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飯沼氏

飯沼

信濃源氏(依田一族)
義仲に依田城を譲った依田次郎の次子行俊が飯沼氏を名乗ったと伝えられる。
飯沼地域は遺跡からみても依田荘の中心地域の一つとして考えられる。御岳堂地域と、飯沼地域だけに窯跡が三つ発見され、その他にも二、三窯跡と思われるものがみられる。

御嶽堂地域の依田川の河成段丘の東端は中城と呼ばれていて、飯沼氏の館跡とみられている。依田川を隔てて長瀬館と向い合っている。

館跡は西北及び西に堀の跡、本郭・東郭跡が残る。本郭跡を御所とよぶ。弥勒堂があったと伝えられ、現在は小さな祠で中には五輪塔の断片が残されている。中城居館跡の近くには飯沼神社がある。

承久三年(一二二一)五月北条泰時が山城宇治川で上皇方と戦った折、北条方の将として飯沼三郎が参戦している(承久記)。

中城の北、竹ノ花に鎌倉時代のものと推定される石造五輪塔があり、依田氏または飯沼氏の墓と伝えられている。

長野県上田市生田

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