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義仲戦記16「倶利伽羅合戦④」


先程までの勝利の歓喜による喧騒が嘘の様に、静まり返った義仲勢本陣にあって、最初に発言したのは、やはり義仲その人であった。

「他に報告は?」
と。
動じずに。普段通り穏やかに。

「はい!有ります!
第一軍大将落合兼行どのからは、行家どのは討たせません!
第一軍、第二軍の総力を持って志雄山方面の戦線は維持させてみせます!と!」

郎等が続けて報告した。

「そうか。御苦労だった」

義仲は伝令の郎等を労うと、

「良いか!まだ戦いは終わってはいない!
敵平氏方にはまだ三万騎を超える軍勢がいる!
これを撃滅して初めてこの北陸で我らが勝利した事になる!」

声を張り上げて訓辞した。
続けて、

「明朝は日の出と同時に
第三、第四、第五、第六、第七軍全軍で志雄山方面に向かう!
そして第一、第二軍の窮状を救う!」

指示した。


「おおおおおーーーーーーっ!!!」

麾下の武将や郎等、兵達が応えた。





「兵らは休んでくれ。
だが各軍の諸将らは本陣に。終わらせておきたい事が有る」

義仲が命令すると、主だった武将らを残し、郎等や兵達は本陣から出て行った。

ここに残っている者は、
第四軍大将の樋口兼光、千野光広、村山義直、林光明。
第五軍大将の根井小弥太、海野幸広、稲津新介実澄。
第六軍大将の今井兼平、手塚光盛、那波広純、斎藤太。
第七軍大将の巴御前こと戦う美少女巴、信太義憲、多胡家包、宮崎長康、石黒光弘、大夫坊覚明。
そして源義仲であった。

と、
「第三軍がまだ本陣には来ていませんが」

樋口兼光が義仲に訊く。
戦さが終わったというのに、何故か第三軍の諸将が本陣に姿を現さなかったのである。が、義仲は無言で頷いた。話しをこのまま進める、と言う事である。

「解りました。それでは連れて来い」

今井兼平が命じると、程なく郎等に連れられ、縄で雁字搦めに縛られた者が二人、陣幕を潜って本陣に入って来た。
瀬尾太郎兼康と平泉寺長吏斉明の二人である。

だがその表情は対称的で、瀬尾は辺りを睥睨し堂々としているのに対し、斉明は俯き、顔をあげられないでいる。

「さて、瀬尾の事ですが」
樋口兼光が義仲にフると、

「先程、倉光どのから聞いた」
義仲が応じた。

と、
「斬れ!私は命乞いなどしない!」

瀬尾が義仲を睨み付けながら喚いた。

「覚悟も立派だな。確かに惜しい武士ではある。瀬尾。私はお前の命を取ろうとは思っていない」

義仲は厳かに言い渡した。
続けて、

「瀬尾は彼を生け捕った倉光成澄どのに預ける事にする。義仲がそう言っていたと、倉光どのに伝えてくれ。瀬尾の事は以上だ」

義仲が郎等に命じ、瀬尾を下がらせると、ここにいる全員が一人の者を無言で見ていた。


ある者は歯を食いしばり怒りに震えて、ある者は無表情に、そしてまたある者は、この上無く冷たい眼付きと、まるで汚物を見る様な眼付きで、各々平泉寺長吏斉明を見ている。

斉明は脂汗を全身から滴らせながらも、

(どうしたらいい!どうしたらオレは助かる!何か!何か手立てが有る筈だ!何をすればいい!どうしたらいい!)

顔を上げられずに、速まる一方の心臓の鼓動を感じながら、この様な事だけを考えていた。が、焦りまくっている斉明の思考は、上滑りして纏まらずにいた。

と、
「失礼します。第三軍大将仁科盛家、岡田親義参りました。本陣への集合が遅れてしまい申し訳ありません・・・」

仁科が謝罪しながら陣幕を潜って本陣に入って来た。だが、その仁科と岡田の表情は冴えない。
鎮痛な面持ち、と言い換えた方が表現としては正しいかも知れない。
その二人の大将の表情を見た瞬間、巴は何が起こったのかを理解した。

ここに居ない二人。姿を見せない第三軍の藤島助延と葵御前の身に何が起こったのかを。

目眩が巴を襲う。
が、懸命にそれを堪え、仁科と岡田を見ていた。
巴以外の武将達も、仁科と岡田の様子を察し、何が嫌な予感が襲う。

と、
「報告します。我が第三軍は七〇〇〇騎をお預かりしておりましたが、五〇〇騎程損害を出してしまいました」

仁科が意を決したかの様に言った。
続けて、

「その喪った五〇〇騎の中には、第三軍大将の葵御前と、同じく大将藤島助延どのが含まれます」

血を吐く様にして仁科が報告した。

本陣にいる武将達全員が、眼を見開き、息を呑んだ。仁科は拳を握り締めながら報告を続ける。

「葵どのは、敵の武将と戦っておりましたが、混乱し無秩序に逃亡する平氏方の将兵の集団に巻き込まれ、これを助けようとした藤島どのと共に、崖から・・・」

「・・・・確かか?」

義仲が問う。
その表情は普段と変わらない様に見えたが、心無しか顔色が白い。

巴は、義仲の左手のが二、三度震えたのを見逃さなかった。

「はい・・・第三軍の兵ら、多くの者がこれを目撃しており、同様の報告が多数、私の許に・・・」

仁科が断腸の思いで答えている。


(葵・・・葵・・・葵・・・葵・・・)


巴は短い時間、心の中で葵の名を繰り返す事した出来無かった。
色々な思いや感情が胸の中で渦巻き膨れ上がり、それがある一点を超えた時、人は何も考えられなくなる。

茫然、とはこう言う事だ。

と、
「藤島どのが・・・そんな・・・」

稲津新介の呟きで、巴は辛うじて我に還る事が出来た。
茫然としていたのは巴だけでは無かった。
皆も一時、言葉も無く茫然としていたのである。

「そしてその逃亡する平氏方の集団の後方にいたのが、そこに居る斉明でした。以上、報告終わります」

仁科は斉明を見ずに、彼を指差した。

どくんっ!

斉明の心臓が跳ねる。

と、
「斉明。お前の罪は燧ヶ城で北陸勢を束ねる総大将で有りながら、これを裏切り、敵の平氏方に内通した事に有る」

義仲が静かに言った。
今までした事が無い程の冷たい口調で。

斉明は震えて来た。
歯の根が合わず、下顎が震え、歯がかちかちと音を立てた。寒い訳では無い。怖くなったのだ。


「その他の事は言うまい」

義仲は冷たく続けた。
そして、

「稲津新介実澄。特にお前に命じる。この者を斬れ」

最期に命じた。
簡潔に。静かで有りながら厳粛に。
そして穏やかで有りながら冷徹に。



斬った後、涙が溢れた。

込み上げる嗚咽が止まらなかった。

それは、決して従兄弟を自分の手にかけた事が、哀しかったからでは無い。

燧ヶ城の戦いでの斉明の裏切り。
その後の約一ヶ月に及ぶ北陸各所での戦さの苦難の連続と敗戦。
平氏方に荒らされた故郷北陸、戦いで死んだ幾千もの味方の将兵。
命を懸けて生き残った北陸勢の退却を援護し最期に散った井家範方。
そして
義仲に味方すると決めた時から、どんな時にも常に一緒に戦って来た藤島助延の死。

これまでの出来事とそれに伴う感情。

怒り、苦しみ、悔しさ、哀しさ、
自分の無力さ

涙という形となって、稲津新介実澄の目蓋から次から次へと零れ落ちているのであった。

皆の前で、しゃくり上げ、泣いている自分が恥ずかしくもあったが、どうしても涙が止まらない。
右手を太刀から離し、右腕で顔を覆う様にして嗚咽を止めようとしていると、両肩に手を置かれた。

新介が右の二の腕から眼だけ出して見ると、そこには、あの苦しかった戦いを共に戦い抜いた者達がいた。

宮崎長康、石黒光弘、斎藤太、そして林光明。

彼らの眼も赤く、目尻には光るものを溜めている。

新介はここに藤島が居ない事が更に悲しかった。
その時、新介の肩に手を置いていた林光明が、

「さあ新介どの。今日はもうここまでだ。
明日も早い。我らは休むとしよう」

優しく言い、北陸の諸将らは義仲に一礼すると、新介を伴い本陣を出て行った。

それを見送っていた後、義仲は樋口兼光に目配せすると、兼光は肯き、

「明朝に備える為、我らも解散する」

言うと同時に立ち上がり、本陣を出て行くと、義仲麾下の武将達も全員、本陣から退出した。

本陣には唯ひとり、義仲が居残っていた。

が、床机[椅子]に座ったまま俯いているだけであった。
いつまでそうしていたのか義仲自身判らなかったが、ふと陣幕を捲る音がした。
義仲は顔を上げず眼だけで音のした方を見る。

と、
そこに巴が立っている。

「・・・巴・・・」

義仲が呟く様に言うと、巴は、何も言わなくていいんです、とでも言う様に、瞳を閉じ、首を横に振ると静かに義仲に近付いて行った。

義仲は床机に座ったまま、無言で見上げる様に巴を見ている。

巴は義仲の眼を見詰めると僅かに微笑んだ。
この上無く哀しい微笑であった。
そして巴は義仲の正面で歩みを止めると、立ったまま義仲の頭を抱える様に抱き締めた。

優しく。そして強く。



「応戦しろ!敵にこれ以上の侵攻を許すな!」

夜明けと共に攻め込まれた。
だが、こちらも油断してはいない。
義仲勢第一軍大将落合兼行が号令を掛けると、

「おおおおおーーーーーっ!」

第一軍の兵達が応じた。


昨日からの戦闘で、五〇〇騎程喪った第一軍だったが、未だ四五〇〇〇騎が健在で、戦闘を継続している。

対する平氏方の越中前司平盛俊の軍勢も、ほぼ同数の約五〇〇騎を喪ったものの、五五〇〇騎で攻撃を掛けていたのである。

互角の戦い、と言う状況ではあったが、第一軍がじりじりと後退し、そこを盛俊の部隊が攻める、と言う展開は義仲勢にとって意図した事ではあったが、決して有利とは言え無い状況なのであった。

必死に防戦すること数刻[数時間]、義仲勢第一軍は懸命に耐え防御に徹していたが、ここで耐え切れなくなった者が出現した。


「ええい!退却じゃ!退却じゃ!
このままでは敵に囲まれて討たれてしまうわ!」

悲鳴の様に喚き、号令を掛け、自分の手勢五〇〇騎だけを引き連れ逃げ出した奴がいた。
そう。あの役職だけの大将軍、新宮行家どのである。

「こんな状況の時に!」

兼行は奥歯を、ぎりっと噛み締めた。が、

「後退の速度を少し速める!しかし攻撃の手を緩めるな!」
何とか対応し、指示を叫んだ。
しかし、またも大将軍どのが逃げ出したのである。
さすがの義仲勢第一軍と言えど、短時間ではあったが混乱し、動きが鈍ったのは事実であった。
しかし、そんな隙を見逃してくれる様な甘い相手ではなかった。


「今が好機「チャ〜ス!]だ!全軍突っ込めーーーっ!」

盛俊が機を逃さず叫ぶと、

「おおおおおっ!!」

軍勢が応え、平氏方五五〇〇騎は部隊全軍で突撃に移る。
一気に距離を詰めた。
盛俊はここで勝負に出たのである。


(しまった!)


兼行はしてやられた事に冷や汗をかきつつも、

「一〇〇〇騎は行家どのの護衛にあたれ!
残りの三〇〇〇騎は私と共に、ここで敵を迎撃する!」

辛うじて指示すると、後方の一〇〇〇騎が大将軍どのと共に退却して行くのが見えた。


(後は勝手に逃げ回るがいい!)

兼行は大将軍どのの後ろ姿を睨み付けつつも矢を番え、

「ここを死守する!何としても敵の侵攻を喰い止める!
全軍!撃って出ろーーーっ!」

号令と同時に矢を放った。
そして兼行の第一軍三〇〇〇騎は盛俊の軍勢五五〇〇騎と激突した。
壮絶な乱戦となったのである。

だが、この志雄方面で乱戦になっていたのは兼行の第一軍だけでは無かった。
義仲勢第二軍一万騎も、平氏方追討軍搦手の軍勢二万七〇〇〇騎相手に乱戦となっていたのである。とは言え、平氏方搦手の軍勢は一万七〇〇〇騎を本隊として後方に置き、先頭部隊の一万騎で義仲勢第二軍と戦っていた。ここでもほぼ互角の戦いが展開されていたのである。

が、

「我が軍の足が止められた・・・」

平氏方追討軍搦手の大将軍平忠度が戦況を見つつ呟いた。


先へ先へと侵攻して行った盛俊の部隊とは違い、平氏方搦手の軍勢は昨日からほとんど前進出来ていないのであった。

と、
「高橋判官平長綱![越中前司盛俊の子で、次郎兵衛盛嗣の兄]」

忠度は麾下の侍大将の名を呼ぶと、

「長綱!お前に七〇〇〇騎を預ける!この軍勢を持って先頭部隊で戦っている、お前の弟盛嗣や景清の加勢に向かえ!」

命令した。

「はっ!」
侍大将長綱は応じ、

「出陣する!続けーーーーっ!」

号令を掛けると同時に、七〇〇〇騎を率い前線に出て行った。

と、
「良し!これより搦手の本隊も前進する!」

大将軍忠度が指示すると、平氏方追討軍搦手本隊一万騎は脚を進めた。
じわじわ、とだが確実に侵攻し、義仲勢を圧迫する為に。


「敵が新たに七〇〇〇騎を投入して来ました!
それと共に敵本隊が前進を開始!」

郎等が告げて来た。

「親忠!どうする!?」

津幡隆家が馬を楯に近付けて訊いた。
と、富樫入道仏誓も馬を駆けさせこちらにやって来るなり、

「後退しましょう!楯どの!」
叫んだ。

「いや、駄目だ!
今、後退したら我が第二軍は後退と言うより撤退、
いや最悪、潰走してしまう!」

楯親忠が悲痛に応じた。

「・・・だな。
おそらく敵の大将軍もそれを狙って本隊を前進させたんだろうし」

隆家が肯く。

「平氏方は全軍で圧力を掛けて来た、と言う事か・・・」

仏誓が悔しそうに呟くいた。

「そう言う事だ。
だからここは前を向いて戦い続けるしか無ェよ。入道サマのオッさん」

隆家がニヤリと不敵に笑いながら言った。

と、
「今は戦線をここで維持する!
敵は七〇〇〇騎増えるが戦闘続行だ!
だが後退する時機[タイミング]は私に任せてくれ!」

楯が覚悟を決めて言うと、

「おゥ!」
「判りました!」

隆家と仏誓は応じた。楯は二人に力強く頷くと、

「一歩も退くな!行くぞぉぉぉっ!」

号令を掛け、敵に突っ込んで行った。


「前方の対岸右側に土煙りが上がっています!
おそらく戦さの土煙りと思われます!」

郎等が馬を駆けさせ、義仲に報告して来た。


砥浪山方面倶利伽羅峠での戦いの翌朝、義仲の指示通りに、義仲勢大手の軍勢第三、第四、第五、第六、第七軍全軍約三万五〇〇〇騎は、志雄山方面へと進軍していた。
氷見の湊[富山県氷見市の辺り。十二町潟が富山湾に注ぐところ]まで進軍した時、志雄山方面での戦場が近い事を義仲勢大手の軍勢は知ったのであった。

が、これから向かう事になる戦場は進行方向の斜め右方向の対岸にあたるのだが、そこへ行く道は水に閉ざされていたのであった。

元々河川なのか、それとも満潮で海水が増しているのか判らないが、とにかくこれを渡らない事には、対岸の戦場には辿り着けないのである。

「義仲様。急いで迂回路を捜します!」

第六軍大将今井兼平が言い、郎等らに命じようとした時、

「いや。待て」
義仲が遮ると、

「その前に、馬を十頭程用意してくれ」
命じ、
馬を用意させると、鞍を付けたままの十頭の馬は程無く水に入って行った。


「義仲様?・・・」

第七軍大将巴、戦う美少女が声を掛けると、

「見ていれば解る」

馬を見ていた義仲が、視線だけを巴と合わせて言った。


と、この十頭の馬は、脚や腹は水に浸かっていたが、背やその背に置かれた鞍は水に浸かる事無く、この水を渡って行った。
そして先頭の馬の体が徐々に水から現れ、遂にその蹄まで水から姿を現した時、その馬は対岸に到着していた。馬が渡り切ったのである。


「ここは浅瀬だ!全軍!一気に渡れ!」

義仲が号令を掛けた。


「おおおおおっ!!!」


全軍が応え、一斉に水に乗り入れて行く。


義仲勢大手全軍約渡り終えた時、

「第五軍根井小弥太!
 第六軍今井兼平!
 この両名に先陣を切って貰う!

 第三軍仁科盛家!
 第四軍樋口兼光はこれに続け!
 第七軍巴は本隊の指揮を執り、
 後方から全軍を押し上げろ!」

義仲が指示する、続けて、

「一撃で敵を撃破し、第一軍、第二軍と合流を図る!
小弥太!兼平!後ろを気にせず、前だけ見て進め!行けーーーっ!」

義仲が号令を掛けると、間髪いれずに、

「第五軍!行くぜ!」
小弥太が叫び、

「第六軍!出撃する!」
兼平が命じると、


「おおおおおおおおーーーーーっ!!!」


第五、第六軍併せて一万五〇〇〇騎が雄叫びと共に速度を上げ、駆け出して行った。



「兼平!あれを!」

根井小弥太が指差す先に、馬から降りて休息しているらしい一五〇〇騎程の軍勢がいた。
するとその中から一人の者が手を振りながら、

「おお!来てくれたか!
 遅かったがまぁ良い!ワシはここじゃ!
 義仲の叔父であり大将軍である新宮行家はここに居るぞ!」

飛び出して来た奴がいる。
自分で言っているから行家なのだろう。

それを聞いた小弥太は、横で馬を駆けさせている兼平に眼で問うた。心底呆れた、という視線で、

(どうするよ、アレ)と。

兼平も無言で冷たい視線で小弥太に答えた。

(あんな奴に構っていられるか。我らは進む)と。

(だな)

小弥太は眼を閉じて肯き返すと、


「我ら第五、第六軍はこのまま先へ進む!
彼らは後から来る味方に任せる!」
命じ、
全く速度を落とす事無く駆け抜けた。

無視されたかたちの行家大将軍どのは、初め満面の笑みで手を振っていたが、軍勢が通って行く時には唖然とし、軍勢が過ぎ去った後には、その顔を紅潮させ、何やら喚き、怒鳴り散らしていた。大将軍どのはいたくプライドを傷付けられ、どうやら激怒していた様である。

敵平氏方から真っ先に先頭切って逃げ出した事などはキレイに忘れ。自分の事は棚に上げて。


☆ ☆

(あともう一息だ!)


盛俊は戦況を見つつニヤリと笑った。今、目の前にいる敵義仲勢は三〇〇〇騎程。対する平氏方は五五〇〇騎。義仲勢はしぶとく戦い続けているが、兵の数ではほぼ倍の平氏方が戦況を有利に展開していた。

(何せ、こちらが何もせずとも勝手に兵の数を減らしてくれるんだからな。義仲勢は)

盛俊は余裕の笑みを浮かべて思っていた。
これは行家大将軍どのの逃亡に一〇〇〇騎を付けてやった事を言っているのだろう。

「もう一息で敵義仲勢は後退するだろう!
だが!その時我らは追撃に移る!逃すな!どこまでも追い掛けてやれ!」

盛俊が勢い込んで指示すると、


「おおおっ!!!」


兵達が力強く応じるのを、気分良く聞きながら盛俊が矢を番ようとした時、


(・・・ん?・・・)


何か聴こえた。地鳴りだと思った。盛俊は矢を弓弦に当てたまま、音のした方を反射的に見た。



「!」



盛俊は一瞬、絶句した。目を見開いたまま呼吸する事を忘れ、その光景を見ていた。
それは、土煙りを上げながら一万騎以上の軍勢が、こちらに向かって突進して来るのである。しかも、敵である義仲勢を示す白い旗を掲げた軍勢が。


「いかん!後退だ!敵の援軍が現れた!後退!後退ーーーっ!」

全身から冷や汗を噴き出しつつ盛俊は叫んだ。先程までの余裕などは一瞬にして砕け散っている。

「兵を纏めろ!後退!後退ーーーっ!」

必死で命じつつ、盛俊は馬の向きを変え、後退した。と言うより逃げ出した。と言った方が正しいだろう。

駆け出した盛俊の耳に、

「良くここまで我慢してくれた!
援軍と共にこれまでの鬱憤を晴らす!追撃に移れ!」

敵の将が叫んでいるのが聞こえた。
と、

「おおおおおおっ!!!」

敵、義仲勢の雄叫びを間近に聴いた時、平氏方の将兵らは立場が逆転した事を悟った。
これまでは追う側だったのが、これからは追われる側に変わった事を。



「あまり兵らに無理をさせるな。兼行」

第六軍大将今井兼平が、弟の第一軍大将落合兼行に叱言を言った。
義仲勢第五軍、第六軍側が、第一軍と合流し、平氏方に対して反撃に出て間も無くので事であった。

「しかし兄上。我ら第一軍の兵らがここまで防戦出来たのも、反撃する時の為に耐えて来た訳ですから」

兼行が穏やかにだが、言い返す。

と、
「そいつは解るが、ココは俺とお前の兄貴に任せてくれよ?な」

苦笑しつつ小弥太は言った。のんびり話しをしている様だが、彼らは馬上で馬を駆けさせながら、平氏方に追撃を掛けている最中なのである。兼行は小さく溜め息を吐くと、

「解りました。では追撃の先頭は第五、第六軍に任せます。が、我ら第一軍も共に前進し、楯どのの第二軍との合流を図ります。良いですね?」

落ち着き払い、快諾した様に見せてさり気なく条件を付けて答えた。



「よっしゃ!じゃあ俺は先に行くぜ!俺も弟を待たせているんでな!」

言いざま、第五軍大将の小弥太は軍勢の先頭へと馬を駆けさせて行った。



(ここに一万騎以上の援軍を繰り出して来るだと?
とすれば義仲勢の全軍は五万騎以上の七〜八万騎って事か?
・・・いや・・・そうでは無く・・・
もしかしたら我ら平氏方追討軍大手の軍勢は・・・もはや・・・・)


追撃を受け、それを躱しつつ盛俊は嫌な予感と闘いながら後退を続けていた。

「!」

やはりここでも最初に気付いたのは楯親忠であった。
楯は瞬時に考えを巡らすと、

「ここまでだ!我ら第二軍はこれより後退する!」
命令した。
続けて、
「敵平氏方を引き連れるだけ、引き連れて後退だ!急げ!」

「良いのですか?敵平氏方に追撃を許す事になりますが」

仏誓が懸念しながら言う。

「確かにな。オッさんの言う通りだが、何か勝算が有るのか?親忠」

隆家が訊くと、

「ああ。来たんだ」

楯はニヤリと笑いを浮かべて後方を指差す。

仏誓と隆家がそちらを見ると、遠くで土煙りが上がっている。
二人は眼を見開き、顔を見合わせ同時に楯を見ると、楯は肯き言った。


「援軍が来た」

楯親忠率いる第二軍一万騎は、平氏方一万七〇〇〇騎に喰らい付かれながら後退して行った。

と、
「前方より敵平氏方の軍勢です!その数およそ五〇〇〇騎以上!」
郎等が報せる。

「解っている。奴らは第一軍を追って行った奴らだ。
前方からの敵には構うな!我ら第二軍は戦わずに奴らとすれ違う!
その為に左に寄って前進する!」

楯が命じると、義仲勢第二軍は隊列を狭めて、進路を左側に取りつつ全速力で駆けた。

「敵は小さく寄り集まったぞ!
我らはこれを包み込む!隊列を拡げて追撃しろ!」

長綱が命令した。
追撃に移っていた平氏方追討軍搦手の先頭部隊を指揮していた侍大将の高橋判官平長綱は、敵義仲勢第二軍一万騎を撃滅する好機[チャ〜ンス!]が来た、と思った。

義仲勢を包囲してしまえば、平氏方は一万七〇〇〇騎。その状況になれば、平氏方が敗ける筈が無いのである。と、


「敵の前方より味方の軍勢がこちらに向かって来ています!
おそらく盛俊様の部隊かと!」

郎等が報告すると、長綱は顔だけで笑った。

「良い時に来てくれた!親父!」
長綱は呟くと、

「親父盛俊の部隊と呼応し、敵を包囲、撃滅する!行けーーーーーっ!」
号令を掛けた。この時、長綱は、


(勝った!)

そう思っていた。


義仲勢第二軍一万騎は、平氏方平盛俊の部隊五五〇〇騎とすれ違った。
義仲勢第二軍は平氏方追討軍に追われて。

平氏方平盛俊の部隊は義仲勢第五、第六、第一軍に追われて。状況は同じ様に見える。

だが、違う事が一つ有った。
それは追われている盛俊の部隊以外の平氏方追討軍は、義仲勢の援軍がこの場に来ている事をまだ知らない事。

それはこの状況では決定的な事であり、この一事が勝敗を分けた。




「親父は何をやっているんだ!」

長綱が叫ぶ.当たり散らす様に。
父盛俊部隊は敵の包囲するどころか、敵とすれ違うと真っ直ぐにこちらに向かって来ているのである。

長綱の勝利の方程式[盛俊の部隊と共に敵を包囲殲滅する]は、脆くも崩れ去った。が、その直後、長綱は重大な事に気付く。そう。父盛俊の部隊の後方から敵義仲勢の大軍が進撃して来ている事に。


(そうだったのか!親父は後退して来たのか!ならば!)


長綱はこの事に初めて気付いたが、まだ余裕か有った。

「敵の援軍が来ようが、こちらは迎撃するだけの事だ!」

ここまで長綱が言った時、

「盛俊様より伝令です!敵義仲勢の援軍は一万五〇〇〇騎以上!
更にその後方よりおそらく義仲本隊がやって来るものと思われます!

その数およそ二万騎以上!」

盛俊の郎等が報告すると、



「な!・・・なんだと・・・三万五〇〇〇騎以上だと・・・・」



長綱は呆然とした。

(この志雄方面に来た義仲勢は一万五〇〇〇騎・・・そこに三万五〇〇〇騎以上の援軍・・・だとすると義仲勢は今、五万騎以上の全軍がここに集結していることになる・・・)

長綱は血の気が引いて、冷や汗が背中を伝い、膝が震えている。

と、
「長綱どの!指示を!」
郎等が叫んだ。

はっと我に帰り周囲を見渡すと、父盛俊の部隊が自分の軍勢と合流していた。が、合流、と言うよりは、渋滞、と言い換えた方が良い。何故なら盛俊の部隊の進路には、長綱の軍勢が目一杯、陣形を拡げているのである。要は平氏方の部隊同士でその一画だけ混み合ってしまっているのであった。

しかもこうなってしまえば当たり前だが、その一画では将兵が混乱し、混雑し、脚が止まっている。


「しまった!」

長綱は自分の失敗にも気付いた。


「我ら第二軍は回り込んで味方の後方に付く!」

楯が叫んだ。
楯の第二軍は細長い陣形のまま、平氏方の盛俊の部隊とすれ違った後も直進していた。
と、直ぐに味方である軍勢が現れた。援軍である。


「親忠ーーーっ!」


その援軍の先頭にいた者が叫んだ。
楯は呼ばれた方を振り向くと、兄の根井小弥太が笑顔で馬をを駆けさせている。

「小弥太兄!我ら第二軍には構わず、敵を撃て!今が好機なんだ!」

楯が言うと、

「最初からそのつもりだ!忠親!後は任せろ!」

小弥太が応じ、楯と一瞬視線を合わせると、


「第五軍!突撃だ!続けーーーっ!」


太刀を引き抜き、楯に流し眼をくれると、そのまま小弥太と第五軍は平氏方に突進して行った。盛俊と長綱の軍勢が渋滞しているところに突っ込んで行ったのである。その直後、


「第六軍!第五軍に続き突撃する!行くぞっ!」


今井兼平も号令を掛け、第六軍も平氏方に攻めかかって行った。






一溜まりも無かった。
平氏方追討軍搦手の先頭部隊一万七〇〇〇騎と、盛俊の部隊五五〇〇騎、併せて二万二五〇〇騎の軍勢は、義仲勢第五軍九〇〇〇騎、第六軍六〇〇〇騎の併せて一万五〇〇〇騎の突撃により撃破された。

平氏方の先頭部隊は混乱していた、とは言え、やはり義仲勢の攻撃力、打撃力の前には成す術が無かったのである。

しかもこの第五、第六軍と共に、第一軍三〇〇〇騎と第二軍一万騎まで反撃に加わり、義仲勢の先頭部隊は実に二万八〇〇〇騎で平氏方追討軍搦手の全軍三万二五〇〇騎に攻め掛かったのである。

だが、これだけでは無い。義仲勢は更に第三、第四、第七軍が戦闘に加わったのである。つまり義仲勢は五万騎全軍で、平氏方追討軍搦手の軍勢に襲い掛かった事になる。


そしてここに義仲勢は初めて、敵よりも多くの兵を動員し、戦さに臨んだ事になる。今までの全ての戦いに於いて、義仲勢は常に敵より少数の兵で戦い、そして勝利して来たのであるから。





「敵は五万騎・・・であれば義仲勢は全軍をここ志雄方面に展開している事になる・・・とすると、我が平氏方追討軍大手の軍勢は・・・」


平氏方追討軍搦手大将軍の平忠度は呟いた。
がその後に続く、

(砥浪山方面で大敗北を喫した、という事だ・・・)

この言葉は口に出す事を控えた。
忠度は厳しい表情で考えを巡らす。


(我が搦手の軍勢はすでに三万騎を切っている・・・ここで義仲の五万騎と戦っても我らの不利は覆せない・・・ならば大手の兵らと合流し、軍勢を立て直さなければならん・・・ここは退くしか無い・・・しかし敵の正面からの撤退は兵の損害が多くなる・・・もうしばらく様子を見てからの方が良いか・・・・)

思い迷っている時、郎等が馬を駆けさせ忠度の許に来た。

「報告します!大将軍の三河守平知度様[清盛の六男。宗盛、知盛、重衡の弟]が討たれました!」

これを聞いた忠度はもう迷わなかった。


「撤退する!
これより我が搦手軍は加賀の篠原に撤退!
以後篠原で大手の軍勢と合流し、軍の再編を図る!」

号令を掛けた。続けて、

「これ以上、敵に討たれてはならん!
良いか!皆、生きて篠原に辿り着け!これは命令だ!」

忠度は厳しく命じると、程無く平氏方は後退して行った。



平氏方はこの戦闘で五〇〇〇騎以上を喪い、約二万七〇〇〇騎程で加賀国篠原を目指して撤退したのである。






「戦闘はここまでだ!全軍!戦闘を停止!」

平氏方追討軍搦手の軍勢が撤退に移って間も無く、義仲が命令した。

と、
「撤退する軍勢に追い撃ちを掛けてはならん、ですよね。義仲様?」

第七軍大将巴、戦う美少女が輝く様な笑顔で付け加えると、義仲も破顔し笑顔で肯いた。
が、すぐに表情を引き締めると、

「徹底させてくれ。これ以上殺すな、と」

義仲が重ねて命じる。

「解っています。それと負傷者の救護、ですよね」

巴の表情からも笑顔が消え、義仲の眼を見詰め応じた。
義仲はその巴の視線を受け止めると、眼を閉じ、小さく頷きながら、

「頼むぞ。巴」

「はっ!お任せ下さい。義仲様」

巴はもう一度、弾ける様な笑顔で応え、義仲の許から馬を駆け出した。
義仲の命令を徹底して実行させる為に。



後世、倶利伽羅峠の戦い、と一括して呼ばれる事になる砥浪山方面と志雄山方面での一連の戦いは、こうして始まり、そして終わった。


義仲勢の大勝利で。



しかし、この北陸の地での戦いはまだ続く。
平氏方追討軍は、大手の軍勢が砥浪山方面で大敗北を喫し多大な損害を出した、とは言え、その残存兵力は搦手の軍勢と併せれば、未だ三万騎の軍勢を擁しているのである。

確かに義仲勢は勝利した。大勝利であった。

しかし、平氏方追討軍は壊滅した訳では無い。

この北陸の地を舞台として、戦いはまだ続く。


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