見出し画像

義仲戦記41「室山合戦」

(おいおい。スゲェな!こりゃイける!さすがワシじゃ!
やはり法皇陛下より御指名されたワシは天下の追討大将軍サマじゃ!
そこら辺に転がっている有象無象の木っ端武士どもとはワケが違うワイ!
この戦さ、もはや勝ったも同然じゃ!)


「ぅわははははは!」

新宮十郎備前守行家は疾駆する馬の上で一人、興奮を抑え切れないでいた。いや、最後の方は笑い声さえ上げていたのであった。
主に自分自身を褒めて上げるコトで忙しかったのであるが。

 平氏追討の院宣を賜り、翌日には京を出陣した行家と五〇〇騎の軍勢は一路、西へと進軍した。何故かこの時、行家は通常ならば京を出て南に進み、山城、摂津を経て播磨に向かう海沿いの路をとらず、京を出ると西に進み、大江山を越えて丹後路を経て播磨に向かう山沿いの進路を選んで進軍した。
これは海沿いの路を行く事で、敵の平氏方に動きを察知される事を嫌ったのであろうが、ただでさえ少ない軍勢を途中の小競り合いで減らしてしまう事を最も恐れた結果、山沿いの路を行く事にしたのであろうか。
 平氏追討に赴く行家が軍船の調達に関して全く何もせず、その様な事を考えもせず、それどころかその様な準備すらしないで、平氏方と一戦交えるつもりであった事に驚きを禁じ得ない。

 平氏方の現在の本拠地は讃岐の屋島なのだ。

 そこに辿り着く為には舟が無ければ行けないし、討伐などは夢のまた夢、である事にこの追討大将軍は気付く事も無かったのであろうか。

 本当にこの男は何をしに行ったのだろう。

 それとも行家は、本心では平氏追討など最初から真面目に完遂するつもりなど無く、ただ単に己れの知行国である備前国から平氏を追い出すつもりで出陣したのであろうか。

 であれば軍船を用意しなかった行家の行動も頷けない事は無い。播磨か備前のどこかで陸上戦闘に及び平氏を敗り、瀬戸内海に平氏方を追い散らす事のみを考えての事なのであろう。であれば確かに舟は必要では無い。しかし、繰り返すがこの海を知り尽くし、瀬戸内海を自由に航海する平氏方の討伐など、このやり方では永遠に達成出来無いのである。

 本当にこの男は何をしたかったのであろう。
 それとも行家には深謀遠慮的な深〜い考えでもあったのであろうか。



 ともあれ行家とその軍勢五〇〇騎は播磨に入ると南下し、揖保川を渡河した室津「瀬戸内海の要港]に至ると、この先に平氏方の軍勢が待ち構えている、との情報に接し、臨戦体制をとる事にした。

 そして追討大将軍として一応は武将の端くれである行家は、ここで郎等らに敵情偵察を命じると、平氏方は既に室津の背後にある丘陵地の室坂山に本陣を構えていたのである。

 郎等の報告では平氏方の総勢は約一万騎。実に行家の軍勢の二十倍の軍勢を擁していた。

 まともな武将であれば余程の勝算がない限り、仕掛ける事はしない。だが、敵を前にした時の行家の行動は単純明快である。つまり何も考えずに突撃するか、敵が強そうならば逃げる、という二者択一しか無いのだ。


 そこで追討大将軍はこの時、前者を選択した。何も考えずに突撃を命じたのである。
 繰り返すが二十倍の軍勢を相手に、行家がどの様な勝算を感じていたのかは永遠の謎だが、とにかく行家は全軍に突撃を命じ、自ら先頭に立って平氏方へと攻め掛かったのである。

 すると思い掛けない事に、平氏方の第一陣は脆く、一撃した、と思ううちに散り散りに引き退いて行ったのである。
 これに気を良くした追討大将軍は調子付くと、更に全軍に対し号令を掛け平氏方第二陣に突撃を敢行。
 これも第一陣と同じく、たちまち引き退いて行き、その様子を目の当たりにした追討大将軍は有頂天になりつつ第三陣に突撃。
 これも易々と突破した時には、行家は感情を抑え切れず大笑いしながら第四陣に突撃。
 お約束の様にこれも突破した時、行家は馬を疾駆させながら、勝利の予感に震えていた。

 と、目前に平氏方第五陣の軍勢が姿を現した時には、彼の予感は確信へと変わっていた。


それは快感であった。


それは彼の人生に於いて、彼自身の能力と行動で成し遂げた初めての勝利への確信であった。




「義仲どのの麾下の武将達から送られた書状によると、今回、我ら平氏に差し向けられた追討軍の大将軍は新宮十郎行家との事」

平氏方軍事総司令新中納言平知盛は、居並ぶ平氏の公達を前に報告する。

室坂山で戦端が開かれる前に義仲勢から追討使に関する第一報が届き、更にその後には行家の進軍経路に関する第二報が届いた時、知盛は一門の公達を招集し軍議を開いたのであった。

「この軍勢はおよそ五〇〇騎。しかし丹波路を進軍して来るとなると、丹波周辺の源氏と合流する事も考えられる。が」

知盛は一同を見渡しつつ説明していたが、ふと苦笑すると、続ける。

「人望の無い行家の事だ。兵が集まるとも思えん。
だが何故か人を唆して集める事は得意な行家だ。
軍勢を増やして来る事もあり得ない事では無い」

およそ緊迫感の無い口調で呆れた様に言う知盛に、公達も苦笑、いや失笑で応じる。
だが笑ってもいられない、と知盛は表情を引き締め、

「何故、行家が南回りの山城・摂津を経て播磨に至る進路を採らなかったかは私の考えの及ぶところでは無いが、進軍経路が丹波路である、と報された事で私の策は決まった」

公達の者達の間にぴしりとした空気が漂い、心地よい緊張感に包まれる中、知盛は続ける。

「行家は海戦を想定していない。だからこそ軍船の徴発に有利な南回りの海沿いの進路を採らず、山沿いの丹波路を進軍経路とした訳だ。
こうなると行家の目的は明白となる。
陸上での合戦に於いて我ら平氏と雌雄を決するつもりなのであろう」

知盛は一度言葉を切り、一同を見回すと公達らは力強い視線で見返してくる。
一門の者達の士気が昂まっている事に満足を覚えた知盛は、眼付きは真剣なまま口許だけに笑みを浮かべると、

「そこで我らは屋島を出撃し播磨に上陸。
室津周辺の室坂山に本陣を構え、追討軍の撃滅を企す」

戦略目的を告げた。


「「「おおおっ!!!」」」


一門の公達、家人達が重々しく応じ、知盛は上座に着座している兄の総帥宗盛と、母の二位尼。妹の建礼門院徳子に視線を移し深々と一礼すると続けた。

「この度も主上[安徳天皇]や総帥・女官・女房らは屋島に留まって頂きます。
屋島の防衛は門脇宰相教盛どの[清盛の弟]、薩摩守忠度どの[清盛・教盛の弟]、越前守三位通盛どの[教盛の長男]、能登守教経どの[教盛の次男、通盛の弟]、以上四名の大将軍が一万騎の軍勢を指揮し、これに当たって頂く」

教盛、忠度、通盛が無言で小さく頷く。
が、はずれ籤を引いてしまったかの様な顔で、無念そうにしている教経を横眼で捉えると、思わず破顔してしまった知盛はそのまま命令を続ける。

「追討軍の迎撃の為、出陣する軍勢は一万騎。
これを私が直截、総大将として指揮し、副将軍には本三位中将重衡[宗盛・知盛の弟]。侍大将は伊賀平内左衛門尉家長[知盛の乳母子]、越中次郎兵衛盛嗣、上総五郎兵衛忠清、上総悪七兵衛景清[忠清の弟]、そして飛騨守藤原景家、以上の五名に任ずる。
この迎撃軍の第一の目的は追討軍の撃滅にある事は無論だが、その勝利を足掛かりと為し、その後に我らの軍勢は福原へ侵攻、これを奪還する事を最終目的とする」

一瞬、水を打ったかの様な静寂に包まれた広間だったが、直後、


「「「おおおおおっ!!!」」」


公達、家人達の雄叫びが重低音で響く。
しかしその響きには士気の昂揚もさる事ながら、悲願達成へ向けての覚悟の響きも含まれていた。

平氏一門にとっての悲願は京へ帰還する事であり、旧都福原を奪還する事はこの悲願を成就する為の第一歩として重要な意味を持つのであった。

その一門の期待を一身に背負った知盛は、最後に主上とその傍らに控える二位尼と建礼門院[安徳の母、宗盛・知盛・重衡の妹]に向き直ると、


「主上に於かれましてはこの屋島にて戦勝の報せをお待ち下さい。
そして必ずや福原を再び我ら一門の手に取り戻し御迎えに上がります」

そう告げると手をつき深々と平伏する。
一門の公達、家人達も同様に主上に対し平伏した。


「それでは参るぞ」


知盛が立ち上がると、屋島を出陣する軍勢の大将軍、侍大将達も無言で立ち上がると総大将の後に続いて広間を退出して行った。





「明日には行家の軍勢が姿を現すだろう。そこで」

讃岐屋島を出陣した平氏方の迎撃軍一万騎は、播磨室津に上陸すると、すぐさま室坂山に本陣を構築、追討軍を迎え撃つべく布陣していた。
そして戦端が開かれる前日、平氏方は本陣に於いて軍議を開いていた。

総大将知盛は物見の報告を受けると、迎撃作戦の詳細に付いて告げようとした時、

「お待ち下さい、総司令」
重衡が遮って発言した。

「兄上で良い。どうした重衡」

「はっ。では兄上。
この度の戦いの指揮、何卒この私に任せて頂けませんか」


重衡の突然の申し出に侍大将軍達は眼を見開いた。
が、誰も異存を唱える事無く、遣り取りを見守る。

「私は三年前の墨俣の戦い[一一八〇年]の折、新宮行家と戦って奴を取り逃してしまいました。
我ら一門に対し叛乱を企て実行した尾張・三河・遠江辺りの源氏を唆して回った首謀者は行家です。
前回は取り逃してしまいましたが、この度は私の手で必ずや討ち果たして見せます。兄上。どうか私に」


重衡が静かに、それでいて闘志を内に秘めて穏やかに言うのを黙って見詰めていた知盛は大きく息を吸い込むと、

「いいだろう。新宮行家を見事討ち果たして見せろ」

快諾すると、居並ぶ侍大将達にも笑みがこぼれた。


重衡はこの内戦が勃発するまでは文官として朝廷に出仕し、その能力の高さから将来を嘱望されていたが、いざ源氏と平氏の内乱の時代に突入するや、文官だけで無く、武将としての才能を開花させ、今や一門の中では知将たる総司令知盛、猛将たる教経、文武兼ね備えた武将忠度に次ぐ、第四の武将として重衡は頭角を現して来たのであった。

知盛としても一門の中から優れた武将が輩出してくれるのは歓迎すべき事であったし、以後の戦いの事を考慮すると、この度は重衡に総指揮を任せて実戦経験を積ませた方が良い、と判断したのである。
そして侍大将達も、武将としての重衡に期待を掛けていた為、この総指揮を執る者の変更は、すんなりと決定したのであった。

重衡は皆の了承を得ると無言で兄に一礼し、

「ではこれより私が総指揮を執る。行家を迎え撃つ為に我が軍を五つに分け、本日中に配置に着いて貰う事になる」

早速、作戦の説明を始めた。

「第一陣は飛騨守景家。第二陣は越中次郎兵衛盛嗣。第三陣は上総悪七兵衛景清。第四陣は伊賀平内左衛門尉家長。そして第五陣に私と兄上、上総五郎兵衛忠清。
第一陣から第四陣までの各隊はそれぞれ一〇〇〇騎。第五陣は六〇〇〇騎となるが、これを前段三〇〇〇騎と後段三〇〇〇騎とし、前段の指揮を私が。後段の指揮を兄上と五郎兵衛忠清が執る事とする。第一陣は室坂山の」

重衡は淡々と各部隊の大将に、配置と作戦を説明していく。
その弟の様子に知盛は驚きつつも頼もしげに見詰めていた。

「所詮、平氏の一門など貴族にカブれ、貴族の真似事を得意とするだけの中途半端な奴らじゃ!
武士の心を忘れた奴らに我ら源氏の強さと心意気を見せ付けてやれ!
行くぞ!」

勝利の確信に酔い痴れている行家が、言うに事欠いて、お前が言う、的は寝言を叫び、平氏の第五陣に肉迫する。

そして調子付いた行家率いる五〇〇騎の軍勢は正に疾風の如く戦場を駆け抜け、遂に平氏方の本隊である第五陣に、騎馬の速度と勢いを叩き付ける様に突撃して行った。

かに見えた時、
「紀三兄弟!射よ!」

平氏方第五陣前段副将軍重衡が命じた直後、紀三兄弟と呼ばれた平氏の家人、紀七左衛門・紀八衛門・紀九郎が同時に矢を射る。
と、それを合図に平氏方から一斉に矢が放たれた。


「何じゃ!」

先頭を駆けていた行家の周りにいた騎馬武者らが立て続けに落馬した。
平氏方の一斉攻撃の矢に射られたのである。

行家は瞬時に酔いから覚醒すると思わず振り向く。

その眼に映るものは信じ難いものであり、次々と味方の武士らが射られて落馬していく光景であった。

と、がちっ!という音と共に行家の頭が前に大きく振られた。

平氏方の射た矢が行家の後頭部を直撃したのだ。
しかし兜のお陰で矢は弾かれ、行家は事無きを得た。

が、その時、
「皆の者!良く耐えた!良く敵を引き付けてくれた!
これより我らの逆襲を始めるとしよう!手加減致すな!
我が一門の総司令は行家の首を欲している!
行家を討ち果たし奴らを殲滅せよ!掛かれーっ!」


重衡の大号令が発せられると、今までの鬱憤を晴らすかの様に平氏方第五陣前段の軍勢が前進を開始した。
その間も平氏方は行家勢に対し集中的に矢の雨を見舞っている。
この時、行家勢の前進が止まった。


行家ら先頭に立って突撃していた武士らが馬から射落とされて突撃の速度と勢いが落ちた以上、後続の騎馬武者も馬の足を緩める他無い。


この瞬間を重衡は待っていた。


遂に、この日初めて平氏の軍勢が反攻に出た。
そして狩りの時間が始まったのである。


「ええい!思う様にならん!前面の敵は数が多過ぎるワ!
こうなったら撤退じゃ!引き返すぞ!」

劣勢に回った時の行家の決断には迷いが無い。

それに彼が最も得意とし、またこれまで幾多の戦いに於いて殆ど毎回実施して来た事をここでもまた実行したに過ぎない。


そう。逃げ出したのである。


行家にとって戦いに勝利する事は所詮二義的な事でしか無い。彼にとって最も大切で一義的なものとは、己れの命、なのである。

まぁこれは殆どの人間の偽らざる本音なのであろう。それに戦闘中に不利に陥った時には後退や撤退が正しい選択の場合もある。

だが、行家の場合はそれとは少し意味合いが違うのだ。
彼は己れの命だけが大切であって、部下や郎等の命に付いてはこれを顧みた事など無いのである。

いやしくも一軍の大将として兵達を率いる立場の者が、こう思い、そしてそう行動してしまう事は、やはり殆どの人間が眉を顰めてしまう様な行為であろう。

こういう彼が軍勢の頂点に立ち指揮権を行使する事は悲劇でしか無いが、最も被害を被るのは彼の部下であり、郎等らなのである。



ともあれ行家は撤退命令を下した。
行家勢にとって最も困難である敵の正面からの撤退である。
しかも平氏方からの矢の集中砲火は凄まじく、矢を射返すどころか顔さえ上げる事が出来無い程、矢が降り注いで来る。
である以上、矢を避ける為には後方へと引き返すしか無かったのであった。


「続け!続けーーーっ!!」


行家は殆ど馬の首に抱き付くくらい身を屈めて弓を脇に挟み、敵から少しでも逃れようと必死に馬を駆けさせる。

後方からの敵の矢が少なくなって来た事に気付いた行家が漸く顔を上げた時、

「今だ!射よ!」

平氏方第四陣侍大将伊賀平内左衛門尉家長の号令が掛かると、後退して来た行家勢に右側から矢が襲い掛かった。


行家は一息吐く暇も無く、またも顔を伏せると逃げ出した。
それしか出来無いのである。

と、
「射りゃ当たる!一人も逃すな!」

平氏方第三陣侍大将悪七兵衛景清の号令である。
今度は左側からも一斉に矢が飛んで来る。
行家勢は後方、右側、左側の三方から間断の無い攻撃に曝されている以上、退却を続行するしか無かった。



「総司令知盛様。第五陣前段が前進して行きます。
重衡様が反撃に移ったのでしょう」

平氏方第五陣後段侍大将五郎兵衛忠清が報告すると知盛は首肯き、片頬だけで笑みを浮かべると、

「では我ら第五陣後段も前進だ。重衡の策、見事に嵌まったな」

「行家の命、今日までで御座いましょう」

忠清が頭を下げつつ応じた。

知盛は侍大将に流し眼を送って応じると、号令を発した。


「第五陣後段、これより前進する。ただし前段に追い付いてはならん。
前段との間に適切な距離を取れ」

平氏方は行家勢を追い詰める為、じわじわと攻撃の手を強めていった。




「ええい!忌々しい!このワシとした事が!
敵を深追いし過ぎたとはノゥ!だが所詮は貴族カブれの平氏!
口は達者でもこのワシを討ち取るなど百年早いワイ!」

降り注ぐ矢の中を駆け抜けながら、行家は愚痴染みた事を罵り続けていた。

どのくらいそうして逃げていたのか判らなかったが、後方、左右からの矢がみるみる減って来ている事に、逃げる事に関しては熟練の域に達している行家は気付いた。

と、行家は顔を上げ嘲笑染みた嗤い顔をすると、


(ほれほれどうした平氏の公達どの?
そんな追撃ではこのワシに追い付く事は出来んぞ?
まったく追いかけっこすらマトモに出来んとはナ!)


「ぅわははは・・・は?」


随分と余裕を取り戻した行家が、平氏を愚弄する様な考えに気を良くして思わず高らかに嗤い出していた。
が、その嘲笑いは途中で凍り付いていた。



平氏方の軍勢が行く手を阻み、行家勢の退路を遮断していたのだ。



行家は嘲笑いの表情を顔に貼り付けたまま凍り付き、冷や汗が額から流れ落ちるのを感じた時、

「第一陣及び第二陣!突撃せよ!」

平氏方第二陣侍大将越中次郎兵衛盛嗣が満を持して号令を掛けると、第一・第二陣総勢二〇〇〇騎は、わずか八〇騎まで討ち減らされていた行家勢に襲い掛かった。

「目指すは新宮行家の首のみ!討ち漏らすな!行くぞ!」

平氏方第一陣侍大将飛騨守景家は先頭に立って突撃して行く。
一時は一門の中で死亡説が囁かれるなど存在感を無くしていた景家だったが、先の水島の戦いで義仲勢の大将を討ち取った能登守教経・越中次郎兵衛盛嗣を凌ぎ、義仲勢搦手総大将海野幸広を討ち取った事で、水島に於ける戦功第一としてこの“家人の中の第一の勇者”はその称号に相応しい尊敬と存在感を取り戻していたのであった。

平氏一門に対する忠誠と、武士としての闘志を復活させて。


行家は焦り捲って周囲を見渡すと、前後左右全ての方向に敵が犇めいていた。行家は初めて己れが包囲されている事に気付くと、

(おのれ!謀られたワイ!)

漸くその事に思い至る事が出来た。
しかもいつの間にか五〇〇騎だった味方の軍勢が激減している事も。

(こうなったら!)

行家は瞬時に決断すると、迷う事無く敵へと突進して行った。


戦う為に覚悟を決めたのか。


いや。
そうでは無く、敵の薄いところ、疎らなところへ向かって突進したのだ。
つまり行家は己れの信念を一貫させた事になる。



逃げ出す事に迷いの無いこの追討大将軍は、逃げ延びる為に必要となった時、その太刀を抜くのである。
この時もそうだった。
行家は太刀を引き抜くと敵に向かって行った。
戦って敵を斃す為で無く、この窮地を脱し逃げ延びる為に。


だが、この戦いの決着が着くまで長い時間は掛からなかった。
平氏方に包囲された行家勢は正に殲滅の危機に直面していたからである。
五〇〇騎の軍勢はその殆どが討ち取られるか生け捕られるかして、戦っている者はたった四騎を残すのみとなっていたのである。

こうなるともはや殲滅の危機どころの騒ぎでは無く、全滅という最悪の事態に至った、と言っても過言では無い。



しかし、行家は生き残っていた。


この四騎の中に追討大将軍も含まれていたのである。
包囲網の隙間から抜け出す事に運良く成功した四騎は一目散に逃げていたのだが、追撃する平氏方の方が速く、追い付かれそうになった時、もはやこれまで、と覚悟を決めたのか或いは最期は武士らしく戦って果てたいと思ったのか、四騎のうちの半数ニ騎がその場に踏み留まり、追撃して来る平氏方の先頭に突進して行ったのである。


「我は伊賀の柘植十郎有重!」

「俺は美濃の折戸六郎重行!参る!」

追撃する平氏方の先頭にいた盛嗣は、横に並んで馬を駆けさせている景家と視線を交わすと、柘植と名乗った武士の馬に己れの馬を押し並べた。

と思った瞬間、既に轡[くつわ]の上で立ち上がった盛嗣は左手で柘植の兜を押さえ付け、その顕になった喉元に太刀を突き込んでいた。

盛嗣は鞍に腰を落とし周囲を見ると、景家も折戸と名乗った武士の首を高々と掲げている。

しかし、この好機を追討大将軍は逸する事は無かった。
驚くべき事に行家は、柘植と折戸が引き返して討ち取られてしまう僅かな間に追撃を張り切り、逃げ延びる事に成功したのである。


正に奇跡の逃亡劇であった。


しかも行家の奇跡はそれだけでは無い。
この室坂山の戦いで、五〇〇騎の軍勢は全滅し、追討大将軍行家とその郎等一人のニ騎のみ逃げ切る事が出来た訳だが、郎等は身体中に矢や長刀などにより何ヵ所も負傷していたのに対し、行家は全くその身に傷を負う事無く、平氏方の包囲網を突破し逃げ切ったのである。

この不吉な男の悪運は尽きる事が無いのであろうか。


とにかく行家とその郎等は室坂山からの脱出を果たすと、そのまま海沿いの路を東へと落ち延び、どうやったのかは判らないが播磨の高砂で舟を調達すると、海路で和泉国[大阪府南部]に流れ着き、そこで上陸すると和泉を通り抜け河内国[大阪府南東部]の長野城[大阪府河内長野市]に立て篭もり、その命を繋いだのであった。

晴れて法皇より追討の院宣を下され、追討大将軍として迎えた室坂山の戦いは追討軍の全滅により、その大将軍行家の戦いは幕を下ろした。

惨敗、などというものでは無い。
全滅、なのである。

だが、将兵らを顧みる事無くその血を流させ、己れは無傷で逃亡したこの厚顔無恥な男の命脈は断たれてはいない。


この事がどの様にこれ以後の内乱の歴史に影響する事になるのであろうか。






一方、この戦いで勝利した平氏は、行家こそ取り逃がして完全勝利とは行かなかったが、水島、室坂山と合戦で立て続けに勝利を納めた事で、備前、播磨両国をその勢力範囲下に取り戻す事に成功した。

遂に平氏一門は自らが拓き、そして一時は京にもなった旧都福原への足掛かりを得たのである。

そして合戦に二連勝した事でその勢いと士気は大いに上がり、西国・西海に平氏あり、という事を民衆・武士・僧侶・貴族・公卿・法皇に知らしめたのであった。


平氏一門は一歩、また一歩とその悲願である京への帰還に向けて、着実にその歩みを進めている。
東へ向けて。


同盟者、義仲の待つ京へ至る為に。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!