とて心得てはいる。
だが、やはりその相手が京で一番の美姫と評判を取っている伊子姫である事を思うと、その心情は穏やかならざるを得ないのであった。
少しの嫉妬や少しの悲しみ、少しの羨望や少しの腹立ち、そして大部分を占める諦念が巴の心の中で攪拌されていたのである。
(まだ気持ちの整理が着かない・・・
こんな事、今までだっていっぱいあったのに・・・)
戦う美少女はともすると自己嫌悪に陥ってしまいそうになるモヤモヤを抱えたまま、がしっと光盛の腕を握り潰す様に掴むと、
「付き合いなさい」
「はあ?」
戦う美少女の握力は半端無い。
握力だけで無く、身体能力総て半端無いが。
掴まれた腕の痛みに顔を顰めつつ光盛が応じる。
と、
「いいから。今夜は呑む。だから付き合いなさい」
「い、いや。俺は、ほら、明日は六条内裏の警護任務があって」
「解った。それでも付き合いなさい。いいわね」
戦う美少女はその持ち前の剛腕怪力を発揮し、遠回しに御遠慮している光盛をずるずると引き摺って行く。
この戦う美少女は力も強いが、酒も滅法強い。
光盛はまるで溺れる者が藁をも掴む様な必死の表情で僚友達に救けを求めようと見回すが、返って来たのは、その僚友達の苦笑いと同情する様な視線だけであった。
小弥太に至っては合掌していたのである。
「おお。これは確かに義仲どのと平氏一門との和平が成立した証し」
松殿基房は、義仲が持参した平氏方よりの書状に眼を通すと、安堵した様に言った。
「この様な平氏方との確約がある以上、朝廷内の動揺も抑える事が出来よう。
それでその問題の平氏の京への帰還はいつ頃になると思っておられるのだ?
義仲どのは」
「はっ。西国での叛乱の鎮圧状況にもよりますが、早ければ年が明けて十日の内に。
遅くとも正月の二十日には福原を出発出来るものと思われます」
義仲は予測を慎重に答えた。
「判った。明日にでも兼実どのと会い、この事を報せておく事にしよう。
大丈夫だ義仲どの。
人というものは喜ぶべき情報の方をこそ好むもの。
明晩にはこの事が京中に拡まっているだろう」
松殿基房が笑顔で太鼓判を押す様に請け負った。
が、この半年間、いやもしかしたらその以前から様々な流言蜚語や誣告に曝されて来た義仲には、その様な楽天的な意見には到底頷けないのであったが、その様な事をこの場で行っても何の意味も無い以上、笑みを浮かべて黙って首肯ていた。
と、
「政治向きの話しはここまでといたそう。
先程から伊子が義仲どのが来られるのを首を長くして待っておるからな」
広間の右側に垂れている御簾に眼をやりながら松殿基房が言う。
と、その御簾が巻き上げられるや、
「冷やかす様な真似はおやめ下さい、お父様」
幾分睨む様に父に視線を投げ掛けた伊子姫は、義仲と眼が合うと顔を綻ばせて一礼した。
「不躾ながら、お話しが聴こえておりました。
この度は平氏方との和睦、おめでとう御座います。
源氏と平氏が手を携えた上は、これで戦乱の世が終わりを告げるのですね」
伊子姫はその美貌に相応しい笑みを浮かべつつ、明るい展望を挨拶に変えた。
「そうなれば良いのですが」
思わず義仲は口の中だけで呟くと、伊子姫は聴き取れなかったのか首を傾げる。
義仲も笑顔になると言い直した。
「そうなる為に私は働いております」
「ははは。私とて思いは同じだ。
では義仲どの、私は失礼いたします。伊子が睨んでおりますからな」
松殿基房は多少戯けながら広間を後にする。
そんな父をもう一度睨み付けた伊子姫は、義仲に眼を戻すと一転して優しく微笑んだ。
その頬をほんのり紅みを帯びさせて。
翌日。
京の巷には、義仲と平氏方の和平が確実なものとなり、年明け早々に平氏一門が上洛する、という情報が飛び交う事となった。
それは貴族社会に於いても同様であり、これを耳にした者達は、幾分、明るい見通しの様なものが付いた事に安堵していたのであった。
寿永二年[一一八三]の年の瀬。
十二月二九日の事であった。