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宮崎

宮崎太郎長康
富山県朝日町宮崎
北陸(越中)武士 宮崎党


宮崎太郎長康は義仲軍の重要な武将で、倶利伽羅合戦の前哨戦である安宅の戦いで半死半生の傷を負うがよみがえり、北陸合戦を戦い抜き都へ上ってからも名が見える。義仲の死後も生き延び、長野県飯田市で亡くなっている。

■宮崎城

富山県下新川郡朝日町宮崎
(JR越中宮崎駅3㎞50分)

宮崎山は国境にある要害の地で、宮崎太郎が居館を構えていた。源平盛衰記によると寿永元年(1182)に讃岐前司重季が北陸宮を奉じて北国へ下った際、木曾義仲が御所を越中宮崎に築いたと記される。戦国末期には上杉方、佐々方の武将も居城した富山県内最古の山城。 三の丸には北陸宮墳墓、宮崎太郎長康の供養塔がある。