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義仲戦記35「妹尾合戦」

水を打った様な静けさ、とはこの場の事を云うのだろう。

誰もが息を呑んだまま、二の句を継げないでいた。



播磨国[兵庫県南西部]加古川西岸に義仲勢は本陣を構えていたが、その本陣内部は沈黙には支配されていた。この静寂は、凶報を受けた驚愕により齎されたものであった。

備中水島での搦手第一軍・第二軍の惨敗。
 
これは勝利する事に慣れていた義仲勢の諸将達にとって衝撃であり、また重く伸し掛かる事実でもあった。

と、
「では、こうしてはいられない」
鈴が鳴った。
いや、美しい鈴の音の様な凛とした義仲の声であった。

諸将達は、はっと我に帰ると思い出した様に自らの忠誠を捧げているあるじに眼を向ける。

「至急、搦手部隊の救援に向かわねばならん。大手全軍を持ってこれを行う。ついては」

義仲は冷静に命じた。

麾下の武将達の眼にはとても落ち着いた様子には見える。その事に諸将達はあらためて瞠目していた。

「我が大手の軍がこれまで接収・徴発する事が出来た約五〇〇叟の軍船は備中国「岡山県西南部]児島湾に先行させ湾内に留める。
これには各軍から兵を三〇〇名ほど出し、第三軍から第七軍までの一五〇〇名に当たって貰う事とする」

矢継ぎ早に的確な対応策を指示する義仲を、驚きと共に見ている諸将達の胸の内には、次第に自信が甦って来ていた。先程までの血の気が引いて身も凍る様な心持ちから、少しずつ気持ちが上向いて行くのを実感する。

「残りの全軍大手八五〇〇騎はこのまま山陽道を西進。搦手の軍勢と早急に合流を図る」

義仲は当面の方針を指示すると一同を見渡す。諸将達が無言で首肯いていると、

「義仲様。宜しいでしょうか」

義仲は声を上げた者に眼を向け、

「何か不明な点があるのか?津幡」

「いえ、そうでは無く。これより備前・備中に向かう事になりますと」

第三軍大将津幡隆家は、そう前置きすると、

「我が第三軍の部隊に配属されている倉光三郎成氏から一つの提案がありました」

「聴こう」
義仲が穏やかに促す。

「はっ。倉光成氏を預けられている者がこう申しておる、と。

己れの生国領地が備中にあり、牧草が豊かなのでこれを利用して欲しい、また、今後合戦のある時には真っ先に戦って義仲様のお役に立ちましょう、

と」

「ふむ。では倉光成氏の提案というのは、その預けられている者に道案内させて先行する、とそういう事だな」

「その様に御座います。
但し元々は平氏の家人であった以上、眼を離さず監視する、
と倉光は申しておりました」

「成程。瀬尾太郎兼康に道案内させようという訳か」

「はっ。備中国妹尾庄[岡山県岡山市]が領地とか」

津幡崖言い終わると、義仲は少し視線遠外して束の間、考えている。

この義仲の様子を幾分心配げに、だがその様に考えている事はおくびにも出さず見詰めている武将がいた。
第六軍大将四天王今井兼平である。


確かに瀬尾兼康は元は平氏の家人であったし、立派な武士である。
あの倶利伽羅の戦いの折、平氏方の敗北が濃厚となった時、斉明を逃がす為に己れの馬を与え、最後まで踏み留まって戦おうとした事は正に“武士の鑑”と言って良かったし、奮戦及ばず生捕りにされた時も命乞いなどせず、首を斬れ、と傲然と言い放った豪胆さは見事なものであった。

こういう武士だからこそ義仲は彼を惜しみ、その生命を奪う事はせず、生捕りにした倉光次郎成澄の弟三郎成氏に預けたのである。

平氏方を裏切り、一旦義仲勢に味方したがその後、恥ずかしげも無く義仲勢を裏切り、平氏方に再度寝返った日和見の典型の様な斉明は、倶利伽羅合戦で生け捕られた後、その場で処断された事とは格段の違いがあった。

ともあれ倉光成氏に預けられて以後の瀬尾は、性格も穏やかで優しく、骨惜しみせずに立ち働いていたので、いつの間にか倉光成氏のお気に入りとなり大切に扱われていたのである。

だからこそ倉光成氏もこのお気に入りに、武士としてもう一花咲かせてやろう、とこの提案を持ち込んで来たのであった。

だが、こうした評判を知っていたにも関わらず、今井兼平は何か腑に落ちないものを感じていた。と言うより瀬尾が申し出た事が何気に入らなかったのである。

それは瀬尾の境遇を自分に置き換えたとしたら、自分はこの様な事を申し出る筈が無いし、もし申し出るとしたら、その心底に何か良からぬ事でも考えていなければ、その様な事をしないだろう、と考えていたからである。

つまり、平氏の為に命を捨てて最後まで踏み留まって戦っていた様な見事な武将であったからこそ、逆にこの申し出に胡散臭いものを感じた、と言って良い。

だが、兼平がいくら家を揉んだところで決定するのは義仲である。しかも兼平には、敬愛して止まない己れのあるじがこの申し出に対し、どの様な決定をするかは、言われなくても解っていた。

「悦んで瀬尾兼康の申し出を受けたいと思う」
笑みすら浮かべて義仲が答えた。

やはりそう言う事になった、と溜め息にも似た吐息を吐いた兼平は、何やら物言いたげな眼で義仲を見た。
が、義仲は続けて指示を出している。

「では津幡。倉光成氏に三〇騎程付けて先行させてくれ。瀬尾には道案内の他に馬草の用意も命じる。
明日には大手の軍勢も播磨国府[現在の姫路市]に到着していたい。では全軍出発だ」

「「「はっ!」」」

麾下の武将達が応じると、次々と本陣ヲ出て行く。

俄に慌ただしくなる中で、兼平は義仲を呼び止めるつもりで追って行こうとしたが、結局、踏み出そうとしていた足を止め、何も言わずに義仲が本陣を退出するのを見送っていた。

と、
「あら。らしく無い。
いいの?義仲様行っちゃったよ?」

「はあ〜〜〜・・・」

話し掛けられた兼平は、そちらを見ようともせずに盛大な溜め息で応じる。

「何よ、失礼ねぇ」

言葉とは裏腹に楽しそうに巴御前こと戦う美少女は答えた。

「仮にも敵の武将だった者を、ああも簡単に信頼するとは・・・」

「そういうトコが義仲様の最大の美点であっても、いえ、であるからこそ逆に悩ましい、というワケ?」

巴には図星を突かれた兼平は、じろり巴睨み付けると、

「その通りだが、お前に言われると腹が立つ」

「ほんと失礼なヒト」

巴は呆れた様に天を仰ぐと続けた。

「あのねぇ。義仲様は信頼してるから瀬尾サンの申し出を受けたワケじゃないのよ?」

「そんな事は解っている。義仲様の方が人を信じたいだけ、である事もな」

低く唸る様に兼平が答えると、戦う美少女の異名を奉られている巴は口に手を当てて、

「驚いた。
何だ、ちゃんと解ってるじゃない」

「当たり前だ。
であるからこそ私には、義仲様に対して掛ける言葉が無い・・・」

「そっか。そおよね」

なら思い悩むコト無いのに、心の中でも巴はそう思ったが、口から出してはこう言った。

「もしかしてオトコ心って複雑で繊細なんだってコトが言いたかったのかしら?」

「なっ!・・・」
カッと少し頬に赤みが差した兼平は顔を背けると、

「ぐだぐだと喋っている暇など無い!行くぞ!」

足早に本陣から出て行こうとする。

わっかり易いなぁ、巴は苦笑しつつ、

「大丈夫。
何があっても義仲様は最後には貴方を頼る事になるわ」
呟いた。

が、肩をいからせて去る兼平には聴こえてはいなかった。

「倉光どの。この度は私ごときの申し出ヲ義仲様に伝えていただき有難う御座います。
しかも義仲様がこれを受け入れられるとは。御礼の申し様もありません」

晴れ晴れとした表情の瀬尾兼康は、馬を進ませながら倉光成氏に礼を言った。

「それは義仲様のお人柄もありましょうが、瀬尾どのが信頼を得た結果ですよ。私に礼を申す事などありません」

倉光も馬上で笑顔になり応じた。

倉光らは大手本隊より一足先に加古川を出発していた。三〇騎程が馬を駆り西へと向かっている。

と、
「倉光どの。先に私の領地備中妹尾に連絡を入れておいた方が何かと便利だと思うのですが。
何せ一万騎もの大軍勢の馬草を用意するとなると、領民総出で掛からなければなりませんから」

「確かに瀬尾どのの言う通りであろうな。とは言えさすがに瀬尾どのを一人です行かせる訳にも行くまい」

瀬尾の提案に頷きつつも、しっかりと釘を刺す倉光。
瀬尾は破顔して言い添えた。

「当然です。そこで私の郎等を伝令として行かせる、というのはどうでしょう」

「宗俊、といったな。瀬尾どのの郎等は」

「はい」
瀬尾が首肯く。

先の倶利伽羅の戦いの折、瀬尾が倉光の兄成澄に捕らえられた時、瀬尾の郎等らも何人か生け捕られていたが、その中でも宗俊という郎等は常に瀬尾の側を離れず、あるじを支え続けていた事から、倉光成氏も名と顔は知っている郎等だったのである。

当然の事ながら、この三〇騎の中に瀬尾がいる以上、その忠実なる郎等である宗俊も同行していた。

「ふむ。良いだろう」
倉光は束の間、考えていたが承諾した。

「有難う御座います」
瀬尾は深く頭を垂れて謝意を示すと、

「では宗俊。お前は逸早く備中妹尾に向かい、義仲様の軍勢の為の馬草の用意などを領民と共に当たれ。もてなしので用意も忘れずに万全にな」

瀬尾は宗俊の眼をじっと見詰めて命じた。郎等宗俊は無言で聞いているが、その眼は真剣な様子であるじの眼を見返している。瀬尾は続けて、

「そして私の嫡子小太郎宗康には、我ら倉光どのの一行を出迎えるよう申し出した伝えておく何いい。
解ったか?」

命じると、宗俊は無言で力強く首肯いた。

瀬尾は倉光に振り返る。
郎等の出発の許可を求めているのであった。倉光は頷くと、

「良し。
では先に備中妹尾に向かえ、宗俊」

命じると、宗俊はもう一度瀬尾に眼をやると、馬に鞭をくれて駆け出して行った。

「さぁ倉光どの。参りましょう。
播磨国府に着く頃には日が暮れているかも知れません」

瀬尾は駆け去る郎等を見送る事無く、倉光はにこやかに声を掛けると一行を促した。



「おお!小太郎か!出迎え御苦労!」

瀬尾が嬉しそうに声を掛けた。

前の晩は播磨国府に宿を借り、あくる朝、日の出と共に倉光ら一行が出発して間も無く、仄暗い時間に前方から五〇騎程の鎧を纏っていない騎馬武者の一団が姿を見せた時、瀬尾は一早くその者らが誰なのか気付いて声を掛けていた。

自分の息子や郎等らである以上、当然当然言えば当然の事だったが、この一団の先頭にはいる者が特徴的であった事にもよろう。
瀬尾兼康の嫡子小太郎宗康である。
特徴的、と言うのは宗康は少し、いや大分肥えた身体つきであったからだ。

その宗康は父の声を耳にするや、馬足を速めて倉光の一行まで近付いて来ると、

「父上!よく生きて戻られました!
父上!父上!」

眼に涙を溜めて全身で父上の帰還を喜んでいる。

倉光はちらりと瀬尾に眼をやると、瀬尾もこれまで見た事も無い様な優しい顔で嫡子を見詰めている。

何か良い事をした様な気分を感じ頬を緩めて瀬尾親子を眺めていた倉光だったが、ふと己れの役目を思い起こすと、

「小太郎宗康どの。報せを受けて夜通し馬を駆けさせなければ、この様に速く其方の父上と逢う事は出来なかった筈。御苦労であったな」
宗康を労う。

そして瀬尾親子を交互に見つつ、

「良いものを見せていただいた。親子の情とはこうあるべきでしょうな。
瀬尾どの」

揶揄っていた訳では無い。真面目に感想を述べている倉光であった。

小太郎宗康はそれを聞くと、にこりと満面に笑みを称え、瀬尾は苦笑とも何とも言えない微妙な表情で応じている。

照れ臭いのだろう、とは思ったが倉光は、その瀬尾の表情に何か心に引っ掛かるものを感じた。
が、その直後、瀬尾が声を掛けて来た為、その引っ掛かりはすぐに心の中から消えていた。

「倉光どの。今日中に播磨を過ぎ備前に達する事も出来ると思います。
先を急ぎましょう」

瀬尾が幾分、気負って言う事に違和感を感じて感じつつも、照れ隠しだと思い返した倉光は答えた。

「そうですね。急ぐに越した事はありませんから。では参りましょうか」

「宗俊が備前三石の宿では酒を用意して我らを待っているそうです。
心ばかりのもてなしの気持ちですが、受けてくれますか?倉光どの」

「余り深酒は出来ません。
が、お気持ち、と言うのであれば拒む理由ばかりありません」

倉光はやはり一応、釘を刺しつつも笑顔です応じ、馬を進めて行った。
その後、馬上で先程心に感じた引っ掛かりと違和感を一度だけ思い返した倉光であったが、笑顔でやりとりしている瀬尾親子の姿を見ているうちにそれも全く気にならなくなっていた。






「奴らの郎等が一人!
馬で逃げ出しました!追いますか!
兼康さま!」

「いや!放っておけ!
いずれ義仲には我らの謀り事が判ってしまう以上、追い掛けて郎等一人殺しても意味は無い!」

「ですが!義仲に不意撃ちを掛ける事が出来なくなります!」

「なら堂々と名乗りを上げて義仲を迎え撃てば良い!」

瀬尾ら主従の怒鳴り合っている大声を、どこか遠くに感じながら聞くとも無く聞いていた倉光は、自分が仰向けに倒れ、大量に出血し呼吸をするにも苦労している現状を、何故か冷静に受け止めていた。

背中から一突きされた深い傷は、深過ぎる為なのかそれ程痛む事が無く、そのほかに斬られた頭や腕や肩口の傷の方が痛む事を不思議に思っていると、


「倉光成氏。今まで世話になった。
その恩を返す為にお前の首を斬る」

声がした。
そちらに眼を移すと瀬尾兼康が血の滴る太刀を引っ提げ、倉光を憎らしげに見下ろしていた。

倉光一行は、この日の夜に備前三石の宿に到着した。

倉光ら三〇騎、小太郎宗康が率いて来た五〇騎を待っていたのは、瀬尾の郎等宗俊をはじめ、瀬尾とは旧知の間柄である備中の武士らおよそ四〇人ほどが三石の宿に集まっていた。

口々に歓迎の言葉を発する備中の武士らに促された倉光らは、旅装を解き鎧を脱ぐや一休みする間も無く、そのまま酒宴に雪崩れ込んでいた。

倉光はさすがに次から次へと酌をしに来る者らを断り、盃を口に運びつつもそれを呑み干す様な事はしなかったが、倉光に付き従う郎等らは勧められるままに酒を上機嫌で呑んでいた。
いや、呑まされていた、と言った方がいいかもしれない。

倉光は郎等らの声が大きくなり始めている事に気付くと、

(これ以上の酒は明日からの行軍に響く)

こう判断し、ぱんぱん、と二度手を打った。
と、広間で楽しく呑んでいた一同が笑顔遠顔に貼り付けたまま倉光に注目する。

「今夜のもてなし、備中の皆様方には郎等らに代わり御礼を申し上げます。とは言え我らは瀬尾どのの領地に向かう途中でありますれば、明日も早朝から出発せねばなりません。
名残りは惜しいとは思いますが今夜はここまで、といたしましょう」

倉光は丁重ながら、異論を受け入れ無い口調で言い渡した。

「そうですな。明日もある事ですから」

にこやかに瀬尾が応じると、

「宗俊。倉光どのを寝所に案内してくれ」
続けて指示した。
宗俊は相変わらず無言で倉光を促し広間から出て行く。

倉光は振り返り瀬尾に一礼し、退出しようとした時、背後で瀬尾の声がした。
いや、耳元で。

「お前が明日を迎えられれば、
の話しだが」

瀬尾の息には酒の匂いがしなかった。


(しまった!)


倉光が全てを悟った時、背中を蹴り上げられた様な衝撃を感じた。
いや、刺されていたのである。
瀬尾に。

と、次の瞬間には広間の中は怒号と悲鳴が響き渡り、倉光の郎等らは次々と備中の武士らに殺されていった。

倉光も背中に深傷を負った後、反射的に刀を抜き、広間の中を転げ回る様にして刀を振るっていたが、それも長い間の事ではなかった。

まんまと瀬尾に嵌められた事に対する苦い悔恨を感じつつ刀を振り回していた時、ガツっと額に何かが食い込んだのを感じた。

刀だ。
見ると宗俊が刀を構えている。
いや、宗俊が振り下ろした刀が己れの額に直撃していたのである。

倉光は長い息を吐き出す様にして、ぐらりとその場に仰向けに倒れた。



「覚悟はいいか。倉光成氏」


口の端を僅かに歪め、勝ち誇った様に太刀を振りかざす瀬尾を、霞んだ視界に捉えつつ、

(立場が有利になった途端、呼び捨てか。瀬尾どの)

倉光は酷薄な眼で静かに瀬尾を見据えつつ、

「・・・好きにしろ・・・私の不覚は私自身の命で贖う・・・郎等らには済まない事をしたがな・・・」

呟く。

と、瀬尾は驚き、薄笑いしたまま応じた。

「ほう。その深傷でまだ喋れるとは」

「・・・瀬尾ドノ・・・お前が仕出かした事の始末も・・・お前の命だけで無く・・・小太郎ドノや・・・お前に味方した者・・・全員の命で贖うが良い・・・」

瀬尾の表情が怒りに変わるや、


だんっ!


倉光の首目掛けて、太刀が振り下ろされた。


「私は平氏に忠節を尽くす為に帰って来た!そして私以外にも平氏に対する志しを抱いた者を備前[岡山県南東部]・備中[岡山県南西部]・備後[広島県南東部]の三カ国から呼び寄せ、義仲に戦さを仕掛ける!」

瀬尾は討ち取った倉光の首級をかざし、九〇人の武士や郎等らに向かって鼓舞するように告げた。

「皆がこの事を触れて周れば千や二千の兵はすぐに集まる!
この者らの先頭に立ち、私は平氏方の為に戦うつもりだ!」


「「おおおっ!!」」


武士らは、倉光の郎等らの血を吸った太刀を掲げて夜空に向かって吠えた。


「義仲の目的は讃岐[香川県]の屋島におわす主上[安徳天皇]と平氏一門を、畏れ多くも追討する事にある!であればその義仲の意図を挫く為、備前国福輪寺篠の迫[ふくりんじ、ささのせまり。岡山市北部、坊主山と烏山ので間の津島笹ヶ瀬のあたり]に砦を築き、ここに籠り義仲を迎え撃つ!」

瀬尾は掲げていた首級を投げ捨て、一同を見回すと、ニヤリ砦口の端を吊り上げて続ける。

「そうと決まれば一刻も早く福輪寺へ向かうところだが、義仲と事を構える前に、現在この備前の国は源氏の新宮行家の知行国となっている事は、我ら平氏方に志しを持つ家人としては面白く無い。
そこでこれより国府[岡山市国府市場]に攻め掛かり源氏の代官を討つ!行くぞ!」

瀬尾は言い捨てるや馬に飛び乗り、九〇騎の武士らを引き連れ、夜の帷が降りた暗闇の中を松明を掲げて、備前国の国府目指して駆け出した。

(やはり・・・
こういう事になったか・・・)


身体を何箇所も斬りつけられながらも、唯一人生きて戻って来た倉光成氏の郎等が報告した事は、今井兼平にとって驚くべき事では無かった。

と言うより、そうなるであろうと不安と懸念を感じていた兼平には、逆に納得が行った顛末だったのである。

兼平は出そうになる溜め息を押し殺しつつ、床几に腰を降ろしている義仲を見た。


傍目には落ち着き払っている様に見える義仲であるが、その眼には、兼平や巴など数人の親しい者にしか見て取る事の出来無い微かな哀しみが宿っている事に、義憤にも似た怒りが兼平の身体に沸き上がって来る。

と、
「この度の事は軽々しく瀬尾兼康は申し出に乗った私に全ての責任がある。瀬尾を惜しむ私の愚かさが招いた結果、倉光成氏を喪ってしまった。
倉光次郎成澄、弟をむざむざ死なせる事になって済まない。謝って済む事では無いが、この通りだ。許してくれ」

義仲は、第三軍大将津幡隆家、楯親忠の後ろに控えている倉光次郎成澄に対して、深々と頭を下げた。

弟成氏の死を報されてからの兄成澄は、血の気の引いた青い顔色で、じっと無言を貫いていたが、その能面の様な顔に僅かな笑みを浮かべると、

「いえ。義仲様が詫びるには及びません。私も弟と同様に瀬尾どの、いえ、瀬尾の事を信じ切っていました。
弟では無く私が瀬尾と先行していたとしたら不覚を取ったのは私だった事でしょう」

力無く言った。
その笑みは自嘲の笑みだったのである。

と、
「まァ瀬尾のヤロウに見所があったのは俺も認める。
義仲様や倉光どの兄弟が惜しい武士だ、と思ったとしてもそいつは仕方無ェ。こうと決めたら何がナンでもやり通すってヤロウだった訳だ。
このテの奴は誰の手にも負える訳無ェ。大体、俺ら相手に一人で旗を挙げたって事だけでも良い根性してるぜ。
そぉは思わねェか?」

場の空気が重苦しくなる事を嫌った第四軍大将根井小弥太が、ぶっきらぼうに言い放つ。

「そう思う。だが、義仲様や倉光どのらの度量の大きさ、言い換えれば信頼を利用し、この様な大胆な事を仕出かした瀬尾を、このままにしておく訳にはいかないだろう」

手塚光盛は話しを建設的な方向に持って行く。
今までの反省、よりもこれからどうするか、という事に。

「勿論、このままでは済まさん。
瀬尾とて一命を賭けてこの様な挙に出た筈。元より覚悟は出来ておろう」

楯親忠は当然、とでも言いたそうにして義仲に眼を向けると、諸将もつられるかの様に義仲を注視した。

「瀬尾があくまで平氏に忠節を尽くす、と言うのなら是非も無い。
我らの行手に立ちはだかる以上はこれを一掃する」

義仲は迷う事無く告げる。
続けて、

「これより我が軍は備中国万寿の庄[岡山県倉敷市北部]を目指して進軍する。この万寿の庄に本陣を築き、来たる平氏との戦いに備えるつもりだ。
だがおそらくその途中で瀬尾が戦さを仕掛けて来るだろう。そこで」

一旦言葉を切った義仲は、今井兼平に優しげな眼を向けると、

「第六軍大将今井兼平・手塚光盛に命じる。先鋒として二〇〇〇騎を率い先頭に立て」

「はっ!」「はっ!」

兼平・光盛が力強く応じると、小弥太は顔を顰めて口をへの字にしている。
先鋒を命じられなかった事が口惜しいのだろう。

と、
「第四軍大将根井小弥太・落合兼行。二〇〇〇騎を率い、第六軍の真後ろに付け」

義仲の指示が告げられると、ぱっと小弥太は顔を輝かせ、

「了解!」「はっ」

その様子を横眼には見ていた落合は落ち着いて応じた。

「その後方には第三軍大将津幡隆家・楯親忠。
率いる数は二〇〇〇騎。第五軍大将巴御前・山本義経が二〇〇〇騎で続き、最後方より私の指揮する第七軍本隊二〇〇〇騎が続く」


「「「「はっ!」」」」


第三軍・第五軍の大将らが声を揃えて応じると、義仲は床几から立ち上がり、

「この度の出陣は未だ強大な平氏を相手とするものである。
決して瀬尾では無い。
彼が何をしようが何を企もうが我が軍は先に進まねばならない。
先の水島での敗戦を覆し、最終的な勝利を得る為に。
この事を心に刻み込んでおいてくれ。では、行くぞ!」


「「「おおおおおっ!!!」」」


義仲の檄に麾下の武将達は高らかに応じた。

「義仲勢の先鋒部隊が来ました!
その数およそ三〇〇〇から四〇〇〇騎!
その後方にも軍勢が続いているものと思われます!」

「早いな。余程慌てたと見える」

郎等の報告に瀬尾兼康が半笑いで呟く。


福輪寺篠の迫[ささのせまり]に砦を構え、高矢倉の上から義仲勢を眺めている瀬尾は振り返ると、

「奴らの軍勢は一万騎程だ。対する我らは二五〇〇。だが砦に籠城して戦う以上、兵力の差は気にする事は無い。
充分互角に渡り合える。
だが万が一、ここが破られたとしても、我らは後退して板倉川、緑山[岡山市高松]と拠点を移して戦い続ける事が出来る。心配は無用だ」

殊更、明るい見通しを述べた。



瀬尾らが倉光成氏を夜討ちし、備前国府を襲った後、福輪寺篠の迫に砦を築くと、備前・備中・備後から続々と瀬尾に呼応する兵が集まり、その兵力は二五〇〇に達していた。

瀬尾は眼下に続く一本道を進んで来る義仲勢を睨み付ける様に見下ろして待ち構えていた。

「おいおい。何だこりゃあ」

義仲勢先鋒の第六軍の先頭で、何故か第四軍大将の小弥太が呆れた様に言った。

瀬尾が籠っている福輪寺に近付くにつれ、そこに達する道は狭くなり、騎馬が二列になるのがやっとの道幅で、しかも道の両側は深い泥に覆われた田圃が広がり、とてもでは無いが軍勢を展開させるなど不可能な地勢の上、この一本道を閉ざすかの様に、坊主山と烏山が両側から迫り、その間に砦が築かれている。
これではさすがの小弥太もボヤいていた。

「何だ、では無い。
大体、四軍大将のお前がこんなところにいるとはどう言う事だ」

六軍大将今井兼平は冷たい眼で一瞥し言外に、邪魔だ、と告げる様にして言うと、

「ああ。四軍は落合兼行に任せて来た」

「・・・・・」

あっけらかんと小弥太が答え、兼平が二の句を告げ無いでいる。

と、
「ここに籠れば大軍勢であろうと塞ぎ切る事が出来る、と瀬尾は踏んだのだろうが」

六軍大将手塚光盛が、彼らしく慎重に発言した。
が、その口調と表情には全くと言って良い程、懸念が顕れてはいない。
どちらかと言うと不敵な面構えで砦を眺めている。

「お。光盛、何ンか良い方法でもあんのか?」

小弥太が、悪戯すんなら俺も混ぜろ、という感じで馬の上から身体を乗り出して訊いた。
と、

「我は備中の国の住人!
瀬尾太郎兼康!」

大音声が聴こえると反射的に三人の大将は砦に建つ高矢倉に眼を移す。

そこには鎧兜を纏い弓を手にした武将が大股で立っているのが見えた。
名乗った以上は瀬尾兼康本人なのだろう。


兼平は右手を挙げて進軍を一旦停止させると、

「武士の情けだ。言いたい事があるのなら言わせてやろう」

呟く様に言うと、小弥太と光盛も同じつもりでいたのか、無言で頷き馬を止めた。

「去る五月の倶利伽羅での合戦から今日まで、生き甲斐の無い命を助けていただいた各々方の御厚情に対し、盛大な宴を御用意してお待ちしておりました!さあ!いざ参られよ!」

瀬尾は叫ぶと矢を射る。
すると瀬尾の背後に控えていた武士らも次々と矢を射て来る。
更に高矢倉や砦から夥しい矢が義仲勢に向けて放たれた。

「へッ!言うじゃねェかあの野郎!」

矢が降り注ぐ中、小弥太が今にも跳び出そうとするのを、

「待て!小弥太!ここは俺に任せろ!」

光盛が押し留めると、
続けて、
「掻楯「かいだて。木製の厚く大きな楯。矢を防ぐ為、陣の前に出てなどに立てて使用する]を四枚程持って来い!」

郎等に指示し、兼平を見る。

兼平は無言で頷いて承諾すると、間も無く光盛の郎等らが掻楯を抱えてやって来た。

「お前達は掻楯を持って前進しろ。
走る事は無い。ゆっくりとで良い」

光盛は指示しつつ馬から降りると、手綱を小弥太に渡す。

「どうすんだ!光盛!」

「まあ見ていてくれ。小弥太、兼平」

光盛は箙[えびら。矢を収める道具]から矢を抜き取り、矢を下に向けたまま番えると、掻楯を立てて矢を防ぎながら前進する郎等らの後ろに付き、砦に向かって歩き出した。
と、光盛は迷い無く掻楯と掻楯のだ隙間から矢を射た。

息を呑み、眼を大きく見開きながら見守っている小弥太と兼平は、光盛が放った矢が高矢倉にいる敵の武将に命中するのを、信じ難い思いで眺めていた。

その間も光盛はゆっくりと前進しながらも掻楯の隙間から矢を射続けて的確に高矢倉の敵に命中させていた。

「あの掻楯を狙え!これ以上、近付けさせるな!」
瀬尾が冷や汗を滲ませながら命じた。

が、その時、瀬尾の隣りで矢を引き絞っていた武士が倒れた。
見ると、その喉元に矢が突き刺さり、のたうち回っていた。

高矢倉にいる者がほとんど射られた事になる。

瀬尾は全身に冷たいものを浴びせ掛けられた様に、顎を細かく震わせながら茫然と倒れた武士を見ていた。


(信じられん・・・この様に思い通りに矢を射る事が出来る者が義仲勢に・・・いや、この世にいるとは)

瀬尾は眼の前で起きている信じ難い現実に怯えた。

と、がちっ!という音を感じたと同時に身体がよろけた。
頭の兜に矢が当たったのである。
幸運な事に兜に弾かれて傷を負う事は無かったが、瀬尾は心底ゾッとした。

(あいつだ!あの掻楯の後ろから射て来る奴の矢が!)

瞬時に理解し身体を屈めると、

「あの掻楯から射て来る奴を討ち取れ!奴らは徒歩だ!騎馬を繰り出して討ち取ってしまえ!」

瀬尾は指示、というより、内心の恐怖から逃れる為に殊更大声で命じた。

(奴さえ討ち取る事が出来れば!)

奥歯をぎりっと噛み締めながら、高矢倉を降りようとした瀬尾は、何か白いものが揺れたのを視界の端に捉え、何気なくふとそちらに眼をやる。


「!」


瀬尾は更に信じられないものを目撃した。


砦に迫っている片方の山、烏山に源氏を示す白い旗が幾条も翻っていたのである。

しかも手を伸ばせば届いてしまう様な程、間近に。

(源氏方・・・だと・・・
 馬鹿な・・・)

大きく口を開けて呆然とした瀬尾の耳に、

「今よ!敵の本陣を叩くわ!
ついていらっしゃい!」

女性の声が響く。

その魅力的な声は聴いた事のある声だった。

実際に瀬尾はその声に何度か接した事があった。

「巴御前!あの女武者か!」

気付いた瀬尾の悲鳴にも似た叫び声は、戦う美少女率いる義仲勢第五軍の突撃の雄叫びに掻き消されていた。

「高矢倉が建っているところを見ると、瀬尾はあそこには立て籠もっているらしい。
が、あの地勢では我が軍が容易く通り抜ける事は難しいと思わねばならんな」

馬上から遥か前方を眺めた義仲は幾分、眉を顰めながら呟いた。




第六・第四軍を先発させた後、義仲は本隊第七軍を率いて進軍していたが、可真郷まで到着し、遥か遠く福輪寺周辺の地形を見渡した時、瀬尾の覚悟を見せ付けられた様な気がしたのである。

ここは通さん!と。確かに攻めるに難しく守るのは容易い、とは良く言われている事であるが、瀬尾は正にその様な場所に砦を築いていたからである。

「覚明」
「なんです?」

義仲は振り向き、祐筆[秘書兼書記]に声を掛けた。

「この辺りの里人を呼んで来てくれ。山の路に詳しい者を」

命じられた覚明は驚いた様に一瞬眼を見開くと、笑みを浮かべ無言で首肯き馬を走らせて行った。

「私は可真郷の住人、総官頼隆と申します」

程無く、覚明は一人の里人を伴って来た。

義仲が丁重に迎え入れて名を尋ねると、里人は落ち着き払って名乗った。

「瀬尾太郎兼康の事は知っているな。私は彼を故郷に帰すつもりでいたが、まんまと掌を返されてこの始末だ」

義仲は偉ぶったりせずに、事情を率直に打ち明けた。笑顔を交えて。
すると、総官頼隆は束の間、大口を開けてぽかんとしていたが、

「ははっ。それはお困りでいらっしゃいますな」

吹き出すと、皮肉では無く何やら愉し気に応じた。

「そう。しかし困ってばかりもいられない。あの瀬尾の籠る福輪寺に達する為に、本道以外の脇道は無いか?」

義仲は苦笑と共に頼隆に訊ねる。
そんな義仲の飾らない態度が、何故か好ましく感じていた頼隆は、深々と頭を下げると、

「御座います。それならば私に案内させて下さい」

自分から申し出ていた。今度は義仲が一瞬、呆気に取られたが破顔すると、

「では総官頼隆どの。道案内をお願いいたします」

義仲も頭を下げて依頼する。

(ここに兼平がいたら、また渋い顔するだろうなぁ。簡単に他人を信用するな、ってさ。
ま、あいつの困った顔を見るのは愉しみの一つではあるが)

覚明は黙って二人の遣り取りを眺めながら、一人ニヤついていた。

と、
「覚明。第五軍大将の巴と山本義恒どのを呼んで来てくれ。
何度も使いを頼んで申し訳無いが」

「いやいや。戦さとなれば俺はヒマなんで、何でも喜んで承りますよ」

覚明は再び馬に飛び乗りながら応じた。

「判りました。
我ら第五軍は総官頼隆どのを先頭に脇道より敵の砦を目指します」

五軍大将山本が請け負う。と、

「あの〜。先発の六軍と四軍には報せておかなくて良いんですか?
敵陣に一番乗り出来無いと怒り出すヒトがいるんですケド」

五軍大将の巴が悪戯っぽく尋ねた。

続けて、
「後で面倒臭い事になりますよぉ」

暗に小弥太の事を言っているのである。義仲は笑顔で受け流すと、

「わざわざ報せる事はあるまい。
それに彼らなら戦いが始まった時に全て理解してくれる」

穏やかに応じた。

「敵を欺くには先ず味方から、という訳ですね」

山本が納得した様に言い添える。

「欺く訳では無いが、その通りだ。
である以上この三点だけは承知しておいてくれ。
まず一点め、戦端が開かれる前には所定の位置に到着している事。
二点め、第五軍が敵に突入するのは戦端が開かれて以後という事。
三点め、これら」

「これら全ての行動を敵に気付かれずに遂行する事。ですよね、義仲様」

義仲の言葉を途中から復唱した戦う美少女は、輝く笑顔で頷いて見せた。

こうして義仲の新たな命令を受けた第五軍は、急遽、北に進路をとり烏山を迂回して回り込むと、山道を抜けて砦のある福輪寺近くの篠の井[ささのい]という場所に潜伏した。

そして第五軍は、これら全てを義仲の命令通り敵に、いや味方にすら気付かれる事無く完璧に遂行してのけたのであった。


「今だ!敵が浮き足立ったぞ!
第六軍!突入する!」

六軍大将今井兼平は号令を掛けると、自ら先頭に立ち馬を駆けさせ敵の砦に突撃して行った。

兼平と小弥太は、光盛の活躍を固唾を飲んで見ていたが、烏山に白い旗が翻った直後、敵陣が混乱に見舞われたのを目の当たりにした時、何が起きたかを正確に理解した。


義仲が新たな策を講じて別働隊を出したであろう事。
そしてその策が見事に成功した事を。


「光盛!良くやった!」

小弥太は声を掛けると、右手に引いて来た馬の手綱を光盛に投げた。

光盛はにやりと笑うと手綱を掴み、馬に跨る。

「次はお前だ!行け!小弥太!」
光盛が叫ぶ。

「おゥサ!」

振り向きもせずに応じた小弥太は、太刀を抜き払い敵陣に突撃して行く。光盛も太刀を抜きつつ、それに続いて行った。

と、
「カッコ良かったわよ!光盛!」
敵の本陣を突入したところで声を掛けられた。

光盛はそちらに眼をやらなくても誰だか解った。振り向くと戦う美少女が笑顔で光盛を迎えていた。

「巴こそ先陣を取ったじゃないか!」

光盛が応じると、巴は笑顔のまま頷くと、眼付きを真剣なものに変え、次の敵目指して馬を駆けさせる。

光盛も表情を引き締め別の敵に向かって行ったが、心の中では、先程戦う美少女に掛けられた言葉が何度も何度も繰り返されていた。

打ち消そうとしても、いつまでも。



戦いは始まったばかりではあったが、既に趨勢は決していた、と言っても良かった。

砦に籠り防戦する事のみを想定していた瀬尾にとって、容易く砦の本陣に義仲勢の侵入を許した以上は、この劣勢を跳ね除けるだけの策は最早、存在しなかった。

更に、この砦に集まっていた武士らは、言ってしまえば駆武者[かりむしゃ。纏まりの無い寄せ集めの武士達の事]に過ぎず、このテの集団は有利な時には容赦無く攻め込む事が出来るが、一旦不利となると一早く逃げ出してしまうという特徴を持つ。

であるが故にこの時も駆武者の特徴を遺憾無く発揮した。

逃げ出したのである。
しかも散り散りに。

こうなってしまってはさすがの瀬尾も、手の打ちようがある筈も無かった。

「引け!引けーーーっ!
板倉川で態勢を立て直し、奴らを再度迎え撃つ!後退だ!」

瀬尾は力の限り叫び続ける。

と、
「往生際が悪ィな!瀬尾兼康!」

小弥太が馬の勢いそのままに太刀を振り翳して突っ込んだ。

瀬尾は渾身の力で刀を撥ね上げてこれを躱す。

「瀬尾!もォ諦めな!
俺ら相手に旗ァ挙げた根性は見上げたモンだが、何度ヤってもお前じゃ俺らにゃ勝てねェ!」

太刀を合わせて通り抜けた小弥太が、馬を回り込ませつつ言った。

「キサマ!根井小弥太か!生意気な事を言いおって!私は何度でも義仲の首を狙い続けてやる!」

瀬尾も向き直ると、腹立ちまぎれに怒鳴った。

「ははは!そいつァ無理だ!
 一つ教えておいてヤるぜ!」

「何だと!」

「あンたは何も解っちゃいねェ!倶利伽羅とココ福輪寺と二度同じ手に引っ掛かる様な奴に、俺らの義仲様は討て無ェって事だ!覚悟しな!」

「っ!・・・」

言われた瀬尾は絶句した。
確かにそうだ。

考えるまでも無く、敵の本陣に別働隊を突入させて一気に戦いを勝利に導くこの遣り方は、義仲が得意とする戦術であったし、倶利伽羅の戦いでもこの戦術で平氏方追討軍は敗れたのであった。

この事実に、瀬尾は言われて初めて思い至った。更に義仲と己れの武将としての格が違い過ぎる事も。

一瞬、愕然とした瀬尾ではあったが、眼の前に小弥太が迫っている事に気付くと、反射的に馬にしがみ付く様に思いっ切り上体を伏せた。

がちがち!がちっ!ゾッとする様な金属音と衝撃が瀬尾の身体に響いた。

無我夢中で馬を駆けさせた瀬尾は兜が弾き飛ばされている事に気付くと、そのまま小弥太に向き合う事無く、馬を思いっ切り走らせた。

最早、後退などと体裁を繕う余裕を失い、まさに一目散に逃げ出した。

瀬尾の全身には冷や汗が、そして心の中では屈辱の念が渦巻いていた。

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