義仲ものがたり #8

~信濃源氏・長瀬義員が見た義仲~

■前回までのあらすじ
長瀬義員は源氏の血を引く信濃源氏。とはいえ義仲とははるかに遠い親戚だ。元服前に鉢盛山で馬を駆けていて偶然出会った長瀬を義仲は信頼し、気に入っている。義仲が小県郡依田に城を構えるにあたり、長瀬は現場責任者として依田に入り、時は流れた。
1180年以仁王の令旨をきっかけに、戦乱の世が幕を開けた。長く平穏が続いていた信濃国でも笠原平五頼直が善光寺平に攻め入り市原の合戦となった。義仲は鮮やかな勝利をおさめ、依田城に戻ってきた。


 市原合戦にいたる義仲様の動きは、鮮やかすぎるほどだった。俺、長瀬義員は依田城の守りを任され、義仲様の嫡男・高寿丸様や、海野の姉様と戦況報告を待っていたが、城を出て行ったときと同じ様子で義仲様や滋野一族が戻ってきて、こころからほっとした。

「笠原が率いる軍がどのくらいのものかわからなかったとはいえ、全員総出で、大軍を戦場に寄せる必要があったんですか?」

うっかり口から本音が滑り出てしまった。


 俺は義仲様と海野の姉様に挟まれて、大広間で武将のみなさんと向き合っていた。知らん坊主も交じっている。
 俺の声を聞いて姉様は静かに目を伏せたが、今井殿、手塚殿、根井殿、楯殿の刺すような視線が一気に向けられた。巴殿は瞬時に俺の横まで移動している。

うあぁ…やばっ…く…び…!?

巴殿の手刀を義仲様が押さえた。
「まあ…俺たちが駆けつけたら笠原は逃げ出したからなあ」

義仲様がにっこり笑って応えた。巴殿はその場に静かに座り込んだ。

「義仲様の判断は非常に妥当なものと言えます」
「?…義仲様このお坊さんは…どなた…?」

「愚僧は大夫坊覚明と申す」
「またぐそーとか言って!かっこつけ!やめなよ」

巴殿が手刀ならぬツッコミを知らん坊主に入れた。いつの間にこんなに親し気に…?

「私が連れてきた、というか、押しかけてきた、というか。」
「今井殿…本気ですか?戦場で、突然押しかけてきたって、怪しすぎませんか。いや、怪しすぎでしょ!」

俺が言うと、その場にいた武将たちが我に返ったように知らん坊主を一斉に見た。そして

「「お前、大夫坊覚明って、名前だったか???」」

えっ、偽名???この坊主ますます怪しい!!!

と俺がジト目で坊主を見ていると、義仲様が言った。

「ここに来るまでの間に、俺が付けた!」

「義仲様、どういうことです?」

手塚殿が驚きながら問う。

「都でやらかして信濃まで逃げてきたんだろう?これまでの名前で活動していると、障りがあるのではと思ってな。」

「さっすが義仲様!キれてるぅ!」

義仲様は謎に胸を張る姿を見て、根井殿が大声で笑いながら言う。つられて大広間は笑いで包まれた。
俺は怪しい気分が抜けきらず、まだジト目で見ていた。気が付くと姉様も笑っていなかった。なぜだろう、そんな姉様と知らん坊主は妙に雰囲気が似ていた。

「長瀬。見得というのが大事なのだ。」

姉様が静かに俺に言った。

「わざと多くの兵を集め、押し寄せて、絶対にかなわないとみせつける。そうすれば敵はどうする?」

「…逃げますね。」

「そう。無駄な戦をしないで済む。兵糧は無駄になるかもしれないが、血が流れるよりはるかにまし。」


…!
姉様のことばは俺に突き刺さった。
ああ。義仲様はこういう言葉を姉様からたくさん聞いているんだろうなあ。


ほどなく、酒と食事が運ばれてきて、ささやかな戦勝祝の盃が交わされた。あやしい坊主は今様とかいう都ではやってるらしい歌を披露し、根井殿が拍子に合わせて自己流の踊りを繰り広げていた。

「長瀬」
「なんでしょう、義仲様。」

義仲様がそっと俺を呼び寄せた。

「市原の合戦の後、そこにいた者たちで軍議をした。笠原は逃げ去ったが、越後の城氏を頼るのではないかという結論になってな。」
「超やばいじゃないですか。城氏が本気を出したら、上州からも攻めてきますよ!」
「長瀬、お前…意外と鋭いな」
「嫌まー俺もこう見えて、源氏なんで。」
「で…だ。上野国に行ってみようと思う。近いうちに出立するから、そのつもりで」

義仲様そう言ってほほ笑んだ。
昔と変わらない、笑顔だ。

「義仲様は俺をどこまで連れて行くんです?鉢盛山から気が付けば依田に。いつの間にか俺、一年のうち依田に住んでるほうが長くなってますよ。」

義仲様は黙って杯を差し出した。俺も杯を差し出し、二人で笑った。
そこにいた全員が明るいきもちで市原の合戦の勝利をかみしめていた。






 それから数日…驚くべき報せが諏訪社から義仲様のもとに届けられた。
 伊那谷の菅冠者が、襲われたというのだ。敵に囲まれ自刃したとも、逃れたとも、情報は錯そうしているが、館は焼け落ちたことは間違いない。
 義仲様は海野の姉様と住む依田城に、俺たち依田に住む信濃源氏、滋野一族、新たに佐久に城を構えるため滞在している今井殿、小県の手塚殿、そして巴殿を集めた。

「いったい誰が…」

 今井殿が怒りに震えながら言った。無理もない。兄の樋口殿が市原の合戦に出ていた隙を狙われたのも同然だ。諏訪社から菅冠者の大田切館の間には樋口殿の館があるのだから。
 しかも樋口殿は市原の合戦のあと、伊那谷に戻ったのだという。どこかでその敵と遭遇して合戦になったかもしれない。

「次郎兄…」

巴殿も震えている。悲しみに打ちひしがられたのではなく、武者震い的な。
今すぐ馬で駆けだしそうな迫力だ。

「信濃国のものは、皆、義仲様が菅冠者と程よい距離感を保っていたことを知っているはずです。第一誰が菅冠者を攻める必要がある?仮に我らの陣営に入っていないものを浮かべたとて、誰にも道理がない」

手塚が静かに言った。
義仲様は黙って声を聞いている。
滋野一族はがやがやと言葉を交わしていたが、小弥太が総意のように大声を出した。

「菅冠者は平氏方を明らかに表明していた。
 それが討たれる理由なら、ヤったのは決まっている。信濃源氏だろ。」


ヒイイイイイッ!

視線が一斉に集まり、俺はちびりそうだった。

長瀬義員、俺は信濃源氏…!
市原の合戦では俺も依田殿も依田城に詰めていた。善光寺平に住む遠い親戚たちは栗田氏以外は合戦に参加していない。でも兵を動かしたなら、日数的に市原の合戦に向かう義仲様の軍勢と行き会うはず。
ぬれぎぬだああああ!


「源 氏 … !」

海野の姉様も地底の底から響くような声を出した。姉様は保元の乱で源氏の殺し合いを目の当たりにしていて、警戒感はんぱないと聞いていたが、これほどまでとは…。たった一言の威圧感が場を凍らせた。

義仲様の表情も硬い。

「確かに。以仁王の令旨を持った源行家殿は義仲様だけではなく、あちこちの源氏に「平家打倒」を呼び掛けて回っていたな」

怪しい坊主・覚明め…根井の話を補強しやがって…。

小弥太は応援を受け大声で続けた。

「市原の合戦に参加してなくて、義仲様と無関係を貫いてる信濃源氏…それは間違いなく、佐久の、平賀じゃねえか!」

そうだそうだ!という声が響く。
ひ、平賀殿??そうだ、そんな親戚もいた…けど、俺たちもあまり交流はない。源義朝殿と共に戦に負けてから一家で閉じこもり気味なんだよな…。戦をするような元気があるだろうか?しかも遠い伊那谷まで。

「言っておくが平賀殿が出陣したのをだれか見たのか。佐久はわれら滋野一族の本拠ぞ。」
滋野一族の重鎮、小室殿が場を収めるように言った。

「だけどよ!どう考えても怪しい!」

根井殿はしつこく言い続けているが、俺から見ると、同じ佐久だから?難癖付けているようにも思えてきた。

「推測だけで決めつけるのはよくない。
 情報を待とう。兼光は伊那谷に向かったのだから、仮に戦に巻き込まれても使いが来るはずだ。」


それから俺たちは、まんじりともせず、日が暮れるまで依田城にいた。だれも自分の館に帰る気が起きなかった。いや正確には、巴殿が遠目の利く楯殿を連れて伊那の状況を見てきたいと暴れたが、みんなで投げ飛ばされながらも抑え込んだ。

いつの間にか外は雨が降り始めていた。

静かな雨音が俺たちの心を暗くした。が、その向こうから、泥を跳ね返して進んでくる馬の駆ける音が近づいてきた。

「義仲様、大変です!」
依田城に駆け込んできたのは、諏訪神党の一人、千野光広だった。

「甲斐源氏の武田と一条が、信濃に侵攻してきました!」


「甲斐…だと!?」

大声を出して立ち上がったのは、他でもない義仲様だった。

そしてその怒気を含んだ表情は、依田城にいた俺たち誰一人がこれまで一度も見たことのないものだった。


俺も源氏のはしくれ。
でも
都で将軍を次々と出していた源氏の血統は全く別物だと初めて知った。

鬼神のように、恐ろしかった。