義仲戦記53「残照」
「関東勢は既に宇治,勢多二方面より京中へ侵攻。
この上は京への帰還の好機は失われた事となり、逸早く京への御幸は取り止め、平氏一門は福原へ戻られよ、との主君義仲の言葉に御座います」
義仲勢の武将落合兼行が冷静に告げると、平氏方の御幸の行列より先行していた越前三位通盛と皇后宮亮経正の両将は絶句したまま馬上で固まっている。
義仲の命を受けた落合兼行は、京を出ると淀川沿いに南下し、摂津に入って富田[大阪府高槻市]辺りで平氏方の先行部隊の通盛と経正に行き合う事が出来たのであった。
兼行は続けて、
「関東勢は総勢六万騎以上。対する我らは五五〇〇騎。
そのうち一〇〇〇騎は行家討伐に向かわせ、これを紀伊国まで撃退する事は出来ましたが、四五〇〇騎では到底関東勢を防ぎ切る事は出来ず、主君義仲は京中での戦闘を回避するする為、現在、おそらく近江へ向かっているものと思われます」
詳細を説明すると、通盛は震える声で質した。
「近江?・・・丹波を抜けてこちらに向かう訳では無いのか?
・・・では北陸へと向かうつもりなのか?」
「あるじは丹波路から平氏方の福原へ向かうつもりも、北陸へ向かうつもりも無いでしょう」
「どう言う事です?」
経正も黙ってはいられなくなり問う。
「おそらく主君義仲はこの戦いで果てる事を決心なされたものと思われます」
兼行の言葉に、平氏方の両将は驚愕の余り言葉を続ける事が出来ずにいる。
続けて、
「我が主君はこうも仰っておられました。
“京で待つという約定を果たす事が出来ず申し訳無い”と」
告げると、平氏方の両将に向かって一礼し、馬の向きを変える。
と、
「兼行どの!京へ戻るつもりか!この上は我らと共に!」
通盛が焦って声を掛けると、
「そうです!我ら平氏の許へ!」
経正も声を上げた。
「いえ。有難い申し出ではありますが。それに私は京へは戻りません。
私には主君より託された事があります。
それをやり遂げる為に私は戻るのです。信濃へ」
兼行はそう宣言すると、もう一度深々と頭を下げて、
「では。通盛どの。経正どの。御健勝で」
「「兼行どの!!」」
自分の名を呼ぶ平氏の二人の武将に、兼行は手を上げて応じると、そのまま東へと駆けて行った。
通盛と経正は暗い表情で顔を見合わせると、
「義仲どのの御厚意を無駄にするわけには行かん。
一刻も早く御幸の列に立ち返り、この事を報せなければならん」
通盛が言うと、経正も大きく頷き、
「我ら先行の部隊はこれより一門の者達が待つ御幸の列に戻る!急ぐぞ!」
号令を掛けると、淀川沿いを南西に駆け出して行く。
主上[安徳天皇]を擁し一門の者達総てが同行している御幸の行列に向かって。
「こうなった以上は是非も無い。
このまま京へ向かう事は義仲勢を破り意気上がる関東勢の只中へ主上をお連れしてしまう様なものだ。
その様な事をする訳には行かん。
我らは直ちに福原へと戻り、関東勢の侵攻に備える事とする」
総帥宗盛が告げると、そうするしか無い、と解っている者達すら俯き、肩を落としていた。
通盛・経正が一門の許に立ち返り、兼行から告げられた事を報告すると、一門の公達・女官・女房ら・家人達に至るまで言葉を失い、その場に崩れ落ちる者までいた。
その落胆ぶりは決して大袈裟なものでは無い。
平氏一門の者達は去年七月に京落ちして以後の約七ヶ月間を、ただただ再び京へ帰還する事だけを心の支えにして、西海・西国での苦難に耐えて来たのである。
それが、明日には京に到着する、という所まで来て、引き返さなくてはならなくなったのだ。
その無念さ、悔しさはどれ程のだったであろう。
しかし、事ここに至った以上、主上の安全を確保するには再び福原へ引き返すしかなかった。彼ら平氏一門はここに再び昨年の京落ちと正に同じ様な辛酸を舐めつつ、目前の京から去らねばならなかったのである。
御幸の先頭に立ち、行列を導いて行く三位中将維盛の顔色は蒼白のまま、横に付けた馬に跨がる薩摩守忠度の言葉にも応じる事無く、俯いて馬を進めている。
その様子を痛々しそうに見詰めている軍事総司令知盛に、
「いつか必ず京に還れる、と信じましょう」
乳母子の伊賀平内左衛門家長が話し掛けた。
知盛は首肯きつつ、
「我が一門に運が残っておれば、そうもなろう」
応じた声を聴いた弟の本三位中将重衡が、
「これで我らはは鎌倉の頼朝、京の法皇・公卿、寺社勢力に対し、一門のみで対抗して行かねばなりません。以前、義仲どのが申された通りに・・・」
暗い表情で呟く。
知盛はそんな弟に視線を移し、小声で囁いた。
「本音を言って良いものなら、私は義仲どのの生き方が羨ましい。
強く、潔く、それでいて、いやそれだからこそ、しがらみを持たず思うままに生き方を選べる彼がな。しかし私はそうも行かん」
「主上を御護りし、一門の行く末に責任を持つ身なれば、ですか・・・」
重衡が言葉を添えると、知盛は苦笑し、
「そうでは無い。義仲どのとて麾下の武将達や郎等に対して同じ責任を負っている筈。言うなれば彼と私は似た者同士ではあるが、私には到底あの様には生きられん、と言いたいだけだ。
私にはまだ未練を断ち切る事など出来ん」
明るく告げると、重衡と家長は顔を見合わせ僅かに笑みを浮かべた。
と、
「重衡。お前も先頭に立ち、維盛どのと資盛どのを頼む。
忠度どのだけでは荷が重かろう。
私は殿[しんがり]に付き教盛どのと共に後方の警戒に当たる。
明日には福原へ戻るぞ。そのつもりで先頭を引っ張れ。良いな、重衡」
軍事総司令の顔に戻った知盛が指示すると、重衡は大きく首肯き、馬を行列の先頭へと駆けさせた。
それを馬上から見送った知盛は、路肩に馬を止めると行列が通り過ぎるまで、北東の方向の空に眼をやり、乳母子の家長と二人、京の空の辺りを眺め続けていた。
こうして平氏方の悲願である京への帰還は果たされる事無く、一門は福原へと戻って行った。
そしてこれ以後、好機を逸した平氏一門には再び京の土を踏む機会が訪れる事は無かった。
幾人かの例外を除いて・・・・・
「兼光さま!樋口兼光さまではありませんか!」
摂津から山城に入り、淀の大渡りの橋[桂川、宇治川、木津川の合流地点]を渡ったところで、前方から駆けて来た騎馬武者が叫びながら馬から降りると、一礼する間も惜しんで絶叫した。
「京へ戻られるには遅過ぎました!既に義仲様は討たれまして御座います!長瀬どの・志田どの・山本どの・那波どの・手塚どのは討死!越後中太どの・津幡どのは御自害!四天王楯どの・根井どのは討死!今井兼平さまは御自害して果てられました!」
「!」「!」
第一軍大将樋口兼光と千野光広は絶句し、しばらくは口がきけないでいた。
静寂の後、その穏やかな眼に決意の光を宿した兼光は、一〇〇〇騎の軍勢に向かって静かに口を開いた。
「皆、聴いてくれ。もはや義仲様は討たれた。その麾下の武将達も。
これ以上、我らが戦う理由は失われた。
主君に心を尽くしたいと思う者、故郷に親族を残している者、どちらもここを去るが良い。私はこれを止めようとはしない」
皆が騒つく。
動揺しているのだ。すると、
「兼光さまはどうなされるのですか?」
報告に来た郎等が問うて来た。
兼光はその郎等に眼をやると、
「そうか。お前は確か兼平の郎等であったな」
「はい」
「私はこのまま京へ向かう。討ち死にするかも知れん。
自害するかも知れん。或いは捕らわれて斬首されるかも知れん。
だが私はもう一度だけこの眼で義仲様にお逢いしたい。
弟の兼平にも。それが例え首だけになられた姿でも」
兼光は静かに告げる。
「私もお供致します」
兼平の郎等が頭を下げた。
と、
「俺も兼光どのと共に京へ参る」
「千野・・・いいのか?」
「ああ。だが俺は戦いに行くんだ。
斬首や自害は俺の趣味じゃ無いんでね」
千野はニヤリと笑いながら応じると、
「その気がある奴だけ付いて来い!これより京へ向かう!行くぞ!」
逸早く馬に跨ると千野は駆け出した。
淀川沿いを北上し鳥羽殿[京都市伏見区下鳥羽にあった白河・鳥羽上皇の離宮]の南門に至った時には僅か三〇騎程にまで減っていた第一軍は、臆する事無く鳥羽から京へと一直線に延びる造道[つくりみち]を駆け抜け、四塚[よつづか。京の朱雀大路に繋がる羅城門の跡]まで直進すると、七条を西の方向から関東勢が七条朱雀に駆け付けて来た。
と、
「俺は信濃国一之宮上社に連なる千野太郎光広!
個人的な事で済まねぇが、俺の八つ当たりに付き合って貰うぜ!」
「千野!待て!」
兼光が制止したが、いきなり名乗った千野は関東勢に駆け込むと、太刀を抜き馬ごと斬り掛かって行った。
瞬く間に二騎の騎馬武者を討ち取った千野に、
「我は筑前の原十郎高綱!参る!」
名乗りを上げた関東勢の武者が斬り掛かる。
「何処の十郎でも構わん!来い!」
千野は振り向きざまに叫び、原十郎の太刀を払う。
(馬鹿野郎!光盛!俺より先に逝きやがって!)
太刀を取り落とした原に突きを繰り出す。
(下社の大祝の息子のお前を一人で逝かせはいねぇ!
それが諏訪の人間の心意気ってやつだ!見てろ!)
原の身体に突き刺した太刀を引き抜いた時、左から別の敵が組み付いて来た。
押される様に馬から落ちる。
千野は咄嗟に敵の鎧の肩上{かたがみ。鎧を肩で支える部分]を掴むと、思い切り引き付け喉元に太刀の切っ先を当てた。
(まだまだ暴れ足りねぇ!次はどいつだ!)
どっ!と両者が落馬した時、千野の首と組み付いた武士の首に、両者の太刀が交差し深々と突き刺さっている。
千野は原十郎を含む関東勢三騎を討ち、そして最後の一騎と刺し違えて果てた。
千野太郎光広の戦いも、ここに終わりを告げたのであった。
光広と光盛は共に諏訪の生まれで年齢も近く、義仲麾下の武将達の中でも仲の良い二人であった。
上社と下社の違いはあるが、何と言っても信濃一ノ宮諏訪大社に連なる両家である。
その連帯と矜持は強く高く、幼少の頃より二人は弓の腕を競い合って来た好敵手の様な間柄であった。
(光広は光盛を待たせる事無く逝きたかったのだろう・・・)
兼光は千野の獰猛な戦い振りに眼を見張っていたが、その乱暴過ぎる戦い方は決して千野本来の遣り方では無い事も、同じ部隊で長く共に戦い続けて来た彼には判っていた。
何故、これ程までに荒々しく、まるで自分の命を棄てるかの様な行動に千野が撃って出たのか、ふと兼光は理解したような気がしていた。
と、
「義仲どの配下の四天王筆頭たる樋口兼光どのとお見受けした!
もはや義仲どのは討たれてしまっている!
これ以上、戦う事はあるまい!
我らは其方と旧知の間柄である武蔵児玉党の者だ!降伏されよ!」
関東勢の中から声が掛かった。
兼光は自分に付き従って来た三〇騎の部下達を見回すと、
「お前達はこれ以上付いて来る事は無い。
私は降伏して義仲様のお側に参ろうと思う。これまで御苦労であった」
兼光はここに、義仲勢最後に残った部隊の解散を命じると、労いの言葉と共に深々と頭を下げた。
「さあ。行くが良い」
兼平の郎等にだけ念を押す様に言うと、無言で見返して来る。
兼光は一つ溜め息を吐くと、鋭い眼付きになり、睨み付ける様に、
「これは私の最期の命令だけ。背く事は許さん。去れ」
低く命じると、その郎等は何かを振り切る様に踵を返すと馬を駆けさせて行く。
すると、次々とある者は単騎で、またある者達は複数で連れ立ち、駆け去って行った。
「児玉党の皆の御厚意に縋ろう!降伏いたす!
ただし今、駆け去って行った郎等達に手出しする様な素振りが見えた時には、四天王筆頭の名に賭けて其方達と刺し違える覚悟!」
兼光は告げると、ゆっくりと馬を進めた。
関東勢の待つところへ。
たった独りで。
「降伏して参った者を殺す事はあるまい。兄上はどう思われる?」
「私も九郎と同じ意見。しかも武蔵児玉党からの助命の嘆願が寄せられている以上、これを無視する訳にも行かない。
しかも既に義仲追討は完遂された。であれば」
「ではこれより参内し、後白河法皇に奏聞し許可を得るとしよう」
関東勢総大将蒲冠者範頼の言葉を最後まで聞く事無く、もう一人の大将軍九郎冠者義経は立ち上がると早々に退出して行く。
一月二一日。
関東勢搦手と大手の軍勢は京で合流し、その総大将や主立った武将らは、六条西洞院御所に詰めていたのであった。
そこに、義仲四天王筆頭樋口兼光の降伏の報が舞い込んだのである。
範頼の言った様に既に義仲は討伐され、しかも捕縛されたのならまだしも、兼光は自分から降伏して来たのであるし、また武蔵児玉党からは戦功と引き換えに助命を嘆願され、その命だけは助ける事が当然の事であった。
それが名高い義仲四天王の筆頭たる者であったとしても。
である以上は兼光の処分は軽く済ませる事で、この一件は落着する筈であった。
それに何故か義経が、兼光の助命に熱心だった。
それは諸国の高名な武士団と以前から交誼を深め、自身もまた高名な樋口兼光という武将を惜しんでの事であろうが、もしかしたら義経は己れの郎等として兼光を迎えようとしていたのであろうか。
これは武勇、剛勇の武士を己れの郎等にと望む事は、武将として当然の事だからである。現にこの時も、兼光は児玉党の戦功と引き換えにその命を保証されていたのだ。それ程の武将であれば、誰もが自分の麾下に加えたくなるのも無理の無い事だったのである。
果たして、義経の奏上は功を奏し、法皇は兼光を赦されたのである。
が、この事を聴き付けた法皇の近臣、女官や女房らが、その日の内に御所殿上の間に押し掛けると、兼光の助命を赦した法皇に対し、反対の大合唱を囀り出したのである。
『法住寺御所に攻め掛かり、火を放った挙句、法皇陛下を幽閉するという言語道断な不祥事を仕出かした者を赦されるなど、法皇陛下の権威が失墜致します!』
という比較的、真っ当なものから、法住寺御所での戦闘が余程恐ろしかったのか、
『四天王筆頭であるこの者を赦す事は、虎を養う事と同じ!
いずれ再び朝廷や法皇陛下に対し牙を剥く事となりましょう!』
という意見の他は、やれ、
『兼光も赦す事になったらわたしは尼になります!』
とか、やれ、
『御所を出ます!』
とか、やれ、
『私は淀川に身を投げます!』
『私は桂川に身を投げます!』
等々、もはや意見と呼べるものでは無く、ヒステリックな感情のみに突き動かされ、大合唱で法皇に迫った彼女らは、法皇を困らせ、更に根負けさせた挙句、決定を覆す事に成功したのであった。
という訳で、法皇は一転して先のお赦しを取り消し、ここに樋口兼光の斬首が決定したのである。
これが、貴族社会の復讐の遣り方であった。
そして一度決定した事を翻す事など、後白河法皇にとっては殆ど毎度の事、だったのである。
「意外と呆気ない幕切れでしたわね。法皇陛下を連れ去りもせず、北陸へも逃げず、向かった坂の言えば近江の勢多とは」
「まぁそのお陰で今、こうして居られるわけですから」
丹後局と宰相中将源通親は例によって、二人だけで密談していた。
しかし難が去ったという割には、丹後局の表情が厳しい。
だが、それに気付いた事を面に出さず通親は応じている。
「本当に竜頭蛇尾とはこの事だわ。
追い詰められたあの男がどの様に壊れて破綻して破滅して行くか、愉しみに見届けるつもりだったのに」
「そうですな。彼は京を去る時も一件の家も焼かず京の中では防戦に徹していた、と聴いています」
「立派ね。でも私が観たかったのはそんな綺麗なものじゃないのよ」
「でしょうな。
しかし彼にそれを期待したのは間違いだったかも知れません」
「あら。いつの間に通親どのは義仲贔屓になったのかしら?」
「事実を申し上げているだけです。贔屓になった訳ではありませんよ」
「どう言う事?」
「私は彼を見誤っていた、という事です。
彼が頼朝の様な者であれば、我らの期待に沿える様な壊れ方をして破滅して行った事でしょう。
が、彼は野心や虚栄心より、己れが正しく在りたい、正しく生きたい、
と強く望んだその結果、その様に生きて死んで行った、という事です。
こうした者は扱いが遥かに難しいものですから」
「その通りですわね。
でもあの取り澄ました様な眼だけは、許す事が出来ないわ。
まるでこの私を痛ましい者でも見るかの様なあの眼だけは」
「しかしそれも既に過ぎ去った事。
もはや彼はその眼を開ける事も出来無いのですから」
「そうですわね。この上はあの生き残って降伏して来た者の憐れな末路だけで我慢しましょう。誰が勝者なのかを思い知らせて」
「彼の関係者は全てが気に入らない、と?」
「ええ。
あの男もあの生き残った配下の者も皆、同じ様な匂いが致しますわ。
通親どのの仰った “正しく在りたい” という堪え難い匂いが」
吐き捨てる様に言う丹後局の様子には、何か嫉妬の様な感情があるのでは?
と感じた通親だったが、それは口が裂けても言える事では無かった。
しかし何故、丹後局が義仲勢に対してその様な感情を抱いているのだろうか。それは通親にも判らなかったし、もしかしたら当の本人すらその理由を自覚していないのかも知れない。
通親はその事に深入りせずに、話しを逸らせた。
「とにかく私としては伊子姫の相手がいなくなった事は悦ばしい事ですよ」
「まあ。本当に節操の無い。しかし明日には意中の姫の弟君[松殿師家]も摂政と氏の長者を解任され、元の基通どの{奇跡の脱出王]に戻されるとの事。僅か六十日の摂政職とは短命も良いところですわね」
「摂関藤原家の氏神たる春日大明神のお計らい、という事でしょう」
「まあ。ふふふふふ。それにしても楽しみですわね。
二十四日と二十五日は」
「どの様なものが見られる事になりましょうか」
丹後局と通親の密談はこの日、深夜まで及んだ。
彼はその間中、ひたすら罵られ、
悪罵の声を叩きつけられ、見せしめとして辱められ続けた。
一月二十四日。
この日、賊徒の首魁義仲をはじめ、四天王兼平、小弥太、楯以下、光盛、千野、長瀬、那波、山本、志田らの首級が京大路に渡された。
これを法皇は御所を出られて六条東洞院に於いて御覧になられた。
その両側にはこれも牛車に乗った公卿、貴族、女官らが鈴なりに車や輿を並べ、これを見物していたが、それ以上に京の住民らが大路の上下と両側に大勢詰め掛けていたのである。
この約半年前に颯爽と登場し、朝日将軍と特別な称号を授けられ、最期には叛徒の首魁として討伐された義仲の、物言わぬ姿を一眼見る為に。
義仲とその麾下の武将達の首級を太刀に突き刺し、
これを掲げた関東戦の武士らが大路を行列して行く。
この行列の先頭は九郎冠者義経、
その次に義仲の首級を掲げた武士が続き、
その後ろに履き物履く事を許されなかった裸足の四天王筆頭たる樋口兼光が続き、以下四天王や武将達の首級を掲げた武士らが続いていた。
これは兼光が自ら是非にと願い出た事であり、
こうして主君と僚友達の首級のお供をしていたのである。
しかし、義仲勢の主立った武将達がほぼ総て討死し、
唯一生き残っている兼光は、住民らの怨嗟と攻撃の的となっていた。
罵声、揶揄、嘲笑、そして石礫による攻撃の。
この凱旋将軍と、叛徒の死を祝う行列が大路を行進し、六条河原で検非違使[けびいし]に首級を渡し、更にこの首級を六条東洞院の北、獄門の樹に架けられるまで、兼光に対する攻撃は止む事は無かった。
だが兼光自身は、住民らの悪罵や嘲笑、蔑みの言葉などに感情を波立たせる事は無かった。
その様な雑音は夏場の蝉と同じで、鳴っていれば煩いが、鳴っているからといってどうと言う事も無いのである。
それにこの時の兼光はもはや、生者を相手にしてはいない。
彼は死に赴いた者達の事だけを想い、そして首級だけとなった亡き骸に想いを込めた視線を注ぎ続けていたのだから。
兼光は見ていた。
獄門の樹に架けられた、共に戦い、笑い、過ごしていた愛すべき者達の変わり果てた姿を。
あるじの首級には“賊首 源義仲”と書かれた布が、僚友達の首級にはそれぞれの名が書かれた布がその髪に結び付けられている。
その一人一人に愛おしそうな視線を送り、時には口許に僅かな笑みすら浮かべて、兼光は心に刻み付ける様に長い間、じっと彼らと対面していた。
(これは私の義務だ。
生き残った者の、というより四天王の筆頭だった私の。
そして私達の総ての情熱と、
総ての願いと、総ての希望と、総ての能力を注いだ
この生命を賭けた戦いの結末を見届ける事が、
四天王筆頭たる私の義務であり、
私に残された僅かな時間の間にしておかなければならない事でしょう。
が、もはや私の役目も終わった。
今、話したい、語り合いたい事が
山の様に胸に溢れて来ますが、
それは私がそちらに逝った時、
そちらで義仲様や兼平、皆に逢った時の事と致しましょう。
私もすぐにそちらに参ります。
どうか、それまでお待ち下さいますよう)
獄門の樹の前で、見張りの武士らに囲まれながらも、微動だにせず首級と向かい合っている兼光の姿を、牛車の中から独りでじっと見詰めていた丹後局は、ようやく己れの心の中にあるモヤモヤ、義仲やその麾下の武将達に対する嫌悪が、何に起因しているかが解けた気がした。
それは美しさ、だった。
外見の美醜では無い。
生き方の美しさ、である。
それは、一途、純粋、清廉、覚悟、迷い、信頼、約束、愛情、努力、勝利、挫折、絆、協力、希望、涙、笑顔、共感、誠実、真摯、尊敬、というものから構成され、これらが固く、時には柔らかく織り込まれる事で眩しい光と暖かさを宿す美しさだ。
その美しさを、彼ら義仲勢の者達の中に感じ、
憧れにも似た想いが自分の中に存在する事を
否定し、
否認し、
その事から眼を逸らし続けたことから生じた感情が、
嫌悪となって表れていた事を、
何故かこの時、悟ったのである。
つまり丹後局は自分の中で認めたのだ。
義仲やその麾下の武将達の生き様を、淡い憧れと羨望の思いと共に見詰め、そうしている彼らに嫉妬の様な感情を抱いていた事に。
丹後局が兼光の姿を見詰めている内に、生前の義仲や法住寺合戦の時の兼光の眼に宿っていたものが、決して他者を見下す様なものでは無く、一途、覚悟、共感の入り混じったものであったことに思い至ったのである。
それは今、彼女が見ている兼光の眼に宿っているものであったから。
丹後局は、ふぅっと息を吐き出すと、
少し軽くなった気持ちを苦笑と共に受け入れ、
「もういいわ。車を出しなさい」
牛車の外に控えている共の者に声を掛けると、車は静かに南に向けて動き出した。
(良いものを見せて貰ったわ。それは認める。口惜しいけど。
でも、私はこれまでも、今も、またこれからも
貴方達が大事にして来た、一途、純粋、清廉、約束、愛情、絆、希望、共感、誠実、真摯、尊敬とは無縁の世界で生きて来たし、
生き抜いて行く事になるでしょう。
私にだって覚悟や迷いはあるし、努力もして来たつもり。
でも信頼や協力や笑顔は利用出来る相手にだけ向けるもので、全ての人達に向けていた貴方達の様には今更なれない事も解っているし、なりたくも無い。
だって、私は挫折して涙を流す様な事だけは避けて来たから。
だから私には勝利は無いの。
でも別に勝てなくてもいい。
敗ける様な事にさえならなければ。
これが私の生き方。
この京で、貴族社会で蹴落とされずに綱渡りを演じ続けなければならない私の生き様。
私はもう貴方達に嫉妬したり羨ましく思ったりはしない。
貴方達が貴方達なりに精一杯生きた様に、
私は私なりに精一杯生きてやるわ。
その事をあらためて教えてくれた事に感謝する。
私をこんな気にさせてくれたのは貴方達だけ。
有難う。
そして、さよなら。
義仲、兼光、四天王、そして武将達)
ここ半年の、いや、彼女の半生に及んでいた得体の知れない焦燥感から解放された丹後局は、誰も見る事の出来無い車の中で少女の様に微笑んでいた。
それは彼女が忘れ掛けていた優しい笑みであった。
獄舎から引き出された兼光を、眩しい陽の光が迎えた。
思わず眼を細めた兼光は、
あの運命の日、
義仲が討死した一月二十日より今日までの六日間、
ずっと晴れの日が続いていた事にあらためて思い至ると、
何故か晴れやかな気分で歩を進める。
今日も京の町は相変わらず路の両側に人が溢れ、
引き立てられて行く兼光に罵声を浴びせ続けていた。
時折、石まで投げつけられている。
兼光はもうそんな事で煩わされてはいなかった。
何故なら、この日を待ち侘びていたのだから。
程なく五条西朱雀に到着した。
兼光は獄舎から五条西朱雀まで捕縛された姿を人々に曝され、この時も裸足のまま歩かされたのであった。
正に罪人として扱われた訳であるが、兼光の心は平静を保ち、ただただ来るべきものを待ち続けていたのである。
死を。
兼光は後ろ手に縛られたまま座らされ、両側から後ろに回された腕を掴まれると、ぐっと頭を前に突き出すような姿勢を取らされた。
そのまま顔を上げずに眼だけで周りを見ると、三人程の武士が待ち構えていた。
中央の武士は床几に腰を下ろし、あとの二人は兼光を見下ろす様に左右両側に立っている。
と、中央の年嵩の武士が首肯くと、左にいる武士がすらりと太刀を引き抜いた。
(これからそちらに参ります。義仲様。みんな)
兼光は心の中で死者達に語り掛けると、静かに眼を閉じてその時を待った。
がつっ!
骨から直截響いた音と衝撃に瞼が開く。
と同時に後頭部から左肩に掛けて、突き抜ける程の激痛が兼光を襲った。
斬首を執行する武士が斬り損じたのであった。
兼光は余りの激烈な苦痛から少しでも逃れる為、『疾く殺せ!』と叫びたい衝動に駆られたが、
(義仲様だって!皆だって!
この苦痛に耐えて逝った筈!
四天王筆頭たる私が耐えられなくてどうする!)
全身のあらゆるところに力を掛けて、眼を見開き、拳を握り締め、呻き声を洩らさない為に下唇を前歯で噛みちぎりながら、兼光は激痛を震えながら耐えた。
永遠の苦痛の時間であった。
後頭部を受けた刀傷から血が流れて出し、それが汗と一緒に耳から頬を伝って滴って行くのが判る。
だが、兼光は必死で耐えた。
が、意志に反して涙が滲んで来る。
(まだか!まだか!でないと私は懇願してしまう!
殺してくれと!頼むから疾くしてくれと!まだか!まだなのか!)
と、右側にいた武士が、失敗した事に狼狽え太刀を振るう事が出来ずにいる武士を押し退け、代わりに太刀を抜くと、そのまま振り下ろした。
兼光はやっと苦痛から解き放たれた。
もう、どんな苦痛も彼を苛むことの無い世界へと逝ったのだ。
義仲の戦いは幕を閉じた。
彼と彼の麾下の武将達の殆ど総ての死によって、この戦いは終結した。
だが、この国の戦乱はまだ終わりが見えずにいる。
そして義仲が生前に危惧していた様に、
一つの勢力が他の全ての勢力を滅亡に追いやるまで、
この戦乱は続いて行く。
その時にはもう、
戦いを終わらせる為に戦う者がこの世界に現れる事は無かった。
ある勢力は一門の滅亡を食い止める為に戦い、
そして力尽き、
ある勢力は戦いを回避した事で襲い掛かられ、
ある勢力はそれらを滅亡させ、
唯一の武力勢力として覇権を確立する為に
戦いは続けられた。
そしてその勢力が覇権を確立した後も
殺し合いが続く世界へと
変貌を遂げて行く
戦いを終わらせる為に戦う者が
ふたたびこの世界に現れるまで
了