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稲津

稲津新介実澄
福井県福井市稲津
北陸(越前)武士 斎藤氏

藤原景実の子。燧合戦以降、北陸の所合戦で名前が見える。

 越前は都に近く、同じ斎藤氏の林氏・富樫氏が義仲軍に加わっても、越前武士は平家方についていた。養和元(1181)年七月下旬に能登・加賀などで一国規模の反乱がおこり目代が追放されると、八月十五日に若狭と越前に平家の軍勢がやってきた。九月一日、平家軍は越前国府(越前市)に入ったが、加賀住人の集団が越前国まで入り込み行く手を阻んだ。九月六日、加賀境で合戦が始まると、稲津新介実澄や白山平泉寺長吏の斉命らが義仲方に寝返り、平家は大敗した。
 その後稲津は義仲軍で戦い抜いた。