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源氏編 1 源義賢の独白(前編)

私には兄が一人いる。
いきなりで済まないがここから話を始めよう。

この兄、頭は悪くは無いし、判断力もある方だ。決断する時には何もかも忘れて迷わず決断するし、武芸[弓や乗馬]もそこそこ熟す。

要は武将としては出来が悪く無い者だという事だ。
ただ、何故か父親に反発している。

紹介が遅れた、私の父の名は為義。
兄の名は義朝という。
そして私は源義賢。
私の一家は河内源氏。鎮守府将軍を何人も出している一家だ。
つまりは名家。

こういう家って内部では結構ドロドロというかドタバタする事がある。
特にウチは代々そんな事のオンパレードだったりしたから、親兄弟とか仲悪い。
…とは言え今の家族は言う程仲悪くはない。ってか、兄義朝だけが何が気に入らないのか為義に反発しているだけだ。
次男の私以下、弟達は皆、父とはうまくやっている。

考えてみれば兄の気持ちも分からなくは無い。
普通、武家って大抵は長男が嫡子[家を継ぐ子のこと]になるんだけど、父は兄を嫡子とはしなかった。これがゴタゴタの原因。
二人はもう口もきいていないだろう。

それについては私も心が痛まない訳では無い。
というのも、兄が無位無官だったとき…分かり易く言えば仕事が無く、無い以上役職も当然無い時…に、私は春宮帯刀先生という仕事に就いていた。
これは次期天皇予定者の親衛隊長というところ。
ま、皇太子の護衛隊の隊長かな。

この事で事実上私が嫡子という形になったから、それ以来兄は私に対しても口をきかなくなった。

目も合わさないし、合えば睨む。
すぐ態度に出るのは分かり易いが困った事だ。
私にはそんなつもりは無いのに。

そして兄は家出した。
まぁ家出というか、家を出て関東で一人暮らしを始めた。

一人暮らしといっても、ウチが名門なのでその長子であれば、いろいろな者が声をかけて来るし、寄って来る。暮らしには困らない。
兄は都から離れたところで自分の力をためしたかったのだろう。


一方私の方はと言えば、余り自慢出来るような事も無く、都で普通にやっていたような気がする。
帯刀先生の職についていたけど、ある時、蔵人所滝口の源備という者が殺害されて…ああ、言い直そう。警備担当の警察官が殺された事件があって、犯人は私が捕らえたんだが、この犯人が俺の知っている男で、匿ってやった。そして…バレて解任された。

帯刀先生の職は、私の後に弟の三郎義憲が務めた。
そして嫡子は、三郎の弟の四郎頼賢になった。
頼賢は実の弟だが、私の養子として嫡子になったんだ。



その後、私は荘園の荘官として能登荘を預けられたけど、これも解任された。
荘園の税を納めなかったからだ。
まさかいきなり解任は無いと思っていたんだ。
私の上司は藤原摂関家の頼長。日本にいくらでも荘園持ってるんだから。

一ヶ所、しかも一回くらいは大目に見てもバチは当たらないと思う。
実際足を運ぶまでピンと来ていなかったが、能登だけでなく地方の民は土地を捨てて逃げ出そうかという勢いで税の重さに苦しんでいたのだ。
逃げられてしまったら税どころの話ではないではないだろう?

私は無役になった。
しかし助けてくれる人が現れた。
武蔵国権守・秩父殿だ。
私を婿に迎え、北関東を任せたいと言ってくれた。

私は当初、上野国[群馬県]に行き、地元の豪族の協力もあって、その後、武蔵国[埼玉県]比企郡大蔵に居住している。我ながら順調に勢力を拡げてきた。

それに対し兄は上総国[千葉県]から今は相模国[神奈川県]鎌倉にいるらしい。

お互い勢力を拡大したのは良いが、隣り合ってしまいゴタゴタが増えて来た。簡単に言い換えれば、千葉神奈川連合VS群馬埼玉連合のイザコザの感を呈してきたのだ。


頭が痛い。と思っていたところ、驚くべきニュースが飛び込んで来た。

兄・義朝が下野守[栃木県]に就任したというのだ。
我ら河内源氏にとってこのような職をいただくのは約五十年ぶりの快挙である。が、素直には喜べない。というのも父・為義よりエラくなってしまったからだ。

どうやら兄は私や父や弟達の上司とは違う上司を選んだらしく、一人昇進出来たのだ。これは都の政局もあるだろう。政治の中心には私の一族内ゴタゴタ以上のドタバタがあるのだろう。


ともあれ、これで少しは兄が落ち着いてくれる事を願うが、そうは行かない世の中だ。この事により父は激怒。兄義朝VS父為義・弟義賢・その弟、という対決の図式が出来上がってしまった。

どうやら兄と敵対しなければならなくなった。
とは言え、私は別に兄には恨みは無い。
兄が一方的に私や父を怨んでいただけだ。
父はどうか知らないが、私は自分の方から兄に喧嘩を売るようなマネはしないでおこうと思う。

何と言っても同族同士で、ましてや家族内で戦う事程、無意味な事は無い。

私も現在二児の父である。
子供たちの顔を思い浮かべれば家族内で争う事など考えられない。
しかし兄義朝は、そうは考えていないだろう。
そして兄の息子達もそう考えてはいない事が、今日、痛い程判った。