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義仲戦記51「運命の日 急」

状況は最悪であった。

出陣した義仲勢第七軍二〇〇騎は六条をそのまま東に進み、六条河原に出たところで全軍を一旦停止させて周囲を見渡すと、既に七条、八条の河原や法住寺、柳原の辺りには白い旗が幾条も天に翻っていたのである。

白い旗は源氏を示す旗であるが、同じく白い旗を用いている義仲勢にとって、これは味方を表す色では無く、敵の存在を現す不吉な色となっていた。


「来た」


戦う美少女巴御前が馬上で、長く艶やかな髪を後ろに靡かせながら呟いた。
周囲に翻る白い旗が義仲勢を囲む様に迫って来る。


「義仲様を全員で護れ!一気に駆け抜ける!行くぞ!」


那波広純が指示し、先頭に立って敵関東勢に突っ込んで行く。


「数は少ないとは言え当代最強を誇る義仲勢。
その手並み見せて貰おうか!」

関東勢第一陣は畠山重忠率いる五〇〇騎。
重忠は叫ぶと太刀を引き抜いて迎撃する。

だが義仲勢は抜刀せずに突き進み、擦れ違い様に畠山勢の騎馬武者の鎧を掴み、次々と落馬させながらも、馬の速度を落とす事無く駆け抜けた。


「何だと!」


義仲勢の思わぬ攻撃方法に畠山勢は一瞬で敵の突破を宥してしまった。
重忠はこうもあっさりとやられた事に束の間、唖然としていたが、


「戦さはまだまだこれからよ!」


五〇〇騎の軍勢に反転を命じ、義仲勢の後を追う。
そうするうちにも関東勢は次々と義仲勢の前に立ち塞がる。

第二陣、川越小太郎茂房率いる三〇〇騎。
第三陣、佐々木四郎高綱率いる二〇〇騎。
第四陣、梶原平三景時率いる三〇〇騎。
第五陣、渋谷庄司重国率いる二〇〇騎。

だが、驚くべき事に義仲勢はこの全ての陣を突破する事に成功したのである。

しかし無論の事、無傷で、という訳には行かなかった。


義仲勢はこの六条河原の戦いで第七軍の半数一〇〇騎を喪い、しかも六条河原を東に向け突破する、という目的を達成する事が出来無かったのである。


「義仲様!河原の突破は叶いません!どういたしますか!」

広純が馬を駆けさせながら問う。

「一旦六条に戻り油小路を北に進む!」

「しかし!油小路を抜けても五条大橋には既に敵が回り込んでおります!」

いつの間にか手塚光盛も馬を寄せ、義仲に反論すると、

「五条に出たら更に西に迂回した後、北へ向かい三条に出たところで再び東に転進する!」

「成程!我らの進路を偽装し、敵を西と北西方向に引き付けるのですね!」

「そうよね!西方向なら長坂を通り丹後路へ!北西方向なら竜花越えに向かって北陸へと向かっている様に見せ掛ける訳ね!」

「そうだ巴!続け!」

義仲は号令を掛けると、再び六条に戻る様に進む。

「・・・義仲勢は西に向かうつもりなのか?
・・・であれば初めからそうしておれば良い筈・・・
では何故この六条河原に撃って出て来たのか
・・・東へ向かうと見せ掛けて実は西に向かう、という事?・・・」

義仲勢が引き返して行くと、他の関東勢はこれを追って行ったが、畠山重忠のみは軍勢を停止させ、考え込んでいた。

と、
「重忠さま!何を愚図愚図しておられるのか!
ここは戦場です!考え事なら戦さが終わってからになさいませ!」

重忠の乳兄弟で腹心の榛沢六郎成清が叱り付ける。

と、
「・・・そうか。そうだな。では私は私の勘を信じる事にしよう」

重忠は破顔すると、
「我らはこのまま河原を北上する!続け!」

指示すると、余り急がずに馬を進ませる。

「何を呑気な・・・」
榛沢成清が頭を抱えていると、

「成清。私はどうしても義仲勢が進路を変えた事に納得が行かん。
だからこそ賭けに出た訳だ。
ま。外れれば手柄は他の者らが立てる事になるだろうが、当たれば」

「手柄は我らの手に、って事ですか?そう上手く行くかどうか・・・」

「それが賭けなんだよ、成清。当たる様に祈っておれ」
重忠は軽く応じると、手勢を北上させた。



「これで心置き無く出陣出来ますね。
兼行に宮菊さまの事を託すなんて、良いところあるじゃないですか」

戦う美少女は、弟の背中を見送りながら義仲に囁いた。
義仲勢第七軍が、六条高倉万里小路の邸を出陣する直前の事。


「兼行の宮菊に向ける気持ちには子供の頃から気付いていたさ。
その事を周囲に隠し通していると思っていたのは兼行一人だったろう」

「確かに。
しかし兼行ならばどんな事があろうと宮菊さまを護り通す事でしょう」

光盛が晴れやかな笑顔で我が事の様に請け負った。


落合兼行は四天王筆頭樋口兼光、同じく四天王今井兼平、そして戦う美少女巴御前の弟であり、若いに似ずその落ち着いた物腰と冷静な判断力、内に秘めた闘志など僚友達の信頼が厚い武将である。

義仲もそうした彼への信頼と、宮菊に対する彼の秘めた想いの両方を見込んで、唯一の肉親たる妹の事を託したのである。

「で。これからはオトナの時間て訳ですよね?
義仲様はどうしたいんです?」

悪戯っぽく戦う美少女が尋ねると、ここに残った四人の大将那波広純・多胡家包・手塚光盛、そして他でも無い巴御前は義仲に視線を注ぐ。


「最後の出陣にあたり申し訳無いんだが」

そう前置きした義仲は、続けて静かに告げる。

「東へ向かう。これは言うなれば私の我が儘、でしか無い」

「では勢多へ?」
多胡家包も静かに問い掛ける。


義仲は幾分眉を顰めると、

「今更言っても仕方無い事だが、状況がこの様になると思っていたら今井兼平を勢多に向かわせる様な事はしなかった、とその事だけが悔やまれる」

「義仲様は約束を果たしたい、と御考えなのですね?」

「そうだ巴。兼平とは幼少の頃に、死す時が来たらそれは同じ時、同じ場所で、と固く誓い合った。その誓いを破りたくは無い」

そう告げる義仲の眼には決意が宿り、光となって輝いている。

それを受けて光盛は当然の事の様に言う。

「義仲様がそう決意されているのであれば是も非もありません。我ら一同、力を合わせ何としてでも義仲様を兼平の許へとお連れしましょう」

「・・・済まん・・・光盛、巴、広純、家包・・・」

「何言ってるんですかぁ。義仲様の望む事を実現する為にあたし達麾下の武将はいるんですよ?
あたし達だって好きで義仲様に従っているんですから謝るコトなんて何も無いですよ?そぉよねぇ光盛?」

殊更、明るい口調で戦う美少女が言うと、広純と家包も大きく首肯き、光盛は顎で応じた。


(長瀬[義員]・幸広[海野]・小弥太[根井]・忠親[楯]・山本どの[義経]・志田どの[三郎先生義憲]・能景どの[越後中太]・隆家どの[津幡]、先に逝ったお前達の力を
ここに残った広純どの・家包どの・巴・俺の四人に貸してくれ。
我らは義仲様の願いに殉じて見せる。
そして俺は俺の願いに殉じよう。
俺は・・・)


そう思いながら光盛は自決した越後中太能景・津幡隆家の亡き骸を見詰めていたが、徐に顔を上げると、

「良いか!我らはこれより義仲様を御護りし勢多へと向かう!
敵と遭遇しても構わずに進め!
防戦に徹し止むを得ない場合にのみ反撃しろ!
速度を緩めるな!とにかく先へ先へと馬を進める事のみ考えよ!」

全軍に向かって光盛が指示し、義仲に眼を向けると、広純・家包・戦う美少女も義仲を見ていた。

義仲は力強く首肯くと号令を掛けた。


「おそらくこれが私にとっても其方達にとっても最後の出陣となろう!
京は既に敵が充満し我らと見れば襲い掛かって来る!
それでも最期まで私に付いて来てくれるか!」


「「「おおっ!!!」」」


「宜しい!では行くぞ!続けーっ!」


「「「ぅおおおおっ!!!」」」








「なァ、お前ェを見込んでちょっと相談があるんだけどよ」

「いきなり失礼な奴だな。お前呼ばわりは気に入らん。
先ず己れから名乗るのが筋であろう」

「おゥ。ま、そう言われりゃそうだな。
オレは武蔵の恩田八郎師重ッてもんだ。お前ェは確か遠江の・・・」

「遠江の内田三郎家吉と申す。成程、お前の事は聞いた事がある。
武蔵の恩田という侍が怪力の持ち主である、とな。
しかし何故、わたしの事を知っている?」

「内田。お前ェも大力で鳴らしてるらしいじゃねぇか。
噂は聞いてる。まァそんな事はいいんだ。
とにかく相談があんだよ。一口乗らねェか?」

「ふむ。内容によるな。話してみろ」

「あのな。今、他の部隊のヤツに聞いて来たんだけどよ。
義仲の奴らがどうやらこっちに向かって来るかも知れねェんだと。
まァまだ確実に来るかは分かんねェんだが。
ソコでな。
オレとお前ェの二人でよ、あの女武将の巴御前て女を生け捕らねェか?
どうよ?」

「戦う美少女と呼ばれる噂の女武者だな。
鎌倉の頼朝様から全軍の武将に対し捕縛命令が出されているという。
しかし噂では並の武将らが束で掛かったとしても敵わぬと言われている程の強さだというが」

「噂ッてヤツには尾鰭が付くもんだぜ。
強ェったって単に気が強ェだけなんじゃねェか?
それによ、もし噂通り凄ェ強かったとしてもよ、オレら二人で掛かりゃ敵いっこ無ェ。簡単なもんだろ?」

「ふむ。言われて見れば確かにそうであろうな。
それに巴を生け捕る事が出来れば、我らは手柄を立て、名も上がり、頼朝様の覚えもめでたくなるだろう。一石二鳥とは正にこの事であろうな」

「だろ?ヤる気んなって来た様だな、内田。
じゃ一緒にやるってんだな?
良し。じやあよ、これからすぐに行ってみようじゃねェか」

「ふむ。そうするとしよう」

「お?内田ァ、なんか楽しそうじゃねェか。
へへへ。オレもアガって来やがったぜ」

二人は協力したかに見えるが、お互いの本音はと言えば、


(巴って女武者を生け捕った後でコイツを郎等ごと消してしまえば、巴と手柄、そして名声が俺だけのものになる。
まあ巴は鎌倉の頼朝に後で差し出す事になるが、正に一石二鳥、いや三鳥って事になる。それまではせいぜいコイツを利用させて貰うとするか)

などと二人は同じ事を考えていた。
だが、その外見は全く異なっている。

恩田師重と名乗った者は、その言動や口調通りの腕力だけが取り柄の荒くれた大柄の侍であるのに対し、内田家吉はといえば、涼やかな目元と端正な顔立ち、均整の取れた身体付きの優男なのであった。

正反対と言って良い外見の二人ではあったが、その姑息で腐った性根は、全く同じ魂を持っているとしか思えなかった。
そしてこの二人は各々の郎等を引き連れ、馬を進めて行った。
二人が属している関東勢大手の軍勢は京に向け進軍している。




(とにかく無事でいれくれ!兼平!)

この想いは義仲と共に巴・光盛・広純・家包も強く願っていた。
その想いを胸に一〇〇騎の軍勢と共に彼らは駆け続けていた。

義仲勢第七軍は六条河原から六条へと引き返し、油小路を抜け五条に出ると、そこに待ち受けていた武蔵の勅使河原有直・直則兄弟率いる三〇〇騎を突破し、左へ折れて西へ進んだ後、大路を右に折れ北へと向かい、四条と交差するところでは秩父党の二〇〇騎を突き崩し、三条に出たところで再び右に折れ、そして三条白河を東に向かっている途中、三浦党の三〇〇騎に遭遇したが、部隊を密集させ馬足を速めると一気に突破し、東へと爆進したのであった。

だが、これだけの敵と遭遇し、戦ってこれを突き破り駆け続けていては、やはりその消耗は激しく、既に義仲勢第七軍の軍勢は五〇騎を切っていたのであった。


「私は賭けに勝ったぞ。成清、あれを見ろ」


三条河原に先回りしていた畠山重忠ら五〇〇騎の軍勢は、三条をこちらに向かって駆けて来る一団を眼にした時、それを指差した重忠が、どうよ、と言わんばかりに言うと、

「さすが、と申しておきましょう。正に犬も歩けば何とやら」

成清は内心、あるじの勘の良さと読みの深さに舌を巻いていたが、その様な事は表に出て出さず憎まれ口で応じると、


「親恒は私の左に付け!」

重忠は気にする事も無く、もう一人の重臣本田親恒に命じると、
続けて、
「成清は私の右だ!ここで敵将義仲の首を挙げる!」

言うや、重忠主従三騎は五〇〇騎の軍勢の先頭に立ち義仲勢第七軍に正面から突っ込んで行く。


「私は武蔵秩父党の畠山庄司次郎重忠!
朝日将軍義仲どの!
先程六条河原では不覚を取ったが今度はそうは行かん!」


重忠が名乗ると、これを耳にした光盛は、ちッと舌打ちし苦い表情を浮かべる。

敵将重忠の言った様に、六条河原では出合い頭に突撃を掛け突破する事が出来た義仲勢は少しばかり運が良かっただけであり、五〇騎に満たない今の現状では五〇〇騎の敵に迎撃される事は何としても避けたかったのであった。

しかも相手は武蔵が、いや関東が誇る最強の武将の一人なのである。


(現時点で最も逢いたくない者に迎撃されるとは!)

光盛は矢を箙から抜きつつ、ふと義仲を見ると、その義仲の眼は輝き、口許には笑みが零れている。


「畠山重忠どのか!
戦うのであれば其方の様な者を相手にしたかった!
皆!覚悟を決めて戦え!」

この状況下でも表情を輝かせ、生き生きと敵将を見据えて号令を発する義仲に、光盛はあらためて衝撃を受けると共に、自分の事を恥じていた。

避けたいの逢いたくないのと、要は覚悟を決めていなかったからこそ出た愚痴でしか無かったのである。
光盛はそんな己れの弱さや迷いを断ち斬る様に弓を強く、強く引き絞ると、敵に向けて立て続けに三本、騎射していた。


畠山重忠の軍勢はしぶとく、中々義仲勢は突破の機会を掴む事が出来ずにいた。

その間も義仲勢の消耗は止まらず、一騎、また一騎と討ち取られて行き、遂に二〇騎を切った時、重忠は義仲勢の騎馬武者の中で、先程から目覚ましい戦い振りをしている者に眼を付けると、即座に太刀を引き抜き斬り掛かった。

が、その騎馬武者は、ひらりと重忠の太刀を躱すと同時に太刀を抜き胴を払って来た。


(強い!しかも疾い!)


重忠は反射的に馬を引き、冷や汗を滲ませながらこの騎馬武者から距離を取って引き退くと、

「成清。あの武将は誰だ。あれ程の者が四天王の他にもいるのか?」

「あれが噂の女武将巴御前と思われます。
戦う美少女の異名通り、荒馬を乗り熟し、強弓を引き、太刀長刀に名手にして、一軍の大将軍も任される程の、見た目の違って怖ろしき者と聴き及んでおります。しかも」

「しかも?まだあるのか?」


「幾度の合戦に於いても、唯の一度の不覚も無い、と」


「・・・成程。あれだけ強いのも道理という訳か。
先程は私の方が不覚を取るところだったぞ」

重忠は呆れた様に天を仰ぐ。

「いかがなさいますので?」
成清が質すと、

「そうよな。
巴御前と言えば鎌倉の頼朝様から生け捕れとの命が下っていた筈。
気は進まんが、だからと言って見逃す訳にも行くまい」

「不覚を取りませぬように」

「当然だ。手を出すなよ!ここで見ておれ!」

重忠は言い付けると戦う美少女に向かって駆け出す。


この重忠の動きと狙いを逸早く察知した義仲は、すぐさま巴の援護に駆け付けたかったが、敵の一画が崩れているのを眼にすると命じた。


「家包!広純!私と共に来い!敵の一画を破り突破口を拓く!」

「巴どのに敵将が迫っております!良いのですか!」
広純が聞き返すと、

「心配するな!巴は強い!広純が思っている以上に!それに!」

「それに?!」

家包が先を促すが、
「お喋りは後だ!続け!」


「はっ!」「はっ!」


義仲は家包・広純以下十数騎を従えて崩れた敵の一画に突撃して行った。



(先ず組み合ってみるか!)

重忠は巴との距離を一気に詰めると、大鎧の大袖[肩から上腕部を棒がする鎧の部位]に狙いを定め、これを掴もうと馬を巡らす。

と、すぐ手の届くところに巴の纏う鎧の大袖が上下している。
千載一遇の好機であると反射的に重忠が右腕を伸ばすと、巴の左側の大袖を掴んだ。

と、戦う美少女は軽く鎧で馬の腹を蹴り、馬は直ぐに反応し強く一歩を蹴り出すと、大袖を掴んでいた重忠の手がふっと外れ、馬は巴を乗せたまま二段[約5メートル]程、離れていた。

と、
「髪を掴まなかったのね。そういう心根は大好きよ。貴方、相当強いわ」

振り向いた戦う美少女が声を掛けて来た。


(私を試していたのか・・・この巴という女武将は・・・)


それに気付いた重忠は唖然として巴を見ている。


「でも、もう時間が無いの。じゃあね」

巴は最後、僅かに笑みを浮かべて一方的に言うとザッと駆け出した。

と、殺気を感じた重忠が弾かれた様に右横に眼をやると、そこに馬を駆けさせつつ流鏑馬の様に弓を引き絞り、その番られた矢の先が一直線に自分を狙っている一騎の武者の姿が眼に飛び込んで来た。

重忠は驚きに眼を見開き、冷や汗が背筋に流れ落ちて行くのを感じつつ動けないでいると、


「光盛!行くわよ!」


巴御前がその武将に声を掛けると、その武将は番ていた矢を下ろし、前を向くと巴と共に連れ立って駆け去って行った。


「巴!光盛!こっちだ!」


義仲の叫ぶ声を追い掛けて行くと、いつの間にか巴と光盛は畠山勢の包囲から脱出していた。

義仲と家包・広純らが突破口を抉じ開けてくれていたのであった。





「良いんですか?
敵将義仲を討ち取れず、巴御前にも逃げられてしまいましたが・・・」

成清は残念そうに言う。

「あの巴という者は一見、女に見えて実は鬼神だ。
あの様な者を無傷で捕える事など誰にも出来んよ。
それに美女に眼が眩んで矢傷でも負ってみろ。
永代の恥を晒す事になってしまうところだった・・・
まったくおかしな欲は出さんに限る」

重忠は苦笑して応じると、続けて命令した。

「こうなった以上は引くとしよう。御所に戻るぞ」




六条河原、五条、大路、三条、三条河原と立て続けに関東勢が襲い掛かって来たが、その全てを切り抜けた義仲勢第七軍は、もはや軍勢と呼べない程の惨状を呈していた。

六条高倉の邸を出た時には二〇〇騎だった軍勢は、今、主従併せて僅か七来たまで激減していたのである。


これは実に一九〇騎以上討たれた事になる。


しかしこの七騎の騎馬武者達はまだ諦めてはいなかった。
一九〇騎以上の味方を喪っても、その心は折れずに馬を駆り、先へ先へと進んでいる。



たった一つの約束を果たす為に。



「義仲様!このまま鴨川を渡河します!」

広純は前を向いたまま、義仲に声を掛けた。

「粟田口から京を出るのだな!」

「はい!その通りで・・・」

広純は応えている途中で、ザバッと馬から川面に落馬した。


「広純サン!」


戦う美少女が叫んだ。
だが、広純はその呼び掛けに応える事が出来なかった。

僅かに動く眼で周囲を見ると、どうやら仰向けで川の浅瀬に倒れているらしい事は判ったが、身体が動かず声も出ない。
息を大きく吸い込もうとした時、激痛が広純を襲った。

喉、腕、鎖骨、足、背中、至るところに木の枝を捩じ込まれたかの様な痛みがあるが、最も堪え難いのは喉の激痛であった。

広純は僅かに顎を引き、無理だと判っていても喉を見ようとすると、何本もの矢が身体から生えているのが見て取れた。

いや、矢が突き刺さっているのであった。
その時、視界が僅かに暗くなった。

見ると、戦う美少女と謳われる美しい人が馬足を緩めていた。


広純は激痛に苛まれる身体に残った最期の力を振り絞って、僅かに顔を横に振った。
馬を止めては駄目だ、と言いたかったが声を出す事が出来無いので、そうしたのである。

と、
「駄目だ!巴!馬の速度が落ちる!」
光盛の声だ。

広純は笑みを浮かべて、その通り、と頷きたかったが、もうそうする事は出来ず、その眼に写っているであろう光も、彼は感じる事が出来なくなっていた。


全身を襲っていた激痛も、もはや感じる事も無い。


上野の那波太郎広純は鴨川の水にその身を浸したまま逝ったのである。
義仲主従はこれで六騎となった。





「郎等の二騎は義仲様の左右に付け!
家包どのは先頭に!巴は義仲様の後ろに!
俺は一番後ろの殿[しんがり]に付く!
この隊形で近江に向かう!一気に駆けるぞ!」

光盛が指示すると、皆は無言で首肯き、指示に従う。

義仲主従六騎は粟田口に出ると山科に入り松坂を越え、四宮河原、神無社、関の清水、関明神を経て関寺の前を進み、近江に入ると勢多を目指して突き進んで行った。



「光盛どの!あれを!」
先頭の家包が警戒の声を上げて前方を指差していた。

皆は眼を細めて指差された方向を見ると、琵琶湖の湖面を背景に五〇騎程の騎馬武者の一団がこちらに向かって駆けて来るのが見えた。


「敵関東勢大手の軍勢だろう!奴らも京へ向かっている筈だ!」
光盛が応じると、義仲は頷き、

「敵との距離を取る!右に寄れ!」
命じると、一斉に隊列は右の方向に進路を変える。

しかし敵はこちらに比べると五〇騎を擁し、数で優っている為か、そのまま信頼を変えずに直進して来る。


だが義仲主従は逃げる為に右に寄ったのでは無い。
矢を射る為に、敵を左側で迎撃し易くする為だ。

六騎は一斉に矢を番え、弓を引き絞り馬を進めている。
皆、覚悟を決め肚を括っているのである。
戦って道を斬り拓くしか無いのだから。


互いの距離が一町程「約109メートル]に詰まった時、


「兼平!無事であったか!兼平!」


義仲が歓喜の声を上げると、矢を収め馬を賭けさせて行った。
驚いた光盛が眼を凝らすと、向こうの一団からも一騎、こちらに向かって駆け出して来る。


その馬上にいる者は、確かに四天王今井兼平であったのである。


五騎は義仲の後を追い、馬を進めていると、思わず光盛が安堵の溜め息を吐いた。


ふと気付くと光盛の前で、馬を進めている巴が振り向き、長く美しい髪を靡かせながら、その可愛らしい顔を綻ばせて言った。


「義仲様の願いを叶えるこのが出来たわね」
「ああ」

光盛も笑みを浮かべて頷くと、嬉しげな巴に話し掛ける。


「兼平も義仲様と同じ事を想っていた、という事だろうな」
「そうね。義仲様にとって彼は特別で、彼にとっても義仲様が特別なんでしょうね。わたしにとっても義仲様が特別である様に」

「だろうな」

(そして俺にとっての特別は・・・)

光盛は応じたが、その後に続く言葉は始めから口に出すつもりは無かった。





義仲主従六騎と兼平率いる五〇騎が合流すると、

「多くの敵の中を駆け破り、その多くの敵に後ろを見せてここまで来たのは、偏に私の我が儘だ。
兼平。私はどうしてもお前ともう一度、逢いたかった」


義仲はそう告げると兼平の手を取った。
その眼は、涙こそ溜めてはいなかったが、赤くなっている。

「その御言葉だけで報われた思いです。
私とて義仲様の事だけが気掛かりで、ここまで参ったのですから」

兼平らしく抑え気味に応えた。
が、その溢れる想いはしっかりと義仲に伝わっていた。



死す時は同じ時、同じ場所で、という幼い頃に互いに誓い合った約束は、破られる事無くこの二人の中で熱く息づいていた。



兼平は、ふと義仲から視線を外し、巴や光盛、家包らに目を移す。
その視線や仕草から兼平の意を察した光盛は、兼平と視線を合わせると眼を閉じて小さく首を横に振った。
すると兼平はそれだけで理解すると、眼を伏せる。


我らの他に生き残っている者は無く、宇治方面軍長瀬義員・四天王楯親忠・四天王根井小弥太行忠・第七軍越後中太能景・津幡隆家・那波広純らが冥界の門を潜り還らぬ人となった事を。

兼平はすぐに顔を上げると、京から義仲と共に来た者達に眼を向け、

「家包どの、巴、光盛。良くここまで義仲様を護り抜いてくれた。
感謝の言葉も無い。そしてお前達二人もな」

と、郎等二人に向かって頭を下げた。

「当たり前じゃない。でも、ちょっとだけ苦労したケド。ねぇ」

巴が胸を張って答えながら同意を求める様に光盛に目配せすると、

「そうだな」
笑顔で光盛が応じた。

と、
「兼平と逢う事が出来たら何も要らん、と思っていたが、こうして逢えた事で欲が出て来た。人というのは欲張りなものだ」
義仲が笑顔で告げる。


その笑顔は無垢そのもので、まるで子供の頃に戻ったかの様な笑顔であった。


「五〇騎の兵がいる。私はこれから最期の合戦をしようと思う」
眼を輝かせながら続けた。

その表情に思わず惹き込まれた兼平も、珍しく笑みを浮かべて、

「そうお思いでしたら、ここは私にお任せを」
幾分、芝居掛かった仕草で答えると、


「旗を掲げよ!」


郎等に命じると、間を置く事無く、七本の白い旗が掲げられた。
そして何故か旗を掲げている七人の郎等達は、この源氏を示す白い旗を左右に大きく打ち振っている。

と、間も無く、其処彼処からこの旗を目指して三〇騎、五〇騎と続々と軍勢が集まって来たのである。

義仲は、どういう事だ?という表情で兼平を見ると、


「もし、万が一の事が起こった場合に、と思い手勢を隠しておきました」
兼平が答える。

そして各所に潜んでいた兵達に集合の合図として、郎等に七本の旗を振らせたのである。
これは兼平が二〇〇騎を率い京に向かう直前に一計を案じ、兵達と打ち合わせていたのだ。


こうして五〇騎程だった義仲勢は、およそ三〇〇騎以上の軍勢となったのである。



兼平は、義仲が北陸へ向かう事も想定して、この様にしていたのであるが、ここ近江の打出の浜で義仲と再会しその眼を見た時、義仲が北陸へ向かう意思が無い事に気付くと、その事を口に出す事無く、義仲勢最期の合戦の為に将兵を呼び集めたのであった。





「良し。ではこれが我が軍最期の合戦となる。
目指すは関東勢大手の総大将蒲冠者範頼の首。
兼平、今こちらに向けて駆けて来る敵は誰の軍勢か」

義仲は何かが吹っ切れたかの様に言った。

「はっ。
おそらく甲斐の一条次郎忠頼どの、坂垣三郎兼信行どのの軍勢かと。
その数およそ六〇〇〇騎」


「ほぉ。先ずは六〇〇〇騎か。
敵関東勢大手は三万五〇〇〇騎以上と聞いている。
我ら三〇〇騎でどれだけの軍勢と亘り合えるか、敵に見せ付けてやろう。
では参るぞ!」



「「「ぅおおおおおおっ!!!」」」



号令を掛けた義仲を先頭に、三〇〇騎の死を賭した将兵達は、突撃を敢行した。
義仲が高らかに名乗りを上げると同時に。



「我は朝日将軍並びに征東大将軍源義仲!
我を討ち兵衛佐[頼朝]見せたくば掛かって来るが良い!
相手になってつかわそう!」




その戦いは苛烈を極めた。



気が付いてみると、馬を駆けさせ戦っている者は、義仲の周りを固めている四騎のみとなっていた。
つまり、義仲を含め主従併せて五騎しか生き残っていなかったのである。



義仲勢が関東勢大手の軍勢第一陣、甲斐の一条次郎忠頼・板垣三郎兼信の六〇〇〇騎に挑み掛かった後。

第二陣、甲斐の武田太郎信義・加々美次郎遠光兄弟の三〇〇〇騎。
第三陣、甲斐の逸見四郎有義・伊沢五郎信光兄弟及びその従兄弟小笠原長清の三〇〇〇騎。
第四陣、武蔵の稲毛三郎重成・榛谷四郎重綱兄弟の三〇〇〇騎を突破して行くうちに、義仲勢はほぼ総ての兵が討ち取られた事となった。


そして今、第五陣の下総千葉介経胤率いる三〇〇〇騎と戦い、その突破を試みている義仲主従五騎は、中心に義仲を配し、前方に家包、右横に巴、左横に兼平、後方に光盛という隊形を維持し、前へ前へと突き進んでいる。

この第五陣を突破すれば後に残るは関東勢大手の本陣・総大将蒲冠者範頼率いる七〇〇〇騎が控えていた。



義仲主従は僅か五騎になっても、敵の総大将目掛けて、ひたすら直進していいのであった。



その時。