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篠原の合戦

〇寿永2(1183)年6月1日

 〇石川県加賀市


 平家の軍を追って石川県を縦断する義仲軍勢。関東から参加した武士は最後まで戦ったが、多くの兵は平家軍から逃げ去り、義仲軍勢が勝利を収めた


 ①
源氏から、平家から、5騎・10騎と同じ数を順に出し勝負させる 


平家が500余騎を出してきたので、源氏は300余騎で向かった。繰り返し勝負が行われた。関東から参加していた4人の武士は討ち取られた。 


平家の兵はかり武者だったため、義仲軍に押されてくると、われ先に逃げてしまった。 


そんな中立ち向かってくるあでやかな武将がいた。手塚光盛と対戦し、討ち取ってみると、義仲の命の恩人斎藤実盛だった。

 ⑤
斎藤実盛は義仲の父が討たれたとき、2歳だった義仲を信濃の中原兼遠にあずけた。その後も成長を気にかけ足を運んでいた。源氏の争いに嫌気がさし平家に仕え、平家方の武士として死を選んだ。