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岡田

岡田冠者親義・太郎重義・小次郎久義

松本市岡田(筑摩郡岡田)

信濃源氏。岡田冠者親義・太郎重義・小次郎久義の名が倶利伽羅合戦で見える。岡田親義は倶利伽羅合戦で戦死した。

■関連伝承地

岡田神社



□岡田親義の奮戦「源平盛衰記」より

 倶利伽羅合戦の時のこと。義仲の軍勢は夜明けになるころ、朝日を浴びて輝く容貌優美な武将が50騎ほど率いて駆け抜けていくのを見た。それは平家の軍勢を率いていた平知度と平為盛だった。義仲が「このたびの大将軍だ!討ちもらすな」と号令すると200騎で取り囲んだ。
 知度が馬を射られて下り立ったところ、岡田親義が立ち向かった。知度は太刀を抜いて親義の兜を打ち、外れた瞬間に二の太刀で首を落とした。親義の子・太郎重義がたまらず知度に向かっていくと、家臣が次々と20人ほど重義の前に立ちふさがった。負けじと親義の郎党が30人駆け付けた。太刀のうち違える音が耳を驚かし火花が電光のように飛び散った。源氏も平氏も必死で戦った。知度は「もはやこれまで」と自害して果て、平為盛は岡田親義の子・小次郎久義と組合っていたところ、樋口に首を取られた。