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義仲戦記28「都に」

寿永二年[一一八三]七月二十八日。

「義仲様。お言葉に甘えて我らはこれより故郷の北陸へと戻ります」

宮崎長康が馬に跨り、声を掛けた。義仲は首肯くと、

「多くの者達を無事に北陸へと還す事が出来て嬉しい」
穏やかに言った。

と、
「・・・義仲さまぁ・・・」

晴れやかな表情の者が多い中、涙をぽろぽろ零している者が呻く様に、義仲の名を呼んでいる。稲津新介実澄であった。

義仲は優しく微笑を浮かべながら馬を進め、稲津の傍らに寄ると、

「稲津どのには苦しく辛い戦いの連続であったが、共に北陸で戦い抜き、勝利という最高の結果を得られた事はこの義仲にとっても大きな誇りとなっている。
もう一度言わせてくれ。
私と共に戦ってくれて有難う」

稲津新介の涙を止めるつもりで、義仲が言い含める様に感謝の言葉を誠実に伝えると、

「・・・う・・・ううぅ・・・」
逆効果であった。

義仲の言葉に、稲津新介は更に感極まり、返事をする事も出来ずにいる。
その胸に込み上げて来る整理出来ない感情と想いが、涙となって両の眼から溢れ出していた。

と、
「そんなに俺と離れるのが寂しいか?気が合うとは思っていたが、大泣きする程好かれてたとは知らなかったぜ。なァ新介どの?」

いつの間にか新介の隣りに馬を並べていた根井小弥太がニヤリと言った。

「・・・ち・・違っ・・そう言うコトじゃ・・無くて・・・」

新介はまだ、まともに答える事が出来無いでいる。

「ははは。まァ、涙脆いのが新介どのと良いところではあるがな」
小弥太が笑う。

と、
「そうね。だから義仲様も、新介どのを余計に泣かせる様な事を言うんじゃないかしら」
戦う美少女こと巴御前も話しに入る。

「あたし達にはあんな事言ってくれないわ、義仲様は。
ま、あたし達は純真じゃ無いから泣く様な事も無いって思われているとしたら、何か納得出来無いんですケド」

眩しい笑顔を新介に向けて巴が言いつつ、義仲を少し睨んだ。

義仲は笑顔で応じ、馬を下がらせると、宮崎に向かい大きく首肯く。
宮崎も無言で首肯くと、


「では我らは出発する!義仲様!御武運を!」


号令を掛けた。すると北陸衆が、


「義仲様!!!御武運を!!!」


全軍で声を合わせて叫んだ。


小弥太は、ぽんと新介の肩を叩くと、
「達者でな」
言い、馬を返して行く。
巴も、これ以上無い程の麗しく優しい笑顔で新介を見ると、馬を返し離れて行った。


新介はまだ涙の滲む視界で、義仲、小弥太、巴らを振り返り、

「義仲様・・皆さん・・御武運を・・・」

精一杯告げ、背筋を伸ばし、馬を進めた。



こうして北陸勢は帰途についた。その数およそ二万騎。

故郷に還れる彼らの逸る気持ちがそうさせたのか、意外に行軍速度が速く、程無く北陸勢は義仲勢から離れて行った。



見送っていた義仲は頃合いを見ると、

「我らも征こう!これより皇城の地、京へ向かう!」
号令を掛けた。



寿永二年七月二十八日。
義仲はその軍勢三万五〇〇〇騎を率い入京した。

ここに義仲の戦略的用兵は頂点を極めた。


敵・味方の血を一滴も流す事無く、平氏を撤退・都落ちに追い込み、京を戦火に巻き込む事無く、入京を果たしたのであるから。

 つまり、戦わずに勝利を得、戦略的目的を遂げる、という離れ業をこの時の義仲は実現してのけたのであった。
 だが、義仲にとっての真の闘いはここから始まるのである。それは正に、暗闘、と呼ぶに相応しく、この日以後、義仲は戦場での戦いとは全く異なる闘いを、闘わねばならない事となる。


苦しく、憤りを強いられ、そして実り少ない闘いを・・・


寿永二年七月二十七日。

後白河法皇は護衛の武士七〇〇〇騎と共に還都した。

つまり法皇は、義仲勢が入京する前日に京に還って来た事になる。

二十四日夜半に御所から出奔し、二十五・二十六日と京を留守にし、二十七日に目出度く京に御帰還、となった訳である。

その間、比叡山延暦寺円融房と法性寺に於いて、駆け付けて来た公卿らとの話し合いの中での主な議題は、驚くべき事に、

『一刻も早く京に帰還して下さい』

と懇願する公卿らと、

『いやいや。今日は準備も整っていないし、明日は法皇様の忌み日[縁起の悪い日。忌み日は外出するのを避けて家の中に籠っているのが良い、されていた]ですから、それは無理というものでしょう』

と反対する法皇の側近らが、還御する日程の吉凶を巡って、熱く議論をを戦わせていただけで、つまりはこんな事を延々と話し合って虚しく時間を費やしていたのであった。とは言え、その他のもっと重要な事柄も話し合われたのだろうが、実は、殆どの時間を費やしてこの程度の事が議論の中心となっていたのであった。

困ったものである。が、この様な事を重要な事柄として認識していたのが、この時代の、この京の、この偉い人達の共通認識であったのだから、筆者がどうこう言う事では無かったかも知れない。

しかし、彼ら貴族達のこの様な一面のみを見て、彼らを侮ってはならない。彼らとて生粋の政治家であり、国政担当者なのである。この者達はどんな冷酷な命令でも、顔色一つ変えずに命じる事が出来、国の為、君[天皇・上皇・法皇]の為との美辞の裏に、自己の栄達・立身出世のエゴを潜ませながら、武力を用いずに虎視眈々と競争者を失脚させ、或いは自ら手を下さずとも、その失敗を望む者達でもあるのだから。

ともあれ、後白河法皇御一行様は、義仲の差し向けた近江源氏の錦織義広を先頭に、七〇〇〇騎の武士達を指揮する富樫入道仏誓・林光明らに護衛され、無事に京に還り着く事が出来たのであった。


寿永二年七月二十八日。

義仲勢の入京と前後する様に、新宮十郎蔵人行家率いる軍勢五〇〇〇騎は、宇治橋を渡り伏見を経て南から京に入った。

一方、丹波で平氏に対し反旗を翻し、兵を挙げていた矢田判官代義清も、義仲の入京と連動する様に、大江山を越え入京。更に平氏を見限った摂津の多田蔵人行綱、河内の源氏らも他の源氏勢に遅れを取るまいと、大挙し続々と京に押し寄せた。

そして、近江瀬田を出発し山科を経て、東から京に入った義仲勢も、高々と源氏を示す純白の旗を掲げて、堂々と入京したのであった。

行家やその他の源氏勢も同じく白い旗を掲げての入京となり、ここ二十数年というもの平氏方の真紅の旗しか翻っていなかった京では、見る事の出来なかった光景に、京の住人らは改めて、京から平氏が去った事実に思い当たり、源平両氏の運命が逆転した事を翻る旗の色で思い知らされたのであった。

先に法皇を警護し、六波羅の御所まで付き従っていた軍勢も当然の事、この白い旗を掲げていた訳であるが、ここに総ての源氏勢力併せて六万騎以上の軍勢が京に満ち溢れ、その部隊が総て何百、いや何千という白い旗を空いっぱいに、そして誇らしげに風に靡かせていた。


「前の内大臣宗盛以下、平氏一族、党類を悉く追討せよ」

院[後白河法皇]の御所、殿上の間の御簾の内から声が響いた。

続けて、
「件の一党は皇家に背き、叛逆を企て、累代の重宝「三種の神器]を盗み取り、許可無く無断で京から立ち去った。この罪は甚だ重い。五畿七道諸国[日本全国]全てにこの院宣を下し、一日も早く、件の輩共を追討せしめよ」
その御所の主人、すなわち後白河法皇の声が響き渡った。

義仲ら源氏勢が入京を果たしたこの日の午後、後白河法皇は義仲・行家らをを御所に召し、挨拶もそこそこに早速、平氏追討を命じたのである。

義仲にとっては、いつか平氏追討を命じられるであろう事は解ってはいたが、入京して早々、こうも早く命じられるとは思っていなかった。
というのも、つい先日まで平氏は追討する側、であった。しかも、今まで平氏の意向に沿っていたとは言え、当の後白河法皇も平氏の協力者であった訳である。それが平氏一門が京から去った途端、手のひらを返す様に平氏追討を命じ、あまつさえ、それが当然の事、とでも言いたげな口振りに接した義仲には、違和感だけが心の中を占めていた。


(変わり身が疾い、というのが京振り、という事なのだろうが、それにしてもあからさまに過ぎる・・・法皇といい、行家といい・・・)


心の中でかろうじて、恥知らず、という語を打ち消した義仲は跪いたまま、頭を深く垂れていた。






数時間前。

院から、御所に参内せよ、との御召しがあり、義仲は大鎧を纏った戦さ装束のまま、四天王の樋口兼光・今井兼平・根井小弥太・楯忠親と戦う美少女こと巴御前・手塚光盛の六名の武将を従えて御所に参ると、殿上の間に面する庭に案内された。

その庭と殿上の間のあいだの簀[テラス状の外部に面した廊下]には、公卿ら貴族が着座している。

と、そこには既に新宮十郎蔵人行家が郎等を三人引き連れ伺候していた。

義仲は行家に目礼すると、行家は冷たい眼で義仲を見返し、偉そうに顎を上げて応じた。義仲麾下の武将ら六人は、この行家の態度にカチンときた。

が、その時六人は、

(京に来て行家の本性が現れ始めただけの事。
元々、我らを出し抜こうと必死になって空回りするだけしか能の無い奴。
とは言え、京に来て早々これでは・・・やれやれ・・・)

同時にこう思いつつも、一切その表情を変える事無く、出そうになる溜め息を押し隠してやり過ごした。

と、
「一同の者、控えよ。法皇陛下が御出ましになられる」


義仲らを御所に案内して来た検非違使別当左衛門督実家が言うと、簀に着座していた公卿らは一斉に頭を垂れ、義仲らは殿上の間の御簾に向かい、その場に跪き頭を深く垂れて控えた。

そして、先程の平氏追討の命令を受けたのである。




法皇直々の命令を受けた義仲は、落ち着き払い深く頭を垂れ、法皇に対する敬意を表し続けていた。

が、行家は義仲に対する対抗心からなのか、それとも京に慣れている事をこの場に居る全員にわざとらしく示したかったからなのかは分からないが、いきなり立ち上がると殿上の間近くに進み出て、院宣を受け取ると、また元の位置に戻り、院宣を捧げ持って、

「ははーーーっ。承って御座る!」
大袈裟に頭を地面に擦り付けた。

この壊れた道化[ピエロ]染みた、やっすい行家の行為に、殿上の間とそこに面する簀に居並んでいた公卿・貴族らは、嘲笑と冷笑とを持って眺めていた。そして義仲も同じ様な滑稽な事をするのでは無いか、と底意地の悪い好奇心と共に期待しながら見守っている。


しかし、義仲はその様な期待には応える様な事はしなかった。

義仲は唯一言。
「畏まりました」

と、跪いた姿勢のまま、昂るでも無く、良く響き渡る鐘の様な声で穏やかに応じた。


公卿らの期待はハズされた。

思えばこの日、義仲には彼ら貴族らの期待は外されっぱなしではあった。

と言うのも、信濃・北陸での戦さで暴れ回り、尚且つ十万騎を擁す敵を撃ち破って京に軍を進めて来た様な武士は、手の付けられない荒くれ武者、くらいの大雑把過ぎる認識しか持っていなかったからである。

が、本日、御所に姿を現したウワサの“荒くれ武者”義仲は、彼らの想像に反し、美しく穏やかであるが強い意志を感じさせ、かと言って厚かましくも無く、礼儀と礼節を弁えた人物であった事に、貴族らは瞠目していたのである。

しかも、義仲が従えて来た武将達も皆、自信に満ち、堂々としており、卑屈や下品、などという言葉からは程遠い武士達に見え、あまつさえそこに、信じられない程、美しく可憐な女性がいる事、その令嬢が何と凛々しくも太刀を帯び、鮮やかな大鎧をその身を纏い、花咲く様な微笑を浮かべ、武将達と肩を並べて控えているのを眼の当たりにした時、公卿らの驚きは頂点に達した。


とは言え、貴族らの想像が全て外れた訳でも無かった。
それは行家の背伸びした無作法さと、彼の郎等らの卑屈でおどおどと落ち着きの無い態度は、彼らの想像通りであったからである。

この様に、義仲やその麾下の武将、行家とその郎等らを見比べ、時折り、盗み見る様にちらちらと美し過ぎる女武将に眼をやっていた公卿・貴族らの耳に、突然、その無作法なガラガラ声が叩き付けられた。


「一つお願い申し上げる!拙者らは本日、この京に到着したばかり!
なれば宿所はいずこになりましょうや!
願わくばこれを指定していだきとう御座る!」

行家である。しかも大声で。


うんざりした様に公卿らは眼を見交わすと、検非違使別当実家が一つ頷き、

「源義仲どのは六条西洞院・大善大夫の宿所の邸に、新宮行家どのはこの法住寺殿の南殿・萱の御所に、それぞれ宿所を賜わる」

指示すると、
「はは〜〜〜〜っ!!!」

大袈裟に悦びを表し、行家がまたも頭を地に擦り付ける。

と、
「畏まりました」
穏やかに義仲場返事をし、

「では、本日のところはこれにて。失礼致します」
言うと、雄々しく立ち上がり、御簾に向かって深く一礼。

更に簀に居並ぶ公卿らに対し一礼すると、四天王・巴御前・光盛を従え御所の庭から退出して行く。

その颯爽としながらも、何処か優雅に見える義仲の立居振る舞いに、公卿ら貴族は眼を奪われている。

と、
「・・・真の武将、とはあの者らの事を言うのではないか?・・・」

貴族らが感嘆ので思いをひそひそと話す声を耳に挟んだ行家は、

(義仲め!ワシの甥である事を鼻に掛けて格好を付けおって!
だがこの京ではお前の好きにはさせんぞ!
今に見ておれ!
お前などこのワシに比べればほんの小冠者[小僧っ子。取るに足らぬガキの意]に過ぎん事を思い知らせてヤるワイ!)

己の事などキレイに棚に上げ、嫉妬に似た自分勝手な怨念を燃え上がらせて、立ち去る義仲の後ろ姿を睨み付けていた。
場所柄を気にしてさすがに表情には出さずに。眼付きだけで。

しかし、この行家の嫉妬と怨念に満ちた視線を見逃さなかった公卿がいた。


(・・・ふむ。源氏勢の内にも不和があると見える・・・
いや、行家が一方的に義仲を敵視している、かに見えるが・・・)

この目敏く鋭敏な公卿は眼を閉じると、

(行家か。どうやらあの道化者にも使い道があるらしい。
せいぜい踊って貰う事としよう・・・)


薄く口の端を少し歪めて嗤うと、次の瞬間には無表情に戻し、あたふたと頭を下げ庭から郎等らと共に逃げ出す様にして立ち去って行く行家を、まるで虫でも見る様な眼で見下ろしていた。


この公卿は右大臣九条兼実。
院の近臣として、また後に摂関藤原氏の氏の長者となり栄達する事になるこの公卿の眼は、恐ろしい程冴えていた。
だが、そんな九条兼実の様子の一部始終を、針の先の様な鋭く突き刺す視線で観察している公卿がいる事に、兼実は気が付く事は無かった。
その公卿はその細い眼を一度瞬きさせると、何事も無かったかの様に咳払いをし、

「皆様。これより法皇陛下は協議を望んでおられます」

告げると、簀に居並ぶ公卿らを見渡し、

「皆様は殿上の間に御入り下さい。さ。右大臣兼実どの。参りましょう」

先程までの刺す様な視線とは打って変わった柔和で朴訥な眼付きで兼実を促す。

「分かりました。源宰相中将通親どの」

兼実は立ち上がりながら応じ、声を掛けた通親と共に殿上の間へと入って行った。


この源宰相中将通親という男こそ後に、栄達を極めた九条兼実を失脚させ、鎌倉の源頼朝すらその政治力の前に赤子同然に扱い、宮廷政治の黒幕としてその権力の頂点に君臨する事になるのであるが、それは遠い先のお話し。

とにかく、入京した義仲や麾下の武将達は、戦場で武士相手に戦うのでは無く、これからはこのテの貴族や公卿らを相手に暗闘しなくてはならない段階に突入したのであった。




「津幡どのは京に残られるのか」

「ああ。俺はこれからも義仲様の許で闘って行くつもりだよ。林どの」

加賀に帰還する為に、配下の軍勢を纏め出発の準備をしていた林光明のところに、同郷の津幡隆家が挨拶に寄っていた。

隆家は続けて、
「井家のおやっさんにも最期に言われたしな。決心を枉げるな、って」

隆家や林にとっては命の恩人たる今は亡き井家範方を懐かしむ様に、ほろ苦い笑みを浮かべて言った。
林も眼を閉じ、瞼の裏に在りし日の井家範方を思い浮かべ、黙祷した後、

「確かにその様に言われましたね。
決心を折るな、枉げるな、覆すな、それが覚悟だ、と。
・・・であるなら今、加賀へ還る私などは、決心を折っている事に」

「いや。俺はそうは思わねぇ。林どのが義仲様に付いて戦ったのは何より加賀を守る為、だろ?
井家のおやっさんが命を賭けたのも加賀井家庄の領地を守る為だ。
それに義仲様も言っていた様に戦さで荒廃した領地の復興も闘いだろ?
もし林どのが加賀の領地の事など二の次にして京に居座る、なんて事をしたらそっちの方が最初の決心を折る事になるんじゃねぇか?」

隆家が言い放つと、林は驚いた様に眼を見開き、

「確かにその通りです。が、津幡どのは違うのですか?」

「俺は林どのと違って、初めっから義仲様と共に戦うって事だけ決めてたからなぁ。まぁ俺も領地の事は気に掛かるが、その事はもう倅の小三郎と井家・津幡の庄に残った者達に任せてある。
だから林どの。これから小三郎が何か困っていたら相談に乗ってやってくれないか?頼む」

隆家が思いの外、強い眼差しで林を見詰めて依頼した。

と、
「おお!確かに頼まれたぞ!隆家!」
いつの間にか、富樫入道仏誓が割り込んで来た。

「・・・入道のオッさん。あんたにゃ頼んで無ェっつの」

「喧しい!こういう時こそ頭の一つも下げるもんじゃ!まぁしかしこんな礼儀知らずな父親とは違い、小三郎どのは心根の良い素直な若者じゃからな。お前なんぞに頼まれなくても、しっかりきっちり面倒見てやるわい!」

仏誓はふんぞり返って豪快に言った。

「・・・親の俺は呼び捨てで、倅には小三郎どの、かよ。
どっちが礼儀知らずなんだよオッさん。ああ?」

隆家が溜め息混じりに呟き、見下す様な視線を送ると、仏誓は眉間に深い皺を寄せぎろり、と隆家を睨み付けながら、

「準備が完了したぞ。林どの。そろそろ出発じゃ」

林を見もしないで唸る様に告げた。
仏誓と隆家は額を打つけ合うかの様に、お互いの眼を睨み付け合っている。そんな二人の様子を見た林は、思わず吹き出しつつ、

「解りました。義仲様には挨拶を済ませていますので、出発しましょう。
では津幡どの。私達はこれで」

笑顔で別れをを告げると、馬に騎乗した。
仏誓の眼から視線を外した隆家は、馬上の早いを見上げ、

「ああ」

応じると真剣な表情になり、眼に思いを込め、

「加賀の事。頼む」

「ええ。私達の故郷ですから」

林はその想いを受け止め、真剣に、そして力強く応じた。
隆家と林は肯き合うと、

「では!これより我らは加賀に還る!出発!」

仏誓が号令を掛け馬に飛び乗ると、加賀衆約五〇〇〇騎の部隊が動き出した。


「まったく・・・この期に及んでもこのワシには挨拶の一つも無いとは、隆家の莫迦者め・・・まったく・・・」

馬を進めながらブツブツ叱言を呟いている仏誓の背中に、

「入道のオッさんも頼んだぜ」
隆家の声が届いた。
仏誓は反射的に振り返ると、隆家は背中を向け歩きながら手を上げ、軽く振っていた。おもわず顔が綻んでしまった仏誓は、嬉しくなんか無いんだからね、とでも言う様に、急に表情を引き締めると前に向き直り、手綱を持つ手を握り締め、ともすると緩んでしまう自分の頬と闘っている。

そんな様子を微笑ましく横眼では見ていた林も、前を向くと仏誓の馬と脚並を揃えて馬を進めた。


こうして林・富樫の率いる加賀衆は、京を後にし故郷へと帰還して行く。

眼を閉じたまま、遠ざかる蹄の音を背中で聴いていた隆家がふと眼を開け、前を見上げて見ると、そこには院の御所から戻ったのだろう、馬に騎乗した義仲と四天王・巴・光盛をはじめ、主だった義仲麾下の武将達が騎馬で勢揃いし無言で、京を去る加賀衆を見送っていた。


隆家はここで始めて振り返ると、あの北陸での過酷な戦闘を共に戦い抜いた同郷の者達を見送った。これよりは京に残り、義仲と共に闘い続ける者達と共に。


その後ろ姿が見えなくなり、蹄の音が届かなくなるまで。






同時刻。
「それでは五畿七道諸国各国に、平氏追討の院宣を下すと共に、西国へ下った平氏一門には、速やかに三種の神器並びに主上[安徳天皇]、母后[建礼門院]、二宮[安徳の弟。平氏が皇太子とする為に連れて行った]の還御を実施する様に命じ、前内大臣に対し院宣を下す事とする」

御所殿上の間に於いて、協議で定まった事柄を、あらためて左大臣経宗が公卿一同に対し宣言した。
と、

「・・・しかし、平氏がこれに同意するとは思えませんぞ」

内大臣実定が懸念を口にする。当然の懸念であった。
わざわざ苦労して神器・主上・母后・二宮らを連れ去った平氏が院宣が下されたくらいで、すんなり返すと思う方がどうかしている。

しかし朝廷としては、何も出来ないにも関わらず、何かしなければならなかったし、還御を実現させる為に努力している、という体裁だけは整えておかなければならなかった。国家の最高決定機関として。

「同意など必要ありません。だからこその追討命令です。
源氏の武力で平氏を追い詰めれば、その時には平氏の方から何らかの協議をを持ち掛けて来るでしょう。我らはただ、それを待てば良いのですよ」

右大臣兼実が言った。

「成る程。さすがです兼実どの」

見えすいた阿諛追従の様だが、宰相中将通親が言うとそうは感じさせないのが、この男の特技であった。

続けて、
「あっ。早速義仲に平氏追討をを命じたのはその為でしたか。
しかも義仲が追討に向かえば、この京から軍勢を追い払う事も出来る。
一石二鳥、という訳だったのですね!お考えが深い!」

今、気付いたかの様に装い、さも感心しているかの様に言うと、

「そう言う事だ。宰相中将どの」

幾分得意げに、しかも満更でも無さそうに兼実が応じた。

「であれば先程の懸念も取り越し苦労というところだな。
では、各国と平氏方には使者を遣わし、院宣を下しておこう」

内大臣実定は安堵した様に言う。

「平氏の事は以上だ。さて、その義仲の事だが。
義仲には追討令に従い西国に向かう前に、この京でやっておいて貰わなければならない事があろう。
一つは京中守護「つまり京の治安回復と維持]。
もう一つは食料の安定供給[つまり各国からの年貢米の徴収と輸送]。
以上の事だけはしっかりと義仲に命じておく必要があろうな」

左大臣経宗が一同を見渡しながら言った。

と、
「その事はあらためて其方らが話し合い、決めれば良いが」
御簾の内から声が掛かった。

一同は、はっと意義を正し、その場で一礼した。

「何なら義仲と・・・あと何と申したかな?
もう一人居ったな、あの道化者染みた侍が・・・」

御簾の奥で後白河法皇が半笑いになり、言い澱むと、

「畏れながら、行家、に御座います」

内大臣実定が頭を下げながら言い添える。

「おお。行家な。ともあれあの者らに分担して任せれば良い。
官職も相応しいと思うものを選び、与えてやれ。
もし何か不手際をを仕出かしおったら、こちらが叱ってやれば済む事」

法皇は何か他人事の様に指示した。

「それと先程の平氏の事についてだが。その方ら、事の軽重を間違えてはいかん。まず第一に考えなければならんのは神器の返還の事。
これを何より優先する。
心苦しいが安徳や建礼門院、二宮の還御の事は二の次と心得て、これに当たれ。神代より伝えられて来た神器を儂の代で喪う訳にはいかん」

「はっ」

一同は声を揃えて応じ、同時に御簾に向かい深々と一礼した。

「うむ」

法皇は形ばかり重々しく頷くと、
続けて、
「その方らには言っておくが、今から言う事は他言無用じゃ。
しかし、このテの話しは何故か直ぐに噂となり拡まる、という性質を持つ。だからその方らは誰に何を訊かれても涼しい顔をしておれ」


前置きを述べた後、


「来月中[八月]中には新帝を即位させる」


法皇は爆弾発言をした。
公卿らは一様に息を呑み、その眼付きが変わった。


「その様に心得ておいてくれ。
せっかく平氏が去ってくれたのだから、この様な好機を逃したくは無い。
神器が無い事は痛いが、この際、やむを得ん。どうとでも成ろう。
とにかく一日も早く新帝を即位させ、天皇と朝廷による秩序をこの国に回復させねばならん。
皆にはそのつもりで内々に準備をして貰いたい」


法皇が言い終わると、一同はまた深々と一礼した。が、顔を上げた公卿らの眼は、異様にギラついていた。文字通り眼の色が変わった様に。

各々が、この新帝即位という政治的機会に、どの様に対処すれば己の利益になり得るか頭の中でシミュレーションしているのである。彼らの灰色の頭脳は今、目まぐるしくフル稼働していた。が、その様な自己中心的な事を考えつつも、傍目からは落ち着き払い、表情には出さず、悠然と構えている事が出来るのは、これが彼ら公卿の共通した資質、或いは得意技であるのは、言うまでも無い。

と、
「新帝の人選に関しては、皇家の家長たるこの儂が全責任を持って行い、決定する。いずれ早いうちに申し渡す事になるであろう。愉しみにしておれ」

法皇は力を込めて宣言すると、立ち上がり、殿上の間を退出して行った。
公卿らはその気配を察すると、最後にもう一度、深々と一礼し、この日の協議をを終了させた。



これが、義仲が入京した日、寿永二年七月二十八日に行われた事であった。