仁科
仁科盛家・仁科盛弘・仁科盛遠
穂高村 大町市(安曇郡仁科御厨)
安曇郡村上郷には仁科氏がいた。
仁科盛家は義仲に従い寿永2年北陸に転戦した。
仁科盛弘が火打合戦で名が見える。仁科盛遠は承久の乱で院方で出陣した。
仁科の名は法住寺合戦の後白河院方にあるが、覚一本では義仲最期の戦いで一軍を率いているように書かれている。親子で別れたのか、覚一本の記載ルールによるものかはっきりしていない。
★仁科氏は、高梨氏・山田氏とあわせて、平家物語覚一本では毎回義仲軍勢の大将として一隊を率いている。しかし、延慶本・長門本・源平盛衰記では陣容はまちまちのため、覚一本成立過程において人名の精選が行われたものと考えられる。
■関連伝承地
覚園寺 仁科盛家が妻子とともに奉納したという千手観音がある。
〇義仲の家臣・仁科大助の忍術伝承