3 清水義高の伝承
清水義高は木曽義仲の長男です。
ドラマや小説ではわかりやすさから木曽義高と書かれることもあります。
義高を有名にしたのは、義仲と頼朝の対立のために鎌倉に送られたことからです。また、義高にまつわる伝承は意外にも広く分布しています。
■ 義高と大姫のエピソード
清水義高と大姫のエピソードは平家物語ではあっさりと書かれており、後日談は鎌倉幕府の歴史書・吾妻鏡にこれまたあっさりとまとめられています。それらをまとめると、このようなストーリーが浮かび上がります。
義仲と頼朝の間で対立が深まった時、和睦のあかしとして義仲の子・清水義高が鎌倉に送られた。頼朝・政子夫妻は元服したばかりの少年・義高をまだ十歳に満たない幼い娘・大姫の婿として迎えたのである。
二人はままごとの夫婦のように仲睦まじく暮らしていたが、義仲が都に入り、貴族との関係が悪化したころから状況は変化することになった。義仲を快く思わない後白河院が密かに頼朝に使いを出し、「義仲追討」を命じたのである。
頼朝は関東の武士達に鎌倉から離れないように説得され、弟の範頼・義経を旗頭に大軍を都に向かわせた。そこには義仲と直接対峙したくない様子も感じられる。
義仲が討ち取られてからしばらく、頼朝は思案を重ねていた。娘・大姫と幼い愛を育んでいる清水義高は武芸に優れた自慢の婿である。しかし、その父を討ち取らせたのは自分。このまま義高を生かしておけば、いつ命を狙われてもおかしくない。また義高にその気がなくても、残党たちに祭り上げられることもある。自分も戦で平清盛に父を討ち取られたにも関わらず、恩情をかけられて生き延びることができた。しかし今平氏を倒そうとしている。義高が同じような運命をたどるのではないかという不安は頼朝の中で日増しに募っていった。
ついに頼朝は義高を葬る決意をしたが、それは事前に大姫の侍女たちに漏れていた。義高の家臣・海野小太郎は自ら義高の身代わりを演じて時間を稼ぎ、女装させた義高を鎌倉から脱出させることに成功した。しかし武蔵国まで逃げのびた義高は入間川に差し掛かった時、追手に見つかり殺害されるに至ったのである。
義高の死を知った大姫は飲食を絶ち、心も病んで、二十歳で生涯を閉じるまで、義高を慕う気持ちを忘れなかった。
この物語が広まったのは鎌倉~室町時代に書かれた草子「しみづ物語」として作品化されたことがきっかけです。その中では、義高と大姫の年齢が実年齢より大幅に引き上げられ、二人のエピソードは涙を誘う悲恋ものとして定着しました。
そして現代に至るまで舞台、小説、漫画、映像で繰り返し作品化され、2022年には大河ドラマでどのように描かれるか注目されています。
ところが、近年になって情報の共有化が進んだことにより、意外な伝承が知られるようになりました。
「清水義高は生きていた」というものです。
栃木県佐野市には清水義高が入間河原で死なず、佐野市で暮らした伝承や義高ゆかりの寺が残っています。