得田
藤原(得田)章通
石川県羽咋郡志賀町徳田
北陸(能登)武士 文献残存
「養和元年(1181)11月24日得田・大町・甘田・神代保の4か所の地頭職を藤原章通が義仲によって安堵された」という文献が残る。この所領安堵は能登が真っ先に平家に兵をあげたことによる。
藤原章通は得田保を本拠地とする武士。当初得田保は土田庄にふくまれていたが文治4年(1188)年に分割されたことも他の文献に書き残されているため、詳細がわからない「土田の者共」の誰かが得田章通と思われる。
藤原(得田)章通
石川県羽咋郡志賀町徳田
北陸(能登)武士 文献残存
「養和元年(1181)11月24日得田・大町・甘田・神代保の4か所の地頭職を藤原章通が義仲によって安堵された」という文献が残る。この所領安堵は能登が真っ先に平家に兵をあげたことによる。
藤原章通は得田保を本拠地とする武士。当初得田保は土田庄にふくまれていたが文治4年(1188)年に分割されたことも他の文献に書き残されているため、詳細がわからない「土田の者共」の誰かが得田章通と思われる。