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井家

井家次郎師方
石川県河北郡津幡町字中橋 井家庄
北陸(加賀)武士

井家庄は長講堂領で、津幡氏本拠地。源平盛衰記に「倶梨伽羅山へ向かう平家の軍勢は、加賀国井家・津播多から森本まで連いた」とあり、この地域が平家の進軍路にあたっていたことがわかる。
井家師方最期の地は「根上松古戦場」として整備されている。


根上がり松の奮戦~井家次郎師方の最期

 燧合戦から転戦した北陸武士たちがせめてもの抵抗を企てた「安宅の戦い」は悲惨なものであった。
 北陸武士は、海と川に挟まれ小高く盛り上がった安宅の地を城とし、川にかかる橋を外して対岸の平家と対戦する覚悟だった。
 ところが、平家方には裏切り者の平泉寺斉明がいた。斉明が浅瀬を示して、平家は次々と川へ馬を駆けいれてしまった。

 北陸の武士たちは平家を岸にあげぬ覚悟で馬を並べて休まず矢を射かけた。しかし平家の数は北陸武士に対して多すぎた。次第に形成は悪くなり、兄弟ごとにまとまって水巻、石黒、宮崎が川へ馬と共に突入した。平家に射られて水に落ちるもの、討ち取られるもの。引き上げられて生き延びるものは深手を負って生き絶え絶えとなっていた。

 井家次郎は幸いにして無傷であった。混乱する仲間たちに「まとまって越中を目指し落ち延びよ」といい、安宅を捨て北陸道を東へ駆けのぼらせた。北陸の武士たちの馬が連なって駆け抜けていく。井家は傷を負ったものが逃げ遅れぬよう、手練れを17人連れてしんがりを務めた。
 そして根上松に差し掛かった時、仲間に背を向け、北陸道の真ん中に立ち平家に対峙した。
 加賀は井家のふるさと。安宅から井家までの道は知りつくしている。
根上り松周辺は沼地で細い街道の脇は草が覆っているが、どろどろの沼だ。井家が矢を放つと平家の兵はよけようと街道を踏み外す。すると兵は見る間に姿を消す。井家を取り囲もうと騎馬が街道を外れて進もうとするとたちまち沼に飲まれていく。井家は加賀の地を味方にして、ただただ戦った。

 平家が井家と17人の仲間を討ち取った時には、北陸の武士たちの姿は見えなくなっていた。その時間を稼ぐためだけに、井家は自らを犠牲としたのだ。

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