義仲最期の戦い
〇元暦元(1184)年1月20日
〇滋賀県大津市
■ 陣容
勢田(今井)800
一口(志田)600
宇治(仁科・高梨・山田) 500
■ 戦の経過
①1月13日頼朝軍勢が数万騎、美濃・伊勢に
②義仲は都に入るルートにある宇治川・琵琶湖の勢田の橋を外し乱杭をうって大綱をはり、逆茂木をつないだ。宇治川、勢田、一口坂に兵を分け置いた。
・宇治川の合戦
③頼朝軍勢は二手に分かれ勢田、宇治川へ。宇治川は義経が率いていた。
④宇治川は狭く陣を広げられなかったので義経は人家に火をかけ場所を作った。
⑤義仲軍勢は驚き、敗戦を予感した。
⑥義経の軍勢は宇治川の流れもものともせず川を渡って、長瀬がまず討ち取られた。
⑦根井・楯も宇治川で奮戦したが討たれた。
・都
⑧義経は戦は武士たちに任せ後白河法皇のもとに向かう。
⑨義仲が松殿の屋敷を出た時には遅かった
⑩義仲数万の軍勢の中を戦いながら勢田へ向かう
・勢田合戦
⑪勢田の今井の軍勢は50余騎まで討たれていた。
⑫義仲と今井は奇跡的にめぐり逢うが、7騎まで討ち果たされてしまう。
■ 参考
上記は「覚一本」によるもの。