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義仲戦記3「北陸へ…」1181年6月

 何度でも言う。勝った。と言うか大勝利であった。
しかもこの合戦での勝利は、ただ単に戦さに勝った、という事実以上の意味があったのである。
 この横田河原の合戦での義仲勢大勝利、という現実のインパクトは日本全体を揺るがした。特に北陸諸国、越後[新潟県]はもとより、越中[富山県]、能登[石川県]、加賀[石川県]、越前[福井県]の五カ国において、その影響は甚大であった。

 それまでこの国[日本]での、兵を大量動員出来る主要な軍事勢力は、平清盛率いる平氏一門と、東北地方を統べる藤原秀衡[奥州藤原氏の三代目]の二つの勢力くらいであったが、ここに来てそのプレイヤーが二人増えた事になる。
 源氏の頼朝と、同じく源氏の我らが義仲の二人だ。頼朝は挙兵した直後の戦さでは敗北するが、その後盛り返し、富士川の合戦で勝利し関東地方に勢力を築く事に成功する。この時、頼朝のもとに集まった豪族や兵達は、ほぼ全員がもともと平氏方の郎等や豪族達であった。どうやらこの時、関東には頼朝ブームとでも言うしか無い状況が生まれ、雪崩を打った様に頼朝のもとに集結した。ここに第三の勢力、関東を従えた源頼朝がプレイヤーとして登場する。
 そして最後のプレイヤーが、我らが源義仲その人である。義仲は頼朝挙兵とほぼ同時期に挙兵し、市原の合戦、横田河原の合戦と二度の戦さに勝利、信濃[長野県]上野[群馬県]の二カ国に勢力を築いた。しかしそれだけに留まらず、横田河原の合戦での勝利は、北陸五カ国の豪族達の間に、義仲ブームを起こす事になった。関東で頼朝ブームが起こり一気に頼朝の勢力が大きくなったのと同様に、北陸では義仲ブームが巻き起こり、義仲の勢力は信濃、上野に加えて、越後、越中、越前、加賀、能登の北陸五カ国に拡大。一気に東山道、北陸道両道七カ国を統べる一大勢力となったのである。北陸五カ国の豪族達は、そのほとんどが義仲に従う事になった。
 これにより源義仲は、第四の、そして最後のプレイヤーとして歴史の表舞台に登場する事になる。


「喜んでばかりも居られ無いぞ、覚明」

「それは判っちゃいるが、世の中こうも順調に進む事も有るんだな、と思うと。やっぱり何か持ってるな、義仲様は。そう思うだろ?兼平」

「それは私も思う時が有る。何かに選ばれた御方だ。私の義仲様は」

「私の、ときたか。こりゃいいや。あはははは」

自分達の主君である義仲の事を、自慢して居るんだか惚気て居るんだかわからない様な事を話しているのは、今井兼平[義仲四天王の一人]と大夫坊覚明[義仲の祐筆、書記兼秘書]。


 ここは越後国府[新潟県上越市]。先の横田河原の合戦の後、間を置かず義仲勢は越後に進出、何事も無く国府に入城した時には、越後の在地豪族、在庁官人らに加え、北陸諸国の豪族達が義仲勢を出迎えていた。ここに源義仲は、武家の棟梁[リーダー]として認められたのであった。


「しかし、こうなってみると当たり前だが、義仲様も私達もやる事が増えた、という事だ」
兼平が言うと、

「まぁな。義仲様は北陸の豪族達を守る義務を負った訳だからなぁ」
と覚明。

そうなのだ。
武家の棟梁[リーダー]として認められる、という事は、その下に付いた者達を守る事は当然で、保護してやり、盛り立ててやり、更に活躍の場を与えてやらなければならないのである。これは古今東西、総てのリーダー達がしなければならなかった事なのだ。

つまり、今の棟梁としての義仲にはそれだけの義務と責任があるのである。


「兼平。覚明。義仲様がお呼びだ」

呼ばれた二人が振り向くと、根井小弥太[義仲四天王の一人]が居た。

続けて、
「北陸の豪族達の挨拶が一段落したからな。彼らも加えての協議だって言ってたぜ、義仲様が」

「判った。行くぞ、覚明」

「おう」

三人は連れ立ち、国府庁舎へ入って行った。

「私は一旦信濃に戻る事になる。だが、この北陸道で何かあった時には、すぐ様駆け付ける態勢をとっておく」

義仲は一同の前で言った。
ここには、義仲麾下の武将達、越後の在庁官人、豪族、それに新たに北陸の豪族の代表者達が集まっていた。

義仲は続けて、
「心配する必要は無い。この北陸には私の麾下の武将らに居てもらう事になる」
言った。

すると、
「この越後に、ですか?」
訊いた者がいた。
宮崎長康[越中、富山県の豪族]である。

「そうだ。この越後国府に信濃と上野の兵を置いておく。そして北陸の各地に城を築いてもらう」

「城を築きなさるのか」

言ったのは林六郎光明[加賀、石川県の豪族]。

「平氏方も黙ってはいないだろうからな。早ければ今年中にも敵が来る、と思った方がいい」

「都から敵が来る、と?」

訊いたのは井家範方[加賀、石川県の武将]。

「おそらくな。今の北陸の情勢だと、在地の平氏の家人らだけでは我らに勝てないだろう。となれば都から兵を派遣して来る、と考えた方が良い」

「成る程」
応じたのは斎藤太[越前、福井県の豪族。斎藤実盛と同族]。


「そこで、越後に残って北陸各地に城を築く役目は、今井兼平に任せたい」

「はい。解りました」
と兼平。

「更に、平氏方からの派兵があった場合の備えとして、根井大弥太行親どの[根井小弥太の父]と、根井小弥太を北陸に残しておく。両名は、これに当たってもらいたい」

「はっ!お任せ下さい義仲どの!」

張り切って答えた大弥太行親。
彼は、もういい歳なのだが、まだまだ若いモンには負けんわい、といった感じを全面に出している。だがこの大弥太行親。実は義仲の軍事的後見人で、これまでの義仲の活躍を陰で支えて来たのは大弥太行親なのである。思慮も深く、武将としても強い。

と、
「年寄りの冷水ってのは御免だぜ。親父」

揶揄ったのが息子の根井小弥太。大弥太、小弥太は親子なのである。


「ヤカましい!その一言が余計なんだよ!小弥太!お前は!」


いきり立った大弥太の文句をスルー[無視]し、

「解りました。義仲様」

澄まして答えた小弥太。
その遣り取りで場が和む。

「では北陸の諸将は、平氏方が攻め寄せて来た時には、根井大弥太行親、根井小弥太に協力して、これに当たって欲しい。以上だ」

「はっ!」
北陸諸将が応じ、協議は終了した。


「義仲様。兼平を残すのは、やはり城一族の事が気に掛かるからですか?」

覚明が問う。

義仲が信濃に戻る前夜、越後国府の一室で義仲、大弥太行親、小弥太、兼平、覚明の五人が話し合っていた。

「それもある。が、私が気にしているのは城一族よりも、むしろ奥州藤原秀衡の事だ」

義仲が答えた。

すると、
「その事です、義仲どの。城一族の領地、会津を奪ったあの手際。やはり好機[チャンス]と見れば必ず動いて来るでしょう。秀衡は」

大弥太行親が言う。

「解っている。だから兼平を残し、城を築かせる。これは奥州の藤原秀衡対策の為だ。まさか秀衡が越後を奪いに来るとは思わんが、だからと言って越後をカラにも出来ない」

「それがお解りなら大丈夫でしょう」
と大弥太行親。

続けて、
「しかし越前、越中、加賀辺りは平氏対策の為の城を築くのが間に合わないかも知れません」

「親父の言う通りです義仲様。まだ六月ですから、平氏方がその気になれば都からすぐ軍勢が派遣されるでしょう」
小弥太が言う。

そこで兼平が、
「それに、佐渡[佐渡ヶ島]に居る城長茂が何故か勢力を回復している、という謎の噂がたっています。城長茂は佐渡ヶ島から出て来られない筈なのに、越後で勢力を盛り返している、とか何とか。これは完全なデマですが、どうやら都までこのデマが届いているらしいです」

そこに覚明が、
「そのデマも平氏方の派兵の呼び水になるかも知れません。平氏方としては新しい越後国守を任命するなり、派遣するなり出来ますからね。もしかすると城長茂を越後国守に任命し、その援軍という形で派兵して来るかも知れませんから」

言うと、
「口実は色々あるって訳か、覚明。だが要するに兼平は越後で、佐渡の城長茂と陸奥の藤原秀衡に睨みを利かす。俺と親父は、都から来る平氏方と喧嘩する。と、こう言う訳だろ?」
小弥太が言い放った。

「ははは。その通りだよ、小弥太。とにかく行親どのと小弥太は、背後の心配をせずに派兵されて来る平氏方と戦ってくれ」

義仲が明るく言った。

すると行親が、
「解りました。北陸方面は私達にお任せ下さい。ただし、義仲どのは信濃でいつでも出陣出来る準備をしておいて下さい」
少し硬い表情で言うと、

「当然そのつもりだが、何か懸念でもあるのか?行親どの」
義仲が問う。

「いえ。ただこれまでの戦さとは違ってきますから。何せ私達も北陸の諸将達もまだまだお互いの事が手探り状態ですからね。動員出来る兵が増える事は良い事ですが・・・」

行親が言い淀む。

が、その時、
「ははははは!何言ってんだよ親父!」

笑い飛ばした者がいた。
小弥太である。

「ハッキリ言えよ。まだどの程度北陸の奴らが信用出来るか判らねェって。だけどな、だから俺ら親子が大役を任されたんじゃねェか。
俺らなら何があってもタダじゃ敗け無ェし、親父は人を見極める眼がある。ダテにトシ喰って無ェだろ?だから北陸の諸将達を見極めんのも俺らの仕事だろ?
だいたい義仲様の露払いなんだから、心配し過ぎても意味無ェよ。
だろ?親父」

正直に言い切った小弥太を、呆然と見ていた四人だった。

小弥太は続けて、
「それにこれから勝ち続けて行けば、どんどん新規の兵達が我が義仲勢に集まって来るんだぜ。その度に心配してちゃどうにもならねェからな。だから今からソレに慣れてかなきゃな。そうですよね義仲様」

義仲にフった。
「ああ」

義仲は苦笑いを浮かべて応じた。
全く小弥太には敵わない、とでも言いたそうに。

と、
「言い難い事を大声でベラベラと喋りおって。だが小弥太。お前の言う通りだ。私達親子は義仲どのの先陣だからな」
行親が言う。

と、
「ようやく肚を括ったか?親父。だが、俺は楽しみだぜ。平氏方とヤるのが待ちきれねェよ」
小弥太が不敵に言う。
その顔には笑みさえ浮かべて。

翌日、義仲は信濃の依田城に戻って行った。越後国府に残った今井兼平は、指示通り各地に城[砦、柵]を築いていった。越後国府の今井勢は三〇〇騎。そして根井大弥太行親、根井小弥太親子は、加賀国に駐屯する事になった。その数およそ一二〇〇騎。いざという時に義仲勢は北陸で、この一五〇〇騎で対応する事になる。

横田河原の合戦から始まった、この年の六月が終わろうとしていた。


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