影隠地蔵
清水義高ゆかりの石地蔵。
「新編武蔵風土記稿」によれば、奥州道の入り口に地蔵堂があり、木造の地蔵が安置されていたという。その後、上広瀬の正覚院(現在は廃寺)入口付近にあったが、明治時代頃には元の地蔵堂の位置に戻されたといわれている。いつから石地蔵になったかは不明。「清水義高が追手から逃れる時に地蔵の影に身を隠した」等の伝承が残されている。
(西武新宿線狭山市駅2・1㎞25分)
清水義高ゆかりの石地蔵。
「新編武蔵風土記稿」によれば、奥州道の入り口に地蔵堂があり、木造の地蔵が安置されていたという。その後、上広瀬の正覚院(現在は廃寺)入口付近にあったが、明治時代頃には元の地蔵堂の位置に戻されたといわれている。いつから石地蔵になったかは不明。「清水義高が追手から逃れる時に地蔵の影に身を隠した」等の伝承が残されている。
(西武新宿線狭山市駅2・1㎞25分)