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伝承の館(京都編)

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2021年3月の記事一覧

六孫王神社

六孫王神社

京都府京都市南区八条町 壬生通八条角

源氏の守り神と言える神社

頼政館

京都府京都市左京区吉田下阿達町

源頼政の館があった。

源頼政の墓

源頼政の墓

京都府宇治市宇治蓮華116

源頼政の墓。義仲の兄・仲家を保護し、育てた源頼政は、以仁王の挙兵に参加し、平等院付近で自害した。

安楽寿院

鳥羽離宮の中にあった寺。

京都府京都市伏見区竹田中内畑町74

新熊野神社

新熊野神社

後白河院が熊野権現本宮の祭神を勧請し、法住寺殿の鎮守とした。創建時は現状より数倍広い社域だった。後白河院は今様の会を催したり、政治的混乱時には参籠することで難を逃れたり政治的に利用していたとみられている。

京都府京都市東山区今熊野池田町

五条内裏

法住寺合戦の後、後白河法皇を義仲が一時的に幽閉した場所。院政期の里内裏の一。現在の俊成町・吉水町全域、大江町西側・大堀町北側・五条烏丸町東側の地にあたる。後白河法皇は1か月程度(1183年11月19日~12月10日)で院近臣・平成忠の宿所六畳西洞院にうつった。

京都府京都市下京区吉水町

高倉院跡

以仁王が住んだという場所。

京都府京都市中京区曇華院前町

宇治川先陣之碑

宇治川先陣之碑

義仲を討とうとする源義経率いる源頼朝の軍勢が競い合って馬で川を渡った場所。宇治川は以仁王の挙兵の際も合戦の舞台となった。

京都府宇治市宇治蓮華 塔川・府立宇治公園(中の島)

六条河原

現在の五条大橋以南、正面通辺りまでをさす。戦で捕らえられた敗軍の武士やその首は、検非違使が六条河原で武将から受取る習わしだった。また刑場でもあった。六条河原は平治の乱では合戦の地となり、法住寺合戦では義仲が打ち取った人々の首を竹に結んで懸けさせたという。粟津合戦の後は義仲の首も、六条河原で義経に受取られ、東獄門に懸けられた。

京都府京都市

囚獄司跡

1184(元暦元)年1月29日、木曾義仲の首がかけられた場所。源義朝・新田義貞の場合も同様に首が懸けられた。出水通、下立売通、西洞院通西、油小路通東にわたる方一町の地で、丁字風呂町南側、勘兵衛町・西大路町北側、近衛町東側の地にあたる。

京都府上京区勘兵衛町

梅宮大社

梅宮大社

「義仲軍により梅宮大社が追捕された時、社領の南に接する私領の本券文が盗み取られた」と建久6年(1195)11月6日付の今木貞経開発売券(梅宮大社文書)に書かれている。

京都府京都市右京区梅津フケノ川町30

法観寺

法観寺

義仲の首塚がある。もとは金園町西側の人家の裏にあり「朝日塚」と呼ばれていた。その後法観寺へ移転した。

京都府京都市東山区八坂上町388