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義仲戦記29「京中守護」

「この度、院[後白河法皇]より京中守護を命じられた。
私はその任に当たる人選を一任され、既にこれを選定し、院の裁可を得た」

義仲は、宿所として指定された六条西洞院の邸宅にある広い庭に居並ぶ武将達を見渡しながら告げた。

武将達の顔には、いよいよ京での仕事が始まるに当たり、晴れやかで誇らしげな表情が満ちている。

「これより名前を告げられた者らは、各々の郎等を率い、京中の警戒、狼藉者[犯罪者]の捕縛に従事し、治安の回復、維持に貢献してもらう事とする」

義仲は一旦、言葉を止め法皇の裁可を得た院宣を開くと、そこに列記された者らの名を告げた。

「源右衛門尉有綱どの[源頼政の長子仲綱の子。頼政の孫]。
新宮十郎蔵人行家どの[困ったちゃん]。
安田三郎義定どの[甲斐源氏]。
村上太郎信国どの[信濃源氏]。
仁科次郎盛家どの[信濃平氏]。
山本左兵衛尉義恒どの[近江源氏]。
以上の者が京中守護の任に当たり、現在、京中に蔓延る狼藉を何としても停止させ一日も早い治安の回復に努めよ!」

義仲は命じ終わると、両手に持っていた院宣をを翻し、一同に掲げて見せた。

「おおっ!」

名を告げられた者らが声を合わせ応じる中、唯一人だけ、不貞腐れた様な顔で義仲を睨み、これに応じなかった者がいた。
そう。新宮十郎蔵人行家。かの大将軍ドノであり困ったちゃんの彼である。

行家は、
(何でこのワシが、甥の義仲に命令されなければならんのじゃ!
本来なら立場は逆じゃろう!
このワシが命じ、義仲がそれに服さなければならんのに!
それでありながら義仲め!いい気になりおって!
お前がそのつもりならこのワシにも考えがあるワイ!
今に見ておれ!生意気な義仲め!)

腹の中が煮え繰り返る思いで、この様な身勝手極まりない事を考え、しかもその事を周囲に隠そうともせずに、いや、他人に自分がイラついている事を気付かせる為に殊更、不機嫌である事を撒き散らしている。
この困ったちゃんは、構ってちゃんでもあったのである。

当然義仲はその事に気付いたが、いや、誰もが気付いていたが、それに構う事無く、

「以上だ。皆、頼んだぞ」

穏やかな口調で言うと、

「おおっ!!」

行家以外の武将らが応じ、彼らは任務に当たる為、馬に騎乗すると、各自の郎等らを引き連れて六条西洞院の邸宅の門を出て行った。

義仲はそれを見送ると、まだその場に居残り、欲しいものを買って貰えなかった子供の様にいじけて自分を睨み付けている行家には気付かぬフリをし、麾下の武将達を引き連れ、邸の中に入って行った。心の中で溜め息を吐きながら。



 義仲勢が入京して数日が経ったが、現在その京に於いて最大の問題が、この治安の悪化にあったのである。
 京には、義仲勢や近江源氏の他に、行家ら、大和の吉野大衆、甲斐源氏、美濃源氏、尾張源氏が、また矢田義清ら丹波衆や多田行綱の摂津源氏等、およそ六万騎以上の軍勢がひしめいている。
 義仲は当然この軍勢に対し、きつく狼藉禁止を告げていたのであったが、これが厳格に守られていたのは義仲が直接指揮する本隊と近江源氏らの三万騎の軍勢くらいのもので、義仲勢以外の約半数の相伴源氏と呼ばれる連中は、これまで京や平氏の者らに“あぶれ源氏[源氏一族の残り滓]”などと揶揄され、馬鹿にされていた意趣返し、とでも言う様に平氏の去った京に入った途端、その積もり積もった鬱憤を晴らす為、牙を剥き出し、貴族、民衆問わず襲い掛かり、狼藉に次ぐ狼藉を働いていたのである。
 つまり、京には万を越す強盗の群れが放たれたと同じ事になった。京は無政府状態、無秩序の惨状を窮めていたのである。

 状況を重く見た朝廷は、急遽義仲に京中守護を命じ、混乱を治めようとしたのであった。これに付随し、関東、北陸両道の各国の荘園にも狼藉停止の院宣が公布された。それは京だけで無く、皇族・貴族・平氏が各国に領していた荘園などが狼藉に遭っていた事を意味し、時代の変換期や権力者の交代劇には、常に伴う混乱ではあったのである。
 こうした事は地方では珍しい事では無く、戦さなどが終わると常に生じていた事態であったが、それが日本の首府である京で起こるとなると、話は違って来るのである。この地に京が置かれ、平安と名付けられて以後、何度かの戦乱が起こった事は事実だが、現在、生じている様な混乱、無政府状態にまで陥った事は一度も無かったし、そこに住む民衆や僧侶、国の指導的立場にいる皇族、貴族、公卿らが、暴力に直接曝された事は、これが初めての事であったのである。

 義仲入京以後に起きた狼藉や京の治安崩壊は大袈裟に書かれているものが多いのであるが、だからと言って暴力を当然の事として肯定している訳では断じて無い事をここに明記しておく。いかなる状況、場合に於いても暴力の行使には反対である。そして、こうした暴力を義仲もまた、肯定していた訳では決して無く、嫌悪すらしていた。
 それは横田河原の合戦に於いて勝敗が決した後、自軍の武士らが生け捕った敵の捕虜を、即座に解放しその生国に還した事がある彼であれば、当然の事であろう。また、常に敗走する敵に対しては追撃しなかった彼なのである。無抵抗な者に対して向ける刃など、義仲は持ち合わせていなかったし、こうした者らに情けを掛ける事をこそ、彼が今まで実行して来たのだから。

 元々、義仲は彼の父義賢が討たれた二歳の時に、共に殺されるところであったが、畠山庄司重能、斎藤別当実盛、そして彼を養育した中原兼遠の情けにより生き長らえ、武将としての今がある。
 こうした事実を己の魂に刻み付け成長した義仲は、これまでも暴力に曝されている弱者に対しては情けを掛け、強者の暴力に対しては立ち向かって来たのだ。そしてこれからもそうして行くであろう。彼はその生涯に於いて、その事をを貫き通したのであった。

 京の治安回復の責任者となった義仲は、己の麾下の武将達が率いる本隊以外の相伴源氏らにとっては、今までやられた事をやり返すだけ、との思いが強く、義仲が厳命した狼藉禁止など聞き流す者が多いことを理解していた。そこで義仲は麾下の武将や、信頼の置ける各地からの源氏の武将らを京中守護の直接の業務に任じ、この事態に対処しようとしていたのであった。
 約一人[それは困ったちゃん]ほど信頼の置け無い例外がこの中に混じってはいたが・・・


「守護の任務を分担させたのは良い方策とは思いますが、今現在、狼藉をしているのは美濃・尾張・摂津辺りの相伴源氏の連中ですよ?
しかも、摂津以外の連中は三年前には東海で平氏に痛い目に遭ってるから、その時の鬱憤を晴らすつもりで暴れ回ってんです。
まぁ、ヤる気の無い大将軍ドノ[行家]はともかくとして、そいつらが安田どの、村上どのや仁科どのの言う事を大人しく聞きますかね?
いっその事、暴れてる奴らを守護の任に就けた方が良くないですか?」

京中守護に当たる者達を送り出した後、邸内の一室に集まった義仲、四天王、巴、光盛、落合ら、義仲勢の司令部とも言うべき者らに対し、早速覚明が発言した。

「馬鹿な事を!それでは無法者に天下晴れて強盗の御墨付きを与える様なものだ。
京中守護の任務を盾に、余計に奴らは増長し、治安の混乱と悪化を倍化させる事になる!」

今井兼平が間髪入れずに異論をを唱える。

「だからさ。その時には狼藉を働いていた連中を誰憚る事無く斬首でも、極刑にでも処す事が出来るだろ?
まさに天下晴れてさ。
そうなったら相伴源氏の奴らだって、内心はどうか知らんが表立っては文句が言えなくなるし、誰だって首を刎ねられるくらいなら、大人しくなるだろ?」

覚明が更に言い募る。

と、
「おいおい。坊主が言うコトじゃ無ぇだろ、それ。
だが、確かにな。最初にガツンとヤっておくのも悪く無ぇ」

根井小弥太がニヤリと同調する様に言う。

「多少、いや、相当乱暴な手段とは思うが、効果はあるだろう。
治安の回復にはな」

楯忠親も覚明の意見に傾き始めている。

「まあ待て。この際、一罰百戒を示して相伴源氏らの綱紀の粛正を図った方が早道なのは、義仲様とて考えておられる筈だ」

四天王筆頭樋口兼光が一旦、保留する様に言うと、義仲に向き直り尋ねた。

「覚明はこう申しておりますが、義仲様はどうお考えなのです?」

「・・・私も本心としてはそれをやりたい・・・」

言葉少なに義仲は答えた。
が、その口調は彼らしく無く、何か痛みを堪えているかのようであった。

「では、何故?」
落合兼行が更に問う。
しかし、話しの流れ的に義仲を問い詰める様な形になってしまった時、こういう状況を黙って見ている事が出来無い者が声を上げた。

「解って無いなあ、みんな。
そんなコトしたら今まで義仲様が苦労してやって来た事が、台無しになっちゃうじゃない」
巴御前こと戦う美少女であった。

「と、言うと?」
手塚光盛は、意味が解らない、という表情をして説明を求めた。

「だからぁ。あたし達が上洛[入京]を遅らせたり、琵琶湖をを渡ったり、瀬田で平氏が京から出て行くのを待っていたのは、ある重要な目的、その為でしょ?」

巴がここまで言った時、一同は、あっ、とその“重要な目的”に思い至った。と、光盛は奥歯を噛み締めると、搾り出す様に、

「・・・この京を戦乱に巻き込まない・・・この事か・・・」
呟く。

と、
「そうだ・・・今、私が強硬な手段を取り、相伴源氏の連中に重い罰を与えたら、最悪の場合おそらくこの京で戦乱が勃発してしまうかも知れん・・・それも源氏同士が相撃つ形の戦さがな・・・」

静かに冷静に、そして穏やかには言っているが、その言葉の端々に、今義仲の抱えている苦悩が滲み出ていた。

それはジレンマであった。

狼藉を犯した者は厳しく罰したい、が、それを実行すれば京に詰め掛けている相伴源氏が離反し、最悪、源氏同士が相撃つ事になる。しかも、その兵力は数の上ではほぼ互角。義仲は今後の京の食糧事情を考慮し、北陸勢をほとんど帰還させてしまっている。とは言え、義仲勢が烏合の衆の相伴源氏らに勝つ事は容易い。しかし勝つ事は出来るが、それでは義仲が一番恐れ、そして避けていた京での戦乱に発展してしまうのである。

正にジレンマであった。

入京した義仲の前に立ちはだかったのが、相伴源氏らの狼藉から京の住人を護り、治安を回復させる、という難題であった。

「この問題に関しては早道は無いものと思っている」

義仲は真摯に現状を見据え、覚悟の一端を示した。

と、
「解りました。とにかく今は個々の狼藉を一つ一つ地道に取り締まって行く事に専念し、最悪の事態に至る事の無いよう、京中守護の者らに伝えておきます」

今井兼平が、任せておいて下さい、とでも言いたそうに請け負う。

「頼む・・・しかし治安回復に時間が掛かれば掛かる程、京の住民らには余計な迷惑をかけ過ぎる事になってしまう・・・」

義仲が呟く。
普段の彼とは程遠い覇気の無い声で。

そして、住民の安全の事に思いが至ると、議論は結局、堂々巡りをしてしまうのである。

義仲や麾下の武将達は、自分達の力不足を苦い思いと共に痛感せざるを得なかった。



 現在の京の無秩序な状態は、平氏が去った事で源氏勢が入京し、その源氏勢が狼藉をを始めた事による。しかし住民らが全てその被害者だったのかというと、実はそうでは無い。
 住民自体が狼藉を始めた事も、この混乱に拍車を掛けていたのだ。
 旧平氏政権当時は極端な密告社会だった。平氏の政権運営や政治対決定に批判的な者、もしくは協力的な態度を取らない者に対して、禿[かむろ]と呼ばれる子供らを使い、嫌がらせや妨害、酷い場合には暴力を行使して批判勢力を黙らせていた。更に日常生活の中でうっかり平氏の悪口をつい言ってしまった者すら、禿に密告させ私刑[暴力による私的制裁。リンチ]を加えるのが、それまでの京の状況であったのだ。これが平氏が京から去った事で、一夜にして終わりを迎えた訳であるが、そうなると今まで虎の威を借る狐の様に、平氏の威光を傘に来て、我が世の春を謳歌していた禿に、住人らの復讐の念が向いてしまうのは、当然の成り行きというものだろう。
 京の住人ら、特に旧平氏政権当時に酷い目に遭った住人らは、今までの鬱憤を晴らす為、禿を匿っていると思われる家々に押し入り、これを見つけた場合、暴力で制裁を加えるだけで無く、匿っていた者らも同罪とばかりに私刑を加えて廻っていたのである。

 こうした状況に於いて義仲は京中守護を命じられた。ただ単純に武断的に対処すれば済む状況には無かったのである。
 であるが故に、懊悩しつつも地道に一つ一つ対処する方針を義仲は選んだ。しかしこの遣り方の問題は、治安を回復させる為には時間が掛かり、しかも狼藉の発生件数をを劇的に減少させる効力は薄い、と言わざるを得ない事も、当然義仲や麾下の武将達には解っていたのである。




「今、あたし達にやれる事がそれなら、頑張ってやり続けるしか無いんじゃないです?」
軽く明るい声が響いた。

全員が眼をやると、戦う美少女はその輝く様な笑顔で義仲をを見詰め、

「義仲様も方針を決めたなら迷っちゃ駄目です。義仲様が迷ってると、すぐこの人達にも感染っちゃいますから」

まるで悪戯を咎める様に軽く睨んで麾下の武将らを指差す。
続けて、
「力不足?そんなの初めから解っている事じゃない。でも今はその力不足な私達が朝廷から京中守護に任命されたのよ。
責任は重いケド、堂々とヤる事ヤればいいだけの事じゃない。
力不足上等よ。どんな困難でも掛かって来なさいっての」

巴はまるで楽しい事がこれから始まる事を期待するかの様な口調で言い放つ。しかも、誰も自分達の力不足を感じつつも、決してその事を口に出さなかったにも関わらず、この戦う美少女は的確にその事を感じ取っていた。

と言うより、巴も己の力不足を痛感していたのであろう。
おそらく他の誰よりも。


「この人達、の中に私が入っているんじゃないだろうな。
私は迷ってなどいない」

兼平が唸る様に言う。
兼平にしてみれば、軍議や会議で議論が袋小路に入り込み、重苦しい雰囲気になった時、常に巴が建設的な方向に議論や雰囲気を持って行ってくれる事に、感謝の念を抱いてはいたのだが、それと同時に大いなる嫉妬にも似た感情も抱いていた。まったく男心というものは面倒臭いもの。つまり義仲を挟んで、兼平と巴は身も心も義仲様LOVEのライバルではあるのだが、こういう場合、常にライバル心を燃やし一方的にもカラんで行くのは兼平の方であった。

「怖い眼。
別に睨まなくてもいいじゃない」

巴は余裕を持って、呆れた様に受け流す。

と、
「有難う。巴」

義仲は何かから解放されたかの様に、普段通りの穏やかさと快活さと微笑みとを取り戻すと、この上無く優しく、そして感謝の想いを込めた瞳で巴を見詰め礼を言った。

一方、兼平はと言えば、ぐぎぎと聴こえて来そうな表情で、義仲と巴を交互に見ている。

ほんと男心って面倒臭い。まぁそれは置いといて、とにかく場の雰囲気が一気に和むと、一同も大きく息をつき、笑顔をを取り戻していた。

「いろいろ考え過ぎっと、ロクな事にならんからなぁ」

小弥太が、せいせいした、とでもいう様に伸びをしながら言うと、

「いや。小弥太は考えようよ」

巴がツッ込むと、皆が笑いに包まれる。と、未だ、むきーっとしている兼平に気付いた巴は、

「あのさ。なんか、ごめん」

本来、巴が謝る必要など無かったのであるが、それでも小声で謝ると、

「謝るな!
余計に情け無くなるではないか!」

兼光は眼を背け、小声で応じた。
一応、ムクれてはいるが、この鉄面皮を持つ男には珍しく、頬が少し紅潮している。
兼平自身も、自分の態度が大人気無かったと恥じてはいた訳だ。が、口調が硬いのはおそらく照れ隠しなのだろう。

やれやれ、と巴が苦笑していると、開け放してあるこの室に面する廊下の方から、とたとたと誰か何近付いて来る音が聞こえた。

と、
「おお。ここに居られましたか、義仲様」

言いつつ上野の那波広純が入って来た。那波はその場に片膝をつくと、

「義仲様に是非お会いしたい、と客人が参られております」

緊張気味に告げる。

「名乗られたか?誰だ」

那波の言葉遣いに、ただならぬものを感じ取った義仲が尋ねると、那波は、ひたと義仲の眼を見据えて告げた。

「前左大臣、前摂政藤原松殿基房様に御座います」





「いきなり訪ねて来た不作法者たる私と会っていただき、先ずは御礼を申し上げる」

藤原松殿基房は、義仲らが会議をしていた一室に通されると、初めに突然の訪問を詫び、御礼を口にしながら軽く一礼すると、

「私は藤原基房と申し、松殿と号している。何しろこの京には藤原姓は吐いて捨てる程おるから、以後、私の事は松殿、と呼んでいただきたい」

自己紹介した。
その立居振る舞いには、臆したところが無く、と言って自らの出自を鼻にかける訳でも無い、ごく自然なものであった。

この時松殿基房は三十八歳。彼は摂政・関白であった藤原忠通の次男で、十一歳で元服し正五位下となると、その後順調に出世の階段を上り、弱冠十九歳で左大臣に就任する。二年後に兄基実が二十四歳の若さで没すると、摂関藤原家の氏の長者となり摂政に就任。わずか二十一歳で出世の頂点を極めた。しかし、順調過ぎた彼の人生も、その後、平氏の台頭と共に急速にその運が陰って行く事となる。

今から十三年前[一一七〇]、平重盛[清盛の長男。維盛の父]の次男資盛[維盛の弟]と乱闘事件[殿下乗合事件。一般公道で牛車同士が鉢合わせて、道を譲れ、譲らない、で揉め、今で言う交通トラブルから双方の郎等らを巻き込んだ乱闘にまで至った事件]を引き起こし、平氏に睨まれると、後白河法皇と組んで平氏と対立したが、四年前の治承三年[一一七九]の平清盛によるクーデターで解任されただけで無く、氏の長者も摂政も、兄基実の子基通[都落ちする平氏の一行から逃げ出す事に成功したあの人。松殿にとっては甥にあたる]に譲り渡さざるを得なくなり、あまつさえ九州太宰府に流されたのであった。

それ以後、配流先が太宰府から備前国に変わったものの、未だその罪が赦された訳では無い。しかし、二年前[一一八一]に平清盛が死去すると、今度は逆に平氏の運が傾き始め、世は源平争乱の政治的時代へと突入した。

松殿基房は、この機に自らの政治的復活を期すと共に、彼の思い描く政治構想を実現する為、京に帰還していたのであった。

「丁寧な挨拶、畏れ入ります。私が源義仲です」

義仲は普段通り、気負わず穏やかに応じ、一礼すると、

「不躾ながら、この義仲に何用あって足を運ばれましたか?」
単刀直入に斬り込んだ。

「一つお尋きしたい事があってな」
松殿基房はそう前置きすると尋ねた。

「京中守護の任に当たる者の中に源右衛門尉有綱どのの名が見えた。
これはやはり有綱どのの父仲綱どのや、その父頼政どのの御働き、つまり以仁王様挙兵の折、一身を顧みず忠誠を尽くされ、生命を落とされた事に対し報いられたのか?」

「はい。その通りに御座います。
私が今あるのは、その以仁王様の宣旨のお陰、と心得ます。
であればその以仁王様と共に起った頼政どのの御遺族に対し、厚く報いるのは当然の事」

「確か義仲どのの兄、仲家どのもその折、生命を落とされた、とか」

「頼政どのの猶子になっていた兄仲家と、私にとっては甥にあたるその子仲光も、頼政どのと共に」

「そうであったか・・・」
松殿基房は考え込む様に一旦、眼を伏せる。

と、
「松殿」

呼ばれたので眼を上げると、ひたと自分を見据える義仲と眼が合った。

義仲は、その穏やかでありながらも、何かを見通す様な視線をを注いだまま、

「殊更、己を卑下するつもりはありませんが、私は“都ぶり“の駆け引きには慣れておりませんし、これから覚えて行くつもりもありません。
松殿。私に尋ねたい事、と言うのはその事だけですか」

穏やかに言った。が、その言葉は強く、聞き様によっては拒絶の意志すら聞いている者に感じさせた。

すると松殿基房は何故か笑顔になり、大きく一つ首肯くと、

「義仲どのは無駄話しがお嫌いとみえる。しかし、今、お尋ねした事は無駄話しでは無い。
私にとっては重要な事。それに今の遣り取りで義仲どのの気性の一端が見えた。そこで」

言うなり、がらりと表情が真剣なものに変わり、上体を幾分前屈み気味にすると、松殿基房は義仲に居座り寄り、

「本題に入りたい。法皇は新天皇の即位を急いでおられる。
神器の返還が無くとも、早急に事を運ぶつもりらしい」

言うと、今まで黙っていた麾下の武将達が騒ついた。

「何故、その様な事を、この私に?」

少し眉を寄せ、眼を細めた義仲が訊ねる。

「義仲どのは新天皇が登極[即位]するなら、誰がそれに相応しいとお考えか?」

松殿基房は義仲の質問には答えず、真剣な表情のまま逆に質問返しで応じた。


義仲はじっと、松殿基房を見据えていたが、眼を閉じると、小さい溜め息を吐き、

「私が口を出す問題では無いですが」

と前置きすると、

「先程、現在の私があるのは以仁王様の宣旨のお陰、と申しました。
であれば今現在の政治状況を作り出した功労者にその資格が在る、と考えます。
当然、最大の功労者は以仁王様その人になり、その資格が在る訳ですが、残念ながら既に以仁王様は没しておられます。
である以上、新しく登極して頂くに相応しいと考えられるのは以仁王様の志しと、その資格を受け継いでおられる遺児、北陸に居られる宮様。
北陸宮様に於いて他に無し、と心得ます」

松殿の瞳を真っ直ぐに見詰めて、義仲は己の考えを述べた。
松殿は我が意を得たり、と大きく首肯くと、

「私もそう考える。しかし、法皇はそう御考えでは無い。
京に残された故高倉上皇[安徳天皇の父。後白河法皇の皇子で一一八一年、平清盛と同じ年に崩御]の皇子、幼い三宮・[五歳]・四宮[四歳]のどちらかを即位させ、幼帝を擁し、己の権威と権力を盤石にする事のみを望んでおられる」
一気に言った。

義仲はその様子を静かに見守っている。更に松殿は続ける。いつの間にか松殿の額には汗が光っていた。

「幼帝を擁した者が政治を操る事になれば、その権力濫用は先日までの平氏の例を引くまでも無く、これからも政治の混乱は続いてしまう事となろう。たとえそれが法皇であってもだ。
私はこれを終わらせたい!新天皇には幼年の皇子では無く、成年に達した皇族の者を即位させる事が出来れば、法皇の絶大な権威や集中し過ぎる権力を牽制し、また分散させる事で政治の安定を図れる事が可能となるかも知れん!」

松殿の言葉は次第に熱を帯び、真に政治の現状を憂いているのが、その身体から滲み出ていた。

「義仲どの!
私と京の、いや、この国の政治を正す為、共に働いてはくれぬか!」

松殿は言い終わると、流れる汗を拭おうともせず、口を引き結び、真剣な眼で義仲の瞳を射る様に見詰めている。

松殿の熱い演説の後、室は沈黙に支配されていた。松殿はもとより、麾下の武将達も固唾を呑んで、主人の義仲の返事を待っている。

そして、その静寂が耳に慣れ始めた頃、

「私はこの京で良い先達を得る事が出来ました」

義仲は表情を和らげ言うと、続けて松殿を安心させる様に、

「私の方こそ宜しくお願い申し上げます。松殿は権力の濫用を防ぐ為。私は戦乱に終止符を打つ為。
目的は違えど最終的に目指すものは、政治の安定、この一事に尽きます。
共にその目指すところに向かい、この身を捧げましょう」

答えた。
と、

「おおおっ!!!」

麾下の武将達が声を合わせて応じた。

その声はまるで合戦に勝利した時の勝鬨の声に似ていた。松殿は満面の笑みを浮かべ首肯くと、前屈みになっていた身体を元に戻した時、今更ながら顔を伝う汗に気付くと、そっと袂から布を取り出しこれを拭うと、場の喧騒を心地良く聴いている。

と、
「盛り上がってるとこ水差す様で悪いんすけど、ちょ、いいすかね?」
声を上げた者がいた。覚明である。

「またお前か・・・」
兼平がうんざりした様に睨む。

義仲は微笑し、発言をを許可する様に頷いてやると、

「拙僧は義仲様の祐筆で大夫坊覚明と申します」
一応、謙りながら自己紹介すると、

「新帝即位の事はどう転ぶか判ったもんじゃありませんが、もし、もしですよ?北陸宮様が帝位に就いたとして、ここで問題になるのは彼の皇后に誰がなる、って事です。
確かに松殿の言う通りになれば法皇の権力は牽制されますが、ここで新帝の后の親や、その親族が権力握っちゃう事が考えられますが、そこのところ、どうお考えなんすかね?」

覚明は殊更のんびりとした風を装いながら、鋭く問うた。
が、松殿にとっては本質的なところを突かれた、実に厳しい質問であった。

ぎくり、としたと言っても良い。

ここで松殿は下手な言い逃れなどせず、この質問に真っ正面から正直に答える事で、逆に義仲らの信用を得よう、と瞬時に判断した。
要は腹を括ったのである。

「覚明御坊の懸念は尤もの事」

「覚明、と呼び捨てで構いませんよ、松殿」

「では覚明。私は北陸宮様が即位した時、その新天皇に娘を嫁がせるつもりです、この話しをを持って来た」

松殿の答えは、義仲麾下の武将達に緊張を走らせるに充分なものであった。

それは、我らが主人義仲を、またその麾下である自分達の武力のみを、己の栄達の為だけに利用するのではないか、との疑念が各々に湧き起こったからである。そんな彼らの疑惑に満ちた視線をを全身に浴びつつも、

「私はこの機に政治的復活を果たしたい。その上で先程述べた事を実現させる為に、こうして義仲どのに接近した訳だ。しかし、私だけではこれを実現させる事は出来無い。
義仲どのが奉じて来られた北陸宮様と、義仲どのの武名、武力。そして摂関家出身である私の政治経験と、私の娘や息子。その各々の持つ総てを挙げて挑まなければ、法皇やその取り巻きの公卿らと対抗出来ん」

松殿は武将らを見渡し、真摯に語り掛ける。
嘘は言ってはいなかった。というか、己から出た言葉に嘘が一片も混ざっていなかった事に、自分でも少し驚きつつ松殿は、一人一人を説得する様に、言葉を繋げていた。

そして最後に覚明と義仲に眼を向け、

「それに、私達が協力したとしても、法皇と対抗する事は出来無いかも知れん。だがそれでも、微力を承知でもう一度政治活動をしようと思ったのは、私は現状を見過ごす事が出来無かったからだ。
何とかこの混乱した政治状況を正したい。この思いが自分でも驚く程、強く込み上げて来る。
そしてもし、北陸宮様の即位が実現するにせよ、しないにせよ、権力を握る事が出来、返り咲く事が出来た私が、これを濫用し、義仲どのらを無下に扱う様に見え始めた時には、遠慮は要らん。その時にはこの私を討ってくれても良い」

静かに告げた。
その最後の言葉を告げた時の松殿には、異様な迫力が宿っていた。

どうやら本心からの言葉には、形容し難い何か、が宿るものらしい。

と、
「ははっ。さすが松殿。肝が据わっておられる。道理でその昔、無敵の清盛や平氏に喧嘩をを売れた訳だ」

覚明が笑いながら軽口を叩くと、

「昔の事はよしてくれ。
結局、敗けたのは私の方だった」

溜め息を吐く様に松殿は応じた。

「いやいや。あの時[殿上乗合事件当時]は興福寺[興福寺は大和国府としての機能も持つが、元々は摂関藤原氏の氏寺]も盛り上がってましたよ。
氏の長者の摂政様が清盛に待ったを掛けた、ってね」

冷やかす様に覚明が言う。

「・・・興福寺?・・・」

松殿が心持ち眉をひそめ、首を捻る。

と、
「この男は今は名を変えておりますが、昔は興福寺にいたのです。
当時は最乗房信救とか、偉そうに名乗っていたとか」

兼平が言い添えると、

「・・・最乗房信救?・・・聞いた事がある・・・お!おお!以仁王様挙兵の折に、園城寺に共闘を呼び掛けた僧が確か!」

松殿が思い当たると、

「そうすよ。そん時、よせばいいのに清盛はゴミの中のゴミとか余計なこと書いて、後でバレて興福寺に居られなくなったドジがこの男っすよ」

小弥太がにやにやしながら言う。

と、
「テキトーな事言うな、小弥太。俺は武家の中の塵芥、とは書いたが、ゴミの中のゴミ、とは書いちゃいねえ」

「似た様なモンじゃねェか」

「全然、違ぇよ」

小弥太と覚明の遣り取りを呆気に取られた様に見ていた松殿の顔に、自然と笑みが浮かんで来ると、場の雰囲気が明るく和やかなものに変化していた。

どうやら松殿は、義仲だけで無く麾下の武将達の信頼を得る事にも、ある程度成功した様であった。

と、
「松殿基房様。では北陸宮様即位を実現させる為に、具体的にどの様になさるのですか?」
兼平が、殊更、真面目くさって問う。

場の雰囲気が砕け過ぎて行く事を嫌ったのだろう。


「私も京の政界から遠ざけられてから永い時間が経っている以上、打てる手段は限られて来るが」

松殿は慎重に言葉を選んで応じた。
続けて、
「八条院様を動かす事が出来れば、可能性が見えて来るだろう」

断言する様に答えた。

「後白河法皇の妹君の事ですね」
今度は楯忠親が応じた。

「確かに生前の以仁王様を猶子として保護されていただけで無く、以仁王様の遺児三人[道性・道尊・三条姫君。北陸宮の異母弟妹]を養子にしておられる八条院様ならば」

兼光が何度も肯きながら呟く。

「北陸宮様の力になってくれるかも知れん」

光盛が考えながら言い添えた。

「とにかく、どこまで出来るかは判らんが、この際、出来るだけの事をしておこうと思っている」

松殿は義仲に向き直り、宣言した。

「解りました。松殿」

義仲は軽く握っていた拳を両膝に置いて一礼し、

「微力ながら私もそのつもりで動いてみます」

請け負うと、松殿は満足そうに大きく首肯き、これに応じた。


ここに義仲と松殿基房の協力関係が成立した。

これよりこの二人は、強大で多数の者が利権や姻戚関係で絡み付き、深く入り組んだ京の支配層、官僚機構相手に斬り込んで行く事となった。

前途多難な道が、義仲と松殿基房を待ち構えている。しかも敵は、京の公卿らのみでは無く、次々と彼らの前に立ちはだかる事になるのであった。





そして、その敵となる一人が、目敏く義仲の六条西洞院の邸から出て来る牛車に気付いた。

「おい」

その者は馬を止め、自分の郎等を呼び付けると、

「あの牛車を尾行し、あの者が何者なのか調べて来い」
命じると、

「はっ」
郎等は応じると、何気ないフリを装い、距離をを取ると素早く牛車を尾けて行った。


馬上の者は、牛車と郎等が見えなくなると、六条西洞院の門を睨み付ける様に見上げ、

(まったく油断も隙もあったもんじゃ無いワイ!
京に来て早々、貴族らと接触を図りおって!
このワシを出し抜き、おのれ一人が栄達しようなどと、小生意気な事を考えおって!
そうか!そう来るか!
お前がそのつもりならワシにも考えがある!今にも見ておれよ!義仲め!)

身を焦がす程の捻くれた憎悪を燃え上がらせているのは、もうお解りの事と思うがあの新宮十郎蔵人行家であった。

行家は京中守護の任に就いたのであるが、義仲に命じられるのが面白く無く、市中巡回など始めからするつもりも無かったのであるが、他にする事も無いので、いじけた様に近場を馬に乗り、ぶらぶらしていたその時、義仲の邸から出て来る牛車を発見したのであった。

目敏く、でも何でも無く、要は犬も歩けば何とやら、というやつである。
行家はしばらく門を睨み付けていたが、それだけでは飽き足らず、腹立ち紛れに、

「か〜〜〜〜〜ッ!ぺッ!!」

門扉に叩き付けるつもりで、勢いよく唾を吐いた。
彼はその思考だけで無く行動すら下品であった。正に、唾棄すべき人物、を地で行く男である。

が、行家のイメージ通りには唾は飛ばず、己の左肩に張り出していた鎧の大袖[矢から上腕部、肩を護る鎧の部位]の内側にべっとり、ねっとりとソレは付着した。

行家は己の下品な行動を省みる事無く、その結果には大いに憤慨し、あまつさえ、

(まったく忌々しい!ソレと言うのも全て義仲のせいじゃワイ!)

己の吐いた唾を、己に掛けてしまう、という自業自得の間抜けな行動の責任すら、他人に転嫁し、一人で苛々を募らせていた。

その後、苛々をを募らせた挙句、八つ当たりの様に馬に鞭をくれた行家は、突然の強過ぎる鞭に驚き、立ち上がってしまった馬から振り落とされたのであるが、この無様な姿を誰にも見られずに済んだ事は、この男にとって幸いな事ではあった。