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安宅の戦い

〇燧合戦の後~5月

〇福井県→石川県

〇平家1万~1万5000騎

北陸武士団(数不明)

火打合戦の後、北陸武士団は福井県・石川県の城を転戦しながら富山県方面へ撤退していく。平家の軍はとにかく数が多く、街道を長い列となって進んでいく。先鋒を勤める軍勢15000騎ほどが北陸武士団と対戦している。


〇戦の詳しい展開(源平盛衰記による)

①斉明は1000騎をひきいて平家につく。

②源氏は燧が城を落ち、河上城へたてこもるが、兵糧がなく落ちる。

③源氏三条野に陣を取る。そこに平家が押し寄せる。

④加賀武士・林光明の嫡子・今城寺太郎光平と斎藤実盛の対戦。

⑤光平が討たれ、源氏は篠原宿に陣を取る。平家は長畝城にこもってしばらく休む。



⑥源氏方の北陸武士たちは今後どう戦うか話し合う。石黒が「まずは平家に打ち向かって敵に一矢報いなくては」と一同を奮い立たせる。

⑦5月2日平家が長畝城を立ち、源氏の篠原城へ押し寄せる。平家の兵が多すぎでこらえられず。源氏方は引き退く。

⑧源氏方は安宅の渡・住吉の浜に陣を取る。平家は源氏を追い、篠原の宿で10000騎が控えている。



⑨越中加賀の武士たちは安宅の渡に集まり、橋を外し、城を構え、垣楯を掻き準備していた。

⑩平家は15000騎で押し寄せた。

⑪源平共に遠矢を射る。

⑫平家が川に馬にまたがり打ち入ってきたので、源氏方は一千余騎の馬のくつばみを並べて、矢をさんざんに射かけた。

⑬平家の先陣300余騎河に射浸され海に押し流される。

⑭平家も負けじと馬を水に入れて矢を放つ。

⑮源氏方の大将のひとり、石黒が矢にあたり落馬、そのほか負傷者を出し、越中武士は朴坂越で越中に離脱した。


⑯平家が勢いにのってかけ立ててきたので、加賀武士も安宅の城を引き撤退した。


⑰撤退の途中、加賀武士・井家が根上がりの松で味方を逃がすために討ち死に。



⑱源氏方は大野庄に陣を取った。林・富樫の城を落とされ、撤退した。


⑲平家は奪った城でしばらく休んだ。


■参考文献

【源平盛衰記】

最も詳しいため、このページは源平盛衰記をベースとした。

【長門本】
平家5000余騎

①安宅は北陸道の要所。手取川にかかる橋を落とす。
②平家が湊を渡り、攻めてくる。
③宮崎長康が川の水に進みながら平家を射落とそうと奮戦するが射られる。
④北陸勢は多数の被害を出しつつ、安宅から脱出する。
⑤林・富樫らは山城にこもるが、斉明が火牛の計を用いて打ち破る
⑥義仲は子供たちに別れを告げ出陣、白山に祈祷する

【延慶本】
長門本と比較

①~④記載なし
⑤火牛なし。山城攻めのみ
⑥白山祈祷⑤の前にあり

【覚一本・流布本】

安宅で戦があったこともほぼ書かれていない。