菅生石部神社
義仲が平家を篠原の合戦で破ったとき、「のみの庄」を寄進した。篠原合戦で平家が敗走した「須川山」「須川林」は菅生石部神社の後背丘陵地とみられる。加賀国二宮。社伝では585(用明天皇元)年の創建といい、「三代実録」元慶7年(883)12月28日条に菅生神がみえ、正五位下に進階している。源平合戦のきっかけとなった1177(安元3)年2月の「安元事件」では、白山中宮の衆徒らが加賀目代藤原師経を糾弾するため神輿を奉じて上洛の途次、「須河社」に立寄ったとある。
石川県加賀市大聖寺天神下町
(JR大聖寺駅1・9㎞24分)