倶利伽羅合戦
〇寿永2(1183)年5月11日
〇富山県小矢部市
石川県津幡町
〇平家 7万 VS 義仲軍 5万
義仲は七手にわけて進軍し、夜の闇と地形を生かした巧みな作戦で十万の平家の軍勢を翻弄した。平家は最大一万八千騎が谷底に落ちたとされる
〇流布本・覚一本による陣容
源行家 1万騎 志雄山
樋口・落合 7千騎
仁科・高梨・山田 7千騎
それぞれ北・南黒坂
巴・根井ほか 1万余騎
砺波山の裾に隠す
今井 6千騎 日の宮林
義仲 1万余騎 埴生
〇源平盛衰記の陣容
①志雄山 一万
源行家・矢田・楯
海野・成合・落合
②弥勒山 二千騎
根井・蟹谷
③日宮林 二千騎
今井・石黒・高楯
④搦手 三千騎
樋口・林・富樫
⑤北黒坂 二千騎
依田・円子・諏訪
小林・小室・宮崎
向田
⑥鷲岳 千騎
巴・水巻
⑦大手 三万騎
義仲
倶利伽羅合戦の陣容は諸本によって違いがあり、細かい武将の配置が入れ替わっている。
大まかに①志保山②南・北黒坂③夜襲に備え隠した一万騎④今井⑤義仲の本体
という構成で共通している。
砺波山は黒坂山との別名もあり、中・南・北黒坂の加賀に抜ける道が3つあった。義仲軍は地元でしか知られていない南・北黒坂ルートを活用し平家を追い詰めた。
〇戦の詳しい展開
①義仲軍勢を7手に分ける
②樋口の軍勢は地元の武士しか知らない峠の裏道で富山県から石川県に向かう
③義仲の本陣が平家と対面し330メートルほどまで近づく
④源氏が出した数に合わせて平家も同じ数の矢を放ったり、兵を出した。
⑤勝負をかけようという雰囲気にもなったが、源氏側が勝負にのらなかった。
⑥平家は石川と富山の県境の猿ケ馬場地域まで兵を引いた。
⑦暗くなったころ、樋口が率いる軍勢が峠の石川県側にある倶利伽羅の堂のあたりに到着、大きな音を立てて鬨の声を上げた。
⑧義仲はじめ富山県側にいる軍勢が一斉に鬨の声を上げる。
⑨四万騎の軍勢があげる声に驚いた平家は慌てふためき、谷底に転げ落ちる。
★義仲は牛を使った…!?
源平盛衰記には義仲が牛を使ったと書かれています
・牛4~500匹を集めて角に松明をゆいつけて夜が更けるのを待っていた。
・樋口が鬨の声を上げ、他の武士たちも鬨の声を上げたとき、義仲は松明に火をともし平家の陣へ追い入れた。
牛の角に松明をつけることはできるのでしょうか?またたくさんの牛をどこから連れてきたのでしょうか。
富山県の南砺市には、倶利伽羅峠から逃げてきた牛の伝説がいくつか残っています。
〇勝利を感謝した義仲が祈願・寄進をした神社
〇倶利伽羅合戦に由来する祭
〇供養塔
〇温泉…
〇平家残党にまつわる伝承