清水八幡神社
義仲の子・清水義高を祀った神社。
「八幡神社縁起」によると、入間河原で討たれた清水義高は、首級を頼朝の実検に供えられた後、鎌倉の常楽寺に葬られた。入間河原においては墳墓を築き身体をおさめ、槻の木を植えて標とした。
その後北条政子によって、廟所が祠となり「清水の八幡」として入間河原の近隣鎮護の神として祀られた。政子は追悼の法要を行ったり、神田地を寄付する等したが、応永9年(1402)の入間川増水により、槻の木も砂利に埋もれ、社頭も水に流された。
度々の洪水により一時期成円寺(現在は廃寺)に遷宮したが、昭和34年に現在地へ再建された。
埼玉県狭山市入間川3丁目35
(西武新宿線狭山市駅1・2㎞15分)