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義仲戦記24「返牒②」

「肥後守貞能。鎮西[九州]での叛乱鎮圧、御苦労だった」

新中納言兼左兵衛督平知盛は、貞能に労いの言葉をかけた。

続けて、
「しかし都に戻って早々に、この様な事を申し付けるのは心苦しいが、貞能にも出陣して貰う事になった」
命じると、

「何なりとお命じ下さい。新中納言知盛様」

貞能は一礼すると顔を上げる。
その顔は、望むところです、と言っている様であった。

知盛は、大きく首肯いて貞能に応じる。そして平氏一門の公達を見回すと、

「先ず、今現在我らの最大の脅威である、叛乱勢力の巨魁義仲に対し、新三位中将資盛[清盛の長男重盛の次男]を大将軍に、肥後守貞能を副将として派遣する。二人は二〇〇〇騎を率い宇治路を経て近江へ出陣。義仲勢を足止めしてくれ」

平氏一門の軍事総司令平知盛があらためて命令を出した。


事態は急を要する。
五万騎以上の大軍勢を擁する義仲が、刻一刻と都に近付いて来る、という平氏一門にとっては悪夢の様な状況が進行しているのである。

総司令知盛としては、この義仲勢に対し平氏方全軍を挙げて迎撃したかったのであったが、大兵力を従え都に迫る義仲勢のみに、平氏の軍勢を集中的に差し向ける、という訳には行かない事態が頻発していたのであった。

それは今まで平氏方に『あぶれ源氏』と揶揄され、馬鹿にされて来た源氏勢力が、義仲の行動と連動する様にして同時多発的に、都周辺で決起した事にある。


先ず、足利義康[源義家の孫で後の足利氏の祖]の子で丹波国矢田[京都府亀岡市]に居住していた矢田判官代足利義清[細川氏の祖]が、新たに義仲と気脈を通じ兵を挙げた。これにより平氏にとっては、都の西側に新たな敵が出現した事になった。

次に、これまで平氏方に属していた摂津国河辺郡[兵庫県]に居住している多田蔵人行綱[多田源氏の惣領]が平氏に叛旗を翻し決起。都の南西方面淀川の河口付近にも、反平氏の勢力が出現した。

しかも平氏方にとってこの男の裏切りには、何か嫌な予感が頭を掠めたのも事実であった。それは、この多田行綱の今までの処世術を思えば当然の事で、生き残る為には恥も外聞も無く、変わり身の早さと裏切りだけが取り柄の男に見限られる、という事は、裏切られた側にしてみれば「お前らにはもう未来が無い」と宣告された事と同じ事になるのであるから。


 多田行綱は今から六年前[一一七七]に平氏討滅のクーデター計画である鹿ケ谷事件に参加していたが、途中で裏切ると清盛にこの陰謀を密告、行綱は一時的には流罪になるが、その生命を永らえる事に成功した。それだけで無く、その後、赦されて平氏方に属し、しゃあしゃあと厚顔無恥ぶりを発揮して平氏全盛の世の中を渡って来たのである。
 確かに、こうした人間には天性の生き残る為の勘、とも言うべきモノが備わっており、平氏一門にとっては嫌なものであっただろう。だが、多田行綱の勢力は小さなものであった。が、平氏に対し謀叛を起こしたとなれば無視も出来なかったのである。

 そして極め付けは、元大将軍ドノ、リアルチェーンホラー、歩く不幸の手紙こと新宮十郎蔵人行家。この男の行動であった。

 行家は、義仲の軍勢から分かれると近江[滋賀県]、美濃[岐阜県]、尾張[愛知県]、三河[愛知、静岡県]、そして伊勢[三重県]にまで足を延ばし、各地の源氏勢力に対し決起を唆しまくったのである。
 その甲斐あってか、行家の許にはその唆された各地の源氏が結集。今やその数三〇〇〇〜四〇〇〇騎もの兵力になっていたのであった。この軍勢と共に行家は、伊賀[三重県]を通り大和[奈良県]を経て、当初の予定通りに南から都に迫ろうとしていたのである。

 軍事的才能も人格的高潔さも持ち合わせていない行家であったが、唯一、扇動者としての能力は備わっていたと見える。以前にも以仁王の宣旨を配り歩いて、日本全国の源氏に挙兵を煽りまくっていた事と言い、こうした事だけは得意な行家ドノであった。

 だが、各地の源氏勢力が起った真の理由は、義仲にあった。

 義仲のこれまでの戦い、つまり信濃[長野県]での挙兵[市原の戦い]とそれに続く横田河原での勝利。東山、北陸両道の武士の棟梁として迎えた北陸道での平氏方追討軍との激戦に次ぐ激戦。そして倶利伽羅、志雄、篠原と立て続けに勝利し、平氏方追討軍を壊滅させ、今や都をも射程内に納めつつ、一歩一歩平氏を追い詰めて行くかに見えるその行動があって初めて、彼ら各地の源氏は起ったのである。

 義仲には源氏と平氏の運命を逆転させる力がある、と彼らは考えた。そして、正に現在、その両者の運命は逆転しつつあったのである。



「次に
越前三位通盛
[清盛の弟教盛の長男]、
能登守教経
[通盛の弟。清盛の弟教盛の次男]
を大将軍とし、

二〇〇〇騎で宇治橋に陣を構え、この橋の警護に当たり、大和方面からの叛徒共の侵攻を阻め」

総司令知盛ので命令は続く。

「左馬頭行盛[清盛の次男基盛の子]は大将軍として一〇〇〇騎を率い、淀路を堅めろ。
裏切り者の多田行綱が摂津より都を窺い、軍勢を進めて来たら遠慮は要らない。奴を討ち果たせ」

落ち着き払い、淡々と命じる知盛。
だが、行綱の裏切り行為に対する怒りの感情は平氏一門の中でも一番強かった。彼は平氏の軍事を司る立場にあり、味方の裏切り行為が許せなかったのは当然である。それ以上に、彼が個人的に「人間のやる事では無い」と思っているのが「味方を裏切る」という行為なのであった。
敵に謀られ戦場で窮地に立たされる事の方が余程マシ、と思っている程に。

だが、そういう人間は常に多数存在する事を、哀しみと共に理解しているこの総司令官は、静かな諦観[諦めの心]のなかで、感情に流される事無く、冷静に状況に対応する術を心得ていた。


「薩摩守忠度[清盛の一番下の弟]。大将軍として一〇〇〇騎を率い丹波に向かい、矢田[足利]義清の叛乱を鎮圧せよ」

ここまで命じると知盛は一息付いて、一同を見渡す。

「そして最後に
私と本三位中将重衡[清盛の五男。三男宗盛、四男知盛の弟]を大将軍とし、五〇〇〇騎を率い出陣。
山科を経て、近江に於いて義仲勢を迎え撃つつもりだ。

良いか。
源氏を名乗る叛徒共を、一歩たりとも都に入れるな」

あくまでも穏やかではあったが、逆に淡々とと命じる総司令知盛には、他の者を圧する迫力備わっていた。


「おおっ!!」


居並ぶ平氏の公達が一斉に応じた。
彼らも公達とは言え、武将なのである。応じる声は野太く、正に武士のそれであった。




「園城寺[三井寺]からの返牒です。義仲様」

第四軍大将樋口兼光が、駆けさせて来た馬から降りずに、馬上から義仲に返書を差し出す。

と、これも騎乗の義仲が返牒を受け取り、全軍を行軍させたまま、返書を開き、目を通す。

「園城寺は何と?」

兼光が問い掛けると、義仲は書状から眼を上げると優しげな笑顔になり、

「園城寺も我らに協力する、と確約してくれた」

答えると、書状を兼光に差し出した。

義仲勢主力五万余騎は、琵琶湖東岸を南下し、八幡の里[近江八幡]を過ぎ、現在は日野川を目指し進軍していた。
兼光も書状に一通り眼を通し終わると、

「園城寺の事は心配していませんでした。おそらく南都[奈良]興福寺も我らに協力してくれる事でしょう」

兼光は満面の笑顔で請け負った。

比叡山延暦寺からの返牒が届く前に、義仲は園城寺と興福寺にも牒状を出し、この二寺にも源氏方に協力する事を要請していたのである。

 園城寺、興福寺といえば以仁王の決起の時、延暦寺とは違い、以仁王と源氏の源頼政に味方し、その後、平氏からキツい罰を受けた寺院である。治承・寿永の内乱の始めから源氏に味方し、反平氏の態度を明確にして来た二寺院の一つ園城寺がこうして味方に付く、という事は、程無くもう一つの寺院興福寺からも、協力要請受諾の返書が届く事は間違いの無い事であった。
何せ、平氏による南都焼討ちの時、興福寺は甚大な被害を受けたのである。平氏に対する怨念は、他の寺院とは比較にならない程、強かったのである。


「そうだな」
義仲は穏やかに応じる。と、ふと何かを思い立った様に訊いた。

「兼光。舟の数は足りているか?」

「はい。指示された数は確保してあります。が、今も湖岸の村々に協力を請い、兵らに集めさせております」

兼光が自信を持って答える。それに義仲は僅かな笑顔で応じた。

と、
「義仲様ーーーっ!伝令が来ましたぜっ!」

第五軍大将根井小弥太が、伝令の郎等を引き連れ、共に馬を駆けさせて来た。

「報告です!
敵平氏方先頭部隊は宇治より進軍を開始し、近江に入り瀬田に陣を構える模様!その数およそ三〇〇〇騎!
ですが、その後からも軍勢がやって来ます!その数は不明ですが、おそらく先頭部隊より多いものと思われます!」

郎等が一気に報告すると、

「・・・速いな。平氏方はもう瀬田にまで到着しているのか・・・」

呻く様に兼光が呟く。

と、
「ケツに火が点いたんだ。平氏だってそうなればウカウカしてらんねェだろ。それともいよいよ出張って来たんじゃねェか?
ウワサの新中納言様がよ」

小弥太がニヤリと不敵な笑みを口許に浮かべて混ぜっ返す。

「平知盛卿か・・・」
兼光は眉間に皺を寄せた。
その眼付きは厳しいものに変わっている。


 三年前[一一八〇]の富士川の合戦の直後、近江・美濃・三河の源氏が叛乱を起こした時、平氏方の大将軍としてこの叛乱を悉く鎮圧していった戦さ上手が平知盛であった事は、武将であれば誰もが知るところであった。
 元大将軍行家ドノもこの時、知盛や重衡に追い回され、這々の体で逃げ回った事は、読者には記憶に新しいだろう。


それはともかく兼光としては、平氏方が遂に最強の、そして最高の武将を投入して来たらしい事は、彼ら平氏の戦う決意の硬さを感じざるを得なかったのである。

と、
「これより進軍の速度を速める!
今日中には日野川を渡河し終え、先に進む!物見[偵察]の郎等らは野洲川まで下げておけ!行くぞ!」

義仲が号令を発すると、

「「判りました!!」」

兼光と小弥太は応じると、全軍に命令を伝える為、郎等らと共に義仲の許から駆け去って行った。

その進軍する義仲勢の右側には、広大な琵琶湖の湖面が静かに波を寄せている。


☆ ☆


「我らは明日、瀬田を出陣し、草津、守山を経て野洲川へ。この野洲川に防衛線を構築。
その後、野洲川を渡河し進軍する」

総司令知盛が指示する。

近江の瀬田に構えた平氏方の本陣。
先発していた資盛・貞能の軍勢三〇〇〇騎と合流した後発の知盛・重衡の本隊五〇〇〇騎は、これで総勢八〇〇〇騎となっていた。

大将軍らは翌日からの軍事行動の為の軍議を開いていたのである。

「では、野洲・中主辺りで戦いに?」

資盛が訊く。

「その可能性は高い。が、物見[偵察]の報告次第では、その先の日野川を渡河し、八幡の里辺りまで進軍出来るかも知れん」

重衡が応じると、

「義仲勢の接近が判明した時点で臨機応変に対処する、という事ですね」

貞能が真面目な顔で確認すると、総司令知盛は笑顔になり、

「それを言っては身も蓋もないぞ、貞能。だが早い話がそう言う事だ。後手に回っている我らに出来る事はな」

応じると、つられて貞能・重衡・資盛も笑顔になった。

「だが、重衡の言う様に八幡の里まで進軍出来るとは思わんが、日野川のこちら側の岸で義仲勢を迎撃する事が出来れば理想的だ」

知盛が話しを戻すと、三人は頷く。

と、
「そう言えば・・・」
重衡が兄の知盛に尋ねる。

「比叡山からの返牒は届きましたか?」

「返牒はまだ来ていない、との報告を受けている。比叡山は未だ態度を決めかねているらしい・・・が・・・」

知盛は考えつつ応じると、

「しかし、義仲勢が琵琶湖の東岸を南下して進軍している、と言う事は、琵琶湖西岸にある延暦寺を避けて行動している事になりませんか?」

資盛が言うと、

「ならば比叡山は今まで通り我ら平氏の味方に付いた、と見做してよろしいのでは」

貞能も言い添えた。

「・・・とは思うが、一概にそうとは言い切れん。返信が無い事が比叡山の返事だという事もあり得る・・・しかし今は比叡山の事を気に掛けても仕方無かろう」

知盛は暗い見通しを振り払うと、

「とにかく敵は五万騎の大軍だ。まともに会戦を挑んでも我らの勝機は薄い。ここは河川を天然の堀として利用し、義仲勢の侵攻を阻む。
その為には逸早く敵を発見し、その位置を把握しなければならん。明日からの行軍は物見[偵察・索敵]を多く、しかも広範囲に出すこととする。
敵の早期発見に全力を尽くせ。
敵に先んじてこちらが敵の位置を特定出来れば、それだけ我らは選択肢を多く持つ事が出来、有利になる。

では明日から頼むぞ。以上だ」

翌日からの軍事行動の要点を簡潔に指示し、軍議を終えた。


☆ ☆ ☆


「敵の平氏方は少数の兵にもかかわらず、しぶといのゥ。
まったく・・・キリがないワイ」

その頃、元大将軍ドノこと新宮十郎蔵人行家は、意外にも敵と戦いながらも、幾ばくかの余裕も持って呟いていた。

と、
「平氏の拠点の一つであり、重要な名だたる平氏の家人らを輩出している伊賀国ですからね。
やはり、そう簡単には・・・」

甲斐源氏の安田義定が応じた。

元大将軍行家ドノは、各地で源氏を唆し、何とか掻き集めた兵約四〇〇〇騎と共に、意気揚々と伊賀国を通り、大和国を目指していたのだが、ここ伊賀で平氏方の強力な抵抗に遭っていた。

平氏の家人、家継法師が一〇〇〇騎で行家らの行く手に立ちはだかったのである。

この家継法師、実は肥後守貞能と、知盛の乳兄弟伊賀平内左衛門家長の兄であり、平氏の為ならば生命を捨てても構わない、との信念を持つ生粋の平氏の家人だったのである。

元から軍事的才能の欠片も無い行家だが、更に相手がコレでは溜まったものでは無かった。


「ふむ・・・」

何か壮大な事を熟考している様に見せ掛けていた行家は、

「そうじゃ!」
何か思い付いたらしい。

「安田義定どの!」
行家は、轡を並べて横にいる武将に声を掛けた。笑顔で。

「安田どのは、このままここで平氏方を釘付けにしていて欲しいのじゃ!
いやいや!戦わずとも良い!
ただ睨み合っているだけで良いのじゃ!」

戦場にいるとは思えない程、明るい弾んだ声で行家ドノは叫んだ。


「は?」


名指しされた安田義定は瞬間、呆気に取られた。

安田義定。この甲斐源氏の武将は頼朝の挙兵に応じて富士川の合戦に参加し、戦勝後に頼朝から遠江国[静岡県]の守護に任じられていたのだが、義仲が上洛すると聞くと、何故か義仲に呼応して軍勢を率い、都へと向かって進軍していたところ、丁度、行家ら美濃・三河・尾張の源氏の軍勢と行き合い、この軍勢に合流していたのであった。


「いやいや!安田どの!
その間にナ、このワシが美濃・三河源氏の連中と共に、名張を抜けて大和に入り、吉野辺りの衆徒らを味方に付け、眼の前の伊賀の平氏方に背後から襲い掛かってやれば、奴ら一溜りも無かろうて!」

「はぁ。・・・行家どの。
それは、まぁ良い考えとは思いますが・・・」

安田義定の微妙な相槌をうつと、それに被せる様に、

「そうじゃろう!良い考えじゃろう!では安田どのには尾張源氏と遠江衆と共にここを任せる!
ではワシは早速、出発するとしようかの!」

一方的に叫び終わると、早々に美濃・三河源氏の軍勢に話しを通し、全兵力の約半数二〇〇〇騎程を纏めると、

「安田どの!ではナ!」

一際大きく怒鳴り、後方に去ってしまった。

焦ったのは安田義定である。
呆気に取られ、あれよあれよと言う間に味方の軍勢が半減してしまったのだ。

と、
「義定様!一体何が・・・!」

事態の急変に混乱した郎等が安田に声を掛けると、安田はハッと我に返り、

「行家どのは更に味方を集め、敵の背後を突く為に別行動を取っただけだ!狼狽えるな!我らはここで敵を引き付けておくだけで良い!一旦後退し敵の出方を見つつ、軍を再編する!」

焦っていたわりには何とかまともな指示を出す事に成功した安田は、頃合いを見計らって後退したのである。


こうして伊賀路での戦いは、一進一退を繰り返す事となった。

さて、口とは便利で有難いものである。何をするにも大義名分と言い訳が、泉に湧く清水の様に湧き出てくるから。特に行家の口は見事である。
向かって来る敵に恐れをなし、面倒臭い仕事も同僚[安田義定]に押し付け、この場から逃げ出す口実を、正にその口から出任せの如く言い放つ事が出来、この臆病で怠惰な本心を糊塗し尽くしたのであるから、実に立派なもの[口]であった。

☆ ☆ ☆ ☆


「敵義仲勢は日野川を渡り、現在、中主の北方を侵攻中!」

物見の郎等が馬上で報告した。
総司令知盛率いる平氏方八〇〇〇騎の軍勢は、本陣の瀬田を出発し草津を経て、守山の手前まで進軍していた。

報告を受けた知盛は無言で頷き応じたが、物見の郎等が何か怪訝そうにしているのを見逃さなかった。

「どうした?
何かまだ報告する事がありそうだな」

知盛は眼元を緩め、話すように促した。

と、
「はっ!気に掛ける事は無い、と思うのですが」

郎等はそう前置きしてから、

「敵義仲勢はこれまでも琵琶湖の岸沿いを南下して来てはいましたが、それにしても道程が湖に近過ぎているのが、どうも・・・」

言い辛そうに、最後の方は口の中で呟いている様に言った。
知盛の横でこれを聞いた大将軍重衡は、

「言われて見れば、敵は街道筋より離れ過ぎている・・・これは何かの罠、という事でしょうか?」

知盛に問い掛ける。

「それは判らん。が、確かに妙だ。だが良く報告してくれた。これからも気付いた事があれば、小さな事でも何なりと報告してくれ」

知盛は物見の郎等を労うと、郎等は誇らしげに首肯き、一礼して馬を駆けさせた。それを見送った知盛が、

「義仲勢の侵攻を阻む事が我が軍の目的である以上、我らも進路を少し変更せねばならん。北西に進路を取り、野洲川の河口辺りを目指す」

重衡に指示すると、


「これより進路を北西に向け、野洲川の河口を目指し、河口沿い一帯に防衛線を築く!
敵に先んじて野洲川に到着する為、進軍の速度を速める!
敵は近い!気を抜くな!」

重衡が指示を全軍に伝え、号令を掛けると、平氏方の兵らは返答の代わりに、馬足を速めて応じた。





「敵平氏方総勢八〇〇〇騎!進路を変え、こちらに向け侵攻中!速度を速めています!おそらく我らの位置を特定したものと思われます!」

「良し!
物見の郎等らを全員引き上げさせろ!急ぎ本隊に戻って来い!いいな!」

第六軍大将今井兼平が命じると、

「はっ!」

物見の郎等は馬の踵を返し、駆けて行く。

と、
「義仲様。準備が整いました」

第四軍大将樋口兼光が報告すると、義仲は大きく首肯いた。


「ではこれより第一軍から順に、琵琶湖を渡り対岸を目指す!
地元の村々の漁師が舟を用意し協力してくれた!
ついては漁師や船頭らの指示に従い行動して欲しい!
平氏方の軍勢がここに着く前に渡り切る!」

義仲が全軍に命じると、


「おおっ!!!」


短く兵らの大音声が応えた。

そして義仲勢第一軍の大将落合兼行は、舟の上で馬の轡を取りつつ、漁師の船頭に、

「よろしく頼む。ではやってくれ」

指示すると、船頭は無言で肯き舟を出すと、続いて次々と馬と兵らを載せた舟が、岸を離れて行った。

およそ大小合わせて二〇〇〇叟もの舟と漁師、船頭らを動員し、約五万騎の兵員を琵琶湖の東岸から対岸の西岸に渡す、というのは確かに容易では無い事であるが、義仲は周到な準備をし、この計画を実施した。

 漁師や船頭らの居住する里や村々には、兵糧の供出を受けていた。義仲は武家の棟梁である彼の名の下に、これらの村々の寺社に御礼の意味を込めてこの村々の土地を安堵し、更に新たな周辺の土地を寄進したのであった。
 これにより協力を取り付ける事に成功し、舟や漁師・船頭らの大量動員が可能となったのである。
 更に、この日本一の広大さを誇る琵琶湖に於いて、対岸との距離が一番短い地点で、義仲はこの計画を実行に移したのである。その地点とは現在の琵琶湖大橋が架かっている辺りにあたり、琵琶湖が極端に狭まっていている東岸から西岸までの距離はおよそ1.5キロ程を舟によるエスカレーター方式での兵員輸送を行なったのだ。兵員を載せ対岸へ行く舟と、兵員を降ろし対岸から戻る舟を円環させ、部隊が一斉に渡るのでは無く、常に舟を循環させ、兵員を小出しに渡して行く様にして、輸送時間の短縮も狙っていたのである。

 こうして、この琵琶湖横断計画は実行された。


義仲が、先頭の落合兼行の乗る舟を見続けていると、早くもこの先頭の舟は対岸に到着し、落合らと馬とを次々と降ろすと、舟の舳先をこちらに向け、湖面を滑る様に戻って来る。

程無くこの先頭の舟がこちら側へ着くと、待っていた兵員らが馬を引きながら乗り込む、すると再びこの舟は対岸へと向かって行った。そしてこの舟と同じ様に、後に続く約二〇〇〇叟もの舟が順々に、こうした動きを繰り返し、次々と兵員らを対岸に渡して行く。

「思ったよりも早く全軍を対岸に渡せるかも知れん」

横断の様子を見ていた義仲が、何故か苦笑を浮かべながら言うと、

「そうですか?でも総勢で五万以上ですよ?馬もいるし・・・
あたしには、とても慎重に渡している様に見えるんですケド」

義仲の隣りに馬を並べ、共に輸送作業を見ていた戦う美少女こと巴御前が不思議そうに異をとなえると、義仲は優しげな微笑を浮かべ、こちら側の岸辺を指差す。

「?」

という表情で首を傾げたまま、義仲の指差す場所を見た巴は、束の間、眼を見開いて様子を見ていたが、

「あ。成る程」

ある事に気付くと、煌めく様な笑顔で義仲に向き直った。
義仲と巴が気付いた“ある事”というのは、こちら側の岸辺で兵達が膝の辺りまで水に浸かりながら、湖に入って舟を待ち、舟が来ると、舟を止める前に乗り込んで行く光景だった。

巴は対岸にも眼を移し、眼を凝らすと、これも向こう岸に着く前に舟から兵達は馬と共に浅瀬の水の中に降りているのが小さく見えている。

「確かにこの調子なら早いかも知れませんね。・・・義仲様?」

笑顔のまま義仲に話しかけた巴は、言い終わる前に、義仲が少し睨む様にして巴を見ている事に気付いたので、首を傾けたまま次の言葉を待っていた。

と、
「巴。お前、落合兼行と共に第一軍の大将だろ。
そろそろ第一軍も渡り終える頃だ。
その大将が第七軍本隊の私のところにいる、とはどう言う事だ」

台詞にわりには穏やかに優しく抗議する義仲に、

「あ。バレちゃいました?」

巴が悪戯っぽく更に笑顔を輝かせ応じると、急に表情を真剣なものに改め、

「第一軍七〇〇〇騎。無事に湖の横断を終了しそうです。
これより第一軍の殿[しんがり。部隊の最後尾]、巴も参ります。
以上。報告終わります」

取って付けた様な報告をすると、思わず吹き出した義仲に、

「では」
と、巴はまたも最高の笑顔で応じ、馬を進めて行った。
義仲が心から可笑しそうに笑う声を、背中に感じながら。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「・・・嘘だろ・・・こんな事が・・・」


郎等は馬上で瞬きする事も忘れ、いや、呼吸する事すら忘れ、茫然と眼に映る光景を眺めていた。
が程無く自分の仕事を思い出すと、すぐさま馬を引き返し、全力で駆けさせた。

今、眼にした事を報告する為に。
総司令知盛が率いる八〇〇〇騎の味方の軍勢の許へと。

何か良くない方向へと状況が急変しつつある事を予感しながら、物見の郎等は駆け戻ったのであった。


「何だと!それは本当か!」


郎等が駆け戻り報告すると、大将軍重衡が叫びながら訊き返した。

「本当です!義仲勢は舟を使い琵琶湖の対岸へ移動しています!
私が見た時には、既に全軍が渡り終えようとしていました!」

郎等は必死の形相で、自分の目撃した事実を伝えようとしている。
その郎等の眼を見た重衡・資盛・貞能の三人の大将軍は絶句した。

と、
「先ずは確認する事が先だ。全軍を一時停止させ、部隊を送って確認させる。重衡、貞能、三〇〇騎程率いて行ってくれ。大至急だ」

総司令知盛は落ち着いて命じた。
が、その顔色は心無しか少し蒼くなっている。

と、はっと我に返った重衡と貞能は、

「解りました!」
「確かめて来ます!」
同時に応じると、


「続けぇーーーーーっ!!」


号令と共に郎等らを引き連れ、土煙りを上げ先を急いで駆け出して行った。



(義仲にしてやられた・・・
我らは都から誘き出されただけで無く、肩透かしをくらい、踊らされたらしい・・・
してやられた、と言うより義仲に遊ばれている・・・
このままでは、都は・・・)


総司令知盛は、確認の部隊が戻って来るまでの間、敵に手玉に取られた苦い思いと、自分の頭に次々と浮かび上がって来る不吉な想像と闘っていた。
だが総司令が狼狽えていては全軍の士気に関わるので、ぐっと馬上で手綱を握り締めたまま、無表情では前方を凝視していた。

ふ、と資盛を見ると、馬上で気丈に振る舞ってはいたが、兜の下のその顔は蒼白になっている。

知盛は痛ましそうに資盛から眼を離し、再び前に向き直ると、凝固した様にひたすら前方を睨み付けていた。






「良くやってくれた。あらためてこの義仲。
お前達、漁師、船頭らに対し礼を言う。有り難う。御苦労だった」

義仲は琵琶湖横断の為に力を尽くして協力してくれた者達の前で、一礼し、労い、そして感謝の気持ちを示すと、漁師や船頭らを解散させ、彼らを村々に帰してやった。

その舟の姿が小さくなるまで見送っていた義仲は、頃合いをみて、



「ここに我が軍は琵琶湖の東岸から西岸への横断を成功させた!
これより西岸を南下し、比叡山の麓、坂本まで移動し、そこに我が軍は陣を構える!出発!」


号令を掛けると、五万騎の軍勢は整然と移動を開始した。




「!」
「!」

平氏方大将軍重衡と貞能は対岸を見た瞬間、眼を大きく見開いたまま絶句し、物見の郎等の報告が事実であった事を、焦りと苦い思いと共に認めざるを得なかった。

彼らの眼には、向こう岸を静々と行軍して行く大軍勢と、そこに翻る何本もの源氏を示す白い旗がしっかりと確認出来た。

大将軍重衡は、ぎりっと奥歯を噛み締めると、手綱を引き、


「してやられた!・・・急いで戻るぞ!
確かに敵は琵琶湖の西岸に移動している!
こうしては居られん!全速で総司令の許に戻る!続けーーーーっ!」

叫ぶと、今、来た道を全速で駆け戻る。
しばし茫然としていた貞能以下三〇〇騎の郎等らも、重衡の叫び声に我に返ると、大将軍に続いて駆け出して行った。




「義仲様。あれを」

馬を進めている義仲に、囁く様にして上野国[群馬県]の武将多胡家包が声を掛けた。

多胡は義仲勢第七軍本隊に属している大将なので、義仲の近くで行軍していたのである。

「多胡か。どうした?」
義仲が応じると、多胡は無言で対岸を指差した。

義仲がそちらに眼をやると、平氏を示す赤い旗が二本、対岸の風に揺られているのが見えた。かと思ううちに、その赤い旗を掲げた小部隊が引き返して行き、その姿は間も無く土煙りに紛れて見えなくなっていた。


「琵琶湖を渡った事が平氏方にバレてしまったな」

穏やかに義仲が言う。

「行軍の速度を速めますか?義仲様」

「いや。我らが急ぐ必要は無い。
逆に急がなければならないのは、今、見えた平氏方の軍勢だ」

「都に戻る為に、ですね」
「そう言う事だ。多胡」

義仲はそう言うと、前に向き直り悠々と馬を進めて行く。
多胡はもう一度、対岸を振り返って見たが、そこにはもう土煙りも無く、赤い旗を掲げた部隊はいなかった。





「義仲勢が湖を渡り南下した、と言う事は既に比叡山と義仲は協力態勢を取っていたと思われる」

総司令知盛が冷静に現状を分析した。


この日、知盛率いる八〇〇〇騎の軍勢は、義仲勢が琵琶湖を渡った事を確認すると、急ぎ軍勢と共に引き返し、その日のうちに瀬田の本陣へと戻り、軍議を開き翌日からの対応を協議していた。

「比叡山からの返書が無かったのも・・・」

資盛が暗い顔で呟く。

「とうの昔に延暦寺は源氏と内通していた訳だ。ただでは済まさん・・・」

重衡が口惜しそうに言い放つ。

と、
「今の現状では比叡山だけに構ってはいられない」
知盛が言い、続けて、

「我らは明日中には都に戻っていなければならん。
義仲勢が都の鬼門の方向[北東]から来るのか、それとも都の東の園城寺方面から来るのかは判らんが、何であれ都に味方の軍勢を集結させ、これに対処しなくてはならない。
そこで各地に派遣していた軍勢を呼び戻し、軍の再編を図る」

これからの方針を明らかした。

「そこで、宇治橋の防備に当たっている通盛・教経の軍勢二〇〇〇騎は伏見まで後退させ、摂津の多田行綱並びに丹波の矢田義清の討伐に向かわせた行盛・忠度の二〇〇〇騎にも急ぎ都へ戻って貰う事とする」

知盛は言うと、伝令の郎等を呼び、各隊に今の指令を早馬で送り出す。
と、その郎等と入れ替わる様に、別の伝令の郎等が駆け込んで来た。


「報告します!伊賀の家継法師からの伝令です!
伊賀では源氏勢の侵攻を阻んでいましたが、抗し切れずに後退!
源氏勢の追撃を受けつつも、都での合流を図る為、現在、山城国[京都府]の加茂まで後退!
そこで新たな情報を得ました!
大和では新宮行家ら源氏の軍勢が吉野大衆らと合流し、宇陀方面から南都に向かって侵攻中との事!報告は以上です!」


「解った。家継には無事に都に到着して欲しい、と伝えてくれ」

知盛が命じると、伝令の郎等は水を飲むのも、もどかしい様子で、急ぎ馬に跨ると、再び馬で駆け出して行った。

その様子を見ていた知盛は立ち上がると、

「先程の指令を撤回し、我らは明日の朝までには都に到着する事にした!今から出発する!」

命令すると、重衡・資盛・貞能らも立ち上がり、無言で首肯くと行軍の準備に取り掛かった。


こうしてはいられない、との思いは全員が持っていたのである。


そして総司令知盛、大将軍重衡・資盛・貞能率いる八〇〇〇騎の軍勢は、その夜のうちに瀬田の本陣を引き払い、行軍を再開したのであった。
一刻も早く、都へ戻る為に。





義仲による都の包囲網は、時を追う毎に確実に狭まって行った。
後手に回った平氏方は、この状況に対応し切れずに、各地へ派遣した部隊を急遽呼び戻さなければならなくなったのであった。
その平氏方の武将らにとっては、喉元に刃を突き付けられた様な思いであった事だろう。

何せ都から馬で一日掛からない地点に、五万余騎の敵の大軍の侵入を許したのだ。

しかもその敵は、北陸戦線で十万騎の味方の将兵を屠り、武力と豪勇と獰猛さを持って、いつ都に雪崩れ込んで来るのか判らないのである。

早ければ明日にも。

彼ら平氏方の武将ら、公達らはこの事実に恐怖した。
この思いは朝廷の公卿や、貴族らも同じく共有していた。

おそらく都に住む民衆らも。