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箭幹八幡宮

義仲の子・清水義高が鎌倉へ行くとき、木曾村で小さな社を造り、木曾八幡としたという。義仲亡き後「木曾」をはばかり、矢竹が繁っていたため箭幹八幡と改称したと伝える。

東京都町田市矢部町2666

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