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義仲ものがたり 第一話

~信濃源氏・長瀬義員が見た義仲~

瀧にうたれる男

滝にうたれている男がいる。
歳のころは20歳に満たないぐらいだろうか。
がっしりとした肩に流れは絶え間なくそそぎ、無数の水飛沫が太陽の光を反射してまぶしい。
男の表情は清流の壁に阻まれて見えないが、
たくましい背中からは、迷いのない信念が伝わってくる。

その背中を木陰からひっそりと覗いていたのは長瀬義員だ。
信濃国筑摩郡の南のはずれに所領を持つ信濃源氏・長瀬氏の嫡男である。


例えば乳兄弟ならばともに滝にうたれただろうか。
例えば妻ならば滝行を止めただろうか。
例えば母ならば
例えば僧ならば
例えば…
例えば…

初夏のさわやかな風が緑あふれる木々をゆらす中、長瀬の心中は迷いだらけだった。
自分のふがいなさにため息をつきながらも、瀧にうたれる男の背中を見つめることしかできなかった。


男の名は、木曽義仲。
長瀬とは遠い親戚にあたる「源氏」の御曹司だ。
「信濃源氏」が都を離れ信濃に住み着き何世代にもわたるのに対し、義仲は「源氏」とひとくくりにされる一族の中でも、最も高貴な家柄の生まれ…とはいえ、義仲は事情があって幼い時から信濃に住んでいるのだった。
まだ元服前のころ。義仲と長瀬はそれぞれ与えられたばかりの愛馬にのって鉢盛山を駆け巡っていて出会い、歳が近いことから親しくなった。
それから数年。義仲は家柄にたがわぬ立派な人物として信濃国中に知られている。
それに対して自分は…とはいえ、地元ではまあまあの家に生まれ、ヨメをもらい、まったり過ごす日々もよいものだと長瀬は思っている。



信濃国筑摩郡の阿礼神社は五百渡山に奥宮がある。
そのほど近くに、滝があることは地元に住む長瀬ぐらいしか知らない。

義仲に滝行ができるような場所はないかと問われて気軽に案内したものの、日を重ねてもはや37日が過ぎてしまった。
長瀬は義仲が夜を過ごす洞にわずかな食料を運び、山を往復する日々を送っていた。
義仲はおそらく日暮れまで滝にうたれ続けるだろう。
長瀬は今日も山を下り愛馬にまたがり自分の館に向かった。

「義仲様はいつまでああしていらっしゃるのだろう?どなたかに相談するべきか…でも、他でもない俺に聞いてきたってことは、やっぱ誰にも知られたくないって事では…うーん、しかしもう何日過ぎた?うーん」

馬を歩ませていると、その足は太田にある清水に向かっていた。
「ん?のどが渇いたのか?いいよ。清水によろう。俺もそんな気分だ」
長瀬は優しく馬に話しかけた。


「よぉ長瀬」
清水には馬を休ませている先客がいた。
「あっ今井殿…」
今あまり会いたくない人物にあってしまった。

「ここに来れば義仲様に会える気がして、、、な」
今井はぎょろりと視線を長瀬に向けた。
長瀬はそ知らぬふりで馬を清水にいざなった。
「…よ、義仲様もよくここで馬を休ませていましたね」
馬の顔を見ているふりをして目を合わせないでいると、今井の顔がすぐ横にあった。
「お前、義仲様をどこに連れて行った」
「ヒイイイイ!」
長瀬は声にならない悲鳴を上げてしりもちをついた。
「…お前、知ってるんだな?」
じりじりと今井の顔がまた近寄ってくる。
「今井殿、お人が悪い…悪すぎ…」
長瀬が顔をそむけると、ぐいと両ほほをつかまれた。
「? いいから、義仲様をどこへやった」
今井の顔がとにかく怖い。
「ヒイイイイ!ヒイイイイイ!!!」

今井兼平は木曽義仲の乳兄弟にして、腹心の部下である。長瀬とも長い付き合いであるが、表情をあまり表に出さない、わかりにくい男で、長瀬は少し今井が苦手だった。というか、怖かった。


「なんでお前なんだ」
日がとっぷりと沈んで、月明かりが二人を照らしている。
清水の脇に置かれた丸太にどっかりと座り、今井は不満そうに長瀬をにらみつけている。
「それを聞きたいのは俺の方ですよ~」
長瀬は地面に膝をつきちぢこまって震えながら応えている。
「義仲様がなぜか俺に、滝行がしたいって言ったんです~
 まさか37日も籠りっぱなしになるなんて思わなかったんです~」
「37日ぃ!?」
「ヒイィィィィ!」
今井の大声に長瀬はまた震え上がる。
「そんなに水に浸かってたら、義仲様ふやけてぷよぷよだろ」
「いえ!義仲様の背中は、ますますたくましく磨かれています!」
長瀬は目を輝かせて答えたが、やにわに兼平のツッコミ手刀が飛んできた。
「連れていけ」
「ヒ?」
「義仲様の所にだ」
もはや断ることは長瀬にはできなかった。

とはいえ、考え方を変えれば今井は救世主だった。
長瀬は義仲に問わずに済んだのだ。

なぜ37日も滝にうたれているのか。
なぜ今井も含めた誰にも所在を知らせなかったのか。
なぜ自分に滝行にふさわしい場所を聞いたのか。

今井と轡を並べて山に向かいながら、長瀬はもやもやと考えていた。
義仲様は源氏の御曹司。木曽だけでなく信濃国に立派なお屋敷がいくつもあるし、信濃国一之宮の諏訪社の婿として覚えもめでたい。祈願は諏訪社で行えばいいし、滝行をするなら信濃国中にたくさん滝はある。木曽の南宮神社の旭の瀧などもってこいではないか。とはいえ阿礼神社は諏訪社と並ぶ古社ではある…

月がすっかり天高く昇ったころ、義仲がいるはずの洞についた。
「…いない?」
「長瀬ぇ…俺をたばかったな」
「ヒイイイイ!そんな!俺も知りたいです義仲様どこに行ったの―」
今井の顔がまた怖い。
長瀬はぴょんと飛び上がるとそのまま義仲が打たれていた滝へ走った。

しだいに水音が近づいてくる。
それは単調なものではなかった。
明らかに何かにぶつかりながら落ち、滝を囲む岩に反響している。

二人は息をのんだ。


義仲が月に照らされながら、滝に打たれていた。


その荘厳さは二人の目を奪い、魂をひれ伏させた。
二人は一言も発せず、義仲を見ていた。

どのくらい時間がたっただろうか。
長瀬の愛馬がしびれを切らしたと見えヒヒーンと大きくいなないた。


滝にうたれていた義仲の耳にも届いたのだろうか?
義仲が不意に振り返った。
髪からはねた水飛沫が月光に揺らめく。


「えっ…今井、なんでお前ここにいんの?」

義仲はきょとんとした顔を二人に向けた。

「長瀬お前、今井にしゃべったな」
「いえあのそのいえあのその」


「義仲様。お伝えせねばなりません。」
今井が真剣な顔で切り出した。
長瀬は今井を見た。

「…お生まれになりました。」
義仲の表情が一瞬のうちに明るく輝いた。
「そうか!で?」
「男のお子です」
「や…った――――!!!」
義仲は天高くこぶしを突き上げ喜びを爆発させている。
長瀬は突然の報告にびっくりしたものの、滝行は安産を祈願するものだったのかと納得し一緒に万歳をかました。が、頭の中に疑問が生まれた。

義仲様は諏訪社の婿だけど…諏訪の姫様ってご懐妊されてたっけ…?


今井は喜び一色ではない表情である。
「…で、この話をどのように伝えたものでしょうね。」

義仲は滝つぼからざぶざぶと上がってきて、獣のようにブルブルッと水を払った。
「諏訪の姫と、巴と。どのように伝えたものかな。テヘッ」

「テヘじゃねぇぇぇぇ!!!!」
長瀬はこころの中で突っ込んだつもりだったが、声に出てしまっていた。

(下に続く)


■関連伝承地


渕からあらわれた女

 木曽川は信濃国から流れ出て、美濃、尾張国を経て海に注ぐ大河である。
鉢盛山から発した水は山を削りながら海を目指す。岐蘇道の難所の一つ、鳥居峠を過ぎたあたりで、川の表情は突然変わる。水面から波が消え、深碧の渕が現れる。山際を這うように静かに連なる川の流れは、まるで龍のようだ。

 ザパアと淵からしぶきがあがった。

 龍だろうか?

昔から渕の一つに龍が棲むといわれているのだ。
ある人がそこに古いお椀を置くと、新しいお椀になっていたという。
またある人は願い事をかなえてもらったという。
元気な子供が生まれるという人もいる。


しぶきの主はヒトだった。

スイスイと水面を揺らすことなく岸に向かう姿は神がかっているが。


ヒトは岩場に手をつき、半身を風にさらした

たわわに実った乳房は朝日を受けて豊穣の悦びを讃えているようだ


川から上がったヒトは獣のようにブルブルと水をはらって、ぬぐったあと、慣れた手つきで衣を羽織っていく。

おかしい。

直垂の中に乳房は丁寧にしまい込まれた。
男の装束である。



信濃国筑摩郡の南のはずれには長瀬という地域がある。木曽谷から峠を抜けた先だ。
昨晩、「息子に会いに行く!」とウキウキ出かける義仲を見送った長瀬義員は、その地を冠した武士である。彼は館の中で惰眠をむさぼっていた。無理もない。義仲が滝行をはじめてから、彼のこころは休まることはなかったのだから。

「もう食べられない、食べられないよ~」

何やら楽しげな夢を見ているようだ。

「無理です、無理無理無理無理」

おや。何やら様子がおかしい。

「無理ですってえええええ!!!」
長瀬が目を開けた。

腹の上が重い。何かが乗っている。

「目が覚めた?」

「…!?と…巴殿!?!?!?」

先ほど、渕で直垂を羽織った女性だ。
その顔は美少女という形容詞がとても似合う。
かわいらしい顔で寝ている長瀬をのぞき込んでいる。

長瀬は寝たままで腹の上をかすり見た。

大きな餅がのっている。乳児の大きさだ。
「長瀬。あなたの奥方が、餅を作っていたの。これね」
「…はい…餅ですね…」

「誰の、出産祝いかな?」

「ヒッツヒヒイイイイイイイイイイイイイ!」

長瀬は飛び起きようとしたが、頭を巴の手で押さえられていて動かせない。

「誰の出産祝いかな???」

「出産祝いではないです~私が、餅が…餅が大好物だから、ヨメが作ってくれたんです~」

「…?ほんとうに?じゃあ、心置きなく食うがいいわ」

「ギョエエエエエエエ!!!!」

巴は長瀬の口に餅を詰め込む。その手は餅が消滅するまで止まることはなかった。


「巴殿、いったい何なんですか朝から。俺にも用事があるんですよ!」

「もう朝じゃないでしょ。日は高いわよ。今から何の用事があるっていうの。あやしい!」

長瀬はプンプン顔になっている巴を見て、どう答えるべきか必死に頭を働かせていた。

巴は、長瀬が苦手な顔が怖い今井の妹で、気心が知れた幼なじみだ。
とはいえ、今井以上に怖い存在だった。今井がメンタルに来るタイプだとするなら、巴はフィジカルに来るタイプだった。怖さの種類が違う。

「…えっと…依田に行くんです。依田の叔父!巴殿も知ってるでしょ?」

「? 依田殿… ?」

「いや~遠い。遠いなぁ~。でも呼ばれちゃったから行かなきゃな~」

「あ、佐久だっけ??」

「依田は小県です。でもまあ似たようなものですよね~遠いなぁ~。
馬で駆けていけば、今日中につくかな~」

長瀬は遠い所に出かけるといえば巴があきらめると思ったのだ。
浅はかなことに。


「って、、、ついてきてるし!!!!」

長瀬が数人の部下を連れ山道を馬で駆けていく。
そこにしっかり巴が混じっている。

「あたしも、浅間山を久しぶりに見たい気分なの♡」

「小県に行ってどうするんですか?俺は依田殿のとこに泊ればいいけど、巴殿はどうするんですか」

「手塚に泊めてもらうもん。いつでもおいで♡って言ってくれてるし。久しぶりに会いたいかな~」

長瀬は、実際は小県に行く気などなかったのだ。行くそぶりを見せれば巴があきらめるものだと思っていた。

しかし、もう引き返せなくなった。

本当の事を言えば引き返せるかというとそうでもなく、フィジカルに怖いことになることがわかっていた。今井の手刀は単なるツッコミだが、巴の手刀は首がリアルに飛ぶ。フィジカルに怖いというのはそういうことだ。
巴は謎の怪力を持っていて何度も熊の首が飛んだのを長瀬は目撃している。

とはいえ、巴は見た目だけは、とてもかわいらしい。
長瀬は深く考えるのをやめ、巴が馬にまたがって長い髪が風に揺れるのをただ眺めた。小県まで楽しみながら向かうことにした。

それが最悪の選択だと気付かずに…。

(下に続く)

■関連伝承地


依田の城

長瀬と巴は東山道をたどってひたすら進み、筑摩郡を通り抜け小県郡に入った。内村と依田、二つの川が作った盆地で視界が急に開ける。

「うっわぁ!きれいね!!」

遠くに見える浅間山は夕日に照らされて紫色の陰影を刻んでいる。なだらかな山麓の広がりに意識が吸い込まれそうだ。長瀬はなりゆきで遠くまで来てしまったと反省した。本当は2日かけたい道程だ。遠すぎだ。対して巴はニコニコと景色をみてはしゃいでいる。

同じ人間とは思えないよ~

長瀬はうっかり口にしたら首が飛びそうなことを考えつつ、叔父が突然の訪問を温かく迎えてくれるだろうかと心配になっていた。先に行かせた部下がきっと状況をうまく説明してくれているに違いないと信じるしかなかった。


「なんで俺がここにいるってわかった?」

「へ?」

長瀬は、依田の館に入るや否や予想できない先客に慌てた。

「義仲様!」

巴の声が弾んでいる。
客間で依田氏と向かい合って座っていた義仲は、長瀬をぽかんと見ている。

「ググググググ偶然です…にしては、ちょっと…どうして?どうしてよりによって義仲様がここに!?」

長瀬は義仲が依田氏の所にいるとは思っていなかった。というか、生まれたばかりであろう義仲の息子の母親がだれなのかもうっかり聞いていない。
巴との話の流れで一番遠くに住んでいる親戚だから依田氏の名前を出して、結果的に訪問する羽目になった。完全に偶然だ。

依田殿には娘さんはいない…いったい誰が義仲様の息子を産んだんだ?
しかしそれなら巴殿をなんとなくけむに巻くこともできないか?

頭の中でもやもや考えてみる。


依田殿は最高に上機嫌で笑顔だ。
「いやいや。私が呼んだのだよ。
 お世継ぎが生まれて拠点となる館が必要になるじゃろ?
 ここは同じ源氏のよしみで…」

「ヒイイイイイ!!!」

長瀬はまた声にならない悲鳴を上げた。

依田殿、発言の後半、今言う?
目の前に巴殿がいるじゃん。
義仲様と深い関係ってみんな知ってるじゃん。

ここにいるみんな、首飛んじゃうかも!!!!!




「…お世継ぎってなに?」

巴からただならぬ殺気が漂い始めた。
館の外は影が深くなっている。
暗くて巴の表情は見えない。瞳だけがギラりと光る。

開け放たれた戸から風がすうっと吹き抜ける。

義仲が深呼吸して答えた。

「俺の息子が生まれた。」

「はぁ?」

巴は明らかに怒りを満たしている。

「そんなはずないじゃん。義仲様の子のわけない」

長瀬は驚いて巴を見た。なぜそこまで言い切れるのだろう?と。


「…行こうか。」

義仲は静かに言うと、巴と連れ立って依田氏の館を出た。
長瀬をともなって。


なんで…なんで俺まで修羅場に連れていかれることに…



長瀬は上がり始めた月に祈りながら、二人の背を追った。

(二話に続く)

■関連伝承地



※このものがたりは伝承を参考に作成した義仲館オリジナルストーリーです。











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