与惣塚

兼平の子・与惣兼連の塚。兼連は体が弱く戦に参加できなかったが、義仲敗死後その子義重が信濃に落ちのびたのを知り、後を追ってここまで来たが旅の苦労がたたってなくなってしまった。家臣達は彼を葬り、たくさんの石を積み上げ、後に塚が作られた。

長野県北佐久郡立科町大字芦田八ケ野
(しなの鉄道田中駅28㎞330分)

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