六条河原

現在の五条大橋以南、正面通辺りまでをさす。戦で捕らえられた敗軍の武士やその首は、検非違使が六条河原で武将から受取る習わしだった。また刑場でもあった。六条河原は平治の乱では合戦の地となり、法住寺合戦では義仲が打ち取った人々の首を竹に結んで懸けさせたという。粟津合戦の後は義仲の首も、六条河原で義経に受取られ、東獄門に懸けられた。

京都府京都市

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